44.閑話ーユアン視点ー
「よかったのですか、フィリップ様」
「どういうこと?」
私の名前はユアン、遠国皇帝の実妹だ。
大公殿下の邸内、応接間の一つでフィリップ様と対峙していた。
今日は兄とチェル様の対面のために席を誂えたが、フィリップ様がこの場に現れるとは思っていなかった。彼をどう扱っていいか、私は考え倦ねていた。
「私、てっきりフィリップ様はチェル様をお慕いしているものと思っておりましたの」
「うん。チェルのことは好きだよ。僕の命より大事」
「でしたら――私がチェル様の意中の方と再会する手はずを整えたことは、あなたにとって最悪だったのでは」
「最悪?最高、ではなくて?」
フィリップ様は不思議そうに首を傾げ、長い睫毛をしばたたいた。
「むしろ感謝してるよ。僕ではチェルを幸せにしてあげられなかったと思う」
「そうでしょうか。あんなに愛おしんで、大切にされていたのに」
「だから、だよ。僕には人の『愛する』という感情がわからないから」
「すべてを平等に。すべてに愛を。それが精霊教会の教義でしたかしら?」
「僕はね、真似ることはできる。そう見えるようにふるまうことも。だけど、誰かを本気で愛することはできないんだ。もともとそういう性分だから、仕方ない」
だから君がしたことは、反対に有難かったよ、とフィリップ様は淡々とそう言った。
「でもそれでしたら、少しは私の心の重荷も晴れますわ」
私はホッと張りつめていた肩の力を抜いた。フィリップ様は邪魔をしにいらしたのか、とも邪推していたが、どうやらそうではないらしい。
「でも彼も、大概酷いよね。自分から拒否しておいて、やっぱり諦められない、って。チェルを囲い込むのに、かなり周囲を巻き込んだよね」
「あら。私は今まで苦労した兄には幸せになって欲しいので、負担には思っておりませんでしたわ。私個人としても、チェル様のことが大好きでしたし」
遠国では女性が帝位につくことはない。なので、元皇帝のように命を狙われる危険性は少なかった。私は母親と共に息を潜めて生きていた。
そして兄が帰国し帝位に就いた折には、その側で誠心誠意仕えた。
兄は、遠国を立て直すために必死に奔走した。
いつからか、兄が密かに亡命時に世話になった家の者たちのその後を調べているのに気づいた。長くお世話になっていたから気にしてるのか、とも思ったが、特に一人のご令嬢に執心しているようだった。もしや、と思って個別に調べてみれば、なんと兄より十以上も年下の少女。さすがにそれはないか、と一旦は結論付けた。
折しも、彼の国の第二王子が遊学に、と遠国までやって来た。
忙しいさなか、兄は歓迎の意を示すために第二王子との会談を設けた。
そこで、私とジルベルト殿下は出会い、その後紆余曲折あり、私たちは婚約を結んだ。
ジルの帰国に私が帯同することになった際、兄から頼まれた。
現在のあの子がどうしているかを知らせて欲しい、と。
もしや、と思った。
あの子では誰の事やらわからない、と意地悪をすれば、兄が重い口を開いて、ポツポツと過去の話をしてくれた。最後に、兄は彼女が幸せかどうかだけでも知りたい、と。
お節介とは思いつつ、ジルにも協力を仰いで、私は密かに兄の気にしていた少女に近づくことにした。
年齢を偽り、婚期も伸ばし、学友として。
彼女は持ち込まれる縁談は全て断っていた。家格が上からの縁談の申し込みなどは、義兄の伝手まで使っていたようだ。
唯一、彼女の側にいることを許されていたのは、ハートレイ家のフィリップ様だった。
幼馴染だという彼の存在もまた、数多の縁談避けとしても最適だったからだろうか。
私の目から見て、彼女もまた初恋を引きずっているようだった。
なぜなら、チェルはいつも何かしら黒いものを身に着けていた。
それはどれも小さな目立たないアクセサリーで、金髪碧眼の彼女がつける色にしてはあまり似合わない色だった。それにも関わらず、必ず身に着けていたのだ。
小さなピアスやネックレスの一粒、飾り釦だったり、レースのリボンだったり。
私は兄に自分の知りえた情報全てを報せた。
『彼女は幸せそうに見えるが、結局は幸せかどうかは本人しかわからない』と。
そして、兄は覚悟を決めた。
待たせることになる、とわかりつつも、彼女を囲い込む策を強行することにしたのだ。
本人には決して悟らせず、国に、両親に、周りの人間を巻き込んだ。
つまり、チェルの縁談を潰しつつ、勝手に婚約者を作らないように、と。
そこから更に三年弱の月日をかけ帝位を廃止し、遠国を共和制の国にした。
いまだ粗削りな政策ではあったが、なんとか彼女の卒院の前に間に合わせたのだ。
皇帝でなくなった兄は、遠国の外交大使補佐として、この国へと舞い戻って来たのである。
遠くない未来、チェルは私の親友から、私の義姉になるだろう。
本当は私の方が四つも年上だけど、その辺は気にしないで欲しいところだ。