01 噂
気づいたら外堀を埋められていた。
とりあえずの仮婚約がとある噂のお陰で本決まりしてしまった。わたしの両親も相手の両親もにこにこの中、無表情でティーカップを片手にこちらを見つめてくる婚約者になんでこうなったと胸ぐら掴んで問いただしたい。
美形な婚約者は春を纏ったような薄ピンクのふわふわ髪に萌黄色の垂れ目を持っていた。これで笑えば周囲の女性はイチコロだ。表情が変わったことなんて見たこともないけど。
一度も、一度たりとも噂のような好きを言い合ったことはないのだ。ましてや手を繋いだこともない。
紅茶にうつった自分を見つめながら溜息を吐く。大人たちは学生の頃の友人同士で、生まれてきた子どもが異性同士なら結婚させようと約束をしていた。もちろん子どもの意思は尊重するし、片方が嫌なら婚約破棄してもいいと生まれたと同時に仮の婚約を結んだ。
母親同士きゃっきゃきゃっきゃとクッキー片手にはしゃいでる。今男の子ならカイン、女の子ならアリアと聞こえてきた。わ、わたしたちの子供の名前?それは自分で考えたいし気が早すぎる。
父親たちは肩を組みあって歌ってる。お父様は涙が止まらないのか泣きながら歌ってる。鼻水も出てる。汚い。
***
学園も残り数ヶ月で卒業。それと同時に仮婚約は破棄するだろうと思っていた。そして婚約者のクリスティアンは好きな人と本当の婚約を結ぶだろうとも。
今学園は去年まではなかった噂で持ちきりだ。無表情の生徒会長であるクリスティアンには生まれながらに婚約者がいて、その婚約者と両想いだと。もう既にき、キ…接吻まで済ませたとか。な、なんて破廉恥な噂なんだ。
今の時代、婚約者同士接吻くらいわけない話だ。しかし決してわたしたちは接吻をしてない。神様に誓ってしていない。
そんな噂話がどうして学園でこんなにも騒がれているのかというとそれは生徒会副会長であるエミーリエの存在のせいだった。エミーリエはゆるふわの蜂蜜色の長い髪にくりっとした蜂蜜色の瞳を持っている。性格は天真爛漫という言葉がぴったりな女性だった。エミーリエはそれはもうクリスティアンにべったりだった。べったりすぎて引かれていた。
二人の関係を邪魔しないよう視界に入らないように努めた。伊達眼鏡をかけて2人の存在ごとシャットダウンだ。シャウトダウンではない。シャウトは我が可愛いウサちゃんのお腹でしている。ダウンするつもりはない。くったりとした薄ピンクのウサギの肌触り加減は長年連れ添ってきた年月を感じさせる。新品では絶対にでない味わいだ。
「わたしが10年寄り添ったウサちゃんはどれだけ高値で売ってくれと頼まれても売らないわ…!」
「ウサちゃんってあれ?あの汚ったないくたくたのヌイグルミね?誰も欲しくないでしょ、むしろ買ってくれってお金積まれてもイヤよ…」
くるくるに巻いた髪の毛を触りながら汚物を思い出すかのような表情を浮かべるジャネット。それはわたしのウサちゃんに向けていい視線じゃないとおもう…ジャネットの目が怖くていえないけど。数多の犯罪者を尋問してきたかのような鋭さだ。悪人の下っ端ならひと睨みでなんでも語るだろう。
「問題はトップの極悪人にどう白状させるかよね…」
「は???思考回路どうなってんの?ほんと見た目によらず頭イかれてるよね…」
とても難しいだろう、しかしきっとこの友人になら出来る。どうにもならない時にはわたしの色仕掛けで白状させる…!無いはずの胸が豊かになっている自分を想像する。夢は叶うものだと信じている。否、信じていいはずだ。
教室でジャネットと談笑をしていると中庭の方から金切り声が聞こえてきた。
『そ、んなの…ひどいわ…!!!』
『おちつけ』
「あら?あれミアの婚約者じゃない?」
「ちょっ、シッ!仮だよ!仮!ちゃんと仮って頭につけて!」
焦る焦る。ニヤニヤとしたジャネットを睨みつつ辺りを見渡す。誰も聞こえていなかったようだ。ほうっと息を漏らす。ジャネットにだけわたしの、いや、わたしたちの秘密を話していたのだ。話しやすくてついついポロっと話してしまったのだ。決して眼力に負けて白状したわけではない。
教室の2階から見下ろすと舞台会場の2階席真ん中といったところか、丁度いい角度で2人は揉めていた。
学園の中庭で始まった痴話喧嘩、そんな感覚で学生たちは眺めていた。学園を代表するカップルの喧嘩なぞ1度も聞いたことがなかったが、やはり長く付き合うとどんなにアツアツでも衝突してしまうんだな、という眼差しの者が殆どだった。
「僕たちは恋人ではないのだから、僕もほかの役員とおなじように接してほしい。それに僕には愛しあってる婚約者もいるんだ」
「…っ…うわぁああん!」
泣き崩れるエミーリエを無表情で見下ろすクリスティアン。野次馬たちは二人が恋人ではなかったことに衝撃を受けていた。混沌とした中、授業が始まる予鈴の鐘が鳴り響く。カンカンカーン。
「予鈴がなったぞー!教室にもどりなさいー!」
ぱんぱんと手を鳴らしながら教師のナルシスは言う。人だかりを散らすように中庭へと向かう。通るためと野次馬心だ。きっと野次馬心がなければトラブルごめんと遠回りをしていただろう。若い教師は何が学生たちの興味を持ったのかただ知りたかっただけなのだ。原因を見つけると「げっ」と声が漏れた。痴話喧嘩なんぞ犬も食わない。
「わーお、いいところに先生が来たじゃない」
「ねぇ、愛し合ってるって誰のことなのかしら…?」
「そりゃ、ミアしかいないじゃない」
「えッ!?」
「学園の中心で愛を叫んだりしてね…ふふ」
くるくる髪のジャネットは楽しそうに目を細めた。2階の教室から覗くと3人の姿が見えた。
***
無表情のクリスティアンはその場を去ろうとしたが「ちょっと待て」と教師ナルシスは呼び止めた。
「なんですか?ナルシス先生」
「いや、なんですか?と聞くな。どうして泣いてるエミーリエさんを置いていくんだ?」
お前たち恋人同士なんだろ?こんな状況で女ほっといていくなんて…そんな冷酷なやつだとは思わなかったぞ。と教師の目が訴えていた。
「一人にした方が冷静になれるかなっておもって…」
「うっ…うう……ほんとうに…本当に…婚約者がいるの…?」
「ああ、とびきり可愛いのがな」
地面を見つめながらボソボソと訊ねるエミーリエに無表情クリスティアンが答える。ナルシスは「えーーーっ!?えーっ?!!、?」と叫びたい気持ちを抱えながら二人を見つめる。本鈴が鳴る。早く授業に向かいたいが、その授業の学生たちにはこの二人も含まれていた。
ナルシスは自分の野次馬心を責めつつエミーリエの肩を支えて立たせる。大泣きしていたらしいエミーリエは顔面が崩壊していたので、あまり見ないようにする。いつもより目が小さい気がするコイツは保健室に連れて行こう。化粧って凄いんだな。
ナルシスは持っていた荷物を教室に持っていくようクリスティアンに頼み中庭を後にする。振り返るとスキップしてるクリスティアンを見た気がしたが疲れていたのかもしれない。
***
噂は次の日には学園の隅から隅まで広がっていた。尾びれ背びれがついた噂は羽までついたようだった。クラスメイトたちが興奮したように噂話を教えてくれた。
「ちょっときいて〜生徒会長のうわさ!ほんっっっとロマンチックなの。秋の夕暮れにアスカの丘で見つめあって婚約者とあつぅいキスをしたらしいわ」
「あら、とてもアツアツだわぁ」
「それにアスカの丘って人気のデートスポットよ!やーん、無表情でつまらない男だと思ってたけど素敵ね〜。婚約者様が羨ましいわ〜」
「そ、そうなんだ」
「あれ!こういう話好きじゃなかった?顔色も悪いし、大丈夫?」
「や、そんなことはないんだけど…」
6つの心配そうな目を向けられながら内心冷や汗をかく。なんだ熱いキスって?わたし知らない〜!
ロマンチックな話は大好きだ。たしかに10歳の頃そんな話をクリスティアンにした気がする。夕暮れの我が家の庭で『アスカの丘での夕陽はとても素敵でしょうね』って言っただけ。古き良きアスカの丘は大昔の聖女アスカ様がプロポーズされた場所として観光地化していた。乙女なら誰だって憧れの場所だ。
あの頃は思いついた素敵なことをクリスティアンに話していた。無表情で興味なさそうでつまらないのかもと気づいた時にやめた。思い返せばそんな妄想話を聞かせていたかと思うとすごく恥ずかしい。土に埋まりたい。
しかしキ、接吻するなんて妄想は言ってない。
なんとその嘘の噂はクリスティアン本人が言ってたのを直接聞いたという者もいた。やはり噂は面白おかしくした方が広がりやすいんだろうな…。クリスティアンがそんなこと言う意味がわからない。
お互いの瞳の色の宝石を贈りあってるだの、婚約相手の女の子がクリスティアンにべた惚れだの、ヤキモチ妬いてエミーリエと距離を置くように迫っただの、噂だけきけばクリスティアンをとびきり愛してる女性と婚約しているみたいだった。
「大丈夫?今日はまだミアの突拍子もない発言を聞いてないんだけど」
「…大丈夫大丈夫」
「あ、これ大丈夫じゃないわ…」
寄せていた眉をほぐしながら「あはははは」と笑うわたしを心配そうに見つめるジャネット。どうも今日は頭がぼーっとする。目眩もしてきた。机に突っ伏してどうしてこうなったと自問自答し続けた。
***
恒例の月1のワクワクドキドキ2人きりでのお茶会(棒読み)で学園の噂について話した。
「わたしたち、もう宝石を贈り合ってるみたいですね…」
「そうだな」
「…困りましたね」
「そうだな」
「……」
「…」
会話なんてロクに弾みもしないのに、どこが熱々カップルなのだろう…?むしろ熟年夫婦のような落ち着いた雰囲気が今2人の間には流れている。
「ああ」「そうだな」しか喋らないコイ…この方にどうやったら惚れ込むのか分からない。人間としては好きだが恋愛感情など持ったことがないのだ。
嫌いではない、見た目だけならそれなりに好みだ。どこにでもいる髪色にストレートのわたしには髪だけでも羨ましい。自分のカサカサな薄い唇より、クリスティアンのぷるぷるな厚い唇に憧れる。そして目だ、つり目の自分には出せないおっとりとした雰囲気の垂れ目が欲しすぎで無意識に掴みかけた時もあった。さすがの彼もその時は「ああそうだな」じゃなく「おおう」と言いビクッとして距離を取るように後ずさっていた。そのあと暫くは腕を伸ばしても届かないくらいの距離をずっと保たれていた。身の危険を感じて警戒していたのだろう。
「こんど、贈る」
「…ありがとうございます?」
なぜ噂通りにしようとするんだ…?と思いつつ礼を述べ頭を下げる。わたしも何か贈ったほうがいいのかと血迷ったが冷静に考えて、ないなと首を振った。
噂もいつかは消える。そう信じていたのだが、羽の生えた噂は社交界へと羽ばたいていった。




