21.壁に耳あり障子にチェルシー
昨晩、仕事から帰って来たお父さまの様子はいつもと違って変だった。
夕飯の時にお母さまに後で書斎に来るように、と告げて、早々に切り上げていた。
何かがある、と思って、フューリーを呼び出したが、来なかった。
しまった。
うちはブラック企業じゃなくて、ホワイトよ、とか言って、完全週休二日制なんて宣言しちゃったものだから、たまにフューリーはどっかに雲隠れして羽を伸ばしているようだ。
わたしの呼ぶ声は聞こえているようだけど、結局は気分が乗らないと手伝ってくれないのだ。
運悪く、今日はその気分が乗らなかった日らしい。
翌日、今度はお姉さままで書斎に呼び出されていた。
間が悪いときは重なるもので、わたしが渡した『聞き耳』つきの物を、お姉さまはつけてなかった。
今日こそ、秘密を突き止める!
意気込んだ私は、フューリーを捕まえた。
「書斎の中で、何の話をしているのか聞いてきてちょうだい」
「え、めんど……」
「おやつで余ったお菓子があるんだけど?」
「わかった~」
お菓子で釣れば、何とも気の抜けた返事で、フューリーは書斎へと侵入していった。わたしとフューリーはつながっているので、送受信機がなくても盗聴可能だ。
「グウェンに、というか、我が家へ婚約の打診が来ている」
「どなたと、ですか?」
「第二王子殿下だ」
なんですって?!
一瞬、頭が真っ白になった。
「私たち」を巻き込んで、さっさと死んでしまった「彼」を、この世界に転生させたのは、「私」。
いえ、厳密にはそうしてくれ、と頼んだのが「私」で、願いを叶えてくれたのは自称神。
人二人殺めた後悔も罪悪感もなしに死んだ「彼」が、純粋に許せなかった。
嬉々として転生を受けいれた妹も、粛々と転生を受け入れた「私」も、決して未練がなかったわけではない。
「私たち」はごく一般の家庭で、ごく一般的な家族と、ごく一般的な生活をしていた。両親に姉妹二人。両親にとって、「私たち」二人だけが子供であった。
せめて、どちらか片方――いや、一人欠けたとしても一緒か。
二人いっぺんに娘を失った両親の、その喪失感はいかほどだったか。
だから、「私」は「彼」を許してはいけない、と思った。
そう思わないと、無理だった。
わたしにとって自分と、妹の『死』を受け入れるということは。
フューリーというチートを手に入れたわたしは、転生したはずの「彼」を探した。
「彼」には死の瞬間の記憶だけ残すよう、神に願っていた。
この世界で生きる「彼」は、果たしてどんな風に生きているのか。
その記憶の夢を夢と見做してごく普通に生きているのか、はたまた自暴自棄になって荒れた生活をしているのか。
目的の人物は意外と簡単に見つかった。
「彼」は――第二王子として転生していた。
いや、憑依と言った方が正確か。
フューリーに集めてもらった噂によると、第二王子は六歳の時に毒殺未遂に見舞われたらしい。生死の境を彷徨った末、奇跡的に生還を果たした、と。
しかし、それまで神童と言われていた王子は、凡才になり下がった。
毒殺の原因がその非凡な才能が故であるため、その恐怖で委縮したのだろうと囁かれるようになった。
半分は本当で、半分は違う。
その本当の理由は、中身が別人になったからだ。
まさか王族に生まれ変わっているとは思わなかった。
自称神の悪ふざけだろうか。
私は慎重に「彼」の動向を探った。
第二王子の凋落に、周りの者は落胆と安堵の様相を呈していた。落胆したのは第二王子を擁立する派閥で、安堵したのは王太子派だった。王太子派は毒殺にこそ失敗したが、第二王子を玉座から遠ざけることには成功したと言えよう。
もとのポテンシャルが高かったが故に、第二王子は期待されていた。
そして幼い王子に勝手に期待していた者たちが、勝手に期待外れだと落胆した。
第二王子はそれはもう苦労していたようだった。今まで学んでいたことを忘れ、一から学び直し、できていたことができないことで叱責もされていたらしい。
そうやって、少しでも苦しめばいいと思った。
苦しんで苦しんで、最期の時の「私たち」の痛みを思い知れ、と。
わたしは善人じゃない。
与えられた苦痛は倍にして相手に返してやりたいと思う、性根の腐った人間だ。
「彼」もまた生まれ変わったはずなのに、一番深いところにある記憶。
人を――「私たち」を殺した瞬間の記憶。
それを忘れないように、思い出し続けるように。
だから、そう望んだ。
「彼」が罪悪感に苛まれ続けることを。
わたしは――わたしは、なんて矮小で、卑怯な人間なんだろう。
「彼」もまた、ある意味では被害者だ。
そして、その加害者とはこのわたし、だ。
いつしか、「彼」と会わなければいけないと思うようになった。
しかし、そう思ったからと言って、それが実行できるかどうかはまた別だ。
王家と、平凡な伯爵家の間に、接点などあろうはずがない。
初めてこの中庸な身分を恨めしく思った。
せめて、もう少し位が上なら、もう少し、年齢が近かったのなら。
残るは、偶然の出会いにかけるしか……
そこへ転がり込んできた、彼との接点。
これをものにしなければ、次はいつチャンスが巡って来るかわからない。
幸運の神には、前髪しかない。
それを手にするのは――今だ。
彼を許していいのか、許せるのか、それはまだわからない。
だけどわたしは意を決して、書斎へと飛び込んだのだった。
そして、望んだ結果を手にした。