第三十五話 沈黙
「娘、その力は神のものだ。早々に手放した方がいい」
「……え?」
鬼婦人の意味深な言葉にエミリーは少し瞳を揺らしたけれど、もうそのころには鬼婦人の姿は消え去っていた。
引っ掛かりは覚えたものの、今はそんなことよりもギルバートのケアだ。エミリーは能力で強引に自分の方へ引き寄せたギルバートに声をかける。
「ギル、大丈夫?」
ギルバートは頭を押さえながら、ゆっくりと大きく息を吐きだす。
「悪い、エミィ。頭に血が上ってた」
「……ううん。ギルが無事ならいいの」
エミリーはそんなギルバートの様子をみながら、首を横に振ってそう答える。
とりあえず、一旦はギルバートも落ち着いてくれたようだ。そのことにエミリーは安堵する。
とにかく、まずはここを離れなければ。人気のない方へ向かったとはいえ、これ以上この地に迷惑をかけられない。早急に立ち去るべきだろう。
エミリーとギルバートは複雑な気持ちを抱えたまま、足早にこの地を去っていった。
鬼婦人との戦いの後、あの場を離れた二人は何も言葉を交わさなかった。交わせなかったという方が正しいだろうか。重い沈黙が流れ続ける。
ギルバートには、気持ちを制御できなかった不甲斐なさが。
エミリーには、ギルバートのブレーキ役となれなかった不甲斐なさが。
何より、ルーインという組織の恐ろしさを改めて知って、自分たちには敵うはずもない力の差に打ちのめされていた。
今の二人の心境は、故郷をルーインに襲われた時、フィリップを喪ったあの日に近いものだった。あの頃も、どうしようもない不甲斐なさと喪失感に苛まれていた。
ただ、あの頃と違うことは、今の二人はあの頃よりもずっと本音でぶつかれるようになったということ。お互いがお互いを支えにしているからこそ、きっと今回も乗り越えられると心のどこかで考えている。
だから、この沈黙を無理に破る必要はない。沈黙を苦に思う必要もない。
今は自分の気持ちと向き合って、それからお互いの気持ちに寄り添えばいい。そうすれば乗り越えられると、二人は知っているのだから。
お互いにそう考えて、早数時間。ようやく調子を取り戻しつつあった二人は、言葉を交わす。
「ギル、これからどうする?」
ルーインが直接接触してきた以上、今までほどの余裕はなくなる。いつ襲われるかわからないという状況では、あまり人の多い場所にも行けない。
今回、襲ってきた鬼婦人が、目的の人物にしか攻撃をしてこなかったのは不幸中の幸いだった。周りを巻き込んででも戦闘を行うような人が相手だったら、絶対に死傷者が出ていた。
「奴がどこに消えたのかが分からない以上、進む方向は変わらない。ただ、進むのは人の少ない夜がいいだろうな」
昼間は人気が多くても、夜であれば出歩く人も少なくなる。もし何かあっても、周囲を巻き込む可能性を少しでも減らせる。
もちろん、夜に進むことにもリスクはある。夜ということは暗いから、いくらでも闇に紛れられる。戦闘には不向きな時間帯だ。
それでも、二人が優先すべきは無関係の人たちを巻き込まないことだ。そのためならば、自分たちが不利になることは仕方のないことだろう。
「エミィ」
ふと、ギルバートがエミリーに声をかけた。
「俺はたぶん、ルーインの奴と鉢合わせれば、また今日と同じように頭に血が上ると思う。もちろん、一度経験したから、そうならないように善処はする……が、絶対に我を忘れないと約束はできない。だから」
ギルバートの言葉に、エミリーは目を合わせながらしっかりと耳を傾ける。
「だから、もしまたそうなったときは遠慮なく俺をぶっ飛ばせ。それでダメなら、お前だけでもその場から離れろ」
ギルバートの真剣な言葉。
でも、エミリーは首を縦には振らなかった。
「ギルだけ置いてなんて行けないよ。私がギルと一緒にいるのは、ギルが無茶しないようにするためでもあるんだから」
どんな手を使ってでもギルバートのことを止める。だから、心配はいらない。
エミリーはそう言って笑みを浮かべた。ギルバートを安心させるように。
ギルバートとしては納得いかない部分もあったけれど、でも、エミリーを納得させる方が大変なことをギルバートはよく知っている。
だから、ギルバートは特に反論せず、「わかった」とだけ答えた。




