prologue
自分の声が聞こえなくなった。
高2の5月。
高校生活にも慣れ、クラス替えの
戸惑いが落ち着いた頃。
それは何の前触れもなく、
休み時間にクラスメイトと話して
いた時だった。
喉から息が漏れる音しか
聞こえない。
驚いて口を閉じると、周りは
なんだ、噛んだのか?と笑った。
気を取り直してもう一度口を開いたが、
やはりまた自分の喉から声が出なかった。
「なんか今喋り方おかしくなかった?」
「訛り?」
話しかけられたが、答えられる余裕がない。
ようやく周囲が異変に気付き始めた。
「なんだよ、黙り込んで。どうしたんだよ」
机に紙を広げ、声が出ない、と書き込んだ。
「はあ、何言ってるんだよ。
さっきから出てるじゃん」
え、といつもの調子で言ったが、
確かに聞こえない。
しかし、
「ほら、今出たじゃん」
一応声は出せているらしい。
そして、その声は周囲にも聞こえている。
つまり声を出せなくなったのではなく、
自分の声だけ聞こえなくなってしまったようだ。
そして、自分の声が聞こえないせいで
話しづらくなった。
人はどうやら話しながら、
発音の仕方を確認しているらしい。
その作業ができなくなったため、
周囲から発音が少しおかしいと言われた。
病院に行ったが、
耳に異常はみられなかった。
地元の病院から東京の大学病院へ行かされ
検査したが、名のある医師たちにも手が負えなかった。
ある一つの音しか聞こえなくなるというのは
例がないらしい。
原因が分からないため、経過を
見て今後処置を考えるそうだ。
それは、打つ手がないということ。
周囲の音は聞こえるし、筆談すれば
コミュニケーションにも問題はない。
とりあえず日常生活は送れるため、
問題は先送りされた。
しかし、その日常に歪みが生じ始めた。
会話のテンポについていけないのだ。
筆談ではどうしてもロスタイムが出る。
最初は誰もが書き終わるまで待ってくれた。
だが、書いている間に誰かが話し始めたら
一からやり直しだ。
集団の中に入れなくなった。
1対1で話すようにした。
集団で話すよりもテンポは遅いから。
けれど、やはり書いている間相手を
待たせてしまう。
それが申し訳なく思えた。
だから、誰とも話さなくなった。