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僕の妹はもっさり令嬢

作者: 夏生 羽都

 僕にはかわいい妹がいる、妹の名前はローゼリア。フォレスター公爵家の大切なひとり娘だ。


 そして僕の妹には婚約者がいる。ヘンリック・ランゲルという名で、ランゲル王国の王太子をしているのだが、ヤツは僕の妹に冷たい。


 ローゼリアことロゼは、大きな青い瞳にふわふわな白金色の髪を持つ可愛らしい妹で、学問をさせてもダンスを教えても飲みこみが早い上に、記憶力も高い博識な令嬢である。礼節やマナーも完璧で、淑女の鑑と言っていいほどの存在なのだが、世間での妹の評判はとても低い。


 僕も頭の出来は悪い方では無いと思うし、剣術もそれなりに出来ると自負しているのだが、妹ほどではないが僕の評価もそれほど高くない。


 僕たち二人の性格に問題があると言われてしまえばそれまでだが、僕たちはこれまで公爵家の人間として権威的な態度を取っていたわけではないし、むしろ控えめに生きている方だった。


 なのにどうして僕たちの扱いが低いかというと、それはひと言で言ってしまえば僕たちが“混血児”だからだった。


 僕たちの暮らしているランゲル王国は元は単一民族国家で、白い肌と黒い髪色、切れ長の瞳が特徴の民族なのだ。他国の血が全く入らないわけではないので、今は黒髪よりも茶系の髪色が一番多く、次が赤毛、その次が黒色、そして僕と妹のような金髪は国民の一割に満たなかった。


 ランゲル王国にあっては白い肌に黒い髪色と瞳の色が一番好ましいと持て囃される。単一民族だった名残で、ランゲル王国ではランゲル人としての血が濃い事がより好まれているのだ。


 王太子はちょうど黒い髪と黒い瞳を持っていて、顔立ちもそこそこ整っている。しかし身長はそれほど高くもないし、頭も大して良く無さそうだが、ランゲルの令嬢達の人気はかなり高い。


 王太子とは対照的に、僕たちに自ら近づくような令嬢や令息はいなかった。


 茶色や黒の髪色の中に僕たちが交ざるとかなり目立つ。皆が無意識に僕たちを異分子として認識しているのだ。


 そして僕と妹が白金色の髪色を持ち、混血児だと言われてしまうのは母方の血筋が理由だった。


 白金色の髪色はランゲルの隣にあるエルランド王国の王家の色で、僕たちの母親はエルランド王国の公爵家出身だった。僕たちは母によく似た白金色の髪と青い瞳を持ち、肌の色は白いが、ランゲル人のように青白くはない。


 名門フォレスターの血統を持っていても、残りの半分の血が隣国の王家に繋がるものだとしても、ランゲル人ではない血が半分入った僕たちにランゲルの社会は冷たかった。そしてそれが僕たち二人の低い評価の原因だった。


 父と母の婚姻は、国同士の繋がりを深めるための政略結婚だった。


 母のエルランドは大国で父のランゲルは小国だった為、先の国王陛下が強く望まれた婚姻だった。


 筆頭公爵家の血筋にエルランドの血を入れる事で、他国を受け入れようとしない風潮の強いこの国を変えたい、フォレスターと王家が中心となって閉じられた国から開かれた国へと変えていきたい。先王陛下はそのようにお考えだった。


 実際ランゲルは周辺諸国の国々よりも技術や文化の面で遅れているところが多い。


 国土の北西を山脈に囲まれて食糧の自給率も高い為、他国と交流が少なくてもやっていけるのは強みではあったが、鉱山資源に乏しく産業技術も低いこの国は隣接しているエルランド王国がその気になれば、簡単に潰されるか吸収されてしまうような国力しか持っていなかった。


 そして先の国王陛下はロゼと王太子のヘンリックの婚約をまとめてから、志を半ばにしてこの世を去ってしまったのだった。


 エルランドとの融和政策を進めていた前国王陛下がお亡くなりになってから、保守的な考えが強い国民性を持ったランゲルはまた元に戻ってしまったのだ。エルランドとの繋がりのために生まれた僕たちを残して。


 僕は国を出たいと父に申し入れた事もあった。しかし子供の僕の考えなんて一蹴されるだけで終わってしまった。


 僕には名門貴族の嫡男としての立場があり、妹は王太子の婚約者という立場から国を出る事は許されなかった。僕はもう国に縛られるという呪われた運命の元に生まれてしまったと思うしかなかった。


 そして妹はわずか14歳で王家の秘匿に関わる事柄以外の王太子妃教育を終えてしまった。これは異例の早さで妹の能力の高さを示していたが、評価をしてくれる者はいなかった。


 そしてここにきて我が家は王太子妃教育が終わった事と“公爵家”という権威を使い、ロゼのエルランド王国への三年間という長期留学を父にもぎ取ってきてもらったのが一年前の話だった。


 この一年、僕は妹と手紙のやり取りをしている。週に一度は僕から妹へ手紙を送り、妹からの返信も返ってくるのだが、妹からの手紙の内容が少しおかしな内容なのだ。


 妹からは従兄弟たちの話題に交じって時々『今日は学友とカフェへ行ってお茶をした』『今日は学友と図書室で勉強をした』等やたらと“学友”という言葉を使うのに、その“学友”とやらがどこの誰だかが一切書かれていないのだ。


 公爵家令嬢であり、王太子の婚約者でもある妹は、責任感が人よりも強い。その妹がどこの誰と付き合いがあるのかを明らかにしない事なんてあるだろうか?いや、無い。兄であるこの僕にも教えない名前の相手なんて僕は認めない。


 僕の予想では妹の“学友”とは僕たち家族を心配させない為に作った架空の存在なのではないかという事だった。


 エルランドには“学園”なる同年代の者たちを集めた学び舎があるらしく、留学している妹も学園へ通っている。ランゲルでは各家で家庭教師を雇い、それぞれで学ぶのが一般的で、学びを修めたのかどうかの判断や、マナーのレベルが社交界へのデビューが可能なものどうかは各家の親の判断で決める。


 家によって学びの差が大きいのは当たり前の事で、マナーに厳しい家、学問に力を入れる家、剣術に力を入れる家、それぞれの家に特徴があった。


 僕も幼い頃から家庭教師を付けられていたが、家庭教師は13歳の時にもう教える事は無いと言って去っていってしまったので、それからは父について領地運営について学び、今は領地管理の一部の仕事も任されているので、趣味でもある小麦の品種改良の研究をしながら、領地と王都との行き来をしていた。


 18歳になれば王宮の文官職の仕官への道も開けているので、僕は妹のために文官となり、文官のトップである宰相を目指すつもりでいる。


 そして今17歳の僕には仕官を始めるまであと一年ほど時間があった。侯爵家以上の家の嫡男に限り文官試験は免除されるので、縁故での宮仕えのスタートとなる。文官試験にパスする自信はあるし、縁故採用だと陰口を叩かれるのは不本意だが、公爵家嫡男の僕は試験を受けないという決まりなので仕方がない。


 なので僕は王宮勤めが始まるまでの一年を、エルランドへ留学する事にしたのだった。


 妹が元気でやっているのならそれでいいし、僕にとってもエルランドで学ぶ事は今後も役に立っていくだろう。領地運営から僕が抜ける事を父は嫌ったが、母に頼んだら母に甘い父は簡単に折れてくれた。


 そして僕はやっとエルランドの地へ足を踏み入れる事が出来たのだった。




 ◆◆◆




 母の生家があるのでエルランドへは幼い頃に何度が訪れた事はあるのだが、長期的に滞在する事は初めての事なので、不安よりも楽しみの感情の方がが強かった。


 これからお世話になる予定の母の実家であるピオシュ家はエルランドの王城からほど近い場所にあった。


 ピオシュ家では領地にいる伯父以外の、伯母と従兄妹たちが出迎えてくれた。


 まず伯母のマリエル、この家の嫡男で僕よりひとつ年下のシュルヴェス、次男のルードヴィグはローゼリアと同年だ。僕より8歳下で長女ではあるが末っ子のラウラとは初めて会った。余談だが僕のエーヴェルトという名前の名付け親はピオシュの祖父で、エルランド風の名前を付けられた。


 伯母や従兄弟たちと抱擁した後に、僕は遠慮がちに佇むローゼリアを見つけた。


 ロゼはランゲルにいた時と同じように前髪を伸ばし、令嬢によくあるハーフアップの髪型をしていた。そして何故かランゲルでは掛けていなかったハズの眼鏡を着用していた。くせ毛は伸ばさずに、髪の毛はふわふわとさせていて、どうしてだろうか野暮ったく見えた。それもかなり。そして僕が特に気になったのはロゼの着ているデイドレスで、令嬢に似つかわしくない茶系の色をベースにしたドレスを着ていた。デザインも色も従妹や伯母に比べてかなり地味だ。


 僕は機嫌の悪い母が時々そうするように、眉を顰めた表情のまま無言で伯母に視線を送った。


「こっ、これには事情があるのよっ」


「理由によっては留学を取りやめてこのまま妹を連れて帰ります。伯父には書簡にてお伝えいたしましょう」


 僕は敢えて低くゆっくりした口調で伯母に話す。僕の声質はピオシュの腹黒公爵と囁かれていた前公爵の祖父に似ているらしく、生前の祖父の口調を真似ると母は嫌がった。


 使用人たちも内心慌てている空気を出していたが僕は気にしなかった。妹を虐げるような家にかける情は持ち合わせていない。


 特に古参の使用人たちは青い顔をしている。この家の娘であった母と同じ顔をした僕が、祖父と似た声と口調で不機嫌そうに話すのだから良い気分はしないだろう。


 凍りついた場の空気を変えたのはローゼリアだった。


「お兄様っ、ご、誤解ですのよっ」


「誤解も何も無いだろうロゼ。僕たちはロゼに少しでもこの国で自由に過ごしてほしかったから送り出したのだよ。僕の見ている限りロゼはここでも冷遇されているよね」


「私の見た目の事をお話ししていらっしゃるのでしたら、これは私がしたくてしている事ですのっ。伯母さまからはもっと明るい色のドレスをいつも勧められていますし、髪型もラウラのように可愛らしくした方が似合うのにとも言われていますのに、私がこのようにする方が落ち着くからと言ってこうしていますの。私の事を思って下さるのは嬉しいのですが、伯母様を責めるのは止めて下さいましっ」


 僕はローゼリアに近づき眼鏡を外させて、レンズを通して向こう側を見てみる。やはり度は入っていなかった。


 眼鏡を取ったことでロゼの顔が良く見えるようになった。大きくてサファイアのような青い瞳が僕を見上げる。小さな頃から僕はローゼリアの“お願い”に弱かった。


 そのタイミングで伯母が扇をぱさりと広げた。


「エーヴェルト、先ずは来たばかりなのだから、応接室でお茶でも致しましょう」


 そう言って冷え切った場を伯母が取りなす。先ほどは僕の様子に驚いていたようだったが、さすが大国エルランドの筆頭公爵家の夫人をしている人だけあって、何事も無かったかのように、にこやかに茶を勧めてくる。


 僕はロゼの事ですぐに感情的になってしまった自分の未熟さを恥ずかしいと思った。


「申し訳ございません、伯母様」


「いいのよ、私もローゼリアにもっと強く言えれば良かったのだけれど、この子にも色々あるのよ」


 同じ公爵夫人でも母とは違う対応に僕は感心した。母ならば嫌味のひとつでも言ってくるところだが、伯母は人を許すのが上手い。


 ロゼから聞いて分かった事は、ロゼは自らこのような格好をしているという事だった。


 一年と少し前、ロゼは入学する少し前に学園の中を見てみたいと校舎の脇を歩いている時に、男子生徒に絡まれてしまったらしい。


 その事がきっかけとなり、従弟たち以外の男子生徒が怖くなってしまい、見知らぬ同年代の令息がたくさん通っている学園でやっていく自信がなくなってしまい、かわいいとは逆のベクトルへと自分を変えてしまったという話だった。


 そして見た目に問題があって学友が出来なかったのは本人も自覚しているが、今更もう戻る事は出来ないと頑なに元の姿に戻る事を拒絶しているのが今の状況だった。


「でもお兄様、聞いて下さいな。私はエルランドで自分の楽しみを見つけましたのよ」


 そう言ってローゼリアが案内してくれたのは結婚前の母が使っていて、今はローゼリアが自室として使わせてもらっている部屋だった。


 その部屋の壁には母が使っていた頃には無かった大きな本棚があり、本棚がいっぱいになるほどの量の恋愛小説がぎっしりと詰め込まれていたのだった。


 恋愛小説を読むきっかけになったのは伯母が元々そういった本が好きで何冊も持っていて、引きこもりがちなロゼに気晴らしにと貸した事が始まりで、ロゼはどんどん恋愛小説にのめり込んでいったらしい。それ以来伯母とローゼリアはお互いに読んだ小説の感想を話し合う仲となり、一年でこれだけの本を叔母から贈られたという話だった。


 ロゼが手紙に書いていた学友とカフェに行った話や図書室で勉強をしたという話は全て恋愛小説の主人公が経験していた事を書いただけで、実際のロゼは学園が終わると真っ直ぐピオシュ家へ帰り、毎日小説を読んだり伯母や従妹のラウラとお茶をしながら日々を送っているというのが真相であったのだ。


 僕が想像していたよりも斜め上な事実に驚きつつも、僕はこの一年ロゼの精神面を支えてくれた伯母に再び頭を下げたのだった。




 ◆◆◆




 僕のエルランドへの留学は急に決めた事だったので、手続きの関係で新学期には間に合わず、ひと月ほど遅れての入学となってしまった。


 ロゼと毎日学園に通えると思うと僕は嬉しくて仕方がなかった。ロゼは従兄弟たちと毎日通学をしているので僕も一緒にと思ったのだが、自分達の馬車は4人では狭いからと言われて僕だけ違う馬車で寂しく登校となってしまった。


 そもそもロゼ達の使っている馬車は6人乗りだし、4人で乗れないというのなら僕の妹であるロゼは僕と一緒に通学すべきだと思ったが、この国に来たばかりの僕にとって3対1では分が悪く、文句を言えなかった。


 そして転校して数日後に僕はどうしてロゼと従弟たちが僕と一緒に登校をしたがらなかったかを理解した。


「見て!エーヴェルト様がいらっしゃったわよっ」


「まあ、本日も麗しいお姿をお目にかかれて眼福ですわ」


「はあ、なんて素敵なお方なのかしら……」


 名前も顔も知らない女生徒たちが僕を見つけると近くまで寄ってきて好き勝手に僕の事を話している。


 最初は転校生が珍しいのだと思っていたのだが、僕は毎日彼女たちに囲まれて昼食を摂らされるようになっていた。昼休みになると彼女たちはどこからかやってきて僕を囲み、有無を言わさぬ態度で僕は彼女たちと昼食を食べる事になってしまうのだ。


 まだこの国にも学園にも慣れていない僕は、どうする事も出来ずに彼女たちの言うがままにされていた。


 僕の容姿はこの国の王族寄りらしいので、令嬢たちに好まれる顔をしているそうだ。きっとロゼと従弟たちはこうなる事を想定して僕だけ別の馬車に乗せたのだろう。


 生徒会で副会長を任されている一歳年下のシュルヴェスに相談をしても『彼女たちもそのうち飽きるさ』としか言わず打開策を授けてはくれなかった。


 生徒会というものは、僕のような困り事のある転入生の力にはなってくれないようだった。


 僕には祖国に婚約者がいるのだと言っても彼女たちは『私たちはこうしてエーヴェルト様とお話をしているだけで充分なのです』『エーヴェルト様の中で私たちがエルランドでの思い出として残ってくださるだけで充分なのですっ』等と言って全く話を聞いてくれなかった。


 僕からすると、よく分からない生徒は男女に関係なく話をしたいとは思わないし、エルランドに来たのだってロゼと楽しい思い出を作るためであって、どうして僕がよく知りもしない彼女たちとの思い出を作らなければいかないのかが疑問だった。


 これまで女性に囲まれた事の無い僕は、彼女たちの排除方法が思い浮かばなかった。相手の家に迷惑だと訴えればいいのか、本人たちに直接怒鳴り散らせばいいのかさっぱり分からないままひと月近くが過ぎてしまった。


 その日はたまたま教師の都合で自習となり、僕は机に座って読書をしていた。一部の生徒たちは教師がいないのをいいことに、勝手に席を動いて教室の後ろの方で無駄話をしていた。彼らの声は大きく、話している内容は自然と耳に入ってきた。


「なあ、おい今日も“もっさり令嬢”のヤツ、一人で裏庭にいたぜ」


「俺なんて“もっさり令嬢”とさっきすれ違った時に軽く押してやったら簡単に転びやがってよ、ククク」


「ちょっと弱いものいじめはやめなさいよー。でも私もあの鉄仮面みたいに泣きもしない“もっさり令嬢”が転ぶところをみたかったけどね、あはは」


 彼らは誰か一人の話題で盛り上がっていた。


「でも“もっさり令嬢”って高位貴族なんでしょう」


「えっ、男爵令嬢って聞いていたけど、あれっ準男爵令嬢かな?」


「家名も聞いた事なかったよね、確かフォスターとか?」


 ここまで聞こえたところで、僕の耳はピクリと動き、彼らの話が良く聞こえるように読書をするフリをしながら耳を傾けていた。


「フォスターじゃないよ、えーと確か……フォレスターじゃない?」


「ああ、フォレスターだ、そんな家名聞いた事ないよなあ」


―――ダン!


 気が付いた時には僕はつかつかと大股で彼らの元へ近づき、彼らの近くにあった机を力任せに強く蹴飛ばしていた。僕に蹴飛ばされた机は派手な音を立てて床に倒れ、机の中にあった何冊もの教本が床へと散らばる。


 彼らは突然の事に一瞬ぽかんとした表情を浮かべていたが、僕が蹴飛ばした机の主が最初に食ってかかってきた。こいつは“もっさり令嬢”を転ばせた男だ。


「おいっ!エーヴェルトっ!何しやがるんだっ!」


「僕の名はエーヴェルト・フォレスターだ。お前達が馬鹿にしていたのは僕の妹だ。先ほどは僕の妹を準男爵令嬢だと言ったが、それはフォレスターが準男爵だと言いたいのか?無知なキミたちに教えてやるが、フォレスターはランゲル王国では筆頭公爵家だ。そして僕たちの母はピオシュ家出身で、僕の母方の祖母は前国王陛下の王妹殿下に当たるから、国王陛下と母は従兄妹の関係だ。キミたちの話では僕の母は準男爵家に嫁いだという事になる。後で伯父に確認をしてみよう。エルランドではフォレスターを準男爵扱いとしているのかと」


 ローゼリアには友人がいないどころか暴力まで振るわれていると知り僕の怒りは頂点に達したが、怒りも度を過ぎるとかえって冷静のなるのだと僕は実感していた。


「では準男爵令息の僕は失礼する。この学園の中ではよほどの事が無い限り不敬罪は適用されないらしいから良かったな」


 そう言って僕は教室から出て行った。


 背後から謝罪の言葉が聞こえてきたが、彼らが謝罪すべきなのは僕ではなくローゼリアだ。


 教室を出た僕はまっすぐに医務室へ向かう。


 ドアを開けたらロゼが一人で椅子に座っていた。


「まあ、お兄様もどこか具合がお悪いのかしら?あいにく先生は今は席を外されてましてよ」


「ローゼリア、怪我の具合は大丈夫か?」


「お兄様は察しがよろしいのね。自分で転んでしまって少し足首をひねってしまったみたいですの。私ったらダメですわね、ふふふ」


「ロゼ、僕では頼りにならないかい?僕には嘘はつかないで欲しい」


「……嘘だなんて、そんなおかしな事はおっしゃらないで」


 そう言いながら眼鏡のレンズ越しに見えるロゼの瞳からは、今にも涙がこぼれそうだった。


「ロゼを転ばせたのは僕のクラスメイトだった。あいつが自慢するようにロゼを転ばせた事を話していた。あのような連中と同じ空気を吸っていたかと思うと虫唾が走る。ロゼも辛かっただろう。すぐに気付く事が出来なくて悪かった」


 そう言って僕がロゼを優しく抱きしめる。するとロゼはぽろぽろと涙をこぼして泣き始めた。


「お兄さまっ、……どうしてっ、私はここでもっ、嫌われて、いるのでしょうか?」


 ランゲル王国において女性の美徳とされるのは男性に黙って付き従う事とされている。ロゼは特に王太子妃教育によって“ランゲル流”の考え方を強く強制されて育てられてきたから、相手に強く出られても言い返す事が上手く出来ない。


 しかしエルランドの女性はランゲルの女性よりもずっと強く、自分の言葉で物事を語る。ランゲルでは認められていない女性が爵位を継承する事もエルランドでは認められている。


 爵位を持つということは領民たちを守る立場になる。女性であっても強くあらねば爵位も財産も守れない。だからこの国では女性にも時として強さが求められる風潮があるのだ。


 ランゲルにいた頃は当たり前だと思っていた事も、エルランドに来た事で違う事もあるのだと僕は留学してから気が付いた。


 そしてエルランドにいると、ランゲルで僕たちは身分というものに守られていた事に改めて気付かされる。陰口は叩かれても、ヒエラルキーの頂点に近い場所にいる僕たちを直接的に攻撃する者はほとんどいなかった。


 この学園のようにある程度の自由が許されている中では、僕のようにやり返せるタイプならばそういった風潮も問題はない。しかしロゼのように孤立している上に気が弱いと、相手を付け上がらせる事になってしまうのが現実なのだ。


 外見が少々珍妙で気の弱いロゼは、彼らや彼女たちにとって格好の玩具のような存在だったのだろう。ロゼが大人しいのをいい事に彼らが僕のかわいいロゼに怪我をさせて嘲笑っていた事を僕は許せなかった。


 まだ転校して日も浅い僕だが、彼らの家名は覚えている。怪我という実害があった以上、黙っている訳にはいかないし、僕自身あいつらに仕返しがしたかった。


 その日僕はロゼを連れてすぐに公爵家へと帰り、伯母に今日あった事を報告した。伯母は学園長と、ロゼの事を悪く言っていた4人の生徒達の家へ抗議の内容を書いた手紙を送ってくれた。彼らは子爵家と男爵家の生徒ばかりだった。


 ロゼに怪我を負わせた生徒は一週間の停学、他の生徒は注意に留まった。僕としては全員停学にしてほしかったのだが、ここはランゲルではないので学園の決定に異議は唱えられなかった。


 そして翌日から僕はクラスメイトたちから遠巻きに見られるようになった。


 これまで僕の周りに侍っていた女生徒たちもいなくなった。お陰で授業が受けやすくなったし、元々彼女たちをどうやって追い払おうかを考えていたのだから、自主的に離れてくれたのは僕としても都合が良かった。


「おい、エーヴェルト。お前陰で“狂犬”って呼ばれてるぜ」


 剣術の授業の後、先ほど一緒に組んで授業を受けていた子爵令息のオレク・シャンデラが僕に話し掛けてきた。


 転校手続きをした時に学園では身分に関わらず生徒たちの交流を認めているので、よほどの事がない限り不敬罪は適用されないと言われている。


 ほとんどの生徒は学校の方針が建前であると理解し、礼節ある態度で接してくるのだが、ロゼを害していたヤツらのように何事にも例外的な存在があるのは世の常だった。


 だから学園の中ならば子爵令息の彼が僕に気軽に話しかけるのも問題は無い。


「僕の生家の紋章には王家を守る意味で犬が使われているから、悪くない渾名だな」


 面と向かってではないが、祖国では“混血児”や“外国人”と僕らのいない場所では呼ばれているのだ。今更何と言われても気にならない。


「お前、顔だけのいけ好かないヤツだと思っていたけど、剣術もけっこう強いし面白いヤツなんだな」


 オレクはそう言ってニヤリと笑い、それからはやたらと僕に話し掛けてくるようになった。僕もオレクのように僕の身分に忖度しないで話し掛けてくる相手が親族以外は初めてだったので、彼の事を面白い存在だと思った。


 彼はロゼの元へ行こうとする僕にも付いてきた。僕は付いてくるなと言ったのだが、勝手に付いてくるのだ。


「お兄様……あの、そちらのお方は?」


「こいつは同じクラスのオレク・シャンデラだ。来るなと言っても勝手に付いて来た」


「あー、キミが噂の“もっさり”ちゃんかあ。初めて見たけど俺が想像していたよりずっともっさりしてるねぇ」


 オレクがロゼを珍しいものを見るように言うのでロゼは戸惑っていた。


「あ、あの……」


「オレク、妹の名はローゼリアだ。そのような不本意な名前で呼ぶ事は僕が許さない」


「あれ、よく見るとキミってけっこうかわいい顔立ちをしてるね………うん?もししかして?……俺、前にキミに会った事あるよね?」


 オレクは僕の言葉を無視してローゼリアの顔をじっと見ている。


「えっ?シャンデラ様とお会いするのは初めてかとおも……あっ!あの時のっ」


 そう言ってロゼは素早く僕の背中に隠れる。


「オレク、ロゼが怯えているが、……何をした?」


 僕は祖父と母譲りのあの表情と口調でオレクを問い詰める。


「ちょっ、怖いって……。この子には前に学園の中を案内してあげようとして逃げられただけだからっ、ねっ俺何もしてないでしょう?」


 オレクは慌てたようにロゼに助けを求める。


「以前このお方に付き纏われました」


 僕はロゼが入学前に男子生徒に付き纏われたと話していたのを思い出した。見つけたらそれなりに返礼をしようと思っていたから身近にいたのなら丁度良い。


「何それっ、誤解だっエーヴェルト。学園で見た事の無いかわいい子がいたから新入生だと思って声を掛けただけだからっ」


「ロゼは初めて訪れた学園で男に付き纏われた事が原因で、男子生徒と接する事が恐ろしくなり、眼鏡を掛けて自分の殻に閉じこもるようになったんだ。僕もその男を見つけたらしっかり礼をしたいと思っていたが、身近にいるとは思わなかったな」


「ええぇっ、もっさりしてるのって俺のせいだったの?!確かにちょっと話しかけたけれど、別に追いかけたりとかしなかったでしょう?あれくらいで怖いって、ランゲルっていつの時代の国なんだよっ?」


 おそらくオレクは僕に対するようにロゼにも興味を持って話しかけたのだろう。オレクの事を多少なりとも知った今なら、彼がロゼに強引な事はしていなかったというオレクの話も信じる事が出来るのだが、オレクが話し掛けた事がきっかけでロゼがこうなっているのは僕にとっては許し難い事実だった。


「あーっ、もう謝りますからっ。許して下さいっ!」


「……ひっ」


 そう言ってオレクは突然地面に膝をつき、土下座の姿勢を取った。ローゼリアは突然のオレクの行動に小さく声を上げて、僕の服をぎゅっと掴む。


 僕は大きくため息をついた。


「はあ、どうする?ロゼ」


「私はもういいですっ、シャンデラ様を許しますわっ」


 ロゼはあっさりオレクを許したが、僕は簡単にオレクを許すつもりはなかった。


 次の休日にオレクを学園の鍛錬場に呼び出し、僕は彼を半日鍛えたのだ。僕たちの生家は元々武門の家系で、父方の祖父は若い頃は王宮の騎士団を率いていた。幼い頃から祖父に鍛えられ、祖父亡き今もエルランドへ来るまでは生家の騎士団の朝稽古に参加をするのが日課だった僕は、貴族としての生活を謳歌しているオレクよりも遥かに体力があった。


 もちろん僕もオレクと同じメニューをこなした。彼は何度も泣き事を言って許しを乞うてきたが、ロゼに『もう止めて下さい』と言わせるまで止めなかった。


「エーヴェルト……マジで狂犬」


 オレクはそう言って鍛錬場の地面に横になって天を仰いだ。翌日の彼は筋肉痛が痛いと文法的におかしな言葉を言っていたが、ロゼに付き纏った男に腹を立てていた伯母には黙っていてやるのだから安いものだと思ってもらいたい。


 こうして季節はあっという間に秋へと変わっていた。


 学園で秋と言えば学園祭なる行事があるらしい。


 ひとつ年下の従弟であるシュルヴェスは生徒会に所属しているので忙しく、朝も早く登校する必要が出たので馬車を分ける事となり、さすがに公爵家でも毎日三台も馬車は出せないので、僕はようやくロゼと登校する事が叶った。


「学園祭というものは、生徒達の自主的な運営によって行われる学園行事ですの。学習の発表の場のようなものでもありますわ。その日は家族や婚約者を招待出来るので伯母様やラウラにも来ていただけますのよ」


 馬車に揺られながら、僕と次男のルードヴィグに向かい合うように座るロゼは僕に学園祭の事を教えてくれた。


 そういえば僕がエルランドへ来て数カ月経つがロゼが婚約者のヘンリックと手紙のやり取りをしている様子は全く無かった。僕ですら形式的な内容ではあるが一応婚約者とは数回ほど手紙のやり取りをしていたのに、あの馬鹿はロゼに一通も手紙を送っていない。


「それにお兄様、学園祭の夜にはダンスパーティーがありますのよ。正式な社交ではありませんから自由に踊れますの。ファーストダンスのお相手は婚約者ではなくても許されますし、婚約者でもない相手と何回でも踊れますのよ。昨年もシュルヴェスお兄様はお忙しかったのですが、ルードヴィグが私と踊ってくれましたわ。あの時は楽しかったわよね」


「楽しかったけれど、僕がリードしたかったのにロゼはすぐに色々なステップを自分から踏もうとするから合わせるのが大変だったよ。僕も今年は婚約者と参加をするから、ロゼはエーヴェルト兄さんと踊ってくれよ」


 そう言ってロゼと同年のルードヴィグは苦笑いを浮かべる。


 ロゼは歩き始めた頃から僕を相手に遊びの延長でよくダンスの練習をしていたのだ。物心がつく前から踊っていたロゼのダンスのパートナーはいつも僕で、僕たちは二人でどんどん複雑なステップを覚えていった。


 ロゼの魅力に気が付かない馬鹿な婚約者は、ロゼとはダンスの練習すらしない。あの王宮には王太子に自身の婚約者を大切にするようにと諌める者はいない。国を背負っていく王族をあんなに手ぬるく育てて大丈夫なのだろうかと、僕はあの馬鹿を見る度にそう思う。


 そしてあの馬鹿の不完全さを補う事になるのは、結局ロゼなんじゃないかと僕は危ぶんでいる。王家から派遣された教育者たちがロゼに厳しかったのはそれが理由なのではないかと思えてならない。


 だから僕はロゼを守る為に文官となり、最終的には宰相を目指す。公爵家当主という身分と、宰相まで辿りつけなくても文官としてもある程度の立場までなれば、僕はあの馬鹿を鍛え直すつもりだ。本人は自分の事を優秀だと勘違いしているので、まずそこを正せば少しは周りも見えてくるだろう。


 ただ、あいつが周りを見れるようになった時、ロゼはあいつを見限っているのかもしれない。そうなったらそうなったらで僕はロゼを連れて全力で逃げるつもりでいる。




 ◆◆◆




 休み時間にオレクと学園祭のダンスの話題になったので、ロゼはダンスが上手いと教えたらオレクは意外そうな顔をした。


「へえ、もっさりちゃんはダンスが得意なんだ」


「おい、その呼び方はやめろよ」


「悪い悪い、エーヴェルトもダンスが得意なら俺にいい考えがあるから聞いてくれ。俺はあれから妹ちゃんをもっさりちゃんにしてしまった責任を取るべく色々な事を考えていたんだ。もっさりちゃんの素顔を知っているから思い付いたのだが、俺とエーヴェルトでもっさりちゃんを改造していかないか?」


「何だそれは?」


 僕は目を細めてオレクを睨むと、オレクは僕に“もっさりちゃん改造計画”を語り始めた。




 ◆◆◆




「今日はロゼの為にリボンを買ってきたんだ。明日はこれを着けて学園に行ってくれないか?」


 放課後になり僕はオレクと二人で街へ出掛け、紺色のリボンを買ってきてロゼに渡した。


「えっ、私にリボンなんて……でもお兄様が手ずから選んで下さったのですから、明日は着けて行きますわ。ふふふ、ありがとうございます」


 意外にもロゼはあっさりと僕の願いを聞き届けてくれた。リボンと一緒に庭の花を付けた事でプレゼントらしくなったのが気に入られたのか、ロゼは僕からのプレゼントをとても喜んでくれた。


 ロゼにはまだ渡せていないがリボンは他にも買ってある。深い緑色とワインレッド、濃い色のリボンを渡したら次は薄くかわいらしい色を渡すつもりだ。それが終わったら次は小花や蔦模様の刺繍が入っているものや、糸で美しく編まれたレースのリボンもある。


 オレクには少しずつ段階を追って渡していくように言われている。どうやって渡すのか、ロゼにリボンを着けたくないと言われた時にどう説得するのかは、兄妹なのだからそちらで上手くやってくれと僕に任された。


 ロゼがリボンを着ける事に慣れてきたら、今度はヘアスタイルを少しずつ変えていく。


 ロゼはクセ毛だから何もしないとふわふわと大きく髪が広がってしまう。それもそれで僕にはかわいく見えるのだが、オレクはヘアスタイルにもメリハリが無いと洗練された雰囲気にはならない。だから一部の髪を編み込んで、広がる量をほどほどに抑えていけばいい、そう僕に教えてくれた。


 そのあたりをピオシュ家でロゼを担当している侍女に相談をしてみたら、侍女の方が目を輝かせながら『ローゼリア様ならば今おっしゃったような髪型がお似合いだと思っていました!』と言って僕に編み込みをしたヘアスタイルを口頭でいくつか説明してくれた。


 髪型についてはこの侍女に任せる事にして、僕は次の段階をオレクに相談する。


「妹ちゃん、リボン喜んでそうだな。次は姿勢を変えよう。妹ちゃんはいつも俯きがちにしているから、前を向いて歩くようにした方がいい。友人がいれば会話をする時に自然に前を向くようになるのだが、友人がいないとなると前を向いて歩けとでも言えばいいのかな?」


 オレクの問いに僕はしばし考える。ランゲルにいた時のロゼは姿勢がとても良かった。それはもちろんマナー講師に厳しく鍛えられた結果だが、あの頃のロゼは指先までも含めて立ち居振る舞いがとても美しかった。


 今は自室のソファの上にこっそり寝転んで小説を読んでいるのを僕は知っている。本を読むのなら椅子に座るべきだろう?いつから妹はああなったんだ?


「なるほど、ランゲルにいた時は何もしなくても周りが傅いてきたからロゼも気を引き締めていたが、高位貴族である事を思い出すように話してみるよ」


「ああ、それはいいな。何気ない仕草や堂々とした態度で、俺たち貴族は相手が自分よりも上の存在だと感じて、対応の仕方を無意識に変えるところがあるから、雰囲気作りは大切だ。妹ちゃんだったら孤高な人になりそうだが、低位貴族にも下に見られている今よりはいいよな」


 早速その日のうちに僕はロゼに僕たちは高位貴族としてこうあるべきではないかと諭したのだがロゼは『まあ、それって“悪役令嬢”みたいですわね。“悪役令嬢”って私がよく読む物語に登場するのですが、婚約破棄したりされたりしますのよっ』と言って大きな瞳をキラキラと輝かせた。


 立ち居振る舞いを戻してくれる事を簡単に承諾してくれたのは良かったが、婚約破棄という言葉を瞳を輝かせながら嬉しそうに話すロゼを見て、そんなにアイツの婚約者を辞めたいと思っているのかと僕は自分の妹を不憫に思った。


 こうして学園祭に向けてロゼは少しずつ変わっていった。


 ロゼを変えていく事は、僕が幼いロゼに色々な事を教えてあげていた時の記憶を思い出させた。まだアイツの婚約者では無かった頃、僕たちは公爵家という優しく暖かい世界の中で育てられていた。


 僕はロゼに絵本を読み聞かせ、文字を教えてあげた。ロゼは覚えるのが早くて僕はロゼに何かを教える事に楽しさをいつも感じていた。




 ◆◆◆




 学園祭当日の午前中はクラスでの発表や展示、時間を開けて夜にダンスパーティーが開かれる。


 僕のクラスの発表は楽器演奏で、ロゼのクラスは朗読劇をしていた。


 発表が終わった後は、一度帰宅してダンスパーティーの準備を始める。


 僕がこの国に来てすぐの時に比べてロゼはかなり変わった。


 ブラウンか濃いベージュ色のドレスを着ていたのが、今はペールブルーやミントグリーンのような色のドレスを着るようになった。


 髪型は以前と同じハーフアップでも、複雑に編み込みを入れるようになったので、髪の広がりもほどほどに抑えられて、巻き毛を生かしたかわいらしい髪型へと変わった。


 ダンスパーティーへ行く準備が終わったと侍女に呼ばれ、僕はロゼの部屋に入室した。


 鏡台の前に座っていたロゼは、はにかんだ笑顔を見せてくれる。


 今日のロゼは今までとは違い、前髪を上げて額を出させた。サイドの髪は後ろでまとめ、毛先の一部は遊ばせるようにしてそのまま下ろしている。まとめた部分にはパールとピンク色の花で飾りを着けてもらっていた。


 今日の為に誂えたロゼの落ち着いたサーモンピンクのドレスは、昔母が贔屓にしていたドレスショップのオーダーメイドで、ロゼを柔らかい雰囲気に見せてくれる。学園祭に来れなかった父と母からのプレゼントだった。


 僕は僕たちの瞳の色であるブルーを基調にした上下に、アクセントとしてロゼのドレスと同じサーモンピンクのチーフとロゼの髪を飾る花と同じ花で胸元を飾った。ロゼの首飾りと僕のタイピンには同じ色のサファイアを使っている。僕たちの瞳によく似た色だった。


 祖国でのロゼは王太子の婚約者なので、兄妹であっても揃いの衣装で出掛ける事なんて出来ない。こんな事が出来るのは今日だけだ。


「綺麗だね、ロゼ。よく似合ってるよ」


 そう言って僕はロゼの眼鏡のテンプルに触れて、そっと眼鏡を外す。


 ロゼに眼鏡を外させて素顔を見せる事、それが僕とオレクが目指した最終地点だった。


 ランゲル人のように青白い肌ではなく、健康的で透き通るような白い肌。僕と同じサファイアのような瞳は僕よりも大きい。


 ロゼを見て僕は自分よりも母によく似ているな、とそう思った。


「母上に似てるね」


「ふふふ、私もそう思いますわ。でもお兄様もお母様によく似ていらしてよ」


 僕が手を差し出すとロゼは立ち上がる。髪も瞳も顔立ちも似ている僕たちが揃いの衣装を着ているのだから、双子のように見えるかもしれない。なんだか本当に子供の頃を思い出す。あの頃も母の趣味で揃いの服をよく着せられていた。


「今日は楽しもう」


 そう言って僕は妹をエスコートした。




 ◆◆◆




 ダンスパーティーは学園の大広間で行われる。正装をしているせいか、今日のロゼは特に姿勢が美しく、凛としたその立ち姿は“王太子の婚約者”としてのスイッチが完全に入っていた。


 ダンスパーティーも生徒会が主催なので、シュルヴェスは相変わらず忙しいし、ルードヴィグは婚約者を迎えに行ってしまったので、今日は僕たち二人だけで入場した。


 誰もが遠巻きに僕たちを見ている。いつもならすぐにやってくるオレクも珍しくやってこない。


 僕たちは表情も身のこなしも完璧な公爵家の人間だった。


 そして僕たちの血にはエルランド王家の血も入っている。公に近い場で王家の名を汚すような事は出来ない。


 ランゲルでは僕たちの白金色の髪色は目立っていたが、エルランドでは濃さの違いはあれど金髪は珍しくない。あちらこちらに見える金の髪色に僕は安心感を覚える。僕にとってこの国は祖国よりも呼吸がしやすかった。


「皆がロゼを見ているね」


「あら、私珍獣扱いには慣れていましてよ」


 そう言ってロゼが優雅に微笑むと、周りがざわついたのが分かった。ロゼが将来祖国の王妃となる日が来るのだと思うと僕は誇らしくてたまらない。あの馬鹿な王太子を教育し直す手筈を早く整えないといけない。文官1年目では難しいから、あと5年か6年は欲しい。  


 ランゲル国王は高齢の為、あの馬鹿王太子の戴冠はかなり早くなるだろう。お飾りの王妃と周りに言わせないために、僕は頑張らないといけない。


 僕が祖国とロゼの将来に思いを馳せている間に学園長の挨拶は終わり、柔らかな曲が流れ始める。


 学園行事の一環なので、ダンスに疲れた生徒が咽を潤す為に用意された果実水が、壁際にセットされたテーブルの上に置かれていた。アルコール類はもちろん置かれていない。実際の夜会では酒に酔った招待客の事にも警戒しないといけないので、それが無い今日は思い切りダンスを楽しめる。


 やがて背景のように小さな音で演奏されていた曲が変わり、ワルツの曲が流れ始めてダンスが始まった。僕とロゼもホールドの姿勢を取る為に軽く手を繋ぐ。ロゼとの久し振りのダンスに僕の胸は既に躍っている。ロゼも大きな瞳をキラキラと輝かせていた。


 まずは慣れる為に簡単なボックスステップを踏む。久し振りにロゼとは踊るのに、僕のリードにロゼは丁度良いフォローをしてくる。僕は楽しくなってきて、ナチュラルスピンターン、リバースターンと次々にロゼと一緒に息の合ったステップを踏んでいく。


 僕たちのダンスはしっかりしたスウィングでもホールドのバランスは決して崩さない。そしてスウェイを上手く使ってダイナミックなダンスを見せる。


 ステップとステップの間も滑らかに、ロゼとの息もぴったりだから、余計な力が入る事なく姿勢も崩さずに踊り続ける事が出来た。特にロゼのスウェイは美しく、周りを魅了していた。踊っていてとても楽しい。


 二人で夢中になってダンスを踊っていたら、いつの間にか二曲続けて踊っていた。会場には僕たちの婚約者もいないし、正式な夜会ではないので今日は兄妹でも二曲続けて踊れる。砕けた場だからか、余興のようにふざけて令息同士や令嬢同士で踊っている生徒もいた。


 僕たちがダンスを終えたら、何故か周囲から拍手が湧きあがった。最初は自分たちに向けられたものではないと思い込んでいたのだが、いつの間にか周囲とは距離を置かれていて、ホールの真ん中にいるのは僕たちだけになっていた。


 僕たちは二人揃って礼をして休憩のために壁際へ移動した。


「上手くいったな、エーヴェルト」


 ロゼと二人で果実水を飲んでいたら、オレクがやってきて僕に話し掛けてきた。


「これまで助言をしてくれてありがとう。ロゼ、嫌じゃなかったらオレクと踊ってくるかい?」


 今回の事の礼の意味を込めて、僕は僕の自慢の妹と踊る権利をくれてやろうと思い、先にロゼに許可を貰おうとした。しかしロゼが返事をする前に、オレクの方から断りの言葉が返ってきてしまった。


「俺はもう不審者扱いされるのは懲りたし、綺麗なものは遠くから眺めているだけの方がいい。……エーヴェルトも妹君も正装すると近づきにくい雰囲気がすごいぞ。これは孤高の令嬢か高根の花になるな。俺はもう退散するから、じゃあな」


 そう言ってオレクは僕たちの元からさっさと離れていってしまった。


「お兄様、もう一曲踊りたいですわ。だってお兄様とこんなにたくさん踊れる事なんてないでしょう。それに小さな頃みたいに、今とてもワクワクしていますのよ!」


 少し休んで息が整ったところでロゼがダンスに誘ってきた。やはりロゼも幼い頃の事を思い出していたのか。ランゲルに戻ったら、もうこんなに楽しい事はないかもしれない。僕はロゼの誘いを快く受け入れた。




 ◆◆◆




 楽しかった学園祭が終わり、またいつもの生活が戻ってきた。オレクや従兄たちの話によると、あの日僕とロゼはかなり目立っていたらしい。生徒たちは最初、僕が祖国から婚約者を呼んだのだと思っていたのだが、顔立ちや雰囲気が僕たちはあまりにも似ているから、僕がエスコートしているのはロゼではないかと話が広がっていき、僕たちが派手に踊る様子を見て皆驚いたようだった。


 あれからロゼは前髪を上げて眼鏡を掛けるのもやめて美しい令嬢のままでいてくれるようになった。もうこれで他の生徒から侮られるような事も無いだろう。


 学園祭以来自信がついたのか同じ学年のルードヴィグの話によると、ロゼは授業中での発言も増えているそうだ。成績も良いし、ロゼを来年の生徒会に引き入れたいとシュルヴェスが言い出すようになった。アイツは最終学年の来年には生徒会長の予定だし、きっとロゼに自分の手伝いをさせるつもりだ。


 ロゼが嫌がるようならこの話を潰すように動かないといけない、と僕は頭の中で算段を始めると伯母が『エーヴェルトは義父様に本当によく似ているわね』とにこにこと話し始める。


 僕は伯母も同類の人間だと思うのだが、伯母にはまだ敵いそうもないので、僕は愛想笑いを浮かべるしか無かった。


 ロゼの改造計画が終わった後も学友が出来ないのは相変わらずだが、ロゼは前よりも楽しそうにふわふわの髪をなびかせながら学園へ通っている。


 そして学園祭が終わってからロゼの机の中に手紙を忍ばせる生徒が現れ始めた。


 兄としてそこはしっかり相手に抗議をしたかったのだが、手紙に書かれている内容を読んでみたら、何と相手は全て女生徒ばかりだったのだ。


 学友はいなくとも、ロゼの美貌と美しい立ち居振る舞いに憧れを持つ令嬢が現れてしまったらしい、それも複数。


 内容もロゼを呼び出すとかではなく、ただロゼを褒め讃える言葉や憧れの言葉ばかりが綴られていて、害意も無さそうだし手紙をもらう以外に実害も無かった。


 僕はどう対応したらいいのか悩んでいるのだが、ロゼは呑気なものだった。


「見て下さいお兄様っ。このお手紙を書かれた方は私の事を“お姉さま”って書いていらっしゃるわ。上級生の方からは“ローゼリアちゃん”ですわ。ああ、もう新しい扉が開いてしまったらどうしましょう。あちらのジャンルはまだ読んでいませんのに、……伯母様に相談してみないと」


 僕は伯母がロゼをうまく軌道修正をしてくれる事を願い、伯母の部屋へとそそくさと急ぐロゼを見送った。




 ◆◆◆




 そうしているうちにあっという間に秋が終わり、僕がエルランドを去る日がやってきてしまった。


 初めて通う学園は楽しかったし、最終学年なので卒業まで居たかったのだが、僕は次の春から祖国のランゲルで文官として働く事になっているので、準備の為に王宮に顔を出さないといけないからと、半ば強制的に連れ戻される形で帰国する事になったのだ。


 僕にとって学園の思い出といったらロゼとオレクとの事ばかりだった。だから学園で最後に会った時に別れの挨拶をしたのだが、オレクからはあっさりと「またな」と言葉を掛けられただけだった。


 僕とオレクは国も身分も違うから、本来ならばもう会う事は無い。しかし何故か彼とはまた会えるような予感がしていた。


 オレクが僕に会いにふらっとランゲルに来るのかもしれないし、もしかしたら僕が政敵にでも敗れて地位も身分も失くし国を追われ、エルランドに戻ってくるような事があるかもしれない。それでも彼だったらそんな僕でも受け入れてくれそうな気がした。


(まさか、……な)


 一瞬だけよぎった嫌な予感を頭の中で打ち消しつつ、ランゲル王国へと向かう馬車に乗る前に、ローゼリアを強く抱きしめる。


「お兄様、ありがとうございました。またお手紙を書きますわね」


「ああ、楽しみに待ってる」


 この数カ月でローゼリアはかなり変わった。見た目もそうだが、前よりもずっと自分の言葉で話すようになった。


 本当はもっとロゼと共にいて面倒をみてやりたいのだが、ロゼを守るには今の僕は非力過ぎる。僕もいつか公爵となるのだが、僕が力をつけるのが20年先では遅いのだ。


 フォレスターは筆頭公爵家だが、敵対している派閥もある。僕が数カ月留守にしている間、当主として父がいるのだが、実は父は騙され易い性格をしている。そこを見抜かれたら我が家が筆頭公爵家でも潰される可能性もあるのだ。


 それに僕にはランゲルでやらないといけない事がたくさんある。


 まずは父が若い頃に領民たちに納める税をかなり安くしてしまったので、そのあたりを変える為に帳簿を見直す事から始めないといけない。公爵家に入る税が少な過ぎて、こちらもやっていけなくなりそうなのだ。人の良い父は領民たちがかわいそうだと反対をしそうだから、少しずつ進めていかないといけない。


 ランゲルに帰ったら僕は忙しくなるだろう。ゆっくり出来るのも今日までだと自分を戒めて祖国へと向かう。ロゼのために決めた留学だったが、僕にとってもエルランドで過ごせた日々は良い経験になった。


 祖国では異分子扱いされている僕とロゼだが、僕には半分ランゲルの血が入っていても、僕の容姿がエルランド人とは変わらないからか、ここでは皆が僕たちの事をエルランド人と変わらず接してくれる。この国は僕にとっても落ち着ける場所だった。


 僕が次にエルランドの地を踏む事が出来るのがいつになるのかは分からないが、ランゲル王国の前国王陛下の国を変えていきたいという意思を僕は継いでいきたいと思っている。


 このままではランゲルは周りからどんどん遅れていくばかりだ。国を開き国交を活発にしていかないと、いつかどこかの国に取り込まれてしまうかもしれない。


 そしてランゲルに唯一接しているこのエルランドが一番そうする可能性が高いのだ。


 だから前国王は融和政策を敷き、エルランド王家の血を受け継ぐ母をランゲルに迎え入れ、さらに母の子であるロゼを王家へと取り入れる為に王太子とロゼの婚約を結んだ。


 言うなれば僕もロゼも前国王の融和政策の結果生まれた子供なのだ。


 だから“閉じられた国”だと周辺諸国から言われ続けているあの国を開かせるには、ランゲルとエルランド両国の血を受け継いだ僕やロゼの存在が必要だと思えてならない。


 僕の中に流れている血と同じように、ランゲルの中にエルランドを入れたい。



 この時の僕はまだ自分がどうやってあの国を変えていくのかが分かっていなかったのだが、僕はそれほど遠くない未来に自分の望みを叶える事になるのだった。


ただ今連載しております『裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。』はエーヴェルトの妹ローゼリアが主人公の物語で、ローゼリアが留学から帰ってきた後のランゲル王国でのお話です。

それぞれ独立した物語ですが、ローゼリアやエーヴェルトのその後が気になる方はぜひご覧ください。

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