38.ベタなシチュエーション
「公爵家の後ろ盾があるからって、増長して」
「伯爵令嬢風情が、いい気なものね」
「ハートレイ家に取り入って、もと平民の奥方にでもなるつもり?」
教室に三人組の令嬢が現れ、半ば拉致同然に連れてこられた。
ここは学園の裏庭。学園に入学して二月ほど、こんなうら寂れた場所があるとは知らなかった。周りを適度な木々が遮り、ひそやかな「話し合い」をするのに最適だ。
「ちょっと!きちんと話を聞きなさいよ!!」
「あ、どうぞ。続けてください」
もの珍しさにキョロキョロと周りを見回していると、ご令嬢たちが苛ついた声を上げた。
その鬼のようなお顔、令嬢として不味くない?
「こちらが親切に忠告してあげてるというのに、生意気ねっ」
「あなたなんか、フィリップ様に相応しくないわっ!」
「へぇ、どう相応しくないの?」
片手を振りかぶった令嬢は、背後から聞こえた声にピタリとその動きを止めた。私はその背後に見えた人影に声をかける。
「あら、フィリップ様。よくここがわかったわね」
茂みをかき分けて出てきたのは、フィリップ・ハートレイ。わたしの友達だ。
フィリップ様に気付いたご令嬢方は、頬を染めつつ狼狽えた。器用だな。
出会った頃に比べ、フィリップ様は大分見た目が変わっていた。しなやかに伸びた身長、そばかすのあった肌は、今では透き通るような白磁の肌で、シミ一つない。立ち居振る舞いも洗練され、生まれが平民だとはとても思えない。
まるで、文献で表現される精霊のような美少年に成長していた。
「君たちの言う『親切』って言うのは、複数人で一人のご令嬢を囲んで恫喝すること?」
わたしとご令嬢たちの間に割り込み、その背にわたしを庇うように隠した。
男らしくなった背中に、ふと肩の力が抜けた。意外とわたしも緊張していたようだ。
「どっ、恫喝ではなく――そう、マナー!貴族としてのマナーを説いていたんです!」
「ふぅん、マナーねぇ。知ってる?チェルはマナーの講師に、ほぼ教えることがないくらい完璧だ、と褒められてること」
まぁね。お姉さまにまとわりつくだけでなく、一緒にそこらへんも学んでいたのよ。
下の子は要領がいい、ってそういうところもあるわね。
「で、そういう君たちのマナーはどうなんだい?」
フィリップ様は意地の悪そうな笑いをその唇に上らせ、左から順々に令嬢方の名前を呼んだ。三人のご令嬢たちは言葉もなく、顔色は真っ青を通り越して、真っ白だ。
「なんで君たちの名前を知っているかって?僕はハートレイだよ?」
ハートレイ家の後継者、いわゆる霊力が高い者とは、精霊に好かれる。
故に、精霊と契約することができると言われている。
精霊と契約をすれば「使役」することができ、どう「使役」するかは本人のみぞ知る。そして、およそ人知を超えたことができるらしい。
彼女たちは知らなかったのだろうか。
「ついでに、ハートレイの後継者を貶める発言も聞こえたんだけど、国教会から破門を食らいたいのかな?」
「いっ、いいえ、そのようなことはっ」
「も、申し訳ございません!」
「二度と、このようなことは致しませんので、どうか、どうかご容赦ください!!」
あらあら、泣きながらへたり込むくらいなら、最初からやらなきゃいいのに。
国教会からの破門。
それは、この国の国民に非ず、と烙印を押されるようなものである。
貴族の特権もなくなり、平民以下、奴隷と同じ扱いにまで落ちてしまう。この階級社会でそれはそれは恐ろしい報復、あるいは罰なのである。
「二度目はない。覚えておいて」
冷たい表情で宣言したフィリップ様に手を引かれ、この場を後にした。
「チェル。助けが遅くなって、ごめんね?」
「フィリップ様、呼び方」
わたしが指摘すると、フィリップ様はパッと両手で口元を押さえた。
実のところ、わたしは未だにフィリップ様に愛称呼びを許していなかった。なのに、たまにフィリップ様は「無意識」に、わたしの愛称を呼ぶのだ。
「ごめん、また……」
「いいえ」
申し訳なさそうな顔でこちらをうかがうフィリップ様に、わたしはため息をつきかけ、やめた。
「その前に、助けていただき、ありがとうございました」
「僕こそ、すぐに駆け付けられなくて――怖かったでしょう?」
「いいえ?いざとなれば、あの三人くらい振り切れましてよ」
なんか面白そう、って思ってしまったのだ。
だって、放課後の呼び出し、裏庭、なんて。どれだけベタなシチュエーションなんだろう、って。そもそもわたしはお転婆だったので、そんじょそこらの令嬢に比べ、体力も走力もあると自負している。
ん?ベタ?シチュエーション?
意味は分かるけど、わたしはたまにいつ覚えたかわからない言葉を使ってしまうことがある。
っと、今はそのことよりも。
「というか、そろそろあきらめました。もういいですよ、わたしのことは好きに呼んでいただいて」
何度注意しても、愛称呼びを止められないようなのだ。
こちらも意地になってやめてくれと言っていたが、根負けした。
面倒くさくなった、ともいえる。
「い、いいの?!」
「はい。でも、フィリップ様のことは今まで通り、フィリップ様、と呼びますからね」
「ありがとう、チェル!」
「フィリップ様!ハグはダメです、ハグ禁止!!」
フィリップ様が力任せにわたしを抱きしめて来た。付き合ってもいない、婚約者でもない異性とこれはダメだ。こちらも精一杯両手を突っ張って抵抗するが、力負けだ。周囲に視線を巡らすと、フィリップ様が耳元に唇を寄せて囁いた。
「大丈夫。精霊たちが言うには、周りに人はいないから」
「そうですか。でも、もう放してください」
「あともう少し」
肩口に乗せた額をすりすりと左右に揺らす。
ふわりと新緑の瑞々しいフィリップ様の香りが鼻腔をくすぐり、心音が少し拍動を速める。
ふいに、あの人の事を思い出した。
その想いに瞬間強張った体から、温もりが離れた。
オリーブグリーンに金環の瞳が、不安そうに私の顔をのぞき込んでいた。
「チェル、ずっと一緒にいてね」
切なげに目を細めるその微笑みは、あまたのご令嬢を虜にしているのを知っている。
でも、わたしは……
「友達としてなら」
「いいよ。チェルの心に誰がいても、ずっと側にいるのは僕だから」
わたしには、なにも答えられなかった。