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彼の取り戻し方 (2)

 夜、雨の中。

 柚香は守るべき『柚子』祐喜の姿を探していた。

 『紅葉山』を抱いているとはいえ柚香はひとの子であるから、気配を追うなどという芸当はできない。

 地道に聞き込みをして探すか、魂の中の『紅葉山』に問いかける他にない。

 『紅葉山』であれば愛しい『柚子』の場所を探し出す力があるはずだ。

 しかし何度呼んでも、『紅葉山』が答えることはない。『紅葉山』の魂はひとの子の穢れに犯され、もう虫の息に違いない。

 その事実が柚香をさらに焦らせる。

 彼が消えてしまったら、自分の命をこの世に繋ぐ線が途切れるだけではない、この山の主が消えてしまう。

 愛する紅葉山の里が寂れ廃れてしまう。

 それは『紅葉山』の器として、彼の意識を共有した現人神としても忌避すべきことだった。

「私じゃ紅葉山を守ることも、祐喜を探し出すこともできないよ。お願い私に力を貸して」

 呪文のように独り言を続けていると、ふと心の隅を引かれる感触がした。

「……『あぶらあげ』?」

 それは『紅葉山』の鼓動に似ていた。

 暗証番号を確認するかのように、柚香はもう一度名前を呼んだ。

「『あぶらあげ』」

 だが呼びかけた声は、声色を変え心の中で反射した。

 誰かも同じように、彼を呼び共鳴したのだろうか。

 聞き覚えがある少年の声。

 目下捜索中の、『柚子』である祐喜の声だった。

「聞こえるか──『あぶらあげ』」

「何今の、祐喜が……『あぶらあげ』を……呼んでる?」

 天地がひっくり返ってもあり得ないことだと柚香は思っていた。

 彼が神頼みなどする性格だとは思わない。ということは、よっぽどの窮地にあると考えるべきかもしれない。

 柚香はもう一度声を求めて意識を集中する。

 だが、祐喜の声はもう聞こえない。

 代わりに柚香の中から光が溢れ、軽い目眩を与えた。

 柚香を振るわせたのは、──今度こそ『紅葉山』だった。

 数年ぶりに柚香の前に姿を現した『紅葉山』。

 秋の稲穂を模した金色の豊かな短髪は、暗闇の中でも目映く、立体映像のようにして柚香の前に浮いている。

 雨粒は『紅葉山』を投下して落ちている。

 薄膜に映し出された映像のようだが、立体感と共に柚香には質感を感じた。

 数年ぶりに視る姿だった。

「『あぶらあげ』……!」

 濡れるを構わずに、傘を落とし柚香は陽炎のような『紅葉山』を掴んだ。

「大変なの! 祐喜が居なくなってもう二年も帰ってこないの。警察はもう諦めてて、秋津のおばあちゃんもどうしようもないって、私も、もうどうしていいか分からなくて。ねぇ『あぶらあげ』なら祐喜の居場所を……」

 柚香はまくし立てるように説明をして、一息ついたところでやっと目前の『紅葉山』を見た。

 降りかかる雨の冷たさに、冷静さを取り戻させたわけではない。

 目の前に浮かぶ『紅葉山』の様子に、違和感を感じたからだった。

「『あぶ……らあげ』……?」

 白磁の肌は夜の闇を吸って青白く輝き、陶器のようにも見える。

 紅玉の瞳は半分も開いていない。

 桜桃の色をした小さな唇は、虚空を見つめている。

 そう、視線が柚香に合っていないのだ。

 いつもなら、姿を現してすぐに微笑みかけて優しく話しかけてくれたが、それがない。

 ただ空間に浮いているだけだ。

 柚香は恐ろしくなって、添えられていた手をぎゅっと握りしめて声を上げた。

「『あぶらあげ』しっかり!」

 強い思いを込めたその言霊に横顔を叩かれ、やっと『あぶらあげ』は柚香を視た。

 気怠げに閉じかけている目が、ほんの少しだけ開いたように見える。

 柚香が懸命に求めていた助けは耳に入ってはいないようだった。

「……ゆ…か…」

 やっと返ってきた声も、気怠げで明瞭さにかけていた。

「『柚子』が、私を呼んだような、気がしたのだ……」

 か弱い体に鞭を打つような仕草で、『紅葉山』は白い手を額にあてた。

「私に声を……かけてきたような気がして……」

 柚香はその言葉に、『紅葉山』の着物を掴んでいた手を引いた。

 今まで形を取ることもできない瀕死状態だったにも関わらず、なぜ突然具現化したのか。

 『紅葉山』の最愛の子『柚子』が呼び、彼がそれに答えたということだ。

 柚香はやっと『紅葉山』が形をとった理由を理解した。

 自分の必死の呼びかけによってではない、どこかにいる祐喜の声に反応したのだ。

「……祐喜の呼び声は、聞こえてたのね」

 意気消沈とばかりに声の張りは失われ、柚香は項垂れた。

 様子がおかしいのは目覚めたばかりの『紅葉山』にも分かる。

 そっと柚香へ手を伸ばした。

「濡れる」

 いくら手を翳しても今の『紅葉山』が傘代わりなどはできないのだが、柚香はその行為に涙が落ちそうになった。

 彼は自身の魂を守る器として、体を心配してくれている。

 ──決して、『柚子』に向ける愛情と同じ感情で心配してくれているわけではない。

 胸が苦しくなった。

 どれほど頑張っても、柚香は『柚子』にはなれない。

 どこかで、自分が『柚子』になれるような気がしていた。

 人生の半分を賭せば『紅葉山』が自分を『柚子』として見てくれることがあるのではないかと思っていた。

 不信心の祐喜を忘れ、新しい『柚子』として見てくれれば、新しい関係がはじまるのではないか。

 なんて──そんな、夢物語だ。

 どこかで理解していたのだ。

 朱善も明言していた。

(『大紅葉山』はお心を変えることはない。『柚子』のためにひとの世に降りた。何があろうと『柚子』を愛される心を貫かれる)

 でも。

 それでも。

 胸がざわつく。

 雨の冷たさも感じられない程に混乱する。

「傘を持て、風邪を……ひいてしまう」

 涙を落とすのを飲み込み、落とした傘を言う通りに拾う。

 雨を浴びてしっとりと濡れた黒髪を、『紅葉山』は撫でる仕草をした。

「背が伸びたな」

 喉から声を出そうとすると、嗚咽混じりになりそうで柚香はただ首を縦に振った。

 それから下を向いたまま、喉を押さえて声を絞り出した。

「だって私もう、十八歳だもの。すぐ成人して……大人よ」

「ひとの子というのは、本当に瞬きの間に強く目映く、線香花火のように生きるものだな」

 『紅葉山』は本当に愛おしそうに、開ききらない目を細めて笑った。

 『紅葉山』にとって、ひとの子の命とは線香花火と同じだ。

 そっと紙縒(こより)を摘み暗闇に垂らす。

 火を孕むと火薬が紙の先を駆け上がり、まず牡丹と呼ばれる玉を作る。

 指の先に伝わってくる微震は産声に似て、やがて松葉と言う絶頂がやってくる。

 小さな稲光を無数に放つそれは、ひとの子の絶頂。

 一瞬を、力強く、迷いながらも、一人一人違う輝きを放つ。

 ほうと感心して見ていると、やがて天地も構わず咲き誇る火花は弱々しく地へ垂れ、柳と呼ばれる火花をちょろちょろと放つ。それは老いへ向かう疾走である。

 老成をし、最後は散り菊を迎える。

 ぽつり、最後に紙縒から玉が落ちれば、光は潰える。

 ひとの子の死がそれだった。

 『紅葉山』はひとの子が命を燃やす、松葉が好きだ。

 自身が、有限であることを知って居る。

 だからこそ常に必死になり、変化しようとする。

 その様が見事だと思うのだ。

「線香花火だなんて……短すぎるよ。それって『あぶらあげ』がこのまま私の中に居続けたら、貴方はすぐに消えちゃうって事よ」

「承知の上での事だ。『柚子』を失ったままあり続けるより、ずっと意味がある」

(駄目)

 そんなのは、駄目だ。

 柚香はまだ十八歳で、未熟だが『紅葉山』というものがどれだけ大事な存在か知って居る。

 自分の命と一緒に消えてしまってはいけない存在だということくらい分かる。

 消えてしまうならば、自分だけでいい。

「駄目よ『あぶらあげ』、消えたら駄目。消えたら嫌。なにを変えても祐喜に貴方を視てもらうわ」

「柚香」

「『あぶらあげ』は、祐喜に視て欲しいよね、直接触れて、振り向いて欲しいよね」

柚香は、分り切った質問をしたと分かっていながら顔を見た。

「それが叶わないとしたら、私はあなたの『柚子』にはなれないの? 祐喜じゃなきゃ駄目なの?」

 柚香の本当の気持ちは、『紅葉山』には届かなかった。

 抱きしめていた感覚はもうない。

 柚香は雨を抱くように、暗闇に手を放り投げていた。

 ざぁざぁと雨足は酷くなっていく。

 柚香は暫く身動きが取れなかった。

 『紅葉山』に残された時間はもう少ない──

 柚香は自然とそれを悟った。


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