39.案内役の打診
「チェルに縁談申し込みの話って来てる?」
なんでおにぎりにかぶりつこうとした瞬間に、そんな話を振るかな。
とりあえず、わたしはおにぎりを膝の上に戻した。
「知らないわ。どちらにしろ、全部お義兄様に断ってもらっているもの」
「ザグデン公爵子息が後見人かぁ。それじゃあ、なかなか圧力かけらんないだろうね」
今の義兄は伯爵家の婿。
しかしその背後にザグデン公爵家があるので、単なる伯爵令嬢であるわたしに、縁談を無理強いできるような家はほぼないと言っていい。今現在、ザグデン公爵家よりも家格が上で、結婚適齢期の男性がいる家はない。尤も、公爵家より家格が上なのは王家か今現在は存在しない大公家、くらいである。おかげでわたしは未だに婚約者の一人もなく、自由に過ごさせてもらっている。
義兄様様である。
「縁談申し込み、と言えば」
わたしは数日前に届いた封筒を取り出した。それは大変薄い紙でできており、光にかざすと中の便せんごと透けてしまうような、不思議な素材だった。
「いつの間にか玄関ホールに置いてあったらしいんです」
「あ、それ僕」
フィリップ様はニコニコと自分の胸を指差した。
「僕がチェルに縁談申し込みの手紙を送ったんだ!」
「まず、どうやって届いたか不思議で、我が家は大変だったんですけど?」
「あ~、ごめん。僕個人から手紙を送りたかったから、精霊に頼んだんだ」
だってハートレイ家からだと、さすがに断れないでしょ、と言われれば、黙るしかない。
どうやら、フィリップ様が私信として書いた手紙を、精霊様が届けてくれた、ということらしい。
「わたし、誰とも結婚するつもりは――」
「わかってる。だからハートレイを通さなかったんだし、何かあったら僕がいるよ、って知っててほしかっただけなんだ」
微笑むフィリップ様は、最近ますます人外じみた美しさを持つようになった。
どうやら精霊との契約のせいらしいのだが、そのおかげで彼の株は爆上がりである。今や生粋の貴族よりもその所作は完璧で、笑みの一つでも浮かべれば、ご令嬢が卒倒するほどである。ハートレイ家に縁談申し込みが殺到しているらしい。
「そういうフィリップ様こそ、より取り見取りのご縁談、どうするんですか?」
「うーん。どうせ子供に継がせられないんだから、無理に結婚しなくてもいいと思ってるよ。お互い結婚しなかったら、チェルとその分一緒にいられるし」
そういう問題ではない――が、その答えを急いで出す必要もないだろう。
火の粉さえこちらに来なければいいな、と思いつつ、わたしは再びおにぎりを手に取った。
今日は雲一つない空。
この場所はお姉さまのとっておきで、リーファイ様との出会いの場所だと、入学前にこっそり教えてもらった。おかげで安心して、誰にも見られず(フィリップ様にはばっちり見られてるけど)大口開けて食べられる。
今しばらくは、このままでいい。このままでいたい、と思った。
そうして、王立学園二年目は過ぎていった。
王立学園の最終学年の年だった。
第二王子殿下帰国の報に、国中沸き立った。
かつての神童、その後身を持ち崩し、遊学と称し国外へと逃げた、と言われた殿下だったが、その遊学先で様々な功を立てた。各国からの招聘合戦が起こったようだけど、この度遊学先で出会った遠国の姫を伴い、それらを振り切って帰国された。
その遠国の姫がこの国のことを学びたい、とのことで特例として王立学園に一年間通うらしい。
「えっ、わたし、ですか?」
学園長室に呼び出されたのはわたししかいないのだから、それは愚問だとは思ったが、聞かずにはいられなかった。
「ええ。あなたに私の案内役をお願いしたいの」
目の前のソファに座るのは、豊かに腰まで伸びた艶やかな黒髪、黒曜石のような大きな黒い瞳を持つ、第二王子と共に帰国された遠国の姫、ユアン様。その色合いに、ツキリと胸に痛みが走る。義兄も同じ色を持つが、あの人とはまとう雰囲気が違うため、特に何かを思うことはない。でも、なんとなくユアン様のアルカイックスマイルが、忘れたくても忘れられないあの人をふと思い出させた。
そんなわたしの物思いを打ち消すかのように、斜向かいのソファに座った学園長が口を開いた。
「君の家は遠国の風習にも、馴染んでいると聞いたが?」
「そうですね。我が家では、遠国の家庭料理なども食卓に上ります」
「遠く離れた異国まで来てくださった、大事な姫君だ。よろしく頼むよ」
遠国の姫からの希望の上、学園長直々に案内役を任せられてしまった。
そんな大役務められるのか、と戦々恐々としていたが、意外にも遠国の姫は気さくな方だった。こちらの言語も流暢で、意思疎通も問題ない。どうやら第二王子と会話したくて、一生懸命学んだらしい。大変可愛らしく、努力家な方だというのが、わたしのユアン様への第一印象だった。