五
現代社会において、人との繋がりは希薄だと言われる。SNSのフォロワーは三桁いても、深夜に「助けて」と言える友人は片手で数えるほどしかいない。私、泊里穂香に至っては、その片手すら余る。LIAMの友達リストは、実家の母、ゼミの友人・成瀬、バイト先の比留間局長、そして公式アカウントの「ドミ・ピザ」で構成されている。そんな私のスマホが、深夜の事務所でブブブッと震えた。
「……メール?」
差出人は不明。
件名は『読んで』。
嫌な予感しかしない。私の「不運センサー」が、開封するなと警鐘を鳴らしている。しかし、指が滑ってタップしてしまった。
『私、サチコ。これを見た人は、一時間以内に五人の友達に転送してください。さもないと、今夜あなたの部屋に血まみれの女が行きます。※嘘じゃありません』
画面が赤く点滅し、添付されていた画像が開く。血の涙を流した日本人形が、包丁を持って睨んでいる画像だ。ベタだ。あまりにもベタな「不幸のメール」。しかし、私にとっては死の宣告に等しかった。
「ご、五人……!?無理!友達五人もいない!」
私は絶叫し、スマホを畳の上の座布団に投げつけた。
「騒がしいね、ハピネス君。静寂は紅茶の最高のスパイスだと言ったはずだよ」
奥のちゃぶ台でノートPCを開いていた比留間隠岐が、顔も上げずに言った。今日もスーツに身を包み、画面には難解な株価チャートのようなものが映っている。
「局長!呪いです!チェーンメールが来ました!一時間以内に五人に回さないと、血まみれの女が来るんです!」
「ほう、チェーンメールか。まだ絶滅していなかったとは、シーラカンス並みの生命力だね」
「感心しないでください!どうしよう、お母さんと成瀬と……あとピザ屋に送ったら怒られますよね!?」
「ピザ屋に呪いを転送するのは営業妨害だ。訴訟リスクがある」
「じゃあどうすれば!あと五十分しかないんです!」
私が頭を抱えていると、投げ出したスマホが勝手に明滅を始めた。画面から、ジジジ……というノイズ音が漏れる。
そして。
「……転送……シタ……?」
スマホのスピーカーから、湿った女の声が聞こえた。画面の日本人形の画像が、カクカクと動いている。
「ひぃっ!まだ十分も経ってないのに催促!?」
「……ノルマ……達成……シナイト……コロス……」
スマホの充電口から、どす黒い髪の毛がするりと伸びてきた。3D映像ではない。物理的な髪の毛だ。液晶画面から、白い手がにゅっと飛び出し、私の手首を掴もうとする。
「局長ぉぉぉ!出てきてます!デジタルとアナログの境界を超えてます!」
「ふむ。最近のマルウェアは物理攻撃も実装しているのか」
比留間は優雅に立ち上がると、暴れる私のスマホをハンカチ越しに摘み上げた。画面から上半身を乗り出しかけている血まみれの女と、至近距離で目が合う。
「やあ、こんばんは。夜分に精が出るね」
「……ア……アア……コロス……」
「君、このメールの送信元サーバーはどこだい?ヘッダー情報を見る限り、黄泉の国の旧式サーバーを経由しているようだが」
「……ウルサイ……転送……シロ……」
サチコは比留間の首に手を伸ばす。しかし、比留間は動じない。空いた片手で自分のノートPCを操作し、ケーブルを私のスマホにブスリと差し込んだ。
「話が通じないなら、実力行使といこうか。ハピネス君、耳を塞ぎたまえ」
「え?」
比留間がエンターキーをッターン!と弾いた瞬間。
キィィィィィィィィン!!
スマホから、超高周波のモスキート音が爆音で鳴り響いた。
「ギャアアアアアアアッ!?」
サチコが両耳を押さえてのけぞる。画面の中で、彼女の姿がノイズまじりに歪み始めた。
「な、何をしたんですか!?」
「なに、簡単なことさ。彼女のサーバーに対して、毎秒一億通の『転送メール』を送り返してあげたんだ。中身は全て、私が厳選した『世界一退屈な長文のお説教動画(4K画質)』だよ」
「サイバー攻撃!?呪いに対してDDoS攻撃ですか!?」
「目には目を、スパムにはスパムを、だ。旧式の霊界回線じゃ、このデータ量は処理しきれまい」
スマホが熱を持ち、煙を上げ始めた。画面の中のサチコは、大量のポップアップウィンドウに埋もれ、白目を剥いている。
「……オ、重イ……動カナイ……回線落ち……ル……」
「おっと、とどめだ」
比留間はさらにキーを叩く。
「『受信拒否設定』および『送信元アドレスのブラックリスト登録』。さようなら、サチコ君」
プツン。
スマホの画面がブラックアウトした。充電口から出ていた髪の毛も、煙のように霧散して消える。
「……か、勝った……」
私はへなへなと座り込んだ。ITスキルで除霊するなんて、近代的すぎる。
「怪異も所詮はプログラムのようなものだ。バグがあれば突くし、リソースが足りなければクラッシュする」
比留間はケーブルを抜き、私のスマホを返してくれた。
「ほら、直ったよ。ただし、通信量が上限を超えたから、今月は速度制限がかかるだろうね」
「えっ」
確認すると、私のスマホには通信会社から『データ通信量が規定値を超えました』という無慈悲なメールが届いていた。追加データを購入しなければ、LINEすら開けない低速地獄だ。
「そ、そんな……。私のパケット代……」
「命が助かったんだ、安いものだろう?さあ、仕事に戻ろうか。まだ未処理の書類が山ほどある」
比留間は涼しい顔で紅茶を飲み直す。私は涙目で、速度制限のかかったスマホを握りしめた。私の不運は、デジタル社会においても健在だったのだ。




