42.乙女の夢
別室に飾られていたウェディングドレスを前に、わたしは息を飲んだ。
カーテン越しに差し込んだ午後の日差しに浮かび上がったそのドレスは、まるで幻のように美しかった。真珠色の上品な艶めく色、触れたらしっとり肌馴染みしそうな上質なシルク製。プリンセスラインのふわりと広がった裾にはたっぷりと長いレースのドレーンもついている。
ユアン様に促され、更に近寄って見せていただくと、シンプルに見えた布地には、胸元や要所要所に精緻な刺繍が施されており、小粒だが粒のそろった真珠がアクセントにところどころ縫い付けられている。
「これ――これは素晴らしい、の一言ですね」
この一着だけで国家予算くらいつぎ込まれてそう。
触ってみたいけど、汚したらと思うと恐ろしくて手も伸ばせない。
「袖を通されてみますか?」
「えっ?!」
「この生地も、真珠も刺繍につかった絹糸も全て遠国産ですのよ。品質は保証しますわ」
「ゆっ、ユアン様?いきなり何を――」
ユアン様から告げられた言葉に戸惑っているうちに、ユアン様の指示に大公家の侍女さんたちが集まってきた。
「ご、御冗談、ですよね?」
「あら、チェル様はわたしが冗談でこんなことを言いだすと?」
憤慨するユアン様がまた大変幼く見え、知った今となっても年上とは思えない。
「確かに素敵なドレスだと思うのですが、自分で着るだけじゃ、人からどのように見られるのかわからないじゃないですか。なので、第三者的にドレスを着た人を見たくて、チェル様をお呼びしたんですの」
「でっ、ですが、わたしとユアン様では、体形も微妙に違いますよっ?!」
「……そうですね。チェル様にあって、わたしにはないものがありますわね」
ついっ、と顔を逸らすユアン様。
わたしとユアン様はほぼ身長は同じくらいだ――しかし、何を隠そう、わたしの方が、その、あれだ。む、胸が大きい。胸なんて脂肪の塊だし、肩こりの遠因にしかならないのだが、お姉さま然り、ユアン様然り、なぜか親の仇のように人の胸を睨んでくる。
「いえっ、そっ、そういうわけではなく!」
「では、着替え終わるまで、隣の部屋でお待ちしますわ。後はよろしくね」
「ゆっ、ユアン様っ、あのっ?!」
ユアン様がこれで話はおしまい、とばかりに笑顔で身を翻して退室された。わたしの差し伸ばした手は、有無を言わさない笑顔の侍女さんに優しく降ろされ、あっという間にひん剥かれた。
何が何だかわからない。
学院の卒業試験も無事終わり、後は卒院式、もしくは学院に在籍して更なる研究の道に進むかどうかを決める猶予の期間だった。
ユアン様は卒院され、来月の結婚式の準備に入っていた。
わたしは在籍して、独身のまま研究に明け暮れるつもりだった。
そんな時、ユアン様からお招きを受けた。
「ウェディングドレスが仕上がったから、ぜひ見に来て感想を聞かせて欲しい」
そんな風に頼まれたのなら、わたしに否はない。
最高級のドレスを間近で見られる、と喜び勇んでユアン様に会いに来た。
そして、その最上級のドレスを着るユアン様を思い描き、早く良き日を迎えられるように、という期待を膨らませた。
だがしかし。
なぜ?
何故、わたしがそのドレスを身に纏っているのかが、さっぱりわからない。
全身が移る姿見にその飾り立てられた姿を映し、わたしは呆然と立ち尽くしていた。
ユアン様とは体形が違うはずなのに、なぜか誂えたかのように、このドレスはわたしにぴったりだった。
意味が……訳が分からない。
鏡に映るわたしの表情が、それを如実に語っている。
気付いたらドレスだけでなく、頭にはベールにティアラまで載っている。
手にも小ぶりとはいえ、ブーケまで握らされていた。
なにより、あれほど寄ってたかって着付けてくれた侍女の皆さんがいつの間にかいない。
脱ぎたいと思っても、このドレス、自分一人じゃ脱げない。
詰んだ。
はっきり言って、泣きそうだ。
しかし、シミの一つ、シワの一つでも付けようものなら国際問題に発展してしまう。
潤む目に力を入れたところ、隣に通じる扉のドアノブが音もなく回るのが見えた。
「ユアン様っ!」
たまらず、声を上げたわたしの視界に映ったのは、艶やかな黒。
やっと救世主が来てくれた、と喜び勇んだわたしの顔は強張り、それ以上の言葉は喉の奥に引っかかって止まった。