283.剛力と念力3
「あなたはなぜ、平気なのです? 人間の分際で」
興梠は、目だけが笑っていない凶悪な笑みでツヨシを見据えた。
「さあな。だが、どうやら俺は、お前のこの雑音が平気なようだぜ」
「雑音だと?」
ツヨシの言葉に、興梠の眉が吊り上がった。
「美しい私の音色を雑音呼ばわりとは許せん!」
興梠の額の左右の皮膚が破れた。
そこから、太くて鋭い触覚が勢い良く飛び出した。
2本の触覚は鞭のようにしなると、ツヨシに向かって猛スピードで伸びてきた。
そしてその内の1本はツヨシの額に、もう1本はツヨシの胸の真ん中に突き刺さった。
「にーに!!」
アオイの叫び声。
「バカめ。おとなしくしていれば、命を落とさずに済んだものを……、む?」
興梠は異変に気付いた。
アオイも興梠も、触覚がツヨシに突き刺さったと思っていた。
だが、そうではなかった。
2本の触覚は、先端がツヨシに衝突しただけで、ツヨシを貫いてはいなかったのだ。
「びっくりしただろ……」
ツヨシが両手で2本の触覚をつかんだ。
「な……、バカな!」
興梠が発していた、羽根をすり合わせる音がやんだ。
興梠の顔に狼狽の色が浮かんだ。
「う……」
ツヨシがうめいた。
「ど、どうしたの、にーに!?」
やはり、怪我をしたのだろうかと、アオイが心配の声を上げる。
「せっかくの新しい服に……、穴が開いただろうが!」
先日、ショッピングモールでアオイに選んでもらったツヨシの新しいシャツの胸元に、興梠の触覚が刺さって小さな穴が開いていたのだ。
ツヨシの肉体は無事だったが、服まではそうでなかった。
ツヨシは興梠の触覚をつかんだまま、背後に大きく引っ張った。
「ぐわああ」
その勢いに、興梠の体は浮き上がる。
ツヨシは、そのまま振り子のように興梠を振り回し、天井に叩き付けた。
興梠は天井の破片と共に床に落下した。
「大丈夫か? アオイ」
ツヨシはしゃがみ、妹を気遣った。
「私は大丈夫。――にーに、すごい! 力に目覚めたんだね」
「どうやら、そうみたいだな」
「あ、にーに、後ろ」
アオイの声に、ツヨシは背後を振り返る。
床に落ちた興梠が立ち上がったのだ。
スーツがあちこち破れ、全身が少し汚れていたが、体は無傷のようだった。
「人間ごときが……、生意気な。許さんぞ、貴様!」
興梠の体が膨らんだ。
ボタンがはじけ、スーツがびりびりに破れた。
その下からは、鋼鉄のように黒光りする外甲に覆われた、コオロギの体が現れた。
興梠の顔もまた、人間のものから昆虫のコオロギのものに変わっていた。
興梠の正体は、コオロギ型のガイチュラだったのだ。