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もうひとりの『あぶらあげ』 (1)

柚香(ゆか)、『大紅葉山』はお元気でおられるか?」

 『大江山』銀朱の分社、朱善は『紅葉山』の麓から離れ人の気配も少ない路地でひとの子に声をかけた。

 声をかけられたひとの子は、長い髪をさっと振って顔を上げたが、すぐには答えなかった。

 代わりに路地の先に覗く大通りからは、賑やかな祭拍子が響いてくる。

 ここは古街道からも離れた山里で、本来なら人が山を切り開くこともなかった。

 それが今日現代までこうして栄えているのは、ひとえに里を見下ろすように聳える紅葉山の美しさによるものである。

 訪れる知識人の心を紅に染め、いかなる猛者にも心の安らぎを与える錦の名山紅葉山は、その地に住むものたちに多くの恵みを与え続けてきた。

 このひとの子もその恵みを受ける一人である。

 秋津(あきつ)柚香、十六歳。

 彼女は難病を患い、『紅葉山』の延命の恵みを受けていなければ今ここにいない。

 三途の川で石を積み上げている頃だった。

「元気じゃないわね……でも消えてもいないはずよ。私がこうして元気でいられるんだもの。それが立派な証だわ」

 柚香は生粋のひとの子であるが、恩恵を受け稲荷神の分社である朱善を視ることができた。

 しかし稲荷がひとの子に直接関わるのは禁じ手とされている。

 稲荷個体の意志を持って執拗にひとの子に関わることは、ひとの世の運命摂理をねじ曲げる。

 朱善がしているのは、まさに禁じ手であった。

 だがひとの子の願いを叶えるという稲荷の本分を果たすことすらできない『分社』身分である朱善は、稲荷神として半端もの。

 見習い身分である。

 禁じ手が朱善に適応されるかどうかは誰にも分からないが、その危険を冒してまで接触するその理由は、きちんと存在していた。

「最近は全然話もできないのよね。声も聞こえない。姿も見れない。死んでしまったんじゃないかってたまに心配になることはあるわよ」

「命を繋げるために、恐らく深い眠りに入られているのだろう。寝ていれば必要最低限の力しか必要としないのはひとの子と同じだ」

 柚香が受けた恵みとは、その体の内に『紅葉山』稲荷神を宿すという奇跡である。

 つまり人でありながら、神。

 現人神と言える。

 それにより、柚香はひとの子であるが、同時に稲荷の世との関係も深い。

 稲荷の世で姿を消した『紅葉山』はある目的を胸にこのひとの子、柚香の中に居るのだ。

「『柚子』の事は、その後どうしている?」

「『あぶらあげ』が望んだ通りに、私は『柚子』を守ってる……つもり」

 『あぶらあげ』というのは、『紅葉山』の別称である。

 朱善はその愛称はどうかと思うことがあるのだが、『紅葉山』は気に入っているようだった。

 本来この愛称を呼ぶものは、『柚子(ゆず)』と呼ばれる一族の娘だけだった。

 その点柚香は、正統な『柚子』ではない。

 一族の末席ではあったが、すでに本家とは縁の遠い分家の娘である。

 今の世を生きる『柚子』は名前を祐喜という少年だった。

 だが、この少年は神を信じず、視ることもできない。

 それどころか神の存在を否定をして『紅葉山』を苦しめた。

 それでも『紅葉山』はこの『柚子』を愛するために、ひとの子である柚香の中に全てを委ねた。

 神ではなくひとであるのならば、『紅葉山』は『柚子』を愛することができたし、その思いは受け入れられると考えたのだ。

 実際柚香が祐喜を気にかけ十数年、祐喜は柚香に思いを寄せている。

 柚香という層を挟んではいるが、『紅葉山』の目的は叶っている。

「『柚子』に神を信じて貰う方法は、本当にないのか……。信じてくれれば『大紅葉山』はお戻りになられるはずなのに……」

「私だって何度も信じてもらえるように計らったわよ。でも祐喜は根っこのところから否定してるんだから無理なの。どんな奇跡を見せたって、それが神様がやったんだって素直に信じる何かがなきゃ。そうね……朱善は死んだ人を生き返らせる力はないでしょ?」

「ない」

 朱善の即答に、それが生きてる価値だものね、と柚香は受け入れて頷いた。

「そのくらいの奇跡が起きなきゃ、祐喜は信じないわ」

「そう考えると、柚香は素直なのだな──私をこうして視るし、『大紅葉山』を受け入れて生きている。現代のひとの子とは思えぬ清らかな心の持ち主ということだ」

「褒めてるのかなぁ? 馬鹿にしてるのかなぁ?」

「ほ、褒めているのだ!」

 朱善は慌てて言葉を改めた。

「私は十六年の人生のうち、半分以上を『あぶらあげ』と生きてきたのよ。清らかとかじゃあなくて、習慣や刷り込みっていう方が正確かもしれないわね」

「今の『柚子』は先代から『大紅葉山』への思いを継承をする間も与えられなかったからな……それも原因なのだろうか」

 柚香が『紅葉山』の器となったのは、二歳である。

 まだ己の意志というものを持たない赤子だった。

 自分の中に別の『何か』がいることは、柚香にとっては当然のことで、逆にそれがないという生活は知らない。

 柚香にとっては稲荷神たちと一緒に暮らすことが日常なのだ。

 だがしかし、その日常が揺らぎ始めている。

 稲荷の世では『紅葉山』の不在が発覚して騒ぎになりはじめている。

 朱善は今日それを告げに来たのだ。

 柚香の中に居る『紅葉山』を、不心得者に奪われてはならない。

「でも、他の稲荷神達が気づく訳ないわ。『あぶらあげ』は私の中で懇々と眠り続けて目立たないし、唯一ひとの子として接点があった『柚子』の祐喜があんだけ無信心なんだもん」

「そうだな。まさか膝元の──一見無関係なひとの子の中におられるとは、兄弟たちも思わないだろうな」

「そうよ。それに万が一、ここにいることがばれてしまっても、私が絶対に返さない」

 朱善はじっと柚香の黒い目を見つめた。

 神を宿しているからという訳でもないだろうが、柚香はとても美しい娘だ。

 伸ばした黒髪に黒い瞳。

 生にすがり、誰かのために懸命になる姿はひとの子らしいと思うし、魂の穢れない様を『大紅葉山』も気に入ったのだとそう考えている。

「『あぶらあげ』を狙う奴らに見つからないうちに、見回り行きましょう」

 柚香が歩き出すと、小さく清廉な鈴の音色がする。

 柚香の持つ携帯電話につけている、大江山稲荷神社の御守りについた鈴である。

 朱善は『大江山』分社身分であるため、その御守りの力もあってこうして柚香と深い接触ができている。

 お互いを強く結びつけるものが多いほど、関係は深まるものだ。

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