プロローグ 楽しかった日々は
人はなぜ、失ってからそのものの本当の価値を知るのだろうか。
なぜ、失う前に気づかないのだろうか。失ってしまう前に気づいていれば、もっと大事にできたかもしれないのに。
いや、失って気づくから、人は後悔するのだろう。あのときああしていれば、もっとこうしていれば、と。
だから、せめてどれほどの価値があるものなのかをちゃんとわかっていなくても、今を大切にしてほしい。そうすれば、後悔も少しはなくなると思うから。
そして、できることならよく考えて。いつも自分のそばにあるもの、いるものが、自分にとってどういうものなのかを。
「や、やめてよぅ。僕、何もしてないだろう?」
「うるせぇ!これはお前のためにやってるんだぜ?ほとんどの人間が能力を二つ持つ世界で、何の能力も持たずに生まれてきたお前がこの世界で生きていけるように」
怯えた少年に対して、その少年と同い年くらいの三人の威張った少年たちのリーダーらしき子が詰め寄る。
そして、その三人は顔を見合わせた後、一斉に怯えた少年に向かって殴りかかろうとした。
しかし──────……
「はーい、ストップ」
その場の空気をがらりと変え、ピンクのセミロングの髪をなびかせた、同じく幼い少女が割って入った。
ピンクの髪色にふさわしい、愛らしい顔をしているけれど、その瞳は三人の少年を睨んで鋭くなっており、愛らしさは薄れている。顔がいい人に睨まれるほど怖いものはないというのは、まさしくこのようなことだろう。
「エ、エミリー……」
三人の少年たちはその少女、エミリーが来た途端に拳をピタリと止めた。そして、本来ならばこのような愛らしい少女に向けるものではない、少し怯えたような顔をしてエミリーを見る。
「また、あなたたちね。もう、フィルをいじめたらダメだって言ってるでしょ?次したら本気で怒るって言ったの、覚えてる?」
エミリーは最初、三人の少年たちを窘めるように言ったが、最後は不敵な笑みを浮かべていた。
「わ、悪かった。もうしない。ほんとにしないから!」
「ダメ!前もそう言ってたでしょ!今日という今日は許さないんだからね!」
リーダーらしき子は謝ったが、エミリーが許すことはなかった。
エミリーは雷で作られた針のようなものを少年たちに向けて放つ。それに恐れを成した少年たちは「ごめんなさーい」と言いながら逃げ帰っていったのだった。
エミリーは、まったく、と思いつつ、息を吐き出す。
「大丈夫、フィル?」
そして、少年たちの背中を見届けてから、フィルことフィリップに訊いた。
「う、うん。大丈夫だよ、エミィ。ごめんね、いつも助けてもらって……」
「いいんだよ」
間一髪というところではあったけれど、相手はいつもフィリップをいじめているいじめっ子だ。それに恐怖心を隠せるような大人ではない。その証拠にフィリップの目には涙が浮かんでいる。
そんなフィリップをいつも助けてくれるのはエミリーだ。そのことに、フィリップは少しの申し訳なさを声色や表情ににじませる。
だから、エミリーは笑顔で首を横に振った。気にしなくていいんだよ、と。そして、フィリップに手を差し出す。
フィリップは「ありがとう」と言ってエミリーの手を取った。そうして、手をつないで仲良く帰っていく。
「フィル、またいじめられたな?」
その帰り道、一人の少年が声をかけてきた。声をかけてきた、と言うには、少し棘がある声色だったかもしれない。
「お前がいじめられるのは、その頼りないところもあるからな。ほんっとに弱っちい」
「こら、ギル。そういう風に言わないの」
少年、ギルバートの言葉に対して、エミリーがすかさず答える。
対して、フィリップも眉を下げて、おどおどしながらもギルバートに言葉を返した。
「ご、ごめん……怒らないで、ギル」
「怒るだぁ?呆れてるんだよ、俺は」
そんなフィリップの様子に苛ついた様子のギルバートは、言葉の節々に棘を感じるような言い方で答える。これでは、ますますフィリップを怯えさせるだけだ。
「ギル、フィルを怖がらせないの」
エミリーはそうギルバートを注意するものの、ギルバートは全くそれを意に介さない。これは、いつものことなのだ。
だから、
「こんなことで怖がってる方が悪いんだろ、エミィ?」
なんて言い出す始末。
「もう、ギルはそんなことばっかり言うんだから」
そんなギルバートには、さすがのエミリーも呆れの言葉しか返すことができない。
フィリップ、エミリー、ギルバートは、いわゆる幼なじみだ。それこそ、赤子の頃からの付き合いとなる。
フィリップとギルバートはいつもこんな感じだが、ほとんど三人一緒に行動していた。それは、エミリーがまとめ役であったというのもあるだろう。
だから、こうやって過ごしていくことは当たり前で、ずっと変わらないものだと思っていた。
だが、今の彼らは、もうこうやって過ごすことはできなくなっていた。