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あるひとの子の最終決意

「最近顔色悪いけど大丈夫ですか?」

「幼なじみが失踪しちゃってね。色々大変なの」

 当然のこと、柚香には日常がある。

 夜は祐喜を探し、昼は学校に通わなければならない。

 柚香の通う高校は都心にある。私立で制服が可愛いことで有名な基督系の学園で、かつては華族の通う名門だったそうだ。

 今でもお嬢様は通っている。

 柚香の隣でお弁当を広げている同級生、天上(てんじょう)(あい)はその典型だった。

 両親は九州で会社をやっている社長令嬢とかで、通学は必ず車。

 しかも運転手の男性二人は若くて格好が良い。

 柚香は運転は一人しかできないのに、なんで二人もついてくるのか未だに分からない。

 金持ち主張なのか、それが上流社会というものの習わしなのだろうか。

 一般家庭の柚香にはそのあたりがよく分からない。

 もっと言うととんでもない田舎から通っている柚香と、海の近くの洒落た邸宅に住む同級生の藍。

 柚香には知り合ったきっかけがよく思い出せないのだが、仲の良い友人の一人だった。

「まぁ。まだ見つかっていないの。親戚の方でしたっけ」

「そう、遠い親戚なんだけどね」

「その方、柚香さん好きな方でしたっけ?」

 さりげなく誘導しようとしたので、柚香はせっかく作ってきたお弁当に緑茶を吹きかけた。

「やだ、それもう食べれませんよ」

「藍が変なことゆーから!」

「私のお総菜お分けしましょうか。美味しいですよ。三枝さえぐささんが作って下さったの」

「三枝さんて、運転手だけじゃなくて家政婦もするの? なんでもできるのね」

 藍のお抱え運転手の片方の三枝とは、柚香も何度か話をした事がある。

 爽やかな青年で人当たりがよい男性だった。

 藍にお弁当を持たせる姿はあまり想像できない。

「今時そのくらいできなくては。 で、話は逸らさないで下さいね、柚香さん」

「逸らしてないし、好きじゃないよ。年下だよ年下! 生意気なところあるし」

「柚香さんは年上が好みだったものね」

 中庭に設置されている鉄製の椅子に並んで座っていた二人は、その後暫く無言で弁当をつついていたが柚香が視線を投げると、藍はにこにことこちらを見ていた。

 彼女の目はどこからどう見ても、祐喜との関係を疑っているように見えた。

 だが口を開くと違う話題だった。

「ね、柚香さん。今日の現国で夏目漱石の『こゝろ』、最後まで読み終わりましたね」

「うん。中学の時に最初の方だけやってて、もやもやしてたのよね、引きに引きまくって、あぁいう終わり方だっとはね、鬱よね」

 柚香の弁当箱の蓋に、藍はお弁当の煮物を分けてくれる。

 手の込んだ総菜で、手間暇掛けたのが分かる。

「あら、柚香さん全部読んでなかったんですか」

 藍は本を読むのが好きで、時間があれば図書室にいる文学少女だ。

 そしてまた読む姿が様になっている。

 もらった煮物を口に運びながら、藍の言葉と煮物を咀嚼する。

「あの話って、典型的な三角関係よね。私は圧倒的に『先生』派だわ、柚香さんは?」

「うーん、あの三人は誰も彼も、微妙かなぁ」

 主格たる登場人物は三人。

 『先生』、『K』、『お嬢さん』。

 『先生』と『K』はお嬢さんに恋をする。

 だが『先生』は『K』が『お嬢さん』を好きだと知りながらも、『お嬢さん』を先に奪う。

 それを知り『K』は失意で自殺する。

 『先生』は精神的な混沌に落ち、最後は話の進行役の「私」へ全てを手紙に書き記し、時代への殉死を決行するのだ。

「『先生』は罪悪感や嫌悪感に苛まれましたけど、自分の恋心に嘘をつかなかったのだから、胸を張るべきだと思うの。どうせ苦しむのならば、私は恋を選ぶべきだと思います。もし『K』にお嬢さんを譲っていたらどうなったと思います?」

 藍は私はこういうもしもを考えるのが好きなの、と例えの展開を即した。

 桃太郎がもし梨太郎だったらどうなのかしら、とかアンパンマンがクリームパンでない理由とか。

 どうしようもないことを気にするので、もれなくその他大勢から、天然お嬢様の烙印を押されている。

「私は……どうかな、友人の『K』をを取るべきだったと思う」

「どうしてですか?」

「なんでだろ……恋も友情もさ天秤にはかけられないと思うけど、恋は恐いから」

 藍は話と箸を止めて、またじっと柚香を見る。

「なに?」

「柚香さんは恐い恋をされてるの?」

 お茶を口に含んでいたらまた吹き出したに違いないが、今度は藍が状況を読んでくれていたのだろう。

 口の中には何もない状態だった。

「親戚の方じゃなくて、別の方でも、いるんでしょう、好きな方!」

「いや、してないよ──恋なんて。そんな暇ないし」

「興味、ないのですか」

「ないよ!」

「私の勘では、親戚の方と関係あるような気がしてるんですけれど。ずばり三角関係です。『こゝろ』のように」

 ただ自分の妄想の話に繋げたいだけなのかもしれない、と柚香が思ったところで藍は再びこちらに視線を投げた。

「本当の本当にいらっしゃらないのですか」

「恋って……分かんないな。執着とも言えるし、狂気とも言える」

「柚香さんは傷つきたくないだけなのかもしれませんよ」

「……そうかも、うーん。そうだね」

「ほら、柚香さんすぐ顔に出るんです。やっぱり恋をして、悩んでらっしゃるんでしょう」

「藍は……好きな人いるの?」

「いますよ」

「あのお抱え運転手のどちらか?」

 柚香の質問に、柚香は目を丸くしてから腹を抱えて笑った。

「柚香さんて本当にこういうことは鈍いのですね。あの二人はそういうのじゃないです。向こうはそういう目で見て居るかもしれませんけど……ふふ、私、思われ役の『お嬢さん』ですね」

 予想外な発言をしたが、藍はお金持ちのお嬢様だ。

 逆玉の輿を狙う男がいてもおかしくない。

「あの色黒の人格好いいじゃん。波乗りしてそ……」

「蜜条さんのこと? 蜜条さんて海は苦手なのよ。でも、三枝さんが聞いたらがっかりされるわ。柚香さんのこと気に入っていたみたいなのに」

「えっ、な、なにそれ」

「本当ですよ、気づいていなかったんですか。まんざらじゃないなぁって思っていたのに」

「いや、私はなんていうか親切な人だなぁって、それだけだよ!」

「嫌だわ、もっと三枝さんに積極的に声をかけるように言っておきます」

「も、もうやめてよー無理だよ私には。それより藍の方こそ話変えないでよ、藍の好きな人は?」

「私の好きな方は、今遠くにいらっしゃるんです」

「遠く? 仕事してて海外にいるの?」

「許嫁でしたけれど、色々な事情があって、もう今までの関係には戻れないかもしれません。もう無理だって父にも言われてます」

「ちゃんと戻ってきて貰おうよ」

「もちろんです! 私はそのためなら、何だってしてみせます」

 藍の言葉は力強かった。黒目には強い輝きがあり、柚香を魅了する。

 恋を自覚した人の強さはすごい。

 柚香は純粋に感動し、今の素直な気持ちを藍に託すことにした。

「藍の勘は当たってるよ。今行方不明の親戚の子を、私が大事なひとが好きなの。つまり三角関係。そうだなぁ立場で言うなら私は、『先生』かな。好きなひとは『K』」

「それだと、『K』は一番先に死んでしまいますけど」

「その通り。『お嬢さん』が好きで、今にも『K』は死にそうよ」

 柚香は自分の配役にそれぞれを当てはめて、どこか疲れたため息を零した。

「私はね、『お嬢さん』も『K』どっちも好きでね、どっちも傷つけたくないし、失いたくない。だから動けない。でも選択の時は迫ってきてる」

 藍は興味津々で、すでに食事の手は完全に止まっている。

「──書物は時に、ひとの生き方を示すと思います。柚香さんは『K』にはなってはいけないわ」

 死んではいけない。

 それは物質的な話ではなく、恋を諦めてはいけないという意味で藍が使ったのだと思いはしたが

 柚香にはそれがぴたりと自分に当てはまった。

「私の考えを言わせて頂ければ、柚香さんみたいに可愛くてしっかりものに振り向かない『K』も『お嬢さん』も諦めてしまえばと思いますけど。ねぇ本当に三枝さんは駄目なんですか?」

「だ、だから、私そんなに器用じゃないんだってば……簡単に好きになったり、嫌いになったりできない」

「柚香さんて、本当に真面目。でも……そこが、弱さで、良さでもあるのかもしれませんね」

 よっぽど落ち込んでいるように聞こえたのか、藍は柚香の手を両手で包み込みぎゅっと握りしめた。

 目は真剣で、唇をぐっと噛んでいる。

「私で力になれることがあれば、なんでも言って下さい」

 柚香は藍の言葉に、ぎこちない笑顔を浮かべて頷いた。

「じゃあ、──神頼みをお願い、多分それが一番力になる」

「いいですよ。私も柚香さんとお揃いの御守りが欲しいから、『大江山』にお参り行きたいわ。無くしてしまわれたんでしょう。お揃いのもの買いませんか?」

「いいね。じゃあ来週に大江山食べ歩きしようか。前に大江住んでいたし案内できるよ」

「本当に? 楽しみにしています。蜜条さんや三枝さんにも黙ってお出かけにします」

 運転手なしで、山道の大江山を楽しむことができるかは分からないが。

「あ、でも三枝さんが付いて来たがったら、連れてきてもいいですか?」

「駄目っ! こんな話聞いてまともに顔見れるわけないでしょ」

 柚香が激しく抵抗するので、藍は残念そうに舌を出した。

 藍は藍なりに、一つの選択肢しか見れない柚香のために、新しい視野を提供しようとしてくれているのだろう。

 だがその提案にのってしまっては柚香は根本から『紅葉山』との約束を反故にすることになる。

 それだけは、はっきりとしている。

(結局のところ、私は、『あぶらあげ』だけじゃなくて祐喜も救いたいんだろうな……)

 人の欲は深いな、と朱善に言われそうだと思い、自嘲する。

 藍からもらった総菜を口に運び、昼食を終えて立ち上がるに合わせ、柚香は気持ちを定めた。

(全てを丸く収める力は、私にはないんだ。多分鍵を握っているのは、祐喜─)

 奇跡に生かされた少女は、奇跡を信じられない少年に全てを託すしかないのだ。

 大事なひとと、自分の命を。

(不安に惑わされないで、傷つくことも失うことも怯えてはだめだ)

 誰でもない柚香の力で祐喜の信仰を取り戻させる。

 それがとても困難なことであっても、柚香ならできるはずだった。

(目に見えないものでもしっかり信じて行かなくちゃ、なにも為せない)

 ──それでも、その先に希望があると信じるのだ。

 そうしたら、たくさんの笑顔が見ることができる。

 柚香はそっと胸に手を当てて、『紅葉山』の鼓動を探った。

 確かに感じる息吹に、柚香は気を引き締めた。

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