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そして彼は眠る (2)

「ということは時雨様が私にこの話をされたのは、『紅葉山』のお兄様の分社である『葵山』時雨としてではなく、稲荷格式において三朱に次ぐ名勝の位、十色の筆頭としてのお立場によるものだと言う事ですか」

 銀朱としては、時雨には権威や策略の判断で『紅葉山』を見て欲しくはないのである。

「どちらもだ」

 時雨はどちらにも取れる簡素な返事を返して、銀朱の青い目をじっと見つめた。

「そしてどちらの立場においても、私は役目を果たすには今は不十分だ。私が問い詰めてもどうせまともに相手はして下さらないからな。そこでそなたに頼みたい」

「私に、お兄様を説得せよと? お兄様にもお考えがあるのかもしれませんよ」

 いつも淡々と役目をこなす婿殿であるが、今回は動きが取れずに困惑をしているように感じた。

「悠長なことを言うものではない。守夏から聞いたが、『大紅葉山』は守夏に処断されるつもりだったようだ。辞世まで読んでいたのだぞ。そう考えると朱善に山を譲るという口約束を切り出した時点で、死に向かう気持ちが本気であったと考えるべきだ。いや、あの悪知恵の働くお方の事だもっと前から何か綿密に線を引かれていたのやも……」

「まさか。朱善との約束は偶然でしょう」

「側にいるお前がその楽観視で何とする。朱善のことは(から)になる山のことを考えて、代行を定めようとしていたに違いないのだ」

「しかし、時雨様のお考えではまるでお兄様は──人生の後始末をしているようではないですか」

「そのようにしか見えぬだろうが。守夏に処断を受けようとしていたあの時、私もあの場にいた。はっきりとお前は私が殺してやると言ってやったが、反発する様子もなかったのだぞ。あれは間違いなく全てを受け入れる目だ」

「時雨様でなければ、その言葉土中で後悔させるお言葉です」

 銀朱が威嚇をしたが、時雨は無視する。

「あの方の恐ろしいところは、己の目的の為なら自分を切ってでも遂行するという、神の根源たる(まこと)が強烈であるということだ。私の考えが当たっていたとしたら、あの方は消える。確実にだ」

 時雨の言葉に銀朱は返す言葉を探し沈黙した。

 そこまで不安要素を並べられると、本当にそんな気がしてきてしまう。

 最近──『紅葉山』が全てを投げ出したいと思うような大事が起きていただろうか?

 側にいて自分が気づかぬようなことで。

 銀朱は色々と考えてみるが思い当たらない。

 不吉さを帯びた思考の肥大化によって、銀朱の口の中に残っていた優しい無花果の味も消えてしまった。

「そなたは『大紅葉山』を幸せにすると誓っていたわけだからな。死なれては困るだろう」

「意地の悪いことを確認なさらないで下さい。時雨様はどうなのですか、まさかまことに死ねばよいなどと不謹慎なことを考えておいででは」

「死なれては困る。父上として、そして『紅葉山』としてもだ。だがあの方の切なる望みが本当に死であるなら、私が与えて差し上げるべきだとも思う」

 その言葉の奥底に、多くの感情が交差されているのを知っていた。

 銀朱はあえてその言葉を追求せずに、俯いた。

「私が言いたいのは、あの悪狐の悪知恵だの線引きだのを討論したいわけではなく、それをどう回避するかという話だ。そしてそうさせるのは私より銀朱の方が適任であるということ。そなたは生まれ落ちてより『大紅葉山』の深い寵愛を受けている唯一の稲荷神だ。誰よりもあの方の心に近い」

 時雨は膝の上で手を組んだまま、一点を見つめている銀朱を覗き込んだ。

 深刻すぎる推測は、兄のことになると途端に脆くなる心を刺激しているようだった。

 思い込みの激しいおなごだと分かっているので、時雨は話を切り替えた。

「私は大陸の方へ足を伸ばさなければならないが、ふた月もあれば戻るだろう。その間『大紅葉山』のことは頼みたい。用向きはそれだけだ」

 時雨は力を蓄え、研鑽を深めるために大陸へ行幸が決まっていた。

 長旅前の挨拶に先ほど『紅葉山』と顔を合わせてきたばかりだが、時雨が考えるような暗い印象を『紅葉山』が投げてくることはなかった。

 『紅葉山』はいつでも笑顔を絶やさない稲荷神である。

 その笑みを、今回も一切崩すことはなかった。

 浮かべる微笑みが、どんな意味を持っているかは時雨にはまだ読めない。

 数千年を生き、名山『紅葉山』の名を持ち、数ある伝説をひとの子と共有する長兄。

 本心を誰と共有することもない。

 それは時雨が一番よく知っている。

 だがその個体で内包する秘密の多くが、彼ら稲荷の世の構成に深く根ざやしていることを知って居る。

 時雨は抱える全てを吐き出してもらい、そしてそこで彼に、本当に微笑んでもらいたいと思うのだ。

 真実においては何の繋がりもない己のことを、慈しみ守ってくれた恩人にできることはそれだけだと思える。

「そういえば先日の『豊山』での一件、八雲は私の監督下に入りましたが、『鵠沼山』のお兄様や『極楽山』のお姉様の処罰はどうなったのですか」

「主たる企みは八雲のみで、あの二名は無関係ということでお咎めはなかったな。本当の処はどうだかは知らないが、とりあえず『極楽山』に関しては『豊山』殺しなどは荷担してはいない。それは間違いない」

「なぜ言い切れるのですか?」

「『極楽山』は『豊山』を誰より敬愛している。そなたがこれと言った明確な理由なく『大紅葉山』に傾倒しておるのと同じ。あれは病と思わんばかりに父である『豊山』を愛している」

「どのように思えば『豊山』のお兄様にそこまで心酔できるのか、お伺いしたいものですが」

「『極楽山』も同じようにそなたを見ているだろうよ。悪狐『紅葉山』に毒されて、愚かな妹だと思っている」

「私、お姉様方と親しくなれない性格だと自負がございますが、特に『極楽山』のお姉様とは一番縁がなさそうです」

「私にとっての八雲のようなものだな。『極楽山』もそなたに負けぬ気性の荒いおなごだ、同じ性質の者同士相容れないのだろう」

「……であれば、『極楽山』のお姉様は、愛する『豊山』の命を狙った八雲のことを恨んでいましょうね」

「八雲は行いに相応しい罰を受けた。それ以上を望むのであれば、私刑でしかない。『極楽山』もそれ以上は求めまいよ」

「そうでございましょうかねぇ」

 突然、横から声が差し込まれた。

 水入らずに、盛大に水を差す。

 時雨は心底不機嫌そうな顔をして、横に付き添う影を睨んだ。

 長い黄金色の総髪につんとつり上がった目は青い。

 時雨の侍従の村上である。

「『極楽山』瑠璃姫といえば、裏であの手この手と暗躍され、巷では女狐と蔑称もございます。おなごと言いますのは笑顔の裏でいかようにも手を汚す生き物でございますよ」

 銀朱は得意げに裏事情を語る村上に視線を投げ、それから時雨を見た。

 時雨はまた余計な事を言うと、村上に冷ややかな視線を流すだけだ。

「村上は『極楽山』のお姉様は、あの宴の騒ぎについて総本山の評定を満足しないと思うのか」

「はい。私は暗部に金でも握らせて、ここ『大江山』まで忍のものでも遣って、八雲殿、敷島殿を始末するのではないかと読んでおりますよ。ふたりがある日突然喉をかっ切られて死んでいたら、間違いなく瑠璃姫の仕業でございましょうなぁ。あの姫君は油断なりません」

 ちょんちょんと首もとで人差し指と中指を合わせたり離したりしてみせながら、村上は変わらぬ調子で続ける。

「『豊山』派においては、すでに八雲殿は汚点でしかありません。処分すべきと考える者も多いでしょう」

「私は八雲がどうなっても構わないが、そなたの身に危険が及ぶのは避けたい」

「私が端者に命を奪われるとお思いですか、時雨様」

「茂野もいるし心配はしていない。それに『極楽山』もそこまで悪いおなごではないはずだ」

「やけに『極楽山』のお姉様の肩をお持ちになりますね、時雨様」

 銀朱の反応を見て、村上は時雨が説明するより早く身を乗り出した。

「『極楽山』瑠璃姫といえば、『豊山』の美姫と名高い御方。しかも時雨様に夢中でございますよ! 何度婿入りを求められて直参したことでありましょう。時雨様もまんざらじゃあ、ありませんでした」

「ほう」

 銀朱が少し冷えた声を上げるので、時雨は焦って村上の首を絞めた。

「まぁ噂くらいには、とても才知ある美しいお姉様だとは聞いております。人見知りで社交性の欠けた田舎者の私に比べれば、それはそれは比べものにならない姫君でしょうね」

「そういう理由ではなく、だな……」

「どうせ私は田舎稲荷の山芋でございます」

「待て待て、どうしてそういう話になる。村上、お前が余計なことを」

「とろろ蕎麦は美味絶品でございます。時雨様も大好物でございますよ」

「お前は黙れ。とにかく先だっての宴の影響はまだ残っているということだ。『大紅葉山』のことをよろしく頼む」

「言われずとも私は『大江山』です。時雨様が『豊山』派でのんべんだらりされていた時も、ここでずっとお兄様を守って参りました。今さら気を配れと言われることでもありませんっ! お好きなだけご旅行に行かれるとよろしい」

 銀朱がさっと席を立ってしまい、本殿へ歩いて行ってしまう。

 残された茶席で、『葵山』は楽しそうな侍従へ視線を投げると、もう一度思い切り力を込めて頭にげんこつを食らわせてやった。

 時雨は銀朱にもっと話をしたいことがあったのだが、まともな別れもできずに大陸へ研鑽の旅へ向かうことになった。

 その出立を見計らっていたかのように、時雨の不吉な予感は的中することになる。

 『紅葉山』雅親朱秦の姿が、忽然と稲荷の世から消えたのである。


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