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「…………」
あの日以来僕はその場から動いていない。故に何日経っているか分からない。
もうなんかどうでもよくなった。努力とかバカバカしくてやってられない。学校とかもう行く気力も気概も何も残されていない。
腹は減っているけれど死にはしないのでずっとそのまま。一ヶ月は経っていないはずなので、僕はまだ食べる気力がわかない。というか、空腹感が消えているために何も食べなくても僕は生きていけるんじゃないだろうか。一ヶ月断食モドキをしていた時は、さすがに堪えたけど。
「………………」
今は何時だろうか。なんかどうでもいいけど気になる。気になるけど動こうとする気力も何もない今の状態で確認するという行為を行おうというのはあり得ない。
頭の中で今もぐるぐると巡っている思考。考えることを放棄したにもかかわらず、それでもしぶとく頭の中を占拠し続ける疑問。
僕はどうしてこんなことをしているのか。僕はいったい何がしたかったのか。何を残したかったのか。なんでこうして生き続けなければいけないのか。どうして僕は不老不死になったのか。僕は本当に人間だったのか。僕が空野明ぼくである根拠はいったい何なのか。そして、
僕はいったい何者なのか。
思考というのは酷いもので、一度頭に浮かんだものは拒否をしてるにもかかわらず脳が深く深く考えていく。まるで進みだしたら止まらないイノシシみたいに。
もちろん止まることはあるけども、それはある種自分の中で区切りがついたからであって、脳がそう判断しない限り続いていく。
続くということは僕自身が気がかりになっているということになるのはしっている。表層ではなく、深層心理の裡でそれが生まれているというのも。
だけど、それが・・・今の僕を余計に混乱させる要素になっている。
ごろんと寝返りを打つ。もう何回寝返りを打っただろうか。十や二十では絶対にありえないだろうから、五十回ぐらいかな。
そんなくだらないことを考えて思考の切り替えを行うも、すぐに途切れてしまったので再び脳内に湧き上がる。
築1000年以上の一軒家。二階はなく、一階ですべてを行えるような設計。まぁそんなことはどうでもいい。今は僕の、僕自身の精神状態を…………
「なんて、出来るわけ、ないよね。自分は・・・」
布団やこたつに籠るように身を縮める。被せるものは何もないけれど、今の自分はこうしてないと、何かがおかしく・・・・・・・なる・・と思ったからかもしれない。実際はもうおかしくなってるのかもしれないけど。自分自身が気づかないだけで他者から見たらもうどうすることもできない、手の施しようのなくなってる存在・・になってるのかもしれないけど。
……また来た・・。なんだよどうしてそんなどうしようもない疑問ばかり頭に浮かんでくるんだよわかるわけねぇだんよこんな哲学みたいな答えのない疑問なんて! 明確な答えなんてないのに何でどうして頭の中を駆け巡ってくるんだいい加減にしろよ!!
思わず唇を強く噛む。そのときに口の中で血の味がしたけどそれも数秒で消え、空しくなった僕はぽつりと無意識でつぶやいた。
「…………こんな思い・・・・・するんだったら、不老不死に・・・・・なるん・・・じゃなかったよ・・・・・・・。武志と弥咲がいない・・・・・・・・・世界でさ・・・・」
泡のように消えたその言葉を最後に、僕は目を閉じた。
あれはいつだったか。僕の担任の先生がやけに哲学かぶれな人間で、僕達生徒にちょくちょく意味が分からない質問をしてきた。その中の一つに、『自己否定をする人間の自己は本当に否定されてるか否か』というなんとも矛盾してるような、頭がこんがらがる質問をしてきたことがあった。
その時のみんなの反応は『また変なこと言い出したよ……』と全会一致の微妙な表情。
だけど先生はお構いなしに続けた。
『いいか? 自己否定するということは、自分を否定するという事だ。だが、自分を否定するには何が必要だ? どうやって自分を否定できる? 自分の意志で自分を否定するのか? だとしたらおかしいだろ。自分の意志で自分を否定するということは、その自分の中には何もない――――無だ。自己否定とはつまり、自己という意志がなくなったことになる。それでお前達は何を持って行動をする? 意志がないのに動けるとはどういう事だ?』
なんでそんなことが言えるのだろうかと思ったんだっけ。それとも、確かにそうだと思ったんだっけ。その時の僕の心情は今となっては計り知れない。
そして今更だけどこれが“夢”だということに気付く。気付いた瞬間、その場面が遠のいていく感覚がある。
『まぁそんなの考えてても分からないのが哲学なんだけどな。で、俺がお前らに言いたいのは――――――』
最後まで言い切らずに先生や周りの人たちがどこかに飲み込まれるように消えて行く。僕はそれを呆然と、何をしようという意志も動きもなく、眺めるだけ。
夢だから・・・。現実リアルじゃないから。こんな、
「……よ」
こんな
「……だよ」
こんな……
「もう、一人は嫌だよっ!」
懐かしい風景・・・・・・が現実に・・・・思えるんだ・・・・・
こみあげてくるのは涙。実際に泣いているのは『意識内』の僕・。故にこれは気持ち的な涙となる。
そんな証明をして何になると思わず問いかける・・・・・。
――――誰に? 自分は誰に問いかけてるの?
またも苛まれる自問。永遠に解けないと言っても過言でもない疑問。
何をどうすればいいのか。何がどうなればいいのか。というより、それが問題なのかどうかさえ。
段々と『何か』が狭められていくのが何故か知らないけど分かる。分かるけど・・・・・、分からない・・・・・。
矛盾を孕む思考。それが成立するという事実。不可思議・不条理・理解不能な世界。それが、この、自分が生きているこの世界の、真理。
正と負の二面性を含み、矛盾という対極性すらも内包させる、世界現実。
自分は知ってる・・・・・・・。いやというほど見せつけられた。生きている間にさまざまと。
なのだから、それでも正常に回っている世界に住んでいる自分達もそれを内包して生きられるというのは正しいのかもしれない。
でも自分はそれが――その二面性による歴史を見ていたために――もう、耐えられない。
不老不死にならなければこんな時代まで生きていることはなく、彼ら・・との別れもなかった。こんな世界を見るまでに起きたことを体験・直面しなかった。
後悔と懺悔と空しさがじわじわと蝕んでいく。
それは一体何を? それらの感情は・・・・・・・誰の何を・・・・蝕んで・・・いくの・・・?
抜け出せない抜けることができない抜けなくてもいいや。
うっすらと思案した時、聞こえるはずのない、聞こえたらおかしい声が聞こえた。
温かく、それでいて眩しさと輝かしさを想像させるのに、悲しさがこもっている声が。
「――――ん! ――――くん!!」
「………………ん」
「空野君! 空野君!! 起きてくださいよ空野君!」
今誰かが誰かの名前を呼んでいる。誰であるのか今となっては良くなってるけれど、なんで必死そうに誰かに呼びかけているのか分からない。
なんでそんなに必死そうなの? どうして自分に呼びかけてるの? 何をそんなに駆り立ててるの?
ふつふつとわき上がる疑問。瞬間瞬間浮かんでは消える疑念。
どうして、なんで、なぜ、どういうことか。浮かび続け自分の頭を席巻し、残り続ける膨大な疑問。それらすべては目を開ければ分かると何かが告げた気がする。それでも何故か目を開けることができない。
なぜか、じゃないのは分かってるのかもしれない。分かっているがゆえに自分は瞼を開けないのだと直感した。
でも声の主は、いまだに自分に呼びかけ続けている。
「空野君! いつもみたいに、前みたいに、笑顔で起きてください!! 起きて、私に笑顔で話しかけてくださいよ! いつもみたいにタメになる話をしてくださいよ!」
耳元で叫ばれているのかやけに騒々しい。騒がしいやかましい。一体どうして自分にそこまで話しかけてくるんだろうか。そんなに叫んで疲れないのだろうか。そもそもどうして声の主はいるのだろうか。すべてにおいて理解ができず、すべてにおいて…………
「空野君!」
…………。本当に、なんでこうなってるんだろうか。
何かに納得できず僕は・・瞼を上げる・・・・・。上げて、声の主を見ようと首を回そうとしたけれど、すぐに分かった。
「空野君!!」
「……なんでここにいるのさギルフォードさん」
ジト目で僕の顔を覗いているギルフォードさんを見る。すると彼女は顔を真っ赤にして慌てふためき始めた。
ていうか、よく見たら所々服が破れて肌が…………って、一体どういう道でここまで来ればここまでひどくなるんだろうか?
……あぁ段々と思考が甦ってきた・・・・・。余裕が自分の中に出てきたという証なのだろうか。そこらへんが今のところ定かではないけどまぁ良いんじゃないかなぁと彼女を見たら思ってしまった。
「あ、あの、あのですね! そ、そそそそそその…………」
「うんまぁ。何やら色々あったというか大分僕の心配をしてくれたことに感謝するから別に詳細は語らなくていいよ」
「そ、そうですか? ……ていうか、もしかしてさっきのあれ・・……」
「聞こえていたからね。うん」
カァァァァァッとギルフォードさんの顔の赤みが急速に広がっていく。その隙に僕は立ち上がってから首を左右に振ってから背伸びをする。
ボキボキボキッ! と盛大に音がする。それに伴いまだ生きてると実感せざるを得ないやははっ。
内心で笑いながら僕はそのまま歩きだして襖を開ける。
ガラッ!
「おー空野。起きたか。ったく。ギルフォードや恵菜の奴らの騒ぎ様ったらうるさくてかなわなかったんだからな」
「空野君! 起きたのですか!?」
「なんで先輩や恵菜さんま……あぁいや皆さんで来たんですね。よくこんな秘境まで来れましたね」
僕がそう労うと、「俺を誰だと思ってやがる」とランティス先輩がリビングの丸テーブルからこちらに向いて偉そうに胸を張った。
それを見た恵菜さんが「先輩の慌て様も私達の比じゃありませんよ?」とクスリと笑って言ったので逆に慌てる様になったけど。
「お、俺は別にそんな心配してたわけじゃねぇし!! ただ、お前らに合わせて慌てただけだし!!」
「そうでしたか?」
「そ、そうだし!」
「では、そういう事にしておきましょう」
そういうや否や彼女は奥のキッチンへ消えた…………って。
「ちょっと恵菜さん? どうしてキッチンへ?」
「え? さすがに十日・・も来てれば勝手がわかるので、料理を作ろうと思ったんです。材料も買ってきてますし」
「十日?」
「そ、そうなんです。本当に心配したんですよ。だいぶうなされてて……」
後ろからギルフォードさんがそんなことを言ってくる。
だけど僕は本当にその十日近くの記憶がないので何も言えない。いや、記憶はある。ただそれを思い出したくないからないと自分に言い聞かせているだけだ。
一種の自己防衛。現在の僕はそれが構築されかけているのだと分析する。
でも心配をかけたのは事実なので。
「みんな、ありがとう。そして、ごめん」
僕は感謝と謝罪を口にした。




