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7話 夜の魔王

「やあね。冗談じゃないの」


「こっちは冗談で死にかけるんだが?」


 悪びれもしない魔王に凄みを効かせるハイドだが、飄々と流される。ハイドは魔王のイタズラで、いとも簡単に死にかけていた。


「ここよ、わたしの寝室。あまりジロジロ見ないでよね」


 揺れる炎のような赤い髪を従えるリースメアの後ろを追い、寝室へと入る。

 ハイドは、意外だと思った。

 城内の装飾や調度品は派手で見栄えを重視しているにも関わらず、寝室は質素なものだった。キングサイズの天蓋付きのベッドが目立つだけで、ほかには実用品しか置いていない。

 執務用の机のうえには、分厚い専門本や魔導書が乱雑に積み上げられており、先の乾ききっていそうなペンが転がっている。水差しやガラスのグラスが置かれているところを見ると、この部屋で過ごしている時間は長そうだ。


「どうぞ、お掛けください」


 魔王はベッドに腰かけ大きなクッションにもたれかかると、木製のサイドテーブルをはさんで置いてある席を勧めた。ハイドは、背もたれ付きのチェアにリラックスして座る。

 リースメアがベッド脇に置いてあったハンドベルを鳴らすと清雅な音色がひびき渡る。


――チリリン


 鐘声の余韻が消えてすぐ、扉がひらいた。


「失礼します」


 メイドが銀のワゴンを従えてやってくる。


「ありがとう、シルフィア」


「お給仕、すきだから」


 穏やなメイドは、うれしそうに言っていた。


「置いてくれていいわよ。あとは好きにするから」


「うん」


 メイドは去り際に、ハイドと目を合わせる。


――ただ、それがうれしい


 慈母の笑みと眼差しで、シルフィアはハイドに手をふる。


「ゆっくり、おやすみ。……またね。また、あした」


「おやすみ、シルフィア」


「ベッドで寝て、いいんだよ」


「……ああ、ひさしぶりだ」


 短いやり取り。ふたりにしかわからない内容。

 ハイドは、シルフィアとのつながりを感じ、胸の内がすべて透けていることを知った。

 去っていくメイドを見送った後、魔王が立ちあがり、ロックグラスを四つ並べた。


「うふっ、これ好き。もう、気が利きすぎよ」


 魔王が手に取る瓶を、色褪せるほどむかしの記憶をたどり思い出そうとしているハイド。過去の記憶にある物は、いま鮮明に目の前に存在している。

 黒いラベルの張られたウィスキー。

 世界中、どこでも手に入れられるテネシーウィスキーだった。バーボンと違い、メープルの木炭で濾過された円やかな甘みがある。

 リースメアは、慣れた手つきで丸い氷をグラスに入れる。ガラスの水差しから水を注ぐと、すぐに捨てる。氷を洗ったグラスに、開封したばかりのウィスキーを指一本分だけ注ぎ入れた。つぎに、グラスに水を注ぐ。

 コースターのうえに置かれたグラスが、ふたつ。ひとつは、香り高い琥珀色の酒が入ったグラス。もうひとつは、冷たい水の入ったグラス。酒を楽しむための飲み方だった。

 魔王は皿をひとつ、テーブルに並べる。

 木製の浅い皿のうえには、夜を彩る肴。色とりどりのナッツたち。ハード系のチーズの盛り合わせ。ドライフルーツに、チョコレート。

 ハイドは喉をならした。考えられないぐらいの贅沢だった。


「ひとつ、お願いがあるの。シルフィアのこと」


 こんなこと言われても、困っちゃうかもしれない。眉を寄せた顔が、そう言っていた。


「彼女は秘密を抱えている。いずれ、彼女からあなたに打ち明けるまで待ってあげてほしいの。彼女はあなたと同じ世界の出身でも、あなたと直接面識はない。それでも、彼女はあなたの味方よ。だから、信頼してあげてほしい」


「努めよう」


「ありがとう」


 余計なこととわかっていて、ハイドは付け加えた。


「シルフィアには、苦手意識のようなものがある。近づきがたい」


 近くでだれかが崩れ落ちるような音がした。

 ハイドは純真を傷つけたことを知り、慌てて言いなおす。


「汚れている俺には、シルフィアはうつくしすぎる」


「美しい彼女にも、汚点はあるそうよ。……罪を犯した。彼女の羽の色、見たでしょう。罪を犯した天使は、ああなるそうよ」


 ハイドはシルフィアの美しい十二枚羽根を思い出した。


「白と黒、どちらも入り混じった様子は、この世に唯一純粋なものなどないと安心ができた。どちらかの色に染まるよりも、俺は好きだった。たとえそれが、堕天といわれようとも」


 慌てて遠ざかっていく軽快な足音に、ハイドはほっとした。

 リースメアはその様子を好ましく見つめていた。


「乾杯しましょう。それじゃあ、ハイドくんが仲間になった記念日に」


 ハイドがウィスキーの入ったグラスを持った途端、魔王が口を滑らせた。


「はじめての敗北記念日と、はじめての勇者迎撃記念日を祝ってえーっ」


「乾杯」


 やけくそになったハイドが杯を持ち上げると、中身を一気に傾けた。

 燃えるような酒精の強さ。なめらかな口触り。自然な甘さ。

 あまりのおいしさに涙が出そうになる。

 ハイドは塩辛いナッツを掴むと、豪快に口に入れた。


「聞いていいか?」


「ええ、どうぞ。この場は、あなたとわたしのものよ」


「城に近づく前から、俺のことを知っていたな」


「そうねえ。どう答えようかしらね」


 魔王はお互いの空いたグラスに、ウィスキーを注ぐ。今度は指二本分を注いでいた。


「勇者パーティーの動向のことならば、三人とも知ってるわ。どこにいるか、どの程度の戦力を保有しているかは把握している。同じことを言うなら教会の聖騎士や、他国の騎士団の動向もそう」


 魔王は小さく「コルトの得意な分野よ」とつけ加えた。


「俺が生まれる前の話もか」


「ええ。あなたが暗殺者として生まれる前から、べつの世界で暗殺者として生きていたことを知っている。どれだけの偉業を成したかも」


「……ただのロクでなしだ。野垂れ死にかけて、大きな力に拾われて便利に使われる。最後は……ふん」


()()()()()


 氷がグラスを鳴らす音が響く。ハイドは空になったグラスの丸い氷を指で触っていた。透明なグラスに沈む青い月のような氷に、魔王を浮かべる。

 ハイドは魔王の奴隷であった。

 魔王の言うことには、逆らえない。

 魔王が持つ武器としての自分が、あまりに脅威だと気づいていた。

 例えばの話をする。

 魔王がハイドに「勇者を三人とも殺してこい」と命令したとする。ハイドは一ヵ月以内に、勇者と仲間たち、それに教会関係者を殺し、自分は一切疑われることなく生きることができる。

 それだけ便利な道具になってしまうこともできた。


――ハイドが悔やむ、前世のように


 ハイドの前世は、手痛く手のひらを返されて終わった。雇い主に殺されるという、ひとつの終末を超えて。


――自分の心臓は、自分に捧げたつもりだった


 この世で唯一信頼できるのは、自分しかなかった。そこに、信頼できる仲間としてのローエンが入り込んできていた。

 友情という大輪の花を咲かせようとし、失敗してしまったのが、いまだった。


「俺を使って、どうしたい」


「腹の探り合いは好きじゃないの。だから、腹を割って話しましょう、ハイド」


「もとより、そのつもりだ。俺の懸念は一点だけ。お前が人間の敵か味方かだ」


 魔王城に流れる空気は、人間を受け入れた好意的であった。

 だが、それは身内の話だ。

 もし目の前の魔王が、冷酷な一面と温厚な一面を使い分けているのであれば。

 冷酷な一面で魔王の行軍(スタンピード)を起こし、魔族と人間の戦争をしかけ、多くの命を奪う存在――悪ならば、ハイドはいまでも魔王を殺す。


「利害関係によるわ。その質問に、明確に敵か味方かは答えられない」


 聡明な王は語る。


「ただ、問題をシンプルにできる」


 魔王は指を一本立てる。

 大きく息を吸い込むと、声高々に宣言した。


「ハイドに命じる。わたしがハイドの正義を犯したとき、わたしを殺せ」


「……なっ!?」


「あなたに負わせた悪魔契約は、わたしを信頼してもらうため。言ったでしょう。この契約は『どちらが主かわからなくなりそう』って。まだ足りなければ。あなたの命とわたしの命ぐらい繋いであげるわよ」


「必要ない」


 ハイドはこの奇妙な関係が、なんのために存在しているのかわからなくなっていた。

 思考を放棄する便利な道具として酒を利用する。

 魔王とハイドは、打ち合わせたかのように、くだらない話をする。

 リースメアは、オレンジをチョコレートでコーティングしたお菓子を口にする。就寝前のナイトキャップとするには、かなりの量の酒がはいっていた。

 楽しい今を永遠につなぎとめるために、グラスを揺らしている。


「そう、わたしサキュバスなのよ」


「だから尻尾があるのか」


 魔王の尻では、細い尻尾が動いていた。ハイドは最初、なにをつけているのかと不思議がっていた。


「悪いサキュバスが襲っちゃうぞ。がおー」


 魔王は遊び足りない子供のようにハイドにまとわりつくと、はずみでベッドのうえに押し倒した。酒の進んだハイドは、抵抗をあきらめていた。

 沈みこむベッドに寝転ぶふたりは、同時に笑いだす。


「言ってて恥ずかしくなるんだから、なにか反応してよ」


「大きな力には逆らわないようにしてる」


「皮肉ね。でも、嫌いじゃないわよ」


 吸い込まれそうな赤い瞳がハイドの目に入ってきた。

 リースメアは、息の届く距離で鼻先を付け合せるキスをする。


「あなたを使って、わたしがしたいこと。言うわね」


 熱っぽい吐息のこもった言葉を、リースメアは伝えた。


「魔王を殺して」


 魔王の本心から出る言葉を、ハイドは受けとめた。


「わたしの敵を倒すのに、あなたの力が必要なの」


 ハイドは人の心を読む術に長けていた。リースメアは、ひとつの虚偽も述べていないと考えていた。しかし、すべてを鵜呑みにするほどの善人ではない。


「リースメアが、俺の雇い主になるということか?」


「あなたのハンドラーになってあげる。いままで届かなかった魔王の情報を、すべてあげる。だれが敵か、だれを殺すかは、あなたが選んでいいわ」


 ハイドが一番欲しかったカードが切られた。

 情報。

 魔王がどこにいるのか。

 どのような存在か。

 そして世界にどのような影響を与えているのか。

 複雑に入り組んだ世界の情勢は、大きく分けると二分化しており、人間と魔族で対立していた。その壁を越えて情報を集めるのは、至難の技になっている。

 大いなる危険性を抱えて、魔王城に飛び込んできたのも、そのためだった。


「組もう」


 ハイドは魔王と手を結ぶ。

 契約に縛られたふたりは、はじめて対等に向かい会えた。

 ハイドは右手を魔王に伸ばす。

 握手を求めたつもりだった。リースメアは、恋人のつなぎかたで手を受ける。


「俺とリースメアの利害が一致し続ける限り、従い続けよう」


「従わなくていいわ。あなたはわたしと、ひとつのようなもの。なにせ、ね」


 リースメアは繋いだ手を引き寄せる。高鳴る胸を教えるように、火照った胸の間に手を引き寄せた。

 リースメアの端正な顔が近づく、熱っぽい視線をハイドは受ける。細い指先でハイドの顔を愛おしく触れてからキスをした。


「わたしサキュバスなのよ」


「長い付き合いになりそうだ」


「ふふっ、まずは長い夜を楽しみましょう」


 ハイドはグラスに水を注ぎ足してから、残った酒を一気にあおった。


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