それぞれの神隠し (3)
朱善が表参道に駆けつけた時、すでに場は沈静化していた。
しんとした境内で、銀朱と茂野が横たえられた祐喜と柚香を見下ろしている。
一瞬だけ朱善は、柚香が銀朱に討たれたのではないかと思った。
だがそれはすぐに杞憂となる。
柚香はすぐに朱善の名を呼んだ。
「祐喜が、今……『あぶらあげ』を迎えに行ってる」
「気持ちは、届いたのだな」
「多分、祐喜は『あぶらあげ』を蘇らせる。私の中から『あぶらあげ』がいなくなる」
「そう……なるだろうな」
朱善は、柚香の言葉を真剣に聞き入れていた。
余計な返答は返さない。黙って柚香の声、言葉を噛みしめた。
「ねぇ……朱善……」
「何だ」
柚香の手は震えている。
ここまで気丈を保っていたが、朱善が握り締める手からそれが剥がれていくのが分かった。
「『あぶらあげ』がね、ひとの命は線香花火みたいだって、言ったの。私は今、消えようとしてる? それともこれから輝こうとしている? 朱善には……どっちに見える?」
「そなたは私の『柚子』だ。私がいる限りそなたが私を思う限り、消えることはない。私はずっとお前の輝きの連鎖を見守り続ける」
柚香は朱善の手を握りしめた。
「私、ちゃんと『あぶらあげ』に自分から会いに行きたい。私は私の意志で、貴方たちのことを信じてるし、愛しているって伝えたいの」
「あぁ、分かってる。柚香は素直で心清らかな……気高い意志を持つひとの子だ」
神様がそう言ってくれるのであれば、信じられる。
「会いに行くから、待っていて」
柚香はゆっくりと意識を手放し、目を閉じた。
柚香の意識が落ちるとすぐに柚香の体から小さな光の粒が一つ、二つと増えて集まっていく。
それらはやがて膨らみ、ひとつの形をつくろうとうねる。
銀朱はその光に顔をほころばせて茂野の袖をぎゅっと引いた。
「お兄様がお戻りになられる」
ひとの子の中に閉じ込められた『紅葉山』が稲荷の世に再生する。
光はある程度の形を作ると、己の最後の形を思いだそうとしてか光の筋を描いて、『柚子』と共に紅葉山の方角へ飛んだ。
流れ星のように空を走ったその行く先を朱善は見つめていたが、すぐに柚香へ視線を戻した。
青白い顔をして、ぐったりとしている。
それは病魔を退けていた神の存在を失い、ひとの子に戻った証とも言えるが、放置しておくわけにはいかない。
柚香はもう一度、自分達に会いたいと願った。
その為には、ここで死なす訳にはいかない。
「朱善、祥香はどうした」
「本殿に横にしておきました──傷つけました。お許し下さい」
「許さぬ」
銀朱は即座に朱善の詫びを却下した。
「いかに兄弟であろうと、他山の侍従に私の大事な分社を傷つけられて許す道理はない」
朱善は銀朱の言葉を正面から受け止めて、一度だけ頷いた。
銀朱は朱善が何であるかをすでに把握しているようであった。
こうなることは分かっていての行動だった。受け止めずに逃げるわけにはいかない。
「嫁入りも婿入りも為す前に、顔に傷をつけてはおるまいな」
「むしろ引っかかれてこっちが大けがです」
「そなたはよいのだ。おのこであるからな」
ざくざくと切り捨てられはしたが、朱善に苦しみはなかった。
あるとするなら一点だけ。
「……祥香は、ひとの子を……『柚子』を大層嫌っておるようです」
「私の分社であるからな」
「私も『大江山』分社です」
朱善の言葉に、銀朱は深くため息をついた。
「だがすでに、その身は『紅葉山』のものであろう。ぬかったわ。お兄様なしでそなたが山の称号を得ることはないと思っていたが、こんなところにおられたのだからな」
銀朱の視線は、苦しそうな柚香に投げられる。
「お兄様はこの娘の病を退ける代わりに、器としてひとの世に降りていたのだな。あの愚図が持っていた私の守り札に寄せられた回復祈願と合致する」
「『大江山』のお姉様、どうにか柚香の病を取り除くことはできないのですか」
「できる。だがな朱善」
銀朱は柚香の額に手を置き、様子を窺ってから朱善へ視線をやった。
「そなたはもう分社ではなく、一柱の立派な稲荷神なのだ。そなたが預かるひとの子であれば、そなたが守るのが定石であるぞ」
銀朱は立ち上がると、茂野を朱善につけ己は『紅葉山』の方角を視た。
「その小娘のことはそなたが計らうのだ。『紅葉山一ノ宮麓』朱善。それがそなたの、初仕事だ」
銀朱はすぐに光の尾を追って『紅葉山』へ向かう。
茂野を残してくれたことで、十分に気をかけてくれているのが分かった。
茂野もこの場に残された意味を十分に把握しているようだ。
「私は、朱善様を侍従職に就ける教育はして参りませんでしたが」
茂野は主の姿が消えるのを確認してから朱善へ視線を投げた。
朱善の腕に抱かれた柚香を見てから、茂野はゆっくりと笑顔を作ってみせた。
「三朱の侍従に御着任お祝い申し上げます」
「い、祝いなどは後でよいから柚香をどうすればいい。私は未熟でどうしていいか」
柚香に向けていた視線とはうって変わって朱善は突如戸惑い右往左往しはじめた。
「『大紅葉山』がお戻りになられたら、すぐに銀朱様がお戻りになるでしょう。まずこのひとの世に戻さねばなりません」
「そうか、そうだな。そして病院に連れていかねば」
やっとのことで朱善は冷静さを取り戻すと、石段を駆け下りていった。