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踏むな

作者: 犬居 尤
掲載日:2025/07/03

※ホラー注意


 ──その日は、傘を持ってきていなかった。


 授業中、土砂降りになっている雨を見ながら、「ああ、やってしまった」、と思った。

 部活が終わった時、すっかり雨は止んでいて、内心ほっとした。

 その日の雨上がりの夕焼けはオレンジとピンクの真ん中みたいな色をしていてとても綺麗だ。


「詩織、今帰り?」


 後ろから声が聞こえて、振り向いた。私に声をかけたのは優花だった。丁度委員会が終わったらしい。


「そう。優花も?」

「うん。傘もってきてたのに、結局いらなかったや」

「私は持ってきてなかったんだよね。傘って意外と荷物になるから」


 どちらから誘うでもなく、一緒に帰路に着く。優香とは通学路が同じだった。

 文化部の私には知る由もなかったのだが、雨が上がったのは随分前のことだったらしく、道端には点々と水たまりができていた。


 夕暮れの通学路。他には誰もいない。

 まるで世界に、私たちふたりしかいないような静けさだった。


 道端には、いくつも水たまりが残っていた。

 空の色と同じく濁っていて、底が見えない。


 私はその一つを、わざと踏んだ。


 濁った水に視線をやれば、うっすらと私たちの顔が映った。私はその端っこを踏みつける。


 ちょっとした度胸試しみたいなものだった。

 私は、靴下まで雨が染み込んでないことに安心する。こういう日常に潜むような、小さくてくだらないスリルが好きだ。


「ねえ、知ってる? 雨って行方不明になる人が多いんだって」


 優花がぽつりと言った。

 私は横目で彼女を見る。


「私、怖い話嫌いなんだけど……」

「心霊系じゃないって。ヒトコワ系。証拠が雨に流されるし、音も聞こえづらくなるから……。雨が降ると行方不明が多くなるんだって」

「1人になった時に、じわじわ怖くなりそうな話だ……」

「確かに。まあ、でも、今は雨でもないし、1人でもないから、別に怖くないけどね」


 夕焼けで伸びる影を見つめる。

 私たちの動きと共に動く影は、常に視界の中にあって、まるで怖い人にあとをつけられているみたいだった。

 せめて、前じゃなくて、後ろに伸びていたら少しはマシなのに。


「黒い影って、なんか、幽霊みたいじゃない?」


 私は思ったことを、口に出した。


 ”ぽしゃん”。


 ……水の音が聞こえただけで、返事はなかった。


 私はふと、優花の影がどこにもないことに気がついた。振り向いた。彼女の姿はどこにもない。

 ただ、水溜りが点々と続いているだけだった。


「……優花?」


 おかしい。さっきまで横にいたはずなのに。

 置いてきてしまったのかと思い、私はゆっくりと歩を戻した。


 ──ぐにっ。


 足の裏に、柔らかくて、固い“何か”が当たった。


 反射的に飛びのいた私は、その水たまりの縁に、それがあるのを見た。


 ──それは、白い手だった。


 人形の一部かと思って、私は恐る恐るそれに足を近づける。

 死にかけの虫に触るみたいに、靴の先でちょん、と軽く触れようとした。



 ──がしっ。



 冷たい手が、私の足首を掴んだ。


「っ……ひ、いっ!」


 手によって、私の足が水たまりに引きずり込まれる。

 片足が、水たまりの中にめり込むように沈む。

 ぐぷり、という音がして、私の足が半分水たまりに突っ込んで、私はバランスを崩し、尻もちをついた。スカートが濡れる。

 水溜まりの中は深さがあり、嫌なぬるさと重さと粘度があった。生臭くて、気持ち悪くて、下水みたいな不快な匂い。

 水が濁っていて全然分からなかったけど、もしかしたら、底がないんじゃないかと思うほど深いように感じた。


「っ、やだ! 離して!」


 もう片方の足で青白い手を何度も何度も蹴った。

 そして手が離れたのを確認すると、すぐに力が抜ける。スカートはすっかり雨でビショビショだった。


 視線をやると、水たまりの表面がぶくぶくと沸騰しているように泡立っていることに気づいた。


 私は立ち上がり、水たまりを避けることもなく、踏みつけながら、ただひたすらに真っ直ぐに逃げた。

 優花のことはすっかり頭から抜けていた。


 私は恐怖で、お母さんが帰ってくるまでお風呂に入ることもできなかった。



***



 ──数日後、優花の遺体が見つかった。

 場所は、市内の下水道に繋がるマンホールの中だった。大雨のせいで中は水で満たされていて、発見が遅れたらしい。


 お葬式に出たけど、優花の顔は誰にも見せられなかった。


「ぶくぶくに膨れ上がって、原形がわからないんだって」


 誰かがそう呟いていた。


 あの時の感触が、今でも離れない。

ぐにっ、という軋むような感触。私の足を掴んだ感触。

 足を引きずる重さ。水のぬめり。生臭さ。

 そして、あの手を必死で振り払ったときのこと。

 青白い手。濁った水の不快な匂い。泡。


 水たまりが怖い。

 水の中に、何かがいる気がして。


 優花はきっと、あの水たまりの幽霊に殺されたんだ。

 ……そう、私は思っている。


 優花の死を伝えるニュースは、怖くて見られなかった。


 あの日から、雨が降る夜は幽霊がそばにいる気がする。

 私は怖くて、布団を頭から被って、声を聞かないようにした。

 夜になると、幽霊が私に何かを囁く。

 か細い小さな声が、その日は確かに聞こえた。






 ────「()()()()()()()()()()()」って。






 お母さんに相談して、お祓いに行こうと思う。











「先日、市内のマンホール内で、女子生徒の遺体が発見されました。

 大雨による冠水の影響で、水たまりと誤認して転落した可能性があるとのことです。

 遺体の手には()()()()()()()()と、甲に()()()()()()()()が確認されています。

 現在、警察は事件の可能性も含め、捜査を進めています」


彼女は、まだ気づいてないそうです。




















転生溺愛逆ハーレムものも書いています。

よければこちらもよろしくお願いします!


姉と婚約破棄してください ー転生悪役令嬢の裏でヤンデレ義弟は暗躍したいー

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― 新着の感想 ―
これは、マンホールが外れていたことに問題がありますね。 詩織ちゃんが一緒に落ちてしまったかもしれないし……。たぶん、大人に相談したら、優花ちゃんは悪くないと言いそうです。優花ちゃんにしてみれば、助けを…
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