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ある神の子の最終決意 (2)

 朱善がその目で見てきた侍従は、姉である『大江山』侍従茂野。

 そして『葵山』侍従村上の二柱だけであるが、それぞれ知略と経験に富んだ名侍従であると朱善は認識している。

 彼らは常に主を守り、その為ならどんな策をも破ってきた。

 彼らに劣るようでは、『紅葉山』の侍従など担えるわけもない。

 これは試練なのだ。そう肝を据えると朱善は柚香への追撃を阻止した。

 だが切っても切っても手応えはなく、影は減るどころか増えて広がっていく。

 根本を見据えなければ、朱善が浪費する一方だ。

 柚香が『紅葉山』であると確信がなかったわけではないようだ、となればいつ襲ってもよかったはず。

 彼らはなぜ表参道で柚香を狙わなかった?

 仕掛けが裏参道にされていたのか?

 だが昼の見回りで怪しい罠の痕跡はなかった。

 昼では動けなかった理由があると考えるべきだった。

 裏参道に入り、律儀に『紅葉山』の領域から出たところで襲ってきた理由は?

 そしてこの影たちの増殖は異常だ。何かの術だと考えるべきだ。

 朱善の分析が、現状の危機に追いつかない。

 朱善のこめかみに振り下ろされる刀影が落ちた瞬間、影に向かって手水殿の桶が投げ付けられた。

 投げ付けたのは当然、柚香である。

「柚香!」

「神社の水が効果ないってことは、穢れや毒の類じゃないのね。私には良くわからないけど水は弱点じゃないわね」

「逃げろと言っただろう!」

「ひとりで逃げられるわけないでしょう」

 朱善の手を柚香はぎゅっと握り締めた。

 その手の温かさは、『紅葉山』と同じだった。

「朱善が例え銀朱の味方でも、いいの。朱善が私を選んでくれなくても、私はこの道を選ぶの、損づくしだっていいの、それでもいいって私が思えることが、一番大事なんだから」

 影は追う手間が省けて余裕というところか、距離を詰める様子もなくふたりを見つめていた。

 柚香はもう片手に携えていた桶を思い切り投げ付けてから、杓子を手に構えた。

「暗くてよく見えないけど、相手はどのくらいいるの?」

「十五だ。闇に乗じてさらに潜んでいるようで数が増える」

「せめてもっと明るかったら数も分かるのに」

「そうだな、山の影に入っているから……」

 朱善はそこまで言って、月の位置を確認した。

 月は上空遥か高く。

 表参道に寄って輝いていた。

 裏参道は月の光が山に落とす影によってすっぽりと闇に包まれている。

「そうか……もしかすると」

 朱善は意を決して柚香を抱き上げると、勢いよく空へ舞い上がった。

「──わ、あ、な、何」

 柚香は空を飛んだことなどない為、何事かと叫びそうになったが、体制を崩して下に落ちたら即死を免れない。

 ぎゅっと朱善を抱きしめた。

 影は──裏参道の影に張り付いたまま、追ってこない。

「どういうこと」

「あれは恐らく陰陽術の類、影鬼の術。影の中においてのみ、将兵を立て操ることができる術式だ。光の中にあれば畏れるに値しな──」

「そこで思考を止めるのが、分社前の幼子の思考ということろだ『大江山』分社朱善様。術があるなら、術者がいるのです!」

 月を背に舞い上がった朱善と柚香の眼前に、突如実体を伴った影が二つ浮いた。

 今度は影ではなく両名共、たなびく藍色の袖は豪華絢爛な桃の花の刺繍がされている。

 艶やかな狐耳に尾を見れば、高い侍従の位を預かっている山ノ狐であることはすぐに分かる。

「追い詰めて、用意された逃げ道に飛び出して来たところを、叩くのが定石よ!」

 両名が振り上げた拳をまともに受けて、朱善と柚香はばらばらに空に放り投げられた。

 空を舞う術を知る朱善は良いが柚香はひとの子だ、落ちたらそれで終わりだ。

 腕の中から落ちていく柚香を朱善が追おうとしたが、それを向こうが許す訳もない。

「柚香!」

 朱善の姿が小さくなりそれを視認する。

 そこでやっと柚香は、自分の体がこのまま落ちると、地面に叩きつけられて死ぬということに気づいた。

 視界を占める紅葉山の景色が、反転していく。

 全身が寄る辺なく空を掻く。

「柚香ぁああああ!!」

「暴れると腕の一、二本はお覚悟頂きますよ」

 柚香を救おうとした朱善の手は捕らわれた。

「欲しいなら、そなたにくれてやる!」

 朱善の青い目が、闇に浮く炎のように輝くと、振りかざした手は侍従を引きはがす。

 柚香を救う方が先決だった。

 拘束されていた腕の中から飛び出すと、きつく捕らえられていた腕の骨が外れた。

 痛みを訴える左手を押さえ込み、朱善は地表へと吸い込まれる柚香を追う。

 意識を手放した柚香は髪をはためかせながら、加速していく。

「追いますか?」

 朱善を捕らえていた浅黒い茶毛の肌の侍従は、後を追うことはなかったが、もう一方の侍従は朱善の後を追おうとした。

「必要はないな。追わずとも、あのひとの子は死ぬさ」

「ひとの子を、殺めることになるとは」

「『大江山』分社朱善様がひとの子を支え切れなかっただけで、我らの罪ではない。そう思えばいい」

 片方はどこか罪悪感を感じているようで地表へ投げる視線を逸らした。

「これで終わりだ」

 どんな神速を持ってしても、もう間に合わないと彼らには計算がついていた。

 それでも朱善を追わせたのは、守ろうとしたひとの子の五臓六腑が『紅葉山』の魂諸共はじけて消える様を、朱善の近くで見せてやろうと思ったのである。

 そんな残酷な意志と風の抵抗を一身に浴びながら、朱善は必死に柚香との距離を詰めた。

 だが柚香の体が地に叩きつけられる距離も比例して近づいていく。

「くっ……う」

 朱善は下唇を噛み、自分の力不足、経験不足を悔いた。

 悔いるだけで柚香を救えるのならば、全てを投げうてるとまで思った。

 突然、まだ『紅葉山』が山にいたころの記憶が蘇る。

 幼い朱善は、ひとの子『柚子』を特別に可愛がる理由を、幼さもあいまって直球で『紅葉山』に問いかけた。

(特別なひとの子を作ったら、その他大勢のひとの子によくないのではありませんか)

 稲荷としての誇りより、なにより、そこにある小さな命の方が、大事だと

 必死に歯を食いしばる今の己に投げかけているようだった。

(朱善、そなた鮭が好きだと言っていたな)

(はい、大好物でございます、この間敷島と釣りに行こうと話をしました)

(なぜ、鮭が好きなのだ)

(え? それは……これまで口にしてきた魚の中で、一番私の口に合う味であったからです)

(そうだな。そなたはは多くのものを見、感じ、触れて、ひとつ愛するものを見つけたのだ。逆説的に私はこう聡そう。ひとつを愛せぬものが、その他多くのものを愛することはできない)

 『紅葉山』は九尾をゆるりと揺らし、暖かな日向に目を細めて続けた。

(私には『柚子』が必要なのだ)

 朱善は、風圧に負けないように目を開くと、『紅葉山』の言葉を心でもう一度反芻した。

(私には柚香が必要なのだ)

 空にあった侍従らの、悠長な笑が突然止んだ。

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