15話 ギルド酒場の災害
怒った女がひとり、グランガルドの街を歩く。
つややかな長い黒髪をなびかせ、だれもを振り向かせる美貌をひけらかす女を、止めようとする者はだれもいない。
彼女は、イリアスール王国ではめずらしい装いをしていた。
左の腰には刀と木製の鞘を吊り下げ、袖の長い薄紫色の着物に黒いスカートを合わせる。雪のように白い肌は、漆黒のタイツや手袋で隠されていた。
イリアスール王国より東にある桜花皇国でみられる服装だった。
切れ長で紫色の目。眼光を強く光らせ、眉間にしわを寄せながら、大股で歩き続ける。
その様子を見た冒険者たちは、あわてて道を開けた。
「……あれがウワサの。おっかねえ」
「首を隠せ。ぜんぶだ。斬られるぞ」
「首? こうか?」
「バッカ。手首も足首もぜんぶだよ。気づいたら落ちてるって話だぞ」
「……首狩り姫って、ほんとうなのか?」
話題の女は、鼻をひとつ鳴らす。大勢の視線を睨んで散らすと、ドカドカとギルドの運営する大衆酒場へと入っていった。
「いらっしゃいま……ひぃっ」
ギルド酒場の女性スタッフが、にこやかな顔で接客しようとして、悲鳴をあげた。
百戦錬磨の屈強な冒険者にも笑顔を振りまくギルドスタッフは、脱兎のごとくバックヤードに戻り、ビビって縮こまってしまった体を落ち着かせていると、先輩のスタッフから言われる。
「……あなた、勇者ねえ」
「いやいやいや、まさか彼女が〝剣〟だって知らなくてっ。というか、勇者は私じゃなくてッ」
ギルド酒場の隅っこでは、十人は座れるテーブルに料理を広げ、ひとりでパーティーをしている男がいた。男は、大皿の料理を吸い込むように食らっている。
「ぐもっ、ぐもっ。ぐあああああ、あいつぜってえ許さねえーーーっ」
メラメラと怒りの炎を立たせる赤髪の男は、ローエン・マグナス。
ダンジョン攻略に失敗し、やけ食いに精を出している〝炎の勇者〟であった。
手に届く範囲の皿を開けると、席を移動し焼き立てのチキンステーキにフォークを刺す。怒りが収まるか、腹が膨れるか。どちらかでないと、ローエンは止まらないはずだった。
ローエンのテーブルに、ひとりの女性が近づく。
ちかくに座っていた冒険者たちは、さすがだった。
冒険者に必須な技能である、危険予知能力をフルで働かせる。言葉を発さずに、ビールと料理だけを持ち、そそくさと酒場の入り口近くの席へと移動した。
逃げ遅れた冒険者パーティーは、入り口近くで立ち飲みをしはじめた。それほどまでに近づきたがらなかった。
冒険者は危険に近づかない。命が惜しい。ただ、それだけの理由。
酒場の奥で、ふたりが出会う。
ギルドでは、『魔王よりも身近な災害』と呼ばれる現象だった。
それは、とある勇者同士が揃うだけで起こってしまい、教会がたびたび仲裁に入らされている。
すでにギルドの職員は、教会に走っている。呼ばれてくる教会の騎士と、警邏していて運悪く出会ってしまう国の騎士たちが、集まってくるだろう。
「ローエン、キサマーーっ」
雷がごとき怒声が響いた。女性にしては低く、よく響く声だった。
「かあーっ。ひとが気持ちよく飯を食ってるときまで邪魔しにきやがって」
「邪魔だと? キサマが逃げるから、こうやって足を運んだのに、よく言ったものだな」
女の眉にかかる位置で整えられている前髪が、ふわりと揺れる。形の良い眉が釣りあがっていた。
「アマネよお。お前がなんと言おうとな、オレは言うぜ。あれは、お前のミスだ」
「認める部分はある。しかしだな、避けた私にぶつかってきたキサマの凡ミスはなんなのだっ。氷のダンジョンに、素足で来たからだろうがーーっ」
〝炎の勇者〟と〝剣の勇者〟が出会う。
ローエンとアマネの間に、ハイドというバランサーが欠けたいま、ふたりの仲は悪化し続け、最悪の状態になっている。
今朝のことだ。
アマネは自分のパーティーにローエンを誘い、氷のダンジョンに挑んでいた。
炎の属性を持つローエンと氷のダンジョンは相性がよく、すぐに攻略できるはずだった。
ローエンとアマネの獲物は剣。互いに超近距離の戦闘を得意とする者同士、狙う敵や、魔物への接敵の仕方によっては協力する必要がある。
ふたりは互いに勇者。自分のパーティーを率いるエース同士は、エゴをむき出しにして反発をする。いつの間にか自分がモンスターを倒すことに躍起になりすぎ、チームとしての動きを失っていた。
氷のダンジョンのフロアボスまでたどり着くと、ローエンとアマネは、声をかけることすらやめていた。ギスギスした空気を、アマネと同郷の仲間であるキキョウだけが声を出し励ましていた。
嫌な空気が流れるフロアボス戦で、ふたりはお見合いをする。
氷のゴーレムの裏手に回ったふたりは、同時にゴーレムのコアを狙おうと剣を振るう。すると、アマネが通そうとする剣線に、ローエンが割り込む形になった。仕方なくアマネは剣を収めローエンに任せる。しかし、ローエンは氷の床に足を取られた。派手にすっころび、ゴーレムの体に体当たりした後で跳ね返り、運悪くアマネを押し倒した。
「ふっざけるなーーーっ」
「オレだって好きでこんなことしてねえよ!」
滑る床で重なり合うふたりに、氷のゴーレムがバカでかい腕を振り下ろそうとして、ふたりは顔を青ざめた。すんでのところで、キキョウがゴーレムのコアを長物で割り、命拾いするも、帰り道にキキョウが心労で倒れてしまう。
そして、今。
ローエンとアマネは互いに、いがみあっていた。
「いくぜって声かけてたろう!」
「私のほうが速かった。お前が割り込んでこなければ、コアぐらい叩き斬っていたのだッ」
「そうやって周りを見ない先行ばかりするから、だれもついてこないんだよ、イノシシ女」
「はあーーーっ。ハイドを置いて帰ってきたキサマには言われたくないな」
アマネは言ってから、口を押さえた。
「……っ。すまん」
「……いや、いい」
ローエンは沈んだ顔で、飯を食う。
となりのアマネは、少しだけ目を伏せ、心を落ち着かせていた。
「どうするんだ、新しい仲間は。うちはもう、誘ってやれんぞ」
「いらん」
「キサマでも死ぬぞ」
「死ぬ気で強くなるだけさ。相棒を魔王に取られてんだぞ。遊ぶ暇はねえ。オレは食ったら行く」
「常在戦場は立派だが、すこしは休め。仲間のことなら、教会に申請すると聖騎士の派遣は受けられたはず。勇者には、教会のバックアップがついている。すこしの間だけなら、なあ?」
アマネは眉目を下げて、ローエンをなだめていた。
「わかってんだ。オレは弱いって。でもよ、弱いままの自分がイヤなんだよ。ただ堅実にいくよりもよ、なんども無茶を乗り越えて行きてえんだよ」
「……まともな方法ではない」
「オレは行くぜ」
ローエンの瞳には炎が宿っていた。
「……っく、勝手にしろ。ただし、ハイドを奪還しに行くなら声をかけろ。そのときは必ず、力になる」
「……頼む。魔王を倒すときには、力を貸してほしい」
「この剣、存分に振るってやろうではないか」
喧嘩ばかりするふたりだが、目的が揃った場合は同じ方向を向くことができる関係だった。
大勢の冒険者が遠巻きに避難するなか、ゆっくりと勇者たちに近づく姿があった。
「あっ……まずい。忘れちゃった。えーとね、えっとね」
村娘がひとり、頭に手をあてながら話しかけようとしていた。
遠巻きの冒険者たちは、危険地域に足を踏み入れる村娘に驚いていた。
「だめだーっ。さっき聞いたのに、なまえ忘れちゃったよ。うーんっ、トマト……ウーロン? ……そうだっ。顔芸勇者くんーっ」
「だれだよ、ふざけた名前で呼ぶやつはよッ。わるいがオレはいま機嫌がわりいんだ……はわーーーーーーーーーーっ!?!?」
怒りの炎は立ち消え、ローエンは驚愕のあまり変顔を晒した。
「あれえ。遊んであげたことあるのに、忘れちゃったの? ルイだよーっ」
三つ編みのおさげを揺らし、長いスカートを揺らしながら挨拶をするのは、リースメアの城でローエンを単独で撃退したルイだった。ローエンとルイでは、あまりの実力差に戦いにならない。ローエンが、戦わずしも敗北を認めた相手だった。
「なんて言えばいいんだっけ。ついてこい?」
「だれだ、キサマは。いきなり、なにを言っている?」
アマネは威嚇のつもりで、左手を刀に添える。右手を柄の前にやった。
「やめといたほうがいいよ。殺気、出さないでくれるかなあ」
ルイは、目を細めてニッコリと笑う。赤い瞳はアマネに挑戦的に向けられ、煽っていた。
「やめてくれ、アマネ」
アマネに手のひらを向けるローエン。ふたりがかりでも敵わないという判断だった。
「あのねー。ふたりをね、うまく連れ出してこいって言われてるの。だからね、ついてきて?」
ルイが誰に言われたのか。
それに心当たりのあるローエンは、アマネを誘った。
「わるいがよ。アマネ、付き合ってくれ」
「……ふんっ。説明は求めるぞ」
「よしよし」
村娘は自然な動作で振り返ると、ローエンとアマネを連れてギルドの酒場を出ていった。
嵐が去ったギルド酒場。にぎわいが戻るのに時間はいらなかった。
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