そして彼は語る (1)
「いつから気づいておられたのですか? 『大紅葉山』」
「そなたが行った全てを謝罪するというのなら答えるが」
長く黒かったの髪は、焼きたての西洋菓子のようにふっくらと空気を抱いた金髪に変化し、『紅葉山』と同じ血のような赤い目に変化していた。
「そのご様子ですと、色々とお気づきのようですわね」
帽子を抱え込むようにして持つと、瑠璃は長い睫を撫でる風に逆らうように、大きな赤い目を開いた。
その目に移る『紅葉山』は表情を変えずに瑠璃を見て居る。
「『豊山』からの命令か?」
「それは外れです。お父様が『大紅葉山』を処断せよと言って下されば、妾はこんなに面倒なことはしません」
「ではそなた自身の意志で、私の膝元へ行幸しに来たということか」
「はい」
瑠璃は素直に首を縦に振った。
だが首を縦に振っただけで、『紅葉山』が知りたいことは口にはしない。
「『柚子』を殺したのは、そなたであるな?」
答えの代わりに、瑠璃は唇が裂けるほどの笑顔を作った。
「いつから気づいておられたのか分かりませんが、ご明察ですわ『大紅葉山』。堕ちても三朱、お父様と格を同じくする名山であらせられますのね」
「なぜ直接私を処断せずに、ひとの子に手を出した」
「あまりにも簡単ではありませんの。それでは……」
「何が、どう簡単なのだ」
「痛み苦しみの問題です。『大紅葉山』、ご自身で自覚ございますの? 貴方様がされてきた行いでどれほどの兄弟が苦しんできたか、嘆いてきたか。お父様から時雨様を奪っていったことは、今もお父様の心の傷です。傷はとても深い」
「仕打ちとして、『柚子』を殺したのか」
「妾には到底理解できませんが、効果はあったと見ていましたのよ。もう少しで貴方様は自身で死を選び粗末な最期を得るはずだった。柚香の迷う心によって、あなたは消されてしまう、そういう筋書きでした」
「ひとの子に化けて、柚香の側についていたのはそういうことなのか」
瑠璃は明確な返答はしなかったが、にこっと至上の笑みを浮かべてみせた。
『豊山』の美姫の看板に偽りはない。とろけるような笑顔であったが、『紅葉山』の顔色は変わらなかった。楽しくも嬉しくもないのにその笑顔に答えて笑う方法を、『紅葉山』は得ていない。
「実に巧妙であったな。私の弱点と言うならば『柚子』であることは確かである。だが多くの兄弟はそれが分かっていても手を出すことはしなかった。禁忌に触れることを躊躇うからであろう。そなたは怯えも知らぬ、まさに『豊山』の美姫の名に相応しい鮮烈さを併せ持っている。『豊山』の計算高さや大胆さを見事引き継いだ分社であるな」
一呼吸置いて、『紅葉山』は続けた。
「だが、計画が崩れてもなおこうしてやってきた点は評価できぬな。早々に自分の山に帰り次の策を練る方が良かったのではないか?」
「計画は破綻してはいませんわ。貴方様は弱っておられる。あのひとの子の信仰を取り戻したところで失われていた時間の傷はまだ完全に癒えてはいない。違いまして?」
そう、この場でこうして『紅葉山』と向かい合っている今こそ、最期の仕上げということなのだ。
瑠璃は手にしていたハンドバッグからするりと扇を引き出した。
ただの扇ではない。当然『紅葉山』の命を刈るための鉄扇だった。
「なるほど、最期の最期まで活路を見いだそうと言うのか。その諦めの悪さは『母上』似であろうな」
「本当なら、こうして直接手を下したくはありませんでしたのよ。いかに貴方様が悪狐であろうとも、三朱長兄であることは変えられないこと。直接兄殺しに手を染めるだなんて、妾らしくないではありませんか」
「そうだのぅ。『極楽山』が自ら動いて事を為すというのは、希有だ。そなたは手足のものを動かし暗躍するおなごであるからな」
よくよく己を知って居るようだと、瑠璃は諦めに似た笑顔を浮かべた。
「完全に騙しきれたと思っておりましたのに、いつお気づきであったのか後学のためお教え頂けますか」
「いつ? 正確に言うなら、最初と最期──つまり確信は今だ」
「あら、では先ほど妾にかけた言葉は、口先八丁だったと? 何もかも分かっているような顔でしたけれども」
「第一に私の寵愛を受けた『柚子』が、私の領域で不慮の死を迎えるは不自然だ。何かの力が働いたと見るは当然であろう。だがあの時そなたは賢く尻尾を掴ませなかった」
「ふふっ、妾は追跡を避けるために、人に化けて人の世に下りましたものね」
「同じ手を使ったまでのことだ。『柚子』が稲荷神以外の神に何らかの干渉を受けている可能性はない。よって関与したのは我らが兄弟であろうと定めた。私が身を潜めれば必ず動き出し目的を露わにする。そしてそなたはこうして私の前に姿を現した。つまり最期に全ての納得が言った。そういうことだ」
「あら……一枚上手でしたのね。騙したつもりが騙されて──」
「『豊山』に時雨の件を言われる筋合いはあるが、私はそなたにここまで恨まれる覚えはないのだが?」
『紅葉山』の問いかけに、瑠璃はゆるく首を傾げて倦怠な笑顔を浮かべた。
「貴方様が消えれば、時雨様は『豊山』派に戻っていらっしゃいます」
「なるほど、時雨か」
「そうです。時雨様を取り戻せば妾だけでなく、『大豊山』も気持ちを立て直されるに違いありません。『大江山』には心底腹を立てておりましたから、今回のことで慌てふためき泣く様を見て、心底すっといたしました」
「底意地の悪いおなごじゃなぁ、まぁ銀が慌てるのを先手打たずに動いた私に言えたことではないだろうが……」
瑠璃は意を決したかのように、きっと『紅葉山』を睨み扇を開いた。
その動作に従うように、瑠璃の左右に侍従が降り立った。
朱善と柚香を、宵の裏参道で奇襲した侍従達であった。
「蜜条さん、三枝さん、妾とても腹が立ちました。ここで討ち取ります。宵の失態をここで晴らして下さい」
「承知いたしました、姫様」
三対一を卑怯とは思わない。
瑠璃なりにこの『紅葉山』を評価しての判断だった。
「時雨様は『紅葉山』分社でありながら、全く貴方様とは似ずに君子たる素質をお持ちの御方。鳶が鷹を生むとはまさにこのこと。『豊山』に返して頂きます」
「時雨は先代『葵山』に似たのであろうよ。それに育てたのは『豊山』で私ではない」
「そこまで理解しておられるのに、時雨様を『豊山』にお戻しにならないなんて、高慢ですわね」
「高慢ではありますまい」
突然差し込まれた声に、瑠璃は驚いて視線をやった。
『紅葉山』も意外そうな表情を浮かべたが、すぐにその声が誰であるか悟ったようで視線を横へ投げた。
「守夏……」