45.閑話ーフィリップ視点ー
僕はフィリップ。
その前の呼び名はフューリー、精霊だった。
いつとも知れぬ時に生まれ、ただ、存在していた。
たまに気まぐれに『契約』などを結んで、しばらく人間と共に生きることもあった。
ある時、真名で召喚された。
なぜ真名を知っているのか、ということも驚きだったが、それよりもその見た目、年齢に驚かされた。彼女――チェルに呼び出された当時、彼女はわずか五歳だったのだ。
「はじめまして、せいれいさん。わたしのなまえはチェルシーです。チェル、ってよんでください」
多少たどたどしい口調だったが、しっかりと真名を発音していた。
でなければ、呼び出せるはずもない。
「ふぅん。小さいね」
「そうおもっているうちに、こどもはせいちょうするものよ?」
生意気な口を利く幼女は、前世の記憶を持っていた。
毛色の違う生い立ちに、興味を持った。
『契約』は双方の意志によって成り立つ。真名で縛られるとはいえ、こちらが「是」としなければ成立しない。しかし、ちょうど長い退屈に飽いていた。
人間の寿命なんて、精霊にとってはほんの瞬き程度。
ほんの少しの暇つぶし程度のつもりだった。
さて、今度の「人間」は、何を願う?
「とりあえず、このせかいのじょうほうがひつようね」
「情報?」
「うわさ、しゅうぶん、かくされたしんじつ。わたしがほしいのは、そういうものよ」
人間の願う欲など、似たり寄ったりだった。
権力と野心、金や地位、もっと低俗な食欲や性欲と言ったものもある。
子供ゆえか、それらに興味はないのか?
いや、それ以上にその情報を欲するというほうが、子供らしさはない。
そもそも、子供如きがそんなものを集めてどうするのか。そちらの方に興味がわいた。
「いいよ。なんか面白そうだ。『契約』しよう」
そうして、『契約』は成った。
チェルは不思議な子だった。
精霊の大きな力を手に入れたものは、往々にして過分な物を欲しがる。
しかし、彼女の欲したのは当初の予定通り情報、そして、姉の身の安全。姉が身に着ける装身具などに『守護』と『聞き耳』の加護をつけること。
「地味でつまんない!」
「余計なものは必要ないわ。ハートレイ家に目を付けられたくないし」
チェルの考えは、出会ってから数年たっても変わらなかった。
精霊教会の大元であるハートレイ家は、精霊が視える者、霊力を持つ者を探し出して後継者に据える。この家から、姉から離れたくないチェルにとって、それは本意ではない。なので、極力目立つことは避けたいらしい。
「なぁなぁ、少しだけ、ちょーっとだけ、反撃の加護つけてもいい?」
「言われたこと以外のことをするのはやめてちょうだい、『フィリエール・フィバルト・フィランディア』」
ちっ、これで余計なことはできなくなった。
真名で縛られたら、仕方ない。
さすが前世持ち。妙に頭が回る。
姉といるときのチェルは、また違った顔を見せた。
それこそ、本来の「子供らしさ」を演じるのだ。本人は完璧に演じていると思っているようだが、変に芝居がかっていて、それが妙におかしい。面白いから、教えてやらないけど。
チェルの姉、グウェンのおかげだが「美味しい」と思えるものが、食べられるようになった。
基本的に、精霊は食べ物を口にする必要はない。
たまたま食事するチェルのそばをうろうろしていたら、「食べる?」と差し出されたのが始まりだ。気が向いたので口にしてみたら、それ以降、チェルは自分の物を分け与えてくれるようになった。なんか、一緒に食べる人がいると、より美味しくなるんだって。
味なんてよくわかんなかったけど、チェルと一緒に食べる、という行為自体が、食べ物が美味しいものだ、という認識に塗り替えられた。
少しでも長く、この子と一緒にいられたらいいな、と思うようになった。
毒されたのかな。
でも、少なくとも、チェルと一緒にいると退屈はなくなった。
「『フィリエール・フィバルト・フィランディア』」
チェルに真名を呼ばれたときには、わかっていた。
彼女が何をするつもりなのか。
だけど、それ以上に驚いたのは、彼女の『命令』。
「あなたを縛る全てのものからの解放と自由を『命令』するわ」
チェルは知っていたのか?
それはこの世に縛られた精霊を解き放つ、唯一の救いの言葉。
その言葉のおかげで、チェルを救いに行けたんだ。
その上、神を騙くらかして、チェルと同じ人間として転生もできた。もちろん、チェルとの約束も果たせたし、同じ時を生きられた。肉体や感情を持つって経験は、不思議で面倒で――そして、楽しかった。
チェルの一番側に居続けることもできたんだ。
それに後悔はしてない。
でも、たった一つ。
一番近くにいたけど、チェルが一番好きな人にはなれなかった。
結局、恋するって気持ちだけは理解できなかったな。
それだけが残念だ。
チェルの笑顔を見る度心が温かくなって、泣き顔を見ると胸が締め付けられた。
だから、この胸を刺すような痛みも気のせいだ。
君の幸せが、幸せだけが一番の願いだよ……