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私の人生を天気予報で表すなら、一年三百六十五日が「局地的豪雨、ところによりひょう」だ。


 新品の靴を履けば水たまりが生成され、急いでいる時に限って電車の遅延に巻き込まれる。じゃんけんは全負け、くじ引きは参加賞のポケットティッシュすら在庫切れ。


 そんな「歩く不運製造機」こと私、泊里穂香とまり ほのかが、怪しさの塊のようなこの場所に流れ着いたのは、ある意味で必然だったのかもしれない。


「いいかい、ハピネス君。お茶というのは淹れる人間の品格が出る。君の淹れたお茶は、どうしてこう……路地裏の雑草のような味がするんだね?」


 古びた木造アパート「寿荘」の二階。西日が差し込む畳の部屋で、その男は優雅に湯呑みを傾けていた。


 比留間隠岐ひるま おき


 オーダーメイドとおぼしきチャコールグレーのスーツを着こなし、端正な顔立ちに似合わない胡散臭さを漂わせるこの男こそ、私が働く〈都市伝説調査局〉の局長である。


「路地裏の雑草は言い過ぎです。あと、その『ハピネス』ってコードネーム、早くやめてくれません? 借金返済のために時給七千円の闇バイ……じゃなかった、高額バイトに応募して採用されただけの、ただの女子大生ですよ、私は」


 私が抗議しながら座布団を直すと、比留間はふっと笑って窓の外へ視線をやった。


「ただの女子大生ではないだろう。君ほどの『不運』を纏った人間は、もはや才能だ。怪異というのは負のエネルギーに引き寄せられる。君をここに置いておくだけで、我々の商売道具である都市伝説が向こうから飛び込んでくるわけだ」


 そう、ここ〈都市伝説調査局〉は、世間に流布する噂や怪異を調査・回収し、時には無害化して金に変えるという、極めてグレーな個人事業所だ。


 私の役割は、その「撒き餌」。


 不運すぎて事故物件や心霊現象を引き寄せる体質を買われ、借金完済までの契約で助手をさせられている。


「撒き餌って自覚させる上司、最悪ですよ……」


 私がため息をつき、お盆を片付けようとした、その時だった。


 部屋の隅、埃をかぶった事務机の上に鎮座する「黒電話」が、突然ジリリリリリリッと甲高い悲鳴を上げた。


 令和の世に、黒電話。だが、この事務所ではこれが「仕事」の合図だ。


「おや、噂をすれば。ハピネス君、出てくれたまえ」


「……嫌な予感しかしないんですけど」


 嫌々ながら受話器を取る。重たい受話器を耳に当てた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


「はい、都市伝説調査局です」


 ノイズの向こうから聞こえてきたのは、無機質で、どこか幼い少女の声。


『……わたし、メリーさん。今、駅の改札にいるの』


 プツッ、ツーツー。


 私は受話器を持ったまま固まった。メリーさん。捨てられた人形が持ち主に電話をかけながら徐々に近づき、最後は背後に現れて殺害するという、都市伝説界のクラシック・ホラー。


「局長……メリーさんです。駅の改札にいるそうです」


「ほう!メリーさんとはまた古風な客人が来たねえ」


 比留間は嬉々として新しい茶葉を急須に入れ始めた。危機感というものが欠落している。


「感心してる場合ですか!ここ、駅から徒歩十分ですよ!すぐ来ちゃいますって!」


「落ち着きたまえ。彼女たちは『手順』を重んじる。いきなりワープはしないさ」


 ジリリリリリリッ!


 比留間の言葉を遮るように、二度目のベルが鳴る。早い。あまりにも展開が早すぎる。


「は、はい!」


『……わたし、メリーさん。今、商店街のタピオカ屋の前にいるの』


 ガチャ切り。


「タピオカ!? 寄り道してる!?」


「流行には敏感なんだろう。今の怪異はSNS映えも気にしないといけないから大変だ」


「解説はいいから戸締まりを!」


 私が窓の鍵を確認しようと立ち上がった瞬間、三度目のベルが鳴り響いた。


 ジリリリリリリッ!


 今度は受話器を取る手が震えた。 駅、商店街、ときて、次は――。


『……わたし、メリーさん。今、アパートの下にいるの』


 心臓が早鐘を打つ。窓から恐る恐る下を覗くと、夕暮れの路地に人影があった。ボロボロのフリルがついた洋服。長く伸びた髪。そして右手には、凶器――ではなく、スマホを握りしめている。彼女がゆっくりと顔を上げ、私と目が合った(ような気がした)。


「ひっ!目が合いました!今、完全にロックオンされました!」


「素晴らしい。君の不運引力は高性能GPS並みだね」


「褒めてないで助けてくださいよ!」


 ジリリリリリリッ!


 四度目。これが最後通告だ。次は「あなたの後ろに」――。 私は泣きそうになりながら受話器を取った。


『……わたし、メリーさん。今、201号室のドアの前にいるの』


 その瞬間、玄関のドアノブがガチャリと音を立てて回った。 鍵はかけていたはずだ。でも、都市伝説に物理的な施錠なんて通用しない。 ゆっくりと、錆びた鉄扉が開いていく。


「いやぁぁぁ!来ないでぇぇぇ!」


 私はとっさに比留間の背後に隠れた。 ドアが開ききり、そこに現れたのは――泥だらけのドレスを着た、青白い顔の少女。その目は血走っていて、スマホを握る手は白く変色している。


「……あなたが」


 メリーさんが口を開く。怨念の籠もった低い声。


「……あなたが、フリマアプリ『メルカロ』の出品者『HIRUMA』ねぇぇぇ!!」


「……は?」


 私の絶叫が間抜けな音になって止まった。 メリーさんはスマホの画面を私たちに突きつける。そこには見覚えのある取引画面が表示されていた。


「住所不定で三回も返送されたのよ!どうなってんのよ今の物流は!これ以上待てないから直接取りに来たわよ、着払いで!」


 殺意というより、完全にクレームのテンションだった。 比留間が、湯呑みを持ったまま涼しい顔で立ち上がる。


「おや、わざわざご足労いただき恐縮だ。その西洋人形、私のコレクションだったのだが、どうしても手放したくてね」


「『状態:目立った傷や汚れなし』って書いてあったじゃない!箱ボロボロだし、憑いてる生霊の数が記載と違うわよ!星1つけるわよ!?」


 メリーさんは怒髪天を衝く勢いでまくし立てている。どうやら彼女は私を殺しに来たわけではなく、比留間が出品した「呪いの人形」を落札したものの、配送トラブルでブチ切れて直接文句を言いに来たらしい。現代の怪異、世知辛すぎる。


「まあまあ、落ち着いて。お詫びに極上のお茶を淹れよう」


「お茶なんかで誤魔化されないわよ!返品!キャンセル申請するから同意ボタン押しなさいよ!」


 メリーさんがズカズカと部屋に踏み込んでくる。


 その時だった。


 私の足元に転がっていた、空のペットボトル。 私がさっき飲み干して、ゴミ箱に投げ入れようとして外したやつだ。


 それを、踏んだ。私が。


「あっ」


 ツルッ。私の体は見事な放物線を描いて後方へ倒れる。その拍子に、私の足が比留間の持っていた急須を蹴り上げた。


 宙を舞う急須。撒き散らされる熱々の緑茶。そして、その液体がすべて、突進してきたメリーさんの顔面に――。


「あちぃぃぃぃぃっ!?」


 メリーさんが顔を押さえてのけぞる。さらに彼女は、床にこぼれたお茶に足を滑らせ、盛大にすっ転んだ。


 ドゴォッ!


 後頭部が、部屋の隅に積んであった「魔除けの水晶(十キログラム)」に強打される。


「……う、そ……でしょ……」


 白目を剥いて、メリーさんはピクリとも動かなくなった。


 静まり返る室内。私は腰を抜かしたまま呆然とし、比留間は空になった手を見て、やれやれと肩をすくめた。


「……ハピネス君」


「……はい」


「見事だ。君の不運が引き起こしたピタゴラスイッチ的な連鎖事故、これぞ芸術的退治法だね」


「狙ってません……ただの事故です……」


「結果オーライだ。さて、彼女が起きる前に『受け取り評価』を済ませておこうか」


 比留間は気絶したメリーさんの指を勝手に使い、スマホを操作して『良い』の評価を送信した。この男、悪魔だ。


 ◇


 その後、目を覚ましたメリーさんは、比留間の巧みな話術(と、美味しいお茶菓子)に丸め込まれ、なぜか都市伝説調査局の「配送スタッフ」として臨時雇用されることになった。なんでも、「電話一本でどこへでも現れる移動能力」は、昨今の物流クライシスを救う逸材らしい。


「ほらハピネス君、次の現場だ。メリーさんの背負子しょいこに乗りたまえ」


「嫌ですよ!私、ただでさえ乗り物酔いするのに!」


「大丈夫、彼女は安全運転だ。信号も壁もすり抜けるから渋滞知らずだよ」


 私は涙目で、不貞腐れた顔のメリーさんの背中に背負われる。借金返済まで、あと二百三十万円。私の不運と、この変人局長との付き合いは、もう少しだけ続きそうだった。


「行くわよ、しっかり捕まってなさい!」


「ひいいいい!せめて安全運転でお願いしまぁぁぁす!」


 私の絶叫を残し、メリーさんは窓から夜の東京へと飛び出した。財布の中には、今日も七円しか入っていない。

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