十番勝負 その十五
第二十三章 九番勝負 上杉六郎との勝負
照島を過ぎ、勿来の九面浜を経て、常陸に入った。
九面浜は浜街道の中の難所であり、山が海岸に押し寄せており、旅人は海に接した洞門をくぐるという道しか無かった。洞門は自然に出来た洞門であり、狭く、高さも低い。
馬に乗ったままでは進めず、三郎も馬から下りて徒歩で洞門をくぐった。
普段は何とか通れるが、嵐の時は海水が押し寄せ、通行は無理な相談となる。
端午の節句の季節となっていた。
「こうして、絵幟を眺めるのも楽しいことじゃのう。儂の屋敷の蔵にもご先祖さまが戦の折、お使いになられた旗指物があるが、吾平は蔵から出して、虫干しがてら、庭先に立ててくれているかのう」
「立ててるっぺよ、だんなさま。吾平の爺っちゃんはおいらとはちがって、律儀ものじゃから、きっと誇らしげに立ててるっぺよ」
馬の手綱を取って歩いていた弥兵衛が三郎を見上げながら言った。
「正太郎、今頃は、おせきも柏餅をこさえているかも知れんぞ」
「はい、旦那さま。まきさまと一緒になって、姉ちゃん、きっとこさえておりますよ」
三郎は正太郎の言葉に頷いた。いつかは、おまきとの祝言も考えなければなるまい。
街道筋の林の奥から、鳥の鋭い鳴き声が聞こえてきた。それは、夏の到来を告げる不如帰の鳴き声であった。そして、水が張られた田んぼでは、田植えも始まっていた。
常陸の国の名族は佐竹氏である。
多くの守護大名が下克上の乱世で時流に乗れず没落していく中で、佐竹氏は守護大名から戦国大名へと、見事な変貌を遂げ、常陸の国で大きな領国を得ていた。
当主は佐竹十八代の次郎義重で齢二十六の若武者である。父の十七代義昭を亡くして、はや八年になる。若武者であるが、鬼義重、坂東太郎という異名を取るくらい、戦さでは苛烈極まりない武将であった。この佐竹義重の時に佐竹氏は五十万石に近い領土を持つ大大名となった。
岩城氏と領国を隣接している関係もあってか、婚姻関係も複雑に絡み合っている。
母は岩城重隆の次女であり、長女・久保姫を母とする親隆とは従兄弟同士となる。
そして、義重の実の妹が親隆の正室であり、親隆の実の妹(伊達晴宗と久保姫の娘)が義重の正室という関係なのだ。まさに、戦国の世ならではの婚姻関係と言えよう。
ちなみに言えば、この当時は、親隆が狂乱の病を得ている時でもあり、岩城氏の実権は親隆の正室である義重の妹が執っていたとされている。義重の妹の背後には、義重が居り、岩城氏はほとんど佐竹氏の意向に沿う形で動いていたと言っても過言では無かったであろう。
実際、義重と親隆の実の妹との間に生まれた子が、岩城七代目常隆に実子(長次郎政隆)が居たにもかかわらず、その実子を押しのける形で、常隆の後を継いで、岩城八代目となる岩城忠次郎貞隆を名乗ることとなる。
「義重殿は親隆様より十歳若いが、なかなかの武辺者と聞いておる。親隆様と拙者は同年である。よって、義重殿は齢二十六となる。親隆様の実の弟である伊達十六代の輝宗殿が七つ違いで齢二十九ということであり、親隆様のご病気が目出度く全快あそばされた暁には、親隆様、輝宗殿、義重殿のお三人が手を結んで岩城・伊達・佐竹連合軍をつくり、戦えば、ここいら一帯含め、無敵の同盟軍となるは必定であろう。惜しむらくは、親隆様のご病気よ。あのご病気が治りさえすればのう」
三郎が馬上で誰に話しかけるふうでも無く、呟き、溜息を吐いた。
三人は佐竹氏の居城、太田城の近くの宿場の旅籠に入った。
馬を預け、風呂に入り、汗を流してから、二階の部屋から賑やかな通りを眺めた。
「さて、弥兵衛よ。もう、そろそろよい、では無いか」
「おいらも、そうおもっておりやした」
弥兵衛は慌しく階下に降りて行った。
「だんなさま。そろそろよい、とはどういうことだっぺか」
正太郎が狐につままれたような顔をして訊ねた。
三郎は盃をあおる仕草をして正太郎に言った。
「これじゃよ、これ。旅籠に着いて、風呂に入った後、することと言えば、旅の楽しみのこれじゃよ、酒じゃ。その土地の地酒を味わうことじゃよ。正太郎殿、覚えておきゃれ」
その内、どたばたと足音がして、銚子を両手に持った弥兵衛と、お膳を持った女たちがどやどやと部屋に入って来た。嫌がる正太郎に、念仏と食い物はみんなして、とか、げこの建てた蔵はない、上戸の方が良いのだとばかり、三郎と弥兵衛が二人して無理矢理飲ませ、その赤い顔を酒の肴にしてからかいながら、ぐいぐいと呑んでいると、宿の亭主が挨拶に来た。亭主はなかなかの話好きと見えて、通りいっぺんの挨拶を済ませた後も帰らず、この宿場で起こった出来事を面白おかしく話し出す始末だった。
あそこの茶店の娘はこの宿場一の美人であるが身持ちが堅い、とか、佐竹の殿様は荒武者で、戦さで一度に七、八人の武者を切り捨てて、鬼義重という異名を得た、とか、殿様は変わったお人で、敷き布団は脆弱のもとということで使わず、真冬でも薄布一枚だけ敷いて寝る、とか云った噂話をひとしきり話した中で、正清の興味を引いた話をこのように切り出した。
「佐竹様のご城下には、この頃、辻斬りが出ます」
亭主は声を潜めて語った。それは面白い、もっと詳しく話せ、という三郎の言葉を受けて、亭主が話したことは。これまで、三人のお武家が斬られている。いずれも、佐竹の武士で名の通った侍である。懐中のものは全て奪われており、金銭目当ての辻斬り強盗と見てよさそうだ。
斬られかたには特徴がある。三人共、腕と手甲を何箇所か斬られている。但し、腕の疵は深手では無く、致命傷となった疵は三人共、それぞれ異なっていた。或る者は胴の疵、或る者は肩からの袈裟斬り、或る者は胸への刺し疵というふうに致命傷を負わせた疵に特徴は無い。
必死の探索にもかかわらず、犯人の糸口さえも掴めず、城下の侍は戦々恐々としている。
と云ったことを宿の亭主は身振り手振りを交えて三郎たちに語った。
「この辻斬りは侍しか襲ってはおらん。金品が目当てであれば、侍より商人を狙ったほうが容易に奪えるであろうものを。少し、妙な感じがするのう」
「きっと、うでじまんのつじぎりなんだっぺよ」
弥兵衛の言葉に軽く頷いたものの、まだ腑に落ちぬように三郎は続けた。
「腕自慢にしても少し妙だ。腕と手の甲、つまり、剣術で言えば、籠手のところだが、そこを三人共、斬られているのが気にかかる」
と言って、三郎は少し考えていたが、やがて思い当たるところがあったのか、口を開いた。
「辻斬りはかなり陰険な男と見た。つまり、立ち合いの際、相手の隙を見て、まず腕とか手甲に疵を負わせるのだ。斬り合いの際、どうしても疵を受けやすいのは、指、甲と腕じゃ。それゆえ、戦さの折は、肩先から腕、甲、指を防御するために籠手を付けるのじゃ。斬り合って、腕とか甲に手傷を負わせておいて、闘いを長期戦に持ち込めば、必ず相手は出血と痛みで疲労疲弊するものなのじゃ。疲弊疲労困憊したところで、斬り合いの決着をつける、という作戦を取っているのかも知れぬな。と、すれば、辻斬りは籠手斬りの名手と見たぞ」
三郎は翌日、城下に出向き、辻斬りで殺された武士の家を訪れ、丁重にお悔やみを述べると共に、卒爾ながら、と辻斬りの様子に関してあれこれ訊いた。妙なことに気がついた。
辻斬りに殺された三人の家の者たちは辻斬りを行った者の見当をつけているらしいのであった。それは家族の思わせぶりな話しかたと微妙な表情で判った。
誰に殺されたかは知っているが、表立っては言えない事情があるのだと三郎は思った。
三番目の被害者となった武士の屋敷を出て、歩き出した三郎のところに弥兵衛が走ってきて、小声で囁いた。
「だんなさま。あのやしきのこものから耳よりなことをききやした」
と言って、弥兵衛が話したことはいちいち三郎の疑問を晴らすものであった。
この佐竹家には他国の者には窺い知れぬお家騒動があるらしい。
殺された三人は同じ派に属しており、もう一方の派の粛清にあったものと考えられる。
辻斬りを装うために、懐中のものをあえて奪い、もの盗りに見せかけている。
三人共、剣の腕は相当な者ばかりであり、辻斬りは余程の剣の達人であろう。
相手の派の頭目が、つい最近、他国から流れて来た牢人で剣の遣い手を家来として新規に召抱えている。
「でかしたぞ、弥兵衛。これで、全て、辻褄が合ってくる。その新規召抱えの牢人はおそらく籠手斬りの名手なのであろうよ」
ニコリと笑って、弥兵衛に言った。更に、正太郎に向かって、これから兵法の工夫を行うつもりであるから、お前もついて参れと言い、城下の刀剣を商う店に向かった。
三郎は思案に耽った。
籠手斬りという技はなかなか防ぎにくい、という話を昔剣術の師匠、今川四郎左衛門から聞いたことがある。斬り結ぶ際に、どうしても、相手の刃に近い指、拳、甲、手首は案外斬られてしまいやすいものだ。戦さの後の野原には、切断された指が至るところに落ちているものよ、と戦さ慣れした岩城の侍が話しているのを聞いたことがある。深手とはならないが、出血と疵の痛みで、刀を握る力が徐々に弱くなってくる。そこが、相手の狙いであり、じわじわと闘う力を削いで行くのだ。闘いが長引くほど、手疵を負った者は不利な状況となる。刀を叩き落とされるか、緩慢な動きとなって相手の刃を避けきれず、いつか仕留められてしまうのだ。
明るい月が道を照らしていた。
月の光に照らされて、武士が二人、相対して剣を構えていた。
「拙者は岩城の住人で、南郷三郎正清と申す」
「佐竹の臣、上杉六郎義澄と申す」
「辻斬りを装い、三名もの武士を殺めた行いはまことに許し難し」
「ほう、貴殿も、それがし同様、雇われたほうか」
「拙者は気儘な旅をしている武芸者でござる。この度は、貴殿の所業を許し難く、いわば、義憤に駆られたまでと心得られよ」
「ふん、物好きな。命の遣り取りの理由にならんわ。されど、こうなった以上は、貴殿には死んでもらわねばなるまい。いざ、参る」
三郎は新規召抱えとなった牢人の住居を調べ出し、その侍が夜になって出て来るのを待った。
その侍は城下の外れで物陰に身を隠し、誰かを待ち受けているようであった。
やがて、従者を二人ほど連れた一人の武士が通りかかり、その侍が出て行こうとしたところに、三郎が機先を制して現われたという次第であった。
狙われた武士をまず逃がした上で、その侍、上杉六郎と立ち合うという仕儀となった。
二人の武士はじりじりと間合いを詰め、裂帛の気合と共に、数合斬り結んだ。
さらに、数合斬り結んだ。六郎は妙に感じていた。
自分の繰り出す、籠手斬りの秘術がこの相手にはどうも通用しないのだ。
斬れているはずなのに、相手は平気な顔をしているのだ。おかしい、どうもおかしい、と思い始めていた。それに、相手の刀がこちらに届き、少し手傷を負ったのも予想外であった。
上杉の剣は相手の籠手こそ斬れ、自分の籠手は斬られない、という修練を重ねた剣であったが、どうもこの相手には通用しないのだ。このままでは、負けてしまう。上杉は焦ってきた。
上杉の焦りを知ったのか、三郎の剣がますます鋭さを増して来た。また、数合斬り結んだ。
上杉が刀を取り落とした。あわてて、取ろうとしたが、取れなかった。茫然と手を見て、驚愕した。右手の親指が斬り落とされていた。知った途端、鋭い痛みが奔った。
右手を押さえ、駆けて行く上杉六郎の後姿を見ながら、三郎は、ほっと息を吐いた。
夜だから見えなかったであろうが、普通より五寸ほどは長い、この長い刀と大き目の鍔、そして鎖を編みこんだ薄手の籠手を見たら、上杉はさぞかし驚いたことであろう。
籠手斬りの名手だと知った時点で、拙者の勝ちは見えていたのだ。
敵を知った上での兵法の工夫を覚えたか、と三郎は月明かりの中でニヤリと笑った。
しかし、今回の勝負では、長刀、鍔、鎖籠手と少し出費がかさんでしまった。
明日からは少し倹約をしなければなるまい、と苦笑した三郎であった。