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49.番外編ーフィリップ視点03ー

「ありがとう、助かったよ」


 フワフワと漂う光球に、労いの言葉をかけた。

 大分時間が立っていたが、今回はチェルの義兄予定が余計なことを思い出したようだった。下位精霊をあちこちに飛ばしておいて正解だったようだ。

 今回も、うまく記憶の改変ができた。

 チェルが大事にしている周りの人間を壊してしまったら、目も当てられない。

 人間はああ見えて脆い。

 慎重に扱わねば。


「さすが初代様。もうすでに下位精霊たちを使役されておられるとは」


 振り返った先には、腰まである豊かな白髪に長いあご髭を蓄え、白いローブをまとった老人――というには背筋がしゃんと伸びた、矍鑠とした人物がそこにいた。


「当代の教主が、齢十二の子供にへつらうな」

「と申されましても……ご年齢に関係なく、霊力の高さ、精霊の使役に奇跡の御業。わざわざ私からお教えすることなど皆無でございますれば」

「だが、それらがわからぬ、精霊すら見えぬ、下の者たちが納得しないだろう」

「霊力のほぼ感じられぬ、今の世では精霊を感知できる者すら稀ですからなぁ」


 胸まであるあご髭をしごきながら、ハートレイの現当主はため息をついた。


「しかし、今世ではもう一方、当主に相応しい人物がおりましたが」


 眉を顰めてにらみつければ、現当主は大げさに両手を広げて微笑んだ。


「もちろん、初代が降臨なさったので、その方をハートレイに迎え入れる必要はなくなりましたので、ご安心ください」

「――わかってるなら、いい」

「しかし、次代の伴侶に、と言い出す者が出て来る可能性がなきにしもあらず、ですな」


 無能な凡人どもならともかく、さすがにハートレイの現当主や一部の有能な者たちにはチェルの存在は気付かれていたようだ。

 現当主に背を向けて、僕は両開きの窓を左右に大きく開いた。


「ああ、そういう面倒なことを言う輩は、『壊して』も構わない」


 窓枠に足をかけたところで、現当主を振り返った。


「そちらの対処は任せた」

「ご随意のままに」


 腹の前に組んだ両手と共に、深々と白い頭髪が下げられるのを見ることなく、俺は窓の外へと身を翻した。


 チェルの身も心も、自由だ。

 それを邪魔する存在こそ許さない。

 そのために、僕はここへ帰って来た――大切な君を守る、そのために。




「わたし、フィリップ様の気持ちにお応えすることはできません」


 こちらを見つめる瞳はまっすぐだった。


「はっきり言うね」

「はい」

「チェルの――もしかして、チェルシー様の好きな人って、僕の知っている人?」

「申し上げられません」


 キレイなつむじが見える程、しっかり下げられた頭。

 誤魔化しや中途半端な優しさは微塵もない、キッパリとした態度。

 かまをかけた質問への淀みない返答だけ見れば、彼女には好きな人がいるともいないともとれる。

 ――相手が誰だかは知ってるんだけど。


「確かに、すっぱり言ってもらった方が、諦めはつくかな」

「申し訳ありません」

「でも、友達は止めなくてもいいよね?」

「え?!」


 ガバリと上げられた顔、翠玉の瞳が驚きに見開かれていた。


「将来の伴侶としては無理でも、一番の友達という立場を僕にくれない?それとも、チェルシー様がもう友達として、お付き合いしたくないって言うなら仕方ないけど」

「で、でも、それではあまりにも、フィリップ様に対して不誠実になるのでは?」

「こういっちゃなんだけど、今後チェルシー様が心変わりする可能性も、失恋する可能性もあるよね。そんな時に僕が側にいられたら、って下心から言ってるだけだから、お相子だよ」

「それは……」

「なんてね」


 ニコリを微笑みを口の端に上らせる。


「もちろん、今の君の恋路を邪魔することはしない。むしろ、応援させてもらうよ。でもね、もし、もしも、君の恋が成就しなかったのなら、いつでも僕がいるってこと、それだけは忘れないで」


 困惑した表情を浮かべるチェルに、半ば強引にその案を押し通した。

 人間はあっという間に死んでしまうけど、その短い人生の中でもたった一つの想いだけを持ち続けることができるなんてほんの一握りだ。

 だからこそ、僕がそこに付け込む隙ができる。

 チェルのことを気に入っているのは確かだけど、それが恋とか愛とかいう感情と同じかどうかがわからない。このままずっとわからないままかもしれないし、いつか理解できる日が来るかもしれない。

 君の笑顔を見ると心が躍るし、泣き顔を見たら心が痛い。

 これはこの僕にも、君と同じように心が――感情があるってことの証明になるのかな。




 もちろん、僕は知っていた。

 卑怯なことなのかもしれない。

 知っていて、その機会を待っていた、ともいえる。


 でも、その運命を選んだのは彼で、彼女の手を振り払ったのもまた彼だ。

 失意の彼女に手を差し伸べるのは、友達である僕の権利。

 同じ時を過ごせば、彼女の傷も癒え、僕を一番に思ってくれるかもしれない。

 そんな僕の淡い期待を踏みにじるのもまた、やっぱり彼女自身。

 彼女が身に着けた黒色を見るたびに、胸が苦しいのは気のせいなのか、脆い人間の身体は壊れやすいからか。

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