17.閑話ーリーファイ視点04ー
母のレシピを真剣な顔で眺めるグウェンの横顔を見つめる。
ジッと凝視していると、ふいにグウェンが顔を上げた。
「リーファイ様」
「ん?」
「近いです」
「母上のレシピ、俺も見たい」
とっさに言い訳をしてしまったが、こちらを見てくれたグウェンに口元が自然と綻ぶ。
「では、どうぞ」
ため息を一つこぼして、彼女にレシピ本を差し出された。反射的に受け取ってしまったが、彼女はさっさとコンロの方へ行ってしまった。もちろん、後を追う。彼女の耳が赤く染まっているのは、俺を意識しての事だろうか。そうだったらいいな、と思った。
手伝うどころか、はっきり言って邪魔にしかなってない気はする。どうしようか、とそれ以上近づけず、そばでウロウロするばかりだ。
鍋に調味料を入れ、お玉でかき回し始めた彼女は鼻歌を歌い出した。
あ、その歌……
母も料理中、興が乗ると歌っていた。
確か、お弁当箱におかずを詰めていく、というだけの歌だった。子供心に、美味しくなさそうなおかずばかりで、そんなお弁当は嫌だ、と母に文句を言ったっけ。
俺はいつも、今日はあれを作って欲しい、次はあれが食べたい、と母にリクエストしながらまとわりついて――
でも、ここにいるのはかつての母じゃない。
彼女もまた、いつか俺の前からいなくなってしまうのだろうか。
出会ったばかりなのに、その姿を見るだけで、笑いかけてもらうだけで、こんなにも胸が苦しい。手放したくない、という思いだけが頭の中を埋め尽くす。
今更、彼女を諦めるのは無理だと悟った。
悔しいけど、あいつの言った通りだ。
目の前には、背を向けたグウェンがいる。その青灰の瞳で、俺を、俺だけを見つめて欲しい。
「何してるんですか?」
「あ、いや、その……」
くるりと半身を返したグウェンに、またしても見とがめられた。
俺は今、自分の体勢に愕然とした。
まるで、グウェンを背後から抱きしめようとするかのように、両腕を伸ばそうとしていたのだった。周囲の料理人たちも察したのか、生温かい目でこちらを眺めていた。
なんとか適当な言い訳をして、その場から逃げ出した。
すんでのところで、紳士としてあるまじき振る舞いをするところだった。
いくらあいつからの許可が出ているとはいえ、グウェンの気持ちも聞く前に、蛮行に及ぼうとするなんて、恥ずべき行いだ。
廊下を歩きながら冷静さを取り戻し、今後の段取りを脳内で計算する。
もう、心は決めた。
週末のあいつとの顔合わせなどさせない。
今日、今夜、ここで決めてしまおう。グウェンを手に入れる。彼女の性格からして、是が非でも王子妃に、というタイプではないと思う。
だからといって、俺を選ぶとも限らない。
でも、俺を選んでくれたら、絶対後悔だけはさせない。
「父上、お願いがあります」
父のいる執務室にノックをし、返事をもらってから第一声を発した。
一瞬面食らったようだが、父はすぐさま冷静な表情に戻った。
「今日、邸に招いたグウェン嬢ですが、俺は彼女を――彼女と、婚約したいです」
「それは、グウェン嬢も納得済みか?」
「いえ、まだ意向も聞いていません」
「ずいぶんな入れ込みようだな」
執務机に向かっていた父が、両手を組みながら深く椅子に腰かけた。
「いくら第二王子殿下から許可を取っているとはいえ、勝算はあるのか?」
「ある、と思いたいです。でも、俺にはもう彼女以外に考えられません」
「ふむ」
パサリと目の前に書類を出された。視線で促され、それに手を伸ばす。
内容は、グウェン本人とミューズリー伯爵家についての報告書だった。昨日の時点で、父が手を回したのか。父の裏をかくのはまだ無理か。
もともとグウェンは学園で婿探しをしていた、との記述に、書類を掴む手に力が入った。しかし、誰にするかはまだ決めかねていたようだ、との記述にホッと肩の力を抜く。
「第二王子の件さえどうにかできるのなら、そう悪くもない。ただ、お前に伯爵家の婿になる決意があるのかどうか、だ」
「全く異存はありません」
「そうか――そうだな。いつ申し込むつもりだ」
「今夜、晩餐の席にて申し込みたいと思います」
ふと、顔を出した弱気を無理やり抑え込む。
俺にはもう、グウェン以外の未来は考えられなくなっていた。
「絶対、手に入れます」
「お前は母親似だと思っていたが、妙なところは私に似たようだな」
父が目を細めて苦笑した。
俺は苦労すると分かっていて、それでもなお母をさらうように連れて来た父の血を引いてるのだ。時間もない。今だって立ち止まってる暇などないのだ。
父からの了承を取り付けた俺は、まずはあいつに使いを送った。
それ見たことか、とばかりに高笑いするあいつの顔がよぎった。
手のひらの上で踊らされるようで業腹だが、グウェンと引き合わせてくれたことにだけは、感謝してやらないこともない。笑いたければ、笑えばいい。
ちょうど晩餐前に「成功を祈る」と、一言だけ書かれた手紙が届いた。