8話 狼と暗殺者
「ほっ、ほっ。えへへーっ」
太陽のまぶしい穏やかな風の吹く草原を、ふたりで走っていた。
先を走る少女は、狼の尻尾と耳を揺らしている。スノーホワイトに輝くロングヘアを、優雅になびかせながら振り返っては、赤い口を大きく開く。前髪のメッシュが元気に揺れていた。
ルイの後ろを追うハイドは、常に一定のペースを保ち走っている。心拍数を高く保ちながら、流れ落ちる汗をものともせずに走りつづけていた。
走ることは、ハイドの日課だった。過酷な冒険では、時として寝る間もなく一日中、装備を担いで走ることになる。いざというときの体力は、日常のなかでしか備えることのできないものだとハイドは知っていた。
「ルイ」
「わんっ。……えへっ。なあにー?」
振り返って、反射的に鳴いてしまうルイは照れながら尻尾を振る。
「そろそろ、戻っていいか」
捲ったシャツで、したたる汗を拭いながらハイドは聞いた。
「うん。こっちだよっ」
ぴったりと体のラインを浮かび上がらせるレギンスと、スポーツブラをつけたルイは来た道を指さしながらふり返る。
ルイが走り、ハイドが追う。
ときおりルイが並んで走ったり、後ろ姿を追いかけたりしながらもハイドは黙々と自分のペースを貫いていた。
「ルイは、武器を持たないのか」
「うんっ。すぐ壊れちゃうもん。わふっ、でもひとつだけ持ってるよ。鎖なんだ、あたしのスキル」
「はじめて聞くスキルだ」
「たとえばねー」
ルイが立ち止まり、交戦の姿勢に入った。
「〝チェーン・デスマッチ〟」
ルイが低い声音でスキルを唱えた。
鎖の走る音がする。
金属音が響き、ふいにハイドの左腕が重くなる。腕に太い金属の鎖が絡みつき、外れなくなっていた。
「えいっ」
ルイの右腕には同じ鎖が巻きつき、ふたりは鎖で繋がれていた。力任せにルイが引っ張ると、たるんでいた鎖がピンと張りつめ、ハイドを力づくで引き寄せた。あまりの力に、ハイドは空中を飛んでいた。
「ぐるぐるーっ」
ハイドは、すぐに無力化され全身を鎖にしばられる。
「ルイの勝ちーっ」
太陽を背にしながら、にこやかに宣言するルイに、ハイドは負けを認めた。
「便利なスキルだ」
ルイがスキルを解除すると、ハイドは自由の身になった。
「うんっ。でもでも、戦ってると使うの忘れちゃうから、あんまり使わないの。えへっ」
ルイは頭の後ろに手を回し、恥ずかしそうに体をよじる。
運動を終え、草原を出るために扉を開けた。
広い草原は、魔王城のなかにある一室だった。
ルイが駆け回るために、リースメアが用意したレセプションルーム。緑豊かな草原であり、ハイドはそこで走らせてもらっていた。
魔王城内に戻ると、急に空気が冷たくなる。汗が冷たくなっていた。
「ねっ、おにーさんお風呂いこー?」
「そうするか」
ルイの提案に、ハイドは頷く。
「やったっ。おにーさん、さき行ってて。ルイは後からいくからっ」
駆け出すルイの背中を見送る形になったハイド。
「……後からくるって、どこに」
ハイドのつぶやきに、返事はなかった。
ひとりで大浴場へと向かったハイドは、なかにひとが居ないことをなんども確認してから入る。もし、エルフのニンファがいたら、怒られるどころですまない。自分の死体が発見されてしまうことになりかねなかった。
大きな浴槽をひとり占めしながら、さきほどのルイとの会話を思い出す。
ハイドは、スキルを持たない。ライフスタイルや戦闘スタイルを決める重要な因子であるスキルには、恵まれなかった。ルイのように、スキルを持っていても持て余すような存在も、うらやましいと感じる。
スキルは才能で、魔法は努力。
この世界で重要なふたつの要素を、ハイドは持っていない。
それでも、勇者パーティーの一員としてローエンを支える存在になっていた。
彼が持つ唯一のアドバンテージは、彼自身に蓄積された経験のみ。それがスキルと魔法を凌駕していた。
例えばそう、いま。
ルイがハイドを驚かせようと、足音を消して獣のようなしなやかさで身を屈めて背後からハイドに近づいている。
「ルイ、俺に奇襲は通用しない」
「わあっ。なんで、なんでーっ」
「さて、な」
ルイから見ると、ハイドは湯を楽しんでいるように見えた。ルイは油断しきった背後から抱きつけると踏んでいたので、気づかれていたことに驚きを隠せなかった。
「むう。あっ、さきに体洗わないとコルトに怒られるんだった。よいしょ」
木の桶を使い、ルイが湯を浴びる。すぐにルイはジャンプしてハイドと同じ浴槽に飛び込んでくる。
「おにーさんっ、どう? 水着だよーっ。じゃーん。裸だと思ったでしょ。えっちーっ」
体を屈ませながら、ルイは水着と体を見せつけてくる。あざやかな青いビキニは、ルイによく似合っている。余計な脂肪を一切つけていない、細く鍛え抜かれた身体は芸術的だった。
「良いな」
「でしょーっ。えへへ、シルフィーがつくってくれたんだあ」
ルイは濡れた髪をお団子にすると、肩までお湯につかる。すぐに足をばたつかせてハイドの真正面から泳いできた。
「すんすんっ。おにーさん、汗のにおいなくなっちゃった」
ルイのきれいな顔が近づき、鼻を立てられるハイド。ルイはハイドにまたがり、抱きついてくる。顎をハイドの右肩にのせると、ばたつく尻尾が水面を揺らす。
「わふっ」
満足したように、笑い声と鳴き声がまざったような声を鳴らす。
ハイドはルイの重さを受け止め、細い身体を支えていた。
「おにーさん、この傷はどうしたの?」
ルイはハイドの右腕を指でなぞりながら言う。そこには、深い三本の爪痕が残されていた。
「むかし、憧れた魔物がいてな。触ろうとしたら拒まれた」
腕の三本傷は、ハイドの自慢でもあった。
まだ、ハイドがローエンと同じ村で暮らしていたころだった。
ハイドが村のはずれで足跡を見つけ、追跡したさきに白い狼がいた。凛々しく、神々しい狼だった。触れてはいけないと理性ではわかっているも、好奇心が抑えられなかった。ハイドは急いで村に帰り、少しの食べ物と水、それに針と糸と清潔な包帯をありったけ持って走った。狼は怪我をし血を流していた。傷ついた狼の魔物を、ハイドは生かそうとした。ハイドの目には、傷自体は深くないが放置すれば死に至る可能性があると映っていた。
ハイドはできる限りのことをしようとする。
食べ物を見せながら、ハイドは狼に近づくも狼は拒んだ。荒い息をあげながら、威嚇するように前足を振るった。ハイドは避けなかった。ハイドは狼の爪を右腕にくらいながらも、食べ物を狼に差し出しながら、出血を続ける狼の傷跡をさわった。手早く大量の水で洗いきると、狼に言った「痛いぞ。大人しくしておけ。まあ、俺の腕の痛みほどじゃない」そう狼を黙らせると、傷口を針と糸を使い、できる限り皮膚をもとの形に戻した。しかし、この傷はただの傷でなく、とんでもない力で引き裂かれており、きれいには戻らないだろうと思っていた。
ハイドは包帯が足りず、自分の上着を引きちぎって包帯の代わりにしていた。
狼と少年の間には、たしかに信頼があった。狼はきっと疑問だっただろう。魔物の自分を、人間が助ける意味を。
ハイドは単純に、狼が好きだった。強く、獰猛でありながら、愛情深く義理堅い。そんな存在を、ハイドは愛していた。
ハイドは村の手伝いでもらえる食べ物と、自分が狩りで得た獲物を狼と分かち合う日々を過ごしていた。ハイドの献身は、狼を立ち直らせた。月がひとまわりする間、ハイドは狼と共に過ごした。
最後の日、狼はハイドの愛情に応えた。
村の付近に住み着いた大型の飛竜種がいて、村は大騒ぎになっていた。ギルドと国に急いで応援を要請していたときだった。村を襲ってきた火を噴くワイバーン。一体の魔物は、村を滅ぼす力があった。村が恐怖に支配される寸前、流星のごとく現れた大狼は、ワイバーンを一撃で葬り去った。
村の中央にワイバーンの死体を残し、狼は遠吠えをする。穏やかな赤い瞳がハイドを見つめてから、狼はどこか遠くへ走り去った。
その晩、村がお祭りのなか、ハイドは浮かない顔で半分の月を見上げていた。
「……ごめんね」
ハイドは、すっかり思い出に浸っていた。ルイの声で、今へと引き戻される。
「すまん。なにか言ったか」
「ううん。なんでもないよ。ねっ、おにーさん。あったまったでしょ。あっちのプールで泳ごうよーっ」
ルイはハイドを立ちあがらせると、プールへ引っ張っていく。
狼の少女が走り、ハイドが追いかける。
ふと、ルイのお腹を見つめた。大きく目立つタトゥーがあった。
「それは、どうしたんだ」
ルイは、耳を二回動かして、尻尾を一度振ってから言った。
「なんだろーね?」
なにかを隠す意味ありげな笑いと、挑戦的な目だった。
ハイドは、ルイを走っておいかける。
「えへへ、教えてほしかったら、捕まえてごらんっ」
ルイは広いプールに飛び込むと、蹴り足だけで大きく進んだ。
「追跡は得意なんだ」
ハイドはルイを追いかけて、プールに飛び込んだ。
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