23.ご一緒にランチはいかがですか?
マグロの刺身は大変美味しゅうございました。
お姉さまとヤンさんの邂逅はちょっと困ったことになった。
せっかくマグロの解体ショーをかぶりつきで見られると、わたしがはしゃぎ過ぎた結果だったが、お姉さまには悪いことをした。
しかし、ヤンさんのマグロ切包丁を持った姿を、ヤクザのカチコミと言われたら、うなずくしかなかった。似合いすぎ問題。
お姉さまのおかげで、和食に近い食事も口にする機会が増えたけれど、さすがに刺身は無理だった。寄生虫対策に、魚はしっかり火を通すことが徹底されていたからだ。
食は欧米がベースなのか、辛うじてカルパッチョのような酢で締めたものはまだしも、生食の文化がないのがネックだった。
次はぜひともタコを食べたい。
さすがにデビルフィッシュの生食は、レベルが高すぎか?
「お弁当を頼まれたんですか?」
さすがお姉さま。
がっつり、リーファイ様の胃袋つかんだ模様。
おふくろの味は強し。
「何作ろうか悩んでて。所詮素人の手料理程度だから、そんなに見栄えのいいもの作れないし」
「男性でしたら、食べ応えのある肉系を沢山入れたら間違いないんじゃないですか?」
「そうね。唐揚げとか揚げ物なんかもいいかしら。汁物系はお弁当に入れにくいけど、角煮とか?」
「お姉さまの作る料理は何でもおいしいです!」
「多めに作って、チェルのお昼のお弁当も用意するわね」
わたしにはネギトロ丼を作ると約束してくれた。
中落まで無駄にしない、もったいない精神万歳。
明日のお昼が今から楽しみだ。
翌朝、例の髪飾りをしっかりお姉さまの髪に飾りつけて、送り出した。
お昼時、わたしは庭へ出て、木陰の一角にシートを敷いた。天気も良く、ピクニック日和だ。邸からも目が届く場所なので、一人だけにしてもらった。
「生の魚なんて、食べられるわけ――ねぇ、それおいしいの?」
「嫌ならいいわよ。わたし一人で食べるから」
「い、イヤとは言ってない!たた食べてみるよ!!」
さすがに昨日は人前でフューリーに刺身をあげるわけにもいかず、本人も気味悪そうにしてたので食べさせなかった。別皿に味見程度にネギトロを盛ってあげた。
「えっ、なにこれ?!」
恐る恐る口にした瞬間、その表情が変わった。
気に入ったようだ。
わたしは無言でもう少しおすそ分けしてあげた。ワサビもちょっとだけ添えながら、説明した。
「この緑のやつは辛いから、少しずつ」
「ひぇっ!かっ辛っ!!」
ワサビを塊ごと口にしたようで、もがくように空中を器用に転げまわった。
人の話を聞かない自由な精霊に、ため息をつきながらわたしはポットから緑茶を注いであげた。これもまた、リーファイ様が届けてくれた荷物に入っていたものだ。
「ひどいよ、チェル!だますなんて!!」
「騙すも何も、勝手に食べたのは誰かしら」
わたしがため息交じりに呟くと、むぅと唇を尖らせてむくれる。
あら、可愛い。
「あなたといると、退屈しないわ。手のかかる弟みたい」
「失礼な!チェルと違って、何年生きてると思うんだ?!」
「あら、確かに。精霊って、そんなに長生きなのね?」
「そうだよ!ずっと、ずーーーーっと!この国が作られる前から生きているんだからっ。王様よりももっと偉いんだからな!!」
「はいはい。では、王様よりも偉い精霊様。お口直しにこちらの甘味はいかが?」
デザートの羊羹を差し出すと、やはり気味悪そうに黒い物体に二の足を踏んでたが、一口食べて気に入ったようで、ぺろりと一切れ完食していた。
「でも、チェルといるのは楽しいし、美味しい」
「美味しいはお姉さまのおかげだけどね」
「うん。できればもっともーーーっと、美味しいを食べていたい!」
「そうね。なるべく長い間一緒にいられるといいわね」
わたしはフューリーとランチを楽しみながら、お姉さまの動向をうかがっていた。
結論として、リーファイ様は鈍いところがあるけれど、悪い人ではなさそうだ。
今のところ、お姉さまはまるで前世の「推し」を見るような感じで、リーファイ様を崇めているようだ。
音声のみなのに、なんでそんなことまでわかるのか、ですって?
前世から数えて幾星霜、姉妹をやって来たのだ。そこは阿吽の呼吸というやつです。
そしてやっぱり、リーファイ様は第二王子殿下の命令でお姉さまに近づいたらしい。
週末の顔合わせ前に、どんな人物か知りたかったのだろう。しかし、お姉さまの趣味は金髪碧眼ではなく、リーファイ様のような黒髪黒目のメガネ男子だ。
ある意味、スパイとして最も相性の悪い。いや、むしろいいのか?
このままでは、顔合わせ前にお姉さまはリーファイ様に落ちてしまう。いや、ほぼ落ちてるといっていいだろう。
まぁ、リーファイ様の方にまだ脈がないようだが。
そもそもお姉さまの好みではないんだよね、第二王子。
でも、どうしよう。
お姉さまに第二王子との顔合わせに行ってもらわないと、わたしが会いに行く理由がなくなってしまう。
なのでお姉さま、なんとか顔合わせまで頑張って。
それにしても、つくづくこの七歳という年の差がうらめしい。
果たして、第二王子は婚約者候補というには微妙な、十歳の幼女のために時間を作ってくれるだろうか。
フューリーを使う、という手は最後の最後にしておきたい。
いいように使わせてもらっているが、精霊という存在をなるべくなら公言したくない。
基本的に彼らは永遠の命を持ち、自由な存在だ。フューリーだって今はわたしに縛られているが、わたしが死ぬまでの期間限定の契約だからこそ、あまんじて受け入れてくれているのだ。
この世界には魔法と呼べるものはない。
その代わり、というか、精霊という存在が神のように崇められている。
この国には王族に次ぐ権威であるハートレイ家があり、精霊教会という国教会を束ねている。その後継者には、精霊に愛されている者が選ばれるらしい。
どういう選考基準なのかはあいまいだが、わたしはそれに相当しそうだ。
この家から出て、知らない家門の後継者になるなどごめんだ。
今のままで十分。
余計な波風は立たせなくてもいい。
慎重な性格、と断じたからこそ、あの自称神もわたしに精霊を付けてくれたのだと思う。
わたしの性格故に、精霊という存在を秘匿し、守るだろうと信頼してくれたのだ。
その信頼に報いるためにも、わたしは一生、この秘密をわたし一人の胸にしまっておくつもりだ。