20話 魔王の夜宴
夜のグランガルドに広がる、にぎやかで華やかな街並み。
集まる冒険者や商人は、男ばかりであった。
それもそのはず。その区画は男と女が出会う場所。明るい看板と鮮やかな建物が並び、色のついた恋を売っていた。
ある者は一夜限りの夢を。
ある物は持てるすべてを投げ出して、愛を。
ある物は初めての恋を。
決して安くはない金が飛び交い、売るものと買うものが重なり合う。
グランガルドに広がる花街のなかで最も敷居の高い店、ホワイト・ルピン。輝く白い石造りの宮殿に似せた店構えは、男たちの憧れを集めている。
店先には屈強な体躯の黒服が立っていた。店のキャストは黒服が送迎し、身の安全を保障する。敷居を跨ごうとする冷やかしには黒服たちが対峙する。夜の宮殿を守る騎士たちは、凛と立っていた。
黒服たちが、ぴたりと動きを止めた。キャストではない女性が、店に入ろうとする。男たちは、止めねばならないはずだった。しかし、誰一人として動けなかった。
「……ハアっ」
呼吸をするのも忘れていた黒服がいる。見つめる先には、紅一点。艶やかな街で、特別に輝く夜の女王。
つやつやとした光沢の美しいルージュの唇が、笑みをこぼした。
夜の女を知り尽くしているはずの黒服たちは、女を知らぬ少年のように、心を奪われた音を胸中に高鳴らせる。魅了されていたことに気づいたのは、女が店内に姿を消してから、しばらくした後だった。
夜を代表する黒服の男たちが跪くのも仕方がない。前を通ったのは〝夜〟を冠する女王。夜にあれば、月よりも輝く絶世の美女であった。
「ところで助手よ」
「なんだ、先生」
リースメアの後ろを、堂々と歩くふたり。喧騒も届かない世界の裏側に潜んでいる。
通りすがる人間は、だれもふたりの存在に気づかない。通行人にぶつかっても、実体のないふたりはすり抜ける。
――まるでゴーストになったよう
世界の裏側の奇妙な感覚は、死によく似ていた。
生者ではたどり着けない、死者の世界。それが世界の裏側だった。ハイドが歩いたことのある街並みも、どこか無機質で、街が死んでいるようだった。
「よいか、いまからお主をあの世に送る。決して振り向くでないぞ」
裏側に踏み入れるとき、コルトが言った。ハイドは瞬時に振り向いた。
背後に彼岸花の花畑が広がっていた。
「振り向くなーーーっ」
「大丈夫だ。通ったことがある気がした」
「……お主は一度、死んでおったな」
「それを受け入れられるとはな。妙な会話だ」
「お主よりも、死には詳しいだけよ」
年端もいかなさそうな少女が、紫色の髪を揺らし、金の瞳を細めていたのは少し前の話。
死に詳しい少女が、いまを生きるハイドに聞いている。
「お主は、こういうところに来たことがあるのかのう?」
コルトは娼館を指さしていた。
「ない。あいにくとプロの世話になりたくとも、金がなかった」
「ほう。いくらぐらいするのだ、こういう店は」
「ピンキリらしい。この最高級店は、銀貨七十枚から金貨一枚ぐらいだと聞いている。中級冒険者が半年ほど貯金したら来れるだろうか。実際、それを成し遂げる者も少なくない」
「ふむ。すさまじい情欲よ。お主も、金さえあれば世話になりたいと思えるのかの?」
ハイドは首を横にふる。
「リースメアかシルフィアが、俺のベッドを訪れない寂しい夜には、そう思うだろうよ」
目の前を歩く赤髪の美女を見つめる。形の良い豊満な胸も、魅力的な尻もハイドは知り尽くしていた。腰はキュッとくびれてハイウェストのドレスがスタイルの良さを一層に際立たせている。
「幸せものよのう」
「ふたりが同時に来なければな」
「くふふっ。天使と魔王と同衾できるとは、勇者だの」
「世界一の幸せものを勇者と呼ぶのなら俺だろうよ」
「違いない」
コルトは無邪気に笑った。
「王冠をかぶったピエロはいるかしら?」
リースメアが、ロビーの男性にそう言う。黒服は頷くと「どうぞ」とリースメアを通した。本来ここでは「カードを見せてください」と言われる。身分を明かせという意味で、ギルドカードや教会が発行するホワイトカードを提示し、情報を控えられ、入館料を払うことで入場できる仕組みだった。
愛し合う寸前の男女がラウンジにいた。女は美少女だった。男は、顔が見えない。顔が見えない男性の特徴を捉えてみようと、ハイドは目を鋭くしていた。
「ほう。顔だけ識別できなくする魔法具か。手の混んだ接客だのう」
「目に見えている景色がぼやけるとは、奇妙な光景だ」
階段の前でひとりの少女がリースメアに手をふっていた。知った顔だったのか、リースメアは手を振り返す。
「〝夜〟おねえさま、いらっしゃいっ」
「〝色欲〟出迎えありがとう」
明るいピンク色の髪をアップにした小柄な少女だった。ホワイトのドレスを着て、大人びた雰囲気をしている。
リースメアをおねえさまと呼び慕う妹のよう。
「そら、魔王の出迎えよ」
「……こいつも魔王か」
「魔王は互いに名前を呼ばん。〝色欲〟や〝夜〟と呼び合う。こやつは〝色欲の魔王〟ここら一帯を束ねる王よ」
「冒険者の膝元であるグランガルドに、魔王がいるとはな」
「その理由も知るだろう。そのための〝夜宴〟であるぞ。たのしめ」
「わかっている。いずれ殺す」
「くふふっ。罪深い人間は、魔王に好かれるぞ」
「好都合だ」
ハイドがそう言うと、聞こえていたかのようにリースメアはハイドに目を合わせるとウィンクした。〝色欲の魔王〟と話しながらのことだった。
「まさか聞こえているのか?」
「〝夜の魔王〟の力を知らんのか?」
「まったく知らん」
「われが言うわけにもいかんのう。すまぬ」
コルトが申し訳なさそうに言う。
「べつにいい。悪いやつではない。それだけ知っていれば十分だ」
「いつかお主が、だれかを信頼できることを望んでおるよ。だれかを愛せることをな」
ハイドはなにも答えなかった。コルトはそれでも良いと頷いた。
リースメアが通されるのは、高級娼館ホワイト・ルピンのVIPルーム。イリアスール王国中を見回しても、利用したことのある人間は数名しかいなかった。
リースメアの城に匹敵する豪華で華やかな一室。赤をコンセプトに金で装飾してある部屋模様までそっくりだった。部屋の中央に真っ赤なベッドが置いてあり、ガラス張りの浴槽や姿鏡まで備えつけてあった。
「おねえさま、どうぞ真ん中の席へ」
「いいのかしら。序列順でなくて」
リースメアは魔王の位を気にしていた。中央にすわる、ひとりの女傑。赤いソファにあぐらをかき、仁王立ちならぬ仁王座りをしている。
「だれも側にこなくて寂しい!!」
独眼を大きく見開き、青を基調とした戦装束に身をつつんでいる女が叫んだ。〝戦鬼の魔王〟は、魔王のなかで、もっとも高い地位を有していた。
「〝戦鬼〟ごきげんよう。お土産があるのよ」
リースメアは、指を鳴らす。城の貯蔵庫から、風呂敷に包まれた手土産が送られた。あらかじめ準備していたものを、メイドがタイミングを見て送り届けていた。
「お主のメイドは有能だのう」
コルトの言葉に、ハイドはただ頷くばかりであった。
「かたじけない。これは、おおっ。東の酒であるな」
風呂敷の中身は甕壺入りの酒だった。香りを嗅いだだけで〝戦鬼の魔王〟はどこの酒かわかっていた。
「東の品はよい。水も米もうまい。すなわち、酒が上手い。最近の桜花皇国の様子はどうだ? 〝蛇〟よ」
東の繋がりで〝蛇の魔王〟へと話がふられる。
〝蛇の魔王〟は部屋の端にある椅子にすわり、目を閉じている少女だった。白く短い髪に、華奢な体をはっきりとさせる白いドレス。ドレスには、蛇の鱗模様が浮かんでおり、蛇皮を体に張り付けているような姿だった。〝蛇の魔王〟は幼い体に白蛇を巻きつけて愛でている。代わりに返事をするように、白蛇は鎌首をもたげた。
「変わりはないわネエ」
ねっとりとした語尾、口調であった。
「桜花皇国を相手に宣戦布告しておいて、よくぞ言った。じつに豪気!」
カラっと笑う〝戦鬼の魔王〟「開戦が楽しみだ」と手で膝を打ち、音を鳴らす。
「〝暴食〟今回のゲームは決まった? アタシ、夜宴の元締めなんだから、おもしろいのにしてよね」
〝色欲〟はピンクの髪を揺らす。入り口付近の壁に背をつけて立っている〝暴食の魔王〟に声をかけた。
「若輩の身でな。多少、過食になっても咎めるなよ」
「きゃはっ。男をあげてよ、アタシが虜になっちゃうぐらいに。あーっ、キュンキュンしたーい」
〝暴食〟のことわりに〝色欲〟が興奮し体をよじる。
「よい。許すッ! 若さは無謀。やりすぎて壊してしまってから気づくこともある。力を出し惜しむ阿呆になるよりは、全力を出すバカになれ! 前に進もうとするならば、尻ぐらいは拭ってやろうぞ!」
〝戦鬼〟の名のとおり、戦争中毒者は戦を歓迎する。
「感謝する〝戦鬼〟」
「応ッ。〝魔王の行軍〟だろう。援軍ならば、いくらでもだそう。汝の進軍を歓迎するッ!」
〝暴食の魔王〟は、この場で最も若い魔王だった。拳を合わせ、深く礼をする。〝戦鬼〟の魔王は胸を叩いて礼を受けた。
この場にいる五人の魔王〝夜〟〝戦鬼〟〝色欲〟〝蛇〟〝暴食〟は、〝戦鬼〟を中心に近隣諸国の情報を交換し合う。各々が独自の情報源を持ち、納めている国と規模も違っている。ただし、恐るべきことに、各々が国ひとつを相手にする戦力を有している。〝蛇の魔王〟は単身で桜国皇国へ宣戦布告し、戦争の準備を行っていた。
「遅れてもうしわけない。〝強欲〟と〝剣〟到着しました」
さわやかな男性の声がした。部屋の入口には、男が二人立っている。ドレスコードを守って真っ赤なジャケットとスラックスを身に着けた好青年〝強欲の魔王〟は赤髪を揺らし、気のよさそうな笑みを浮かべると、さきに到着した面々を見回した。
青い長髪を後ろで結び、漆黒のバトルコートに帯剣している〝剣の魔王〟が全員に目礼を送っているなか〝強欲〟はリースメアを見つけると、まっさきに口を開く。
「これはこれは〝夜の魔王〟ご機嫌も見目もうるわしゅうございます。さすがに最高級娼館ホワイト・ルピン。すれ違う女性も、いままで見たことがないほど美しい女性ばかりでした。ところがどうしたことか、今夜一番美しいのは、間違いなくあなただ〝夜の魔王〟あなたを買えないことが、残念でなりません。ところで、シルフィアさんは、どうなさっていますか? お元気ですか? 私の全財産とカルマを差し上げますので、彼女をくださいませんか?」
〝強欲の魔王〟は、この場にいた女性魔王を敵に回した。一番おもしろくなさそうなのは〝色欲〟だった。
「ありがとう〝強欲〟シルフィアにもよく言っておくわ」
リースメアは〝強欲〟を、まったく相手にしない。内心では腹を立てながらも、表には一切出さないほどのしなやかさを持っていた。
「後にしなさい〝強欲〟夜宴の邪魔よ。おねえさまに一番と言っておきながら、ほかの女性を欲しがるのは気にくわない」
「そうしましょう。はやくはじめてください。ところで〝色欲〟ぼくの席はどこですか? ベッドが空いてるなら横になっていいですか?」
「勝手にしろ!」
「言われずとも」
〝強欲の魔王〟は、ベッドに横になると、フットスローに手入れの行き届いた革靴を置く。
「喉が渇きませんか? 冷たいシャンパンとか、いいですね」
〝色欲の魔王〟は全員が揃ったときに出そうとウェルカムドリンクを準備していた。それが、たまたま冷たいシャンパンだった。歓迎と、もてなしの意味を潰されたことに、怒りが喉元までのぼってきて必死にこらえている。
「おほほ、持って来させますわ」
〝色欲の魔王〟が言うと、鮮やかなドレスを着た女性が入室し、飲み物を配った。グラスの底に傷がつけられ、絶えず泡の立ち上っているシャンパングラスをシルバーのトレイにのせて歩いた。女性にはイチゴの入ったピンク色のシャンパンが振舞われ、事前に泡の抜いてある気配りのうまさを見せている。
〝強欲の魔王〟がつくった空気を入れ替え、夜宴に入ろうとしたときだった。
「もう一杯もらってもいいですか? できれば女性ごともらえるとありがたいです」
「彼にボトルごとさし上げて。新しいものを開けてもいいから」
この様子を見ている傍観者は口を開く。
「〝色欲の魔王〟があまりに不憫でならない」
ハイドは振り回されるピンク髪の魔王を見て目頭を押さえていた。
「常識のある者ほど夜宴では苦労するからのう。この前の夜宴は〝夜〟の城で行われたものよ」
「なにがあったんだ。とくに、シルフィアに」
〝強欲の魔王〟がシルフィアに執着していた理由を、ハイドは気になっていた。
「うーむ。ふたつ、考えられる。ひとつめは、シルフィアが強欲の無茶な要求に眉ひとつ動かさず応えた。ふたつめは、ゲームのほうでのう」
「ゲーム?」
「うむ。夜宴で行われる催しと賭けを、われらはゲームと呼ぶ。〝夜〟の提案で、魔王がひとり付き人を連れてきていた夜宴であった。魔王の仲間同士も仲良くできないかと考えてのことでのう。〝戦鬼〟が付き人同士で戦わせたら面白いと提案し、賛成多数でゲームが成立してもうたものよ。城でいきなり魔王の従者が暴れたら、一番面白くないのは誰だとおもう?」
「掃除をしなければいけないシルフィアか」
「珍しくむっとした表情をしていたのう。魔王の配下同士が戦うゲームに、ルイでなく天使が参戦した。〝戦鬼〟としては、自分の連れてきた者がルイに勝てるか腕試しのつもりだったのだが……」
ハイドは、なんとなく予測がついていた。
「くふふっ、天使が容易いほうの掃除をしてしまってのう。魔王がみな氷ついたわけよ」
ハイドは天井の石模様を見つめていた。それで〝強欲〟に目をつけられているのかと納得がいった。
「みなさま、お集まりいただきありがとうございます。今回の〝夜宴〟を取り仕切りますのは〝色欲〟ゲームを開催しますは〝暴食〟です。よろしくお願いします」
〝戦鬼〟の魔王がカラっと笑いながら口を開いた。
「開催ごくろう。ここからは、くだけてよい。人の世に根付いてカルマを稼ぐ〝色欲〟よ、そなたの目でみたものを教えよ」
「きゃはっ。まず三人の勇者のスキル開示から。炎の勇者については聖剣の名も明かしちゃったよ」
「おや、どこかのダンジョンで聖剣を抜いたのですか?」
〝強欲の魔王〟が聞いた。
「酒場で酔って抜いたところに、アタシの子が近くにいてね」
「フウン、酔って抜ける程度には聖剣を掌握。パフォーマンスもよさそうネエ」
魔王が話す内容を聞いて、ハイドは膝をつき叫んだ。
「ウオオオオオオッ!! あれだけっ、あれだけムダに力を見せつけるなと言ったのに。だから、こうなるッ」
「お、落ちつけ。ダンジョンで聖剣を抜いたら、遅かれはやかれバレるのだ」
「戦力で負けていて、手の内を明かされるのは最悪だ。これが〝魔王の夜宴〟悪夢のようだ」
ハイドが悔やみきれない身内の失敗を嘆いている間も、魔王たちは自分たちのネットワークに引っ掛かった勇者や英雄スキル保持者たちの情報を公開する。
「〝剣の勇者〟が持つスキル〝剣聖〟について、いままでの保持者に心当たりはない?」
〝色欲〟が問い、手を挙げたのは名を同じくする魔王だった。
「愚剣であるこの身、同一スキルを所持している。このスキルに恩恵はない。ただ、自らの適性が〝剣〟である。それを意味するところのみ」
ゆっくりとした低い声で〝剣〟は語った。
「大器晩成型の才能系スキルね。加護系と違って即効性はない」
「剣術系のスキルは発現と同時に剣技が使えるようになるって聞くけど、剣聖にはないのかな?」
〝色欲〟が〝剣〟に尋ねた。
「不才の身では、恩寵に預かれぬ」
「フッ、脅威ではないネエ」
〝蛇〟が言う。少女の口から、少女らしくない声がしていた。
「勇者の話で聞いたのは以上かなーっ。ほかの英雄スキル持ちの冒険者がアタシのダンジョンに入ったよ。〝猛獣の闘争〟のトップふたり。雷と風の子」
「いいですね。彼らには、お世話になりました。現状、スキルの習熟度と実践経歴ともに勇者より優れている。ぼくのダンジョンも彼らが攻略してくれたおかげで、経営がようやく軌道にのったんですよ。礼代わりに、つい装備をプレゼントしてしまった。ぼくが持て余していた、とんでもない魔剣をね」
「そうであろう! 彼らには勢いがある。冒険者は面白いもので、一度ダンジョンを攻略すると次々と踏破者が出てくる。最初にダンジョンに挑む、集団を引っ張ることのできる冒険者は貴重なのだ。冒険者が賑わうと、我らも賑わう。彼らには、もっと頑張って欲しいものよ」
〝戦鬼〟が言うと他の魔王も頷いた。
「ダンジョンに冒険者が入ると、それだけカルマが得られる。いま、冒険者のトップ層を招き入れたとき、ダンジョンのあがりはどのくらいなのかしら?」
リースメアが〝強欲〟と〝戦鬼〟に聞いていた。目線は一瞬、ハイドに送られている。
「カルマにして千から二千は入る。探索か攻略かで話は変わる。手勢をやられる分、利益としては半分ほどか」
「同じぐらいです。ダンジョンを維持するためにもカルマは消費されますから、利益としては三割ほどでしょうか。〝戦鬼〟のダンジョン運営には敵いませんね。ぜひとも、運用を教わりたいものです」
「カルマの運用術は、魔王の本質。そう簡単には教えられぬよ」
「残念でなりません」
〝戦鬼〟と〝強欲〟のダンジョン運営に関する会話を〝暴食〟が興味深そうに聞いていた。
「ひとつ、前菜にもならないことを言う。先日、ダンジョンを緊急停止した」
「あまり使わんよ、緊急停止など。なにに使った?」
「氷のダンジョンのフロアボスで、〝炎〟と〝剣〟の勇者ふたりが転倒し、配下の魔物がふたりを殺しかけた」
「っぷ」
〝戦鬼〟が噴き出し、魔王たちに笑いが起こる。
「やはり、今回の勇者たちはハズレでは? さっさと殺して次の勇者のターンに回してしまっても良い気がします」
「ただ摘んでしまっても、カルマにならないわよ。どうせ殺すなら、カルマになってもらわないと、われわれにとって損失にしかならないわ」
〝強欲〟の一手に〝夜〟がストップをかける。
忘れてはならぬ魔王の会話。話の行き先によっては、人間の世は簡単に壊れる。
「いまの勇者、何年目でしたか?」
「長いので〝剣〟が三年目になるネエ」
「未だ実らず。頭角を現すのは遅いかもしれんなー。勇者たちの足並みがそろっていない。それに、冒険者が力を伸ばしていることもある。我々も勇者と人類を少々、甘やかしすぎたか?」
〝戦鬼〟が魔王の在りかたを問い、人類への圧を検討する。
「やりましょう。勇者が強くなれば強くなるほど、殺したときのカルマは大きくなります。勇者や勇者の仲間に犠牲がでるほどが、ちょうどいいのです。生かさず、殺さず。絶えずストレスに晒してやればよいのです」
〝強欲〟が魔王たちの背中を押す。
「静粛に。ゲームを決めるのは〝暴食〟よ」
「失礼。気がはやりましたね。〝暴食の魔王〟よ、あなたの采配に期待します。さきに言っておきましょうか。進軍するなら無条件で賛成してさしあげましょう。あなたの初陣、期待させてもらいますよ」
「〝強欲〟に背を押してもらえるならありがたい」
〝暴食の魔王〟は、名立たる魔王たちの前へ躍りでる。
魔王は娯楽に飢え、退屈している。
全員が思惑を腹に潜ませるなか〝暴食〟がゲームを提案した。
「勇者をひとり殺したい。方法は〝魔王の行軍〟場所は、ここだ」
冒険者の街で名高いグランガルドを攻めると、魔王は言った。住んでいる数多の冒険者の総戦力も、街をめぐる城壁をはじめとする防衛施設を含めて、教会をも巻き込んだ大きな戦争になることは間違いなかった。
「すばらしい、賛成しましょう。成功に十万カルマ」
〝強欲〟は歪な笑みを浮かべ立ちあがり、拍手する。
「よし、やってみせろ! カルマを稼ぎ、魔王として格をあげよ! 成功に十万カルマ!」
〝戦鬼〟は〝暴食〟の挑戦を歓迎した。
「いいかしらア。勇者はだれを狙うノォ?」
「〝剣〟を取る」
「失敗に五万カルマ賭けるワ」
〝蛇〟は即断した。まなざしを鋭く〝暴食〟をにらみつける。
「賛成。ここで〝剣〟が折れれば、そこまでだったということ。成功に二万カルマ」
〝剣の魔王〟は眉ひとつ動かさず、そう言った。
「おねえさま、どうする? ゲームは成立しちゃってるけど……。賭けのほうは、まだやりようがありそうかも」
魔王の賛成は多数。〝戦鬼〟〝強欲〟〝剣〟が賛成し〝蛇〟が反対している。
賭けられているカルマは二十七万。ほとんどは〝暴食〟が勇者を倒すほうへ賭けられていた。魔王たちにとって、それだけ勇者を倒すことは簡単なことだった。
「つまらないわね」
〝夜の魔王〟は吐き捨てる。
「なにかゲームの条件に不満があるのなら、教えていただきたい」
「条件が簡単すぎないかしら。勇者を狙うなら、三人とも殺せばいい。一人では、あまりに簡単すぎるわよ」
「それは、ちょっと思ったかも。戦争の規模は大きいけど、損害は少ないかな?」
「つまらないと言ったのは、あなたのことよ〝暴食〟。あなた、勇者ひとりなら確実に殺せる手段をもってるわね? しかも、それは〝剣〟ではない。伏せているカードはなに?」
月はすべてを見透かす夜の女王。
〝夜の魔王〟は無慈悲に〝暴食の魔王〟に問うと魔王たちの目の色が変わる。
「……勇者の側に、暗殺者を飼っている」
「わたし、小賢しい子は嫌いなの。言いたいこと、わかるかしら?」
この場を支配するのは、ひとりの女傑だった。
「ゲームの条件を変更する」
〝暴食の魔王〟は大口をあけて言う。いや、言わされていた。
「グランガルドで〝魔王の行軍〟スタンピードを起こし、勇者を三人とも殺すッ」
「賛成。失敗に五十万カルマ」
〝夜の魔王〟は〝暴食の魔王〟に鋭く挑戦的な眼差しを向けた。
立ちあがるのは、ふたりの王。
「ああ、今夜は、なんて素晴らしい日でしょう。上乗せしても、いいですか? いいですよね!? 成功に五十万カルマ!」
「感謝しよう! 血を熱くさせてくれるな〝夜〟め、後悔はしてくれるなよ。成功に五十万カルマ!」
魔王を代表する三人がにらみ合う。
〝夜〟と〝戦鬼〟〝強欲〟が火花を散らした。
「きゃはっ。すごいことになっちゃった」
〝色欲〟の魔王が踊るのも無理はない。
いままで退屈だった魔王の夜宴が、ここまで盛り上がるのだから。
「決まりね」
〝夜〟が魔王たちに問いかける。
だれもが腹の黒さをぶちまけたような笑みを浮かべている。人間の街で行われる、悪魔の集会の本質だった。
「〝暴食〟グランガルド付近に、ダンジョンはいくつある?」
「三つだ。氷と牛魔から魔物の軍勢を出す」
「よい。しかし、属性が偏る。指揮官は何人いる?」
「三人だ」
「リザードマンとグリムリーパー、あとはハイオーガであったな。どいつもそなたの父の戦場で見たことがあるよ。よしっ! ダンジョンをひとつやろう。そこからも攻め込むが良い」
「感謝し、いただこう」
「よい。構わんっ!」
〝戦鬼の魔王〟はカラっと笑う。
「魔王と勇者の戦争よ。盛大に行こうではないか!」
「わかってると知ってるのよ? でもね、お願いだから、張り切りすぎてグランガルドを潰さないように。大赤字くらうのは〝色欲〟なのよ」
「ほんとっ。街ごと潰したら、承知しないし、常連さんの冒険者を倒してもタダじゃ済まさないんだからッ」
グランガルドでカルマを稼ぐ〝色欲〟が〝暴食〟と〝戦鬼〟に詰め寄った。
「食べ残しはしない主義だ」
「腹八分にしろって言ってんのよッ」
「むずかしい」
「〝暴食〟が止まらなかったら、止めなさいよッ〝戦鬼〟〝強欲〟」
「ぼく関係なくないですか? なにも損しませんよ?」
「うむっ。善処しよう。なあに、なくなったらまた作ればよい!」
「おねえさまーっ、魔王たちが言うこと聞かないです!」
グランガルドが滅びることを恐れる〝色欲〟は〝夜〟に泣きついた。
「あらあら、そのときは一緒に止めに入りましょうね」
「きゃはっ、おねえさまーっ」
〝色欲〟は座っているリースメアの腰に抱きついた。
獲物を狙う鋭い目をしたハイドに、コルトは問いかけた。
「小僧の目には、どう見える。魔王たちの夜宴は、どう映ったかの?」
「ウソつきだらけだ。人間と変わらん」
「くふふっ。かわいくないのう」
ハイドは、となりの少女に聞く。
「カルマというものが、わからない」
「当然だのう。魔王が使うエネルギーのようなもの。ざっくり言うと一万もあれば初心者ダンジョンはつくれる。十万あれば中級ダンジョンをつくれる。五十万もあれば、魔王城をつくり一軍を起こせる。イメージはつくか?」
「さっぱりだ」
「くふふっ。では、われからはひとつだけ。リースメアは、お主に期待しておるよ。格上の魔王たちと大勝負するぐらいにはのう」
「俺がどうにかできる戦いの規模ではない。ローエンとアマネ、知り合いの冒険者も巻き込まなければ勝てないだろう」
「それに残念ながら、スパイはお主だけではないようだ。夜宴の情報を開示しても、勇者たちの情報は〝暴食〟につつぬけよ」
勇者の近くに暗殺者がいると〝暴食の魔王〟は言っていた。
「まずはそいつから排除する。並行して、勇者以外と協力し作戦を立てるとしよう」
「んっ、お主もしや知っておったのか?」
「まあな。面も割っている」
「面の割れた暗殺者とは、ただの標的ではないか。夜宴でお主の存在が指摘されてないということは、相手にはバレてない。くふふっ、お主を心配して損をした気分だの」
コルトは慈愛に満ちた目でハイドを見つめていた。
「もともと世界の裏側にいた人間だ。諜報技術ぐらいは心得ている」
「いつか聞かせておくれ、お主の人生をな。惜しいと思えば、吸血鬼にして生かしてやろう」
「いいのか。魔王に言いつけるぞ」
「死後の世界は、われの領域。だれにも邪魔はされぬよ。くふふっ、悪いことをしている気分だの」
「いつ死ぬかわからん命だが、いつか必ず死ぬ。俺の汚れた魂を、洗ってやってくれ」
「くふふっ、させてくれるな」
「コルトの顔を見ると安心して逝けそうだ」
「われのトラウマを刺激するのやめいっ。それでお主が死んだら、笑えんからなーッ」
〝魔王の夜宴〟も終わりかけていた。
〝魔王の行軍〟の話題も終わり〝戦鬼〟から手ほどきを受けた〝暴食〟は、意気込みを叫び、魔王たちは満足げにしている。
「では、わたしはこれで」
「おねえさま、また会いにゆきます。本日はお越しいただき、ありがとうございました」
〝色欲〟が名残惜しそうにリースメアを送り出す。〝強欲〟がそこに待ったをかけた。
「お待ちください。よければこれから、お時間はありませんか? 美味しい肉と酒をふるまいます。どうかお時間を、ぼくにください」
「素敵なお誘いありがとう。でも、ごめんなさいね。さきに待たせている男性がいるの」
〝夜の魔王〟は頬を染め、乙女の顔を浮かばせる。〝色欲〟の魔王が食いついた。ゴシップの類を好む年頃の少女の性質は、魔王といえども変わらない。「どのような男性が!?」と近寄る〝色欲〟に〝夜〟は答える。
「わたし、危険な男が好きだったのかも」
〝色欲〟は「きゃああ」と黄色い声をあげる。
「……なんと。いえ、当然でしょう。〝夜〟の美しさは万人が知るところ。ああ、あなたに触れることを許された男が憎い。胸に灯している嫉妬の炎で焼き殺してしまいたい。また、お誘いさせて頂きます。どうか、お体にお気をつけて。よい夜があなたと共にありますことを願っています」
「ありがとう〝強欲〟」
「くれぐれもシルフィアさんに、よろしく頼みますよ」
「忘れていなければね」
リースメアが言い切る直前だった。
リースメアとハイド、コルトは魔王城に転移していた。〝強欲〟の魔王が話す言葉を、聞きたくはないという点で意気が合っているのは、リースメアをはじめとする全員らしい。
「聞いてない」
「せーふっ!」
魔王城のエントランスでは、空中に浮かぶ巨大な鏡に夜宴の様子が浮かび上がり、〝強欲〟が返事を聞きそこなって悔しがる声までもが響いていた。その前で天使と狼の少女が仲良く手を胸の前から横へと水平に広げ、セーフサインを出していた。
〝強欲〟の言葉をわずらわしく感じた天使が、〝夜宴〟に参加していた三人ともを転移させて連れ戻していた。
リースメアは揃っているみんなに言った。
「ただいまーっ。疲れちゃったあ。ハイドーっ、足もんでー」
魔王の命令が絶対な効力を持つハイドは、リースメアの前に跪き、ミュールを脱がせると足裏を指で押した。
「あんっ、いたっ。気持ちいいッ、だめっ、やっぱり痛い。痛いってばーっ」
「これは、お疲れだな」
「違うもんっ、なんだか力こもってるものーっ」
痛みからか目に涙を浮かべるリースメアはドレス姿でじたばたとする。
「〝暴食〟を焚きつけ、ふっかけたものよの」
コルトだけは、リースメアに詰め寄った。
「うふふっ、若いわね。プライドのせいでムキになる男の子は、かわいいんだ。ねえ、コルちゃん。この賭け、わたしが勝ったら面白くない?」
「おもしろいのは〝夜〟と〝強欲〟だけよのう。〝戦鬼〟は、人間を殺すし、魔物を死なせるつもりでおる。あやつ、育てる気でおるのだろうよ。勇者が勝てば勇者が育つ。魔王が勝てば魔王が育つ。そうでなくとも冒険者は力をつける。勝負そのものではなく、戦いを求めておる。もっとも、勇者が死ぬのは、当然のように考えておった」
「だからよ。だれもが魔王が負けるとは思っていないもの。つけいる隙はあるかしら、ハイド」
「隙はある。しかしだな、あのなかに、頭に穴をあけて死なないやつはいるのか」
リースメアとコルトは「あーっ」と唸る。魔王のスキルと保持している能力によっては、死なないこともあり得ると考えていた。
即答するのは、ひとり。
「いるよ。〝蛇〟と〝剣〟それに〝暴食〟は死なない」
天使は主の質問に答える。
「どう殺せと? 化け物退治は管轄外だ」
呆れたようにハイドは言った。
「あはっ……うそつき」
天使は、主の言葉を受けて、うれしそうだった。
「おにーさん、言葉が弾んでるよ」
尻尾を揺らし、ルイはにこやかに言う。
「そこで謙遜する理由がありまして?」
ニンファが風の精霊の声を聞きながら、冷たい視線をハイドに送る。
ハイドに興味を持った者には、ハイドの性質がバレてしまっていた。
――殺したくてウズウズしている
不可能を旧友とし、困難を遊び相手にしてきた暗殺者は悦んでいた。
「ハイド、お願い聞いてくれる? あなたにとって朝飯前な、みっつのお願いよ」
「俺は魔王には逆らえない」
リースメアはハイドに願う。腹を通さない、心からの言葉を吐き出した。
「ひとつ、勇者を守って。ふたつ、〝魔王の行軍〟で人類側を勝利に導いて。みっつめ〝暴食の魔王〟を殺して」
「いいんだな」
ハイドは魔王に問い返した。
「いっしょに地獄へ落ちましょうね」
笑い声をあげたのはハイドだった。
「いいだろう」
世界を救う勇者の片腕でありながら、世界を恐怖に染める魔王に愛される暗殺者。
「あなたは英雄? それとも魔王?」
「さあな。神様にでも聞いてみたらどうだ」
正義の暗殺者は、善と悪の天秤を頼りに、自らの敵を地獄へ落とす。
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