第四十三話 仮説
ギリギリ視界に入るか否か。そんな距離まで離れても、エミリーは鬼婦人を連れ去った人物がフィリップであると確信していた。
一方で、フィリップに脇で抱えられてしまった鬼婦人は、引き剥がそうと力を入れつつも、その視線はエミリーの方に向いていた。
「離せよ、フィリップ。まだ戦いは終わっとらん。せっかく、いいところじゃったのに……」
「いいところだったのに、じゃないですよ。何勝手なことしてるんですか」
「貴様がネズミをいつまでも放置しておるから」
「鬼婦人」
フィリップの怒気を含んだ声に、思わず鬼婦人はびくりと反応する。
ずっとエミリーの方に注がれていた視線は、今やフィリップを捉えていた。
「あなたは確かに僕より先にルーインにいた、いわば先輩です。だけど、だからと言って僕の立場が弱いわけじゃない」
鋭い眼光。それは、普段のフィリップからは想像もできないようなもの。
鬼婦人はゾッとした。その声に、視線に、後ろにちらつく人物に。
「……幹部のお気に入り、か」
鬼婦人はそう呟いて、今日のところはこれ以上エミリーたちに深入りしない意思を見せるため、身体の力を抜いた。そしてもう一度フィリップに離すように声をかけると、フィリップにもそれは伝わったようで今度はすぐに離してくれた。
ようやく地に足をつけた鬼婦人は、ちらりとエミリーがいた方に視線を向けて、すぐに背を向ける。
「わしは戻る。貴様はどうするのじゃ?小娘に一言あいさつでもしてくるのか?」
「……いえ、僕も戻ります。もう用は済みましたし」
「いいのか?あの様子じゃと、すぐにでも追ってきそうじゃが」
「それは大丈夫ですよ。それに、僕は彼女にまだ会わない方がいいですからね」
「そうか。まぁ、それもそうじゃの」
鬼婦人とフィリップはそう言葉を交わし、その場から姿を消した。
それを遠目に見ていたエミリーは、すぐにでも追いかけようとしたが、それを呼び止める声があった。
「エミィ!」
エミリーは弾かれたように後ろを振り返る。
「ギル、無事?」
「あぁ、俺は問題ねぇ。エミィこそ、大丈夫か?」
「大丈夫。鬼婦人とちょっと戦闘になったけどフィルが……助けてくれたわけじゃないんだろうけど、フィルのおかげで助かった」
ギルバートの無事を確認して、エミリーはほっと安堵したのも束の間。先ほどのことを話しながら、フィリップが間に入ってくれた意味を考える。
ただ、エミリーに接触しなかったその意味だけは、なんとなく分かる気がして。ただの仮説でしかないけれど、当たらずとも遠からずと言うところだろう。そんな予感が、エミリーにはあった。
だから、確証があるわけではないけれど、ギルバートにも話そうと思った。間にフィリップが入ったと聞いて、怪訝そうな顔をしているギルバートに。
「フィルが間に入った理由はわからない。でも、私に接触しようとしない理由は、なんとなくわかる気がするの。いつも、ギルだけ連れて行かれて、私の前には頑なに姿を見せようとしない、その理由が」
エミリーの言葉に、ギルバートは一瞬だけ驚いたような顔をして、すぐに真面目な顔になる。
そして待った。ギルバートから少し視線を逸らして、躊躇いがちに口を開く、エミリーの次の言葉を。
「きっと、私が多能力者だから……私に会ったら、今のフィルにとって良くないことが起こるかもしれないと危惧しているから。だから、私の前には現れないんじゃないかって、そう思うの」
それはつまり、今のフィリップはやはり昔のフィリップではなくて、そして今のフィリップの心の奥底のどこかに昔のフィリップがいるかもしれないということを示唆していて。エミリーの願望も交ざっているかもしれないけれど、もしかしたらまだ、昔のフィリップを取り戻す術があるかもしれない。そんな風に、エミリーは考えていた。
ギルバートもその意見には納得できる部分が多くあった。ギルバート自身もずっと考えていた。いつも自分だけがフィリップと接触していて、エミリーには何の干渉もしないことを。
それに。
──────どうしてエミィを連れてきたんだい?
闇都市で会った時のあの言葉。やはりあれは、ギルバートへの忠告ではなくて、フィリップにとって不都合なことがあると言っているようにしか、ギルバートには思えなかった。
「私、次こそはちゃんと、フィルに会わないといけないと思う」
もし本当にエミリーの仮説が正しいとするならば、そうするべきだとギルバートも思う。
だけど、本当にあのフィリップの言葉の中にほんの少しでもギルバートへの忠告という意図が混じっていたとしたら。ギルバートは最悪を想像してしまう。
「エミィ。お前は怒るかもしれねぇけど、俺は……今はまだ、お前にフィルに会ってほしくない」
ギルバートは苦しそうに息を吐き出し、視線を合わせないまま静かに告げる。
その言葉に、エミリーは眉一つ動かさずにギルバートをまっすぐに見ていた。
「ギルにとって私は、庇護対象でしかないの?」
エミリーの言葉に、ギルバートははっと瞳を揺らす。
「私も元戦闘員。私だって、護る側の人間なんだよ。だから、護られるだけなんて絶対に嫌」
ずっと同じ時間を過ごしてきたけれど、同じ人間ではない。性別も違う。
だけど、だからと言ってエミリーが護られる側の人間になるわけではない。想いは同じはずだ。
エミリーの言葉に、ギルバートは少し考える。
エミリーの言っていることはわかる。同じ元戦闘員で、同じ時間を過ごしてきて、だからこそフィリップに会わなくてはいけない。フィリップを止めることは、エミリーにとっても重要な使命のようなものだ。ギルバートだけが成し遂げたいことではない。
だけど。
迷いの見られるギルバートに、困ったように微笑んだ。
「でもね、ギル。ギルが嫌がることを進んでしたいとも思わない。だから、今はまだ、私からはアクションを起こさない」
フィリップがエミリーの前に現れたらその限りではないけれど、少なくともエミリーからアクションを起こしはしない。それでいいかと、エミリーはギルバートに優しく尋ねた。
今はまだ、という言葉は、先ほどのギルバートの言葉から。いつかはいいと言ってくれるんだよねと言っているようだった。
そう言われれば、ギルバートも拒否はできない。エミリーはもう十分、譲歩してくれたのだから。
だから、ギルバートはただ頷くだけだった。




