第7話 熱
火に炙られた鉄剣が、その熱を吸い込んでいく。それを構える娘もまた、その表情に熱を込めていく。
騎士はその後ろで胡座をかき、失った左腕を覆う赤黒い布を解いていた。
「さぁ、止血をはじめます」
そう宣言する女の瞳がグレイに向けられた。
彼には、その混じりない紫色の宝石が火の揺らめきと共に輝いて見える。
風はない。静けさが一帯を包んでいた。
グレイはその空間に身を委ねて待っている。何がはじまるのかをじっと見つめていた。
だが、続く彼女の言葉は波紋だった。
グレイの目が途端に揺れる。
「灰色さん。騎士ザールの身体を抑えていてください。今から傷口を焼灼します」
その後ろで騎士は青白い顔で懸命に笑う。
「全力で抑えろよ……次がお前になりかねん」
そうして、やっとグレイは理解した。2人は初めから、傷口を焼く手伝いをさせたかったのだと。
しかし、この場では確かに最善手だと彼は思う。医療器具も薬品もこの場にはないのだから。
しかし
「五分五分ですよね、これ」
彼はそう言わずにはいられなかった。
その言葉に青白い顔をした騎士は震えた声で叫ぶ。
「黙れ!俺は死なん!」
だが、乙女はそれに同意はしない。揺れも抗いもない声で言葉を放つ。
「今の私達には、この五分で勝負に出る以外ないのです。お願いします!」
グレイは彼女の要望に優しい目で頷くと、騎士に近づいていく。その途中で彼はポツリと呟くのだ。
「真っ直ぐで、正しいよ。でも、純白だ」
グレイは騎士の前で跪くと、懐から小さな皮袋を取り出した。その中には、いくつもの大粒の黒玉が入っている。それを一つ彼は摘むと騎士に差し出した。
「これを噛んで飲み込んで。感覚が鈍くなって、痛みを感じづらくなります。私が力負けする可能性もあります。楽をさせてください」
騎士は渋々ながらそれを口に放り込むと、噛み砕いて飲み込んだ。
その一瞬、騎士がグレイを睨んだ。口を開けた。しかし、言葉は出ない。次第に彼の目は遠くなり、二つの瞼が沈むように落ちていった。
小さな呼吸音が聞こえる。
「準備ができましたよ」
グレイは乙女に優しくも少し濁った視線を向けた。
焦げた血の匂いと煙が上がる。焼ける肉の音と感触が残る。
小さく歪んだ騎士の顔を薄紫の瞳は見つめていた。
そして、灰色の瞳は見慣れている。
*********
グレイと乙女は、そっと騎士の身体を池のほとりに運ぶと、焼け塞がった左腕の傷を清らかな水につけた。
聞こえてくる小さな寝息が張り詰めた空気を穏やかにする。そして、乙女はその場でへたり込むと祈るように目を瞑った。
グレイがそんな彼女に声をかけたのは十数分後のことである。
乙女の隣に座り、湯気立ち込める木製のコップを地面に置く。
「熱湯に蜂蜜を溶かしてます。少しは落ち着きますよ」
そんな彼の言葉を受けて、彼女は目を開ける。先ほどまで剣を握った手を伸ばし、コップから伝わる温もりを抱えるように胸の前に運ぶ。
小さな口から息を吐き、湯気を払う。少しずつ蜂蜜湯を吹き冷ます。そして、慎重にコップに口をつけると、ゆっくりとその温もりを喉に招き入れた。
ホッと息を吐いた彼女にグレイは話しかける。
「この薬を渡しておきますね。しばらくは目を覚まさないと思いますが、起きたら一粒飲ませてください」
彼は懐から出した皮袋を、騎士と乙女の間に置いた。中にあるのはいくつかの大粒の黒玉で、それを手に取った彼女はグレイに尋ねた。
「これは睡眠薬……ですか? あなたの起点で、騎士が暴れることなく無事に施術を終えられました」
その問いに彼は小さく首を振る。
「ただの鎮痛剤ですよ。ただ、ほんの少しだけ心と意識が宙に浮く」
その言葉に小さく口を開けて固まる乙女から、グレイはその視線を騎士に移す。そのまま彼は言葉を続ける。
「そんな薬が強力な睡眠薬に思えるほど、騎士は衰弱していたし、それを悟らせないように無駄に気を張り詰めていたのでしょうね」
「それを貴方はわかって……?」
「眠るまでとは思ってなかったですよ。ただ、鎮痛よりも鎮静効果に期待したのは事実です。だって、貴女があまりにも騎士に向き合わなかったから……。彼は明らかにずっと緊張していたのに……」
グレイは手に持った蜂蜜湯を少し啜る。そして、横目に乙女の表情をチラッと見るのだ。
彼女は目を瞑っていた。祈るようにしていた先ほどまでとは違い、小さく丸まるように膝を抱えて、項垂れている。
グレイは更に言葉を続ける。
「貴女は終始正しかった。騎士を救うには私の助力が必須でしたし、他に選択肢もなく、時間もない。だから、真っ直ぐ走り抜けたのだと思います。色々な失敗の要因が貴女の前を遮って、他を考える余力なんてなかったはずですから」
すると、乙女は膝に額をつけたまま吐息混じりの声を出した。
「私は振り返るべきだった。前に進むことに必死なあまり、弱った騎士にも無理矢理走らせていたことに気づかなかった……。もし、施術の最中に騎士の心が苦痛に耐えられなかったら?たった一言彼を思いやるだけで、心を軽くできたはずなのに……」
「彼もそれを悟らせまいとしていましたよ。主人に守られるなんて、騎士としては複雑です。それに、彼から見た貴女も正常な状態ではなかったのでしょう。私のような得体のしれない人間に、簡単に弱味を見せてしまうのですから」
グレイはそう言って、コップの中のぬるくなった蜂蜜湯を飲み干すと立ち上がる。
「朝になったら当分の食料と薬を持ってきますね。私ができるのはそこまでです。それで、お別れです」
そう言ってグレイが乙女に背を向けると、慌てて彼女は立ち上がる。
「そんな、では何かお礼をさせてください!!」
しかし、グレイは振り返らずに首を振る。
「これがお礼なんです。ここにお二人が辿り着いてくれたことで、私は救われました。解放された今、ここにいる理由が私にはない。それがないと立ち入れないほど、この場所は私にとって特別なんです」
「なら、私が滞在することを許可します!」
その言葉にグレイは咄嗟に振り返る。
その後に見た景色を彼は一生忘れない。薄紫色の髪と真っ白なドレス。手足は細く、肌は艶やか。
枯れた大樹にも朽ちた砦にも残っていないはずの熱が彼女の言葉に呼応する。
「私の名はトリム=ファンヘイルン! 攫われた姫の子孫にして、この国を再建するために帰還した日の出の王です!!」




