きらきらを忘れた月へ
冬の夜は、空気がすきとおっていて、光がよく見えます。
街灯の下では、雪がふわふわ舞って、星くずみたいにきらきら。
窓ガラスの霜は、銀のレース。
息をはくと、白い息の中に、ちいさな金の粒がまじる気がします。
ハルは、夜になると窓辺に立って、月を見るのが日課でした。
まあるい月があると、胸の中が「だいじょうぶ」になるからです。
けれど、ある夜――。
「……あれ?」
月が、うすい。
形はまんまるなのに、光が弱い。
いつもの月は、道をやさしく照らして、屋根の上に銀色のふちをつけてくれるのに。
今夜の月は、遠くでうっかり忘れものをしたみたいでした。
ハルは心配になりました。
月がきらきらを落としてしまったのかもしれない。
どこかで「きらり」をなくして、さがしているのかもしれない。
ハルは机に向かい、ノートを開きました。
えんぴつで、ゆっくり書きます。
「つきさんへ。
だいじょうぶ?
きらきら、どこかにおとした?」
書き終えて、紙を折ると、角がちいさく光りました。
ぱちっ。
冬の静電気の音。
でもハルには、それが「手紙が空に届く合図」に思えました。
その夜。
部屋の電気を消して、布団にもぐりこんだころ。
――ちりん。
どこかで、鈴の音がしました。
ちりん。ちりん。
ハルは起き上がって、窓を見ました。
窓の外、霜のレースの向こうに、ちいさな影がひとつ。
窓を開けると、冷たい空気がふわっと入ってきて、頬がきゅっとなります。
その冷たさの中で、影がにこっと笑いました。
星くずの帽子。
星の粉がこぼれそうなかばん。
靴の先が、まるで夜空を踏んだみたいに、ちらちら光っている。
「こんばんは。ほしの郵便屋です」
声は小さいのに、はっきり耳に届きました。
星の音みたいに、すん、と澄んだ声。
「……郵便屋さん?」
「はい。きみの手紙、受け取りました。月へ届けたいのですが――月は今、少し困っているのです」
郵便屋はかばんを軽くたたきました。
すると、かばんの口から、きらきらがふわっとあふれて、部屋の影が金色にゆれました。
壁のすみが、やさしい星明かりみたいに明るくなります。
「月はね、毎晩、夜道を照らしていました。
みんなのために、きらきらを配りつづけたのです。
――配りすぎて、自分の分を残せなくなりました」
ハルの胸が、きゅっとなりました。
「月が……つかれちゃったの?」
「ええ。きらきらを忘れたのではなく、思い出せなくなったのです。
だから、きみの“きらきら”を少し分けてほしい」
「ぼくの、きらきら?」
ハルは自分の手を見ました。
手のひらは、ただの手のひら。
でも郵便屋は、うなずきました。
「冬のきらきらは、そこらじゅうにあります。
さあ、集めに行きましょう。月が思い出せるように」
郵便屋は、かばんを開きました。
中は暗いのに、底のほうがぽうっと明るい。
星が眠る場所みたいでした。
◆
外へ出ると、雪がさらさら降っていました。
街灯の光を受けて、雪は一つ一つ、きらり、きらり。
地面には、白い点の星座ができているみたいです。
「まずは、霜の結晶」
郵便屋が言いました。
ハルは家の窓の端を、そっと指でなぞりました。
しゃりん。
霜が、ちいさく鳴った気がしました。
銀のレースが、ひとひらだけ外れて、指先に乗ります。
それは冷たいのに、光っていました。
ハルがかばんに入れると――
ふわっ。
中で小さな光玉になって、ぽん、と明るくなりました。
「次は、雪のきらめき」
ふたりは街灯の下へ行きました。
雪が舞うたび、金の粉がちらちら。
ハルがそっと手を出すと、雪の中から、特別に光る粒がひとつ、ちょこん、と手袋に乗りました。
「……見つけた!」
かばんに入れると、光玉がまたひとつ。
ふわり。
ぽわり。
光が増えるたび、ハルの心も少しずつ明るくなりました。
「次は、鏡の光」
凍った池へ行くと、水はガラスみたいに固まっていました。
その上に、うすい月が映っています。
空の月と、池の月。
ふたつの月が、同じようにうすく光って、ふるふる震えていました。
ハルはしゃがんで、池に向かって小さく言いました。
「月さん、ここにもいるよ」
その瞬間、池の月が、きらり、とひとつ瞬きました。
その“瞬き”が、きらきらのしずくみたいに跳ねて、かばんの中へすうっと入っていきました。
「次は、あったかい匂い」
郵便屋が笑って言いました。
ハルは家に戻り、台所からみかんをひとつ持ってきました。
皮をむくと、ぱっと甘い匂いが広がります。
その匂いは、見えないのに、光っているみたいでした。
みかんの皮の匂いを、かばんの口にふわっと入れると、光玉がぷくっとふくらみました。
まるで、あったかい息を吸いこんだみたいに。
「最後は――笑い声のきらきら」
ふたりは町の道を歩きました。
すると、雪かきをしているおじさんがいました。
ひとりで黙って、息を白くしながら。
ハルは近づいて言いました。
「手、冷たくないですか?」
おじさんは驚いて、顔を上げました。
それから、ふっと笑いました。
「冷たいよ。でも、ありがとな」
その笑い声が、ふわっと夜に広がりました。
すると、空気の中に、見えないきらきらが生まれて、かばんの中へすうっと入っていった気がしました。
かばんの底が、さっきより明るい。
光玉が、まるで小さな月みたいに集まっています。
――けれど。
空の端から、灰色の雲が、ゆっくり近づいてきました。
もやもや。
もやもや。
雲が来ると、風が冷たくなり、光玉が少ししぼみました。
「雲だ……月を隠しちゃう」
ハルが言うと、郵便屋は首をふりました。
「雲は、悪者ではありません」
「え?」
「雲はね、月の前に立って、疲れた顔を隠してくれているのです。
光れない月が、恥ずかしくならないように。
雲は――やさしい毛布」
ハルは雲を見上げました。
もやもやして、冷たそうなのに、たしかに毛布みたいに空を覆っています。
ハルは小さく言いました。
「雲さん、ありがとう」
すると、雲がすうっと薄くなった気がしました。
雲のふちが、銀色にきらり。
やさしい毛布のふちどり。
光玉も、もう一度、ふくらみました。
◆
郵便屋は、ハルの手紙を取り出しました。
「さあ、届けましょう。きらきらを忘れた月へ」
ふたりは、屋根の上へ――というより、気がついたら、屋根より高い、ふしぎな丘に立っていました。
足元の雪は雲みたいにふわふわ。
空は近くて、月がすぐそこに見えます。
月は、うすいまま、じっとしていました。
光るのを忘れてしまった子みたいに。
ハルはかばんを開けました。
霜の銀。雪の金。鏡の瞬き。みかんの匂い。笑い声。
それが一緒になって、やわらかい光のスープみたいに、ふわっと広がりました。
月のまわりに、きらきらが舞います。
きらり。
きらり。
ゆっくり。
やさしく。
月は最初、びくっとしたみたいに震えました。
そして、ちいさく――
ぽっ。
灯りをつけるみたいに、ひとつ光りました。
次に、ふわっ。
光が広がって、月のふちが銀色になりました。
強い光ではありません。目にやさしい、あったかい光。
「がんばった光」じゃなくて、「休みながら光る光」。
月が、ハルに言いました。
声はありません。けれど、胸の中に届く言葉。
『きらきらは、なくなったんじゃなかった。
思い出せなかっただけだった』
ハルはうなずきました。
『ありがとう。……今夜は、少しだけ光る』
月の前に、雲がふわっと来ました。
でも、雲はもうこわくありません。
雲のふちは銀色に光って、月の光をやさしく広げました。
毛布のように。
守るように。
◆
気がつくと、ハルは自分の部屋の窓辺に立っていました。
外には、いつもの町。いつもの雪。
でも、空の月は、さっきよりやさしく光っていました。
明るい夜もある。
うすい夜もある。
どちらも月。
ハルは窓ガラスの霜を見ました。
銀のレースが、きらり。
雪も、街灯の下で、きらり。
ハルの白い息も、ふわっと光って見えました。
「月がうすい夜は、月が休んでいる夜」
ハルは、小さく言いました。
「きらきらは、がんばるためじゃなくて――やさしくなるための光」
月は、ゆっくり、やさしく、きらり、と瞬きました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
月が明るい夜も、暗い夜もある。
暗い夜は「だめ」なんじゃなくて、休んでいる夜かもしれない。
そんなふうに思えたら、冬の夜が少しやさしくなる気がして、このお話を書きました。
物語の中の「きらきら」は、特別な宝石ではなく、
霜の銀、雪の金、凍った池の鏡、みかんの香り、そして笑い声――
身近なものばかりです。
きらきらは“がんばるため”じゃなく、誰かにやさしくなるための光。
その光を、読んだ方の胸の中にも、ほんの少し残せたら嬉しいです。




