09話 「災禍の小鬼」
『対策会議? いやいや私たちは遠慮しておくよ。実のところ柔らかいシーツが恋しくてね。宿のベッドを心行くまで堪能させてもらう心積もりなのさ、はっはっさ』
少女の憎たらしい高笑いを思い返し「自分もそっちの方が良かったなー」と詮無い愚痴を小さくこぼす。
長机に突っ伏し、痛む腰に手を添えるのも限界が近い。
「いつまで続くんだ、この会議……」
ゴブリン対策会議。
そう銘打たれ、公会堂で繰り広げられる罵声や怒号の応酬を見物すること既に三時間。
それほどの時間を費やしてもなお、村の名士側と冒険家側の間にある隔たりは埋まる様子がない。
ちなみに新参者のピーターには発言権はろくに与えられないままだ。居る意味についても問い正したい。
「四人! 一週間でもう四人じゃ!」
村の名士たちは十人ほど。
いずれも年齢を召されたご老体でありながら目を血走らせて殺気立ち、椅子を横倒しにして唾を飛ばしている。
「若い娘ばかりが四人も攫われとるというのに、お前らと来たら小鬼どもを追い返すのが精一杯か!?」
「その上、儂らに村を捨てろと言いよるんか!?」
「恥知らずめが! 何が荒事専門の冒険家か! ゴブリン如きも仕留めきれんとは質も落ちたもんじゃのう! 若けえ頃のワシでも殺せよったぞ!!」
凄まじい剣幕に耳を塞ぎたくなるが、妙な注目を浴びたくない小市民なピーターにその勇気はない。自分が石像だと言い聞かせ嵐が過ぎるのをじっと耐えるのみ。
(とはいえ……苛立つのも無理はないんだよな。ゴブリンの襲撃は今日に限った話じゃなく、引っ切り無しだ)
これまで致命的な被害こそ免れているものの、乱戦の度に村から若い女性が消えている。別働隊を動かすという知能もあるということだ。
幸い、今回の襲撃では誰かが攫われることもなかったが、大本を絶たなければ魔獣の襲撃は断続的に続くのだろうし、村全体も疲労が溜まる一方だ。
「我々も最善は尽くしているのです」
主に攻撃対象になっている丸眼鏡の青年は、涼しい顔でそう言いのける。
あの剣幕に心を全く揺らさない胆力こそが冒険家に最も必要な素質かもしれない、等とピーターが明後日の方角に感心してしまうほどに頼もしい。
「ですが、皆様もお聞きでしょう。ナナシノ、ハリュウ、ヌエマと近隣だけで三つの村がゴブリンに滅ぼされ、百人以上が犠牲になりました。もはやゴブリンは昔とは違う生き物だと認識していただかないと」
「三つ合わせてもホウロンに届かねえ木っ端村でねえか!」
「ですから、逆に守りづらいのです。我が冒険団の構成員は二十人規模と破格ですが、それでも四方八方をカバーするのは至難で……」
淡々と説明する冒険団の青年の表情にも疲れが見える。
段取りは向こうに任せた以上、水を向けられない限り余計な発言は控えようと心に誓い、ピーターは視線を窓の方角にずらした。
真っ暗闇を照らす三日月を眺め、情報を精査する。
(やっぱり問題はゴブリンらしからぬ――高い知能)
冒険団の動き自体は悪くない。
何度も調査隊を送り込み、既に巣穴の目星を付けることにも成功している。
だが討伐隊を編成し、村の防備が薄くなった頃合いを見計らったようなタイミングで村がゴブリンに襲われている。
その際、彼らは討伐隊を器用にやり過ごして村に現れる。
どこかに別の拠点を設け、出払った頃を見計らって攻めてきているに違いないのだが、未だにその場所を割りだせない状況だ。
ただのゴブリンにそんな芸当ができるとは思えない。
(やっぱり、親玉がいるんだ。ゴブリンの親玉、指揮官に当たる突然変異種が)
王とでも呼称するべきか。
かつて出会ったあの怪物の姿は、今でも鮮明に思い出せる。
通常のゴブリンとは一線を画すあの巨体。
最弱の魔獣にあるまじき怪力に生命力、そして狂暴性。
そこに加えて低級ゴブリンへの統率能力が加わったとなれば、もはや親玉という称号も生温い。
(昔は手も足も出なかった。今は……)
開いた手に目をやり、ぐっと握る。
青年時よりは今の自分のほうが充実している。
肉体的なピークは過ぎたが、蓄積してきた経験と技術は久しぶりの実戦でも有効に機能した。
噎せ返る血の匂いや飛び散る肉片に怯えたあの頃より、まだマシな争いはできる実感がある――あるのだが。
(……殺しきれる自信が湧かない)
問題は、体躯を覆う分厚い肉や硬い骨だ。
両断する手段もなく無策で対峙しようもなら、ナイフで喉元を掻っ切る前にあの太い腕に掴まれ絶命するだろう。
(あるいは、狭い洞窟内で、完璧に動きを封じれば五分五分まで持ち込めるだろうか……)
王都で取り揃えておいたナイフ以外の小道具をどう扱うか、脳内でシミュレーションを何度も重ねる。
(こう……いや、こう?)
退屈だったのも手伝い、妄想に自然と熱が入ってしまう。
ふと我に返る頃には背中は冷や汗に濡れ、居心地悪く身を捩りながら欠伸を一つ。
その億劫そうな仕草が、村の代表の目に止まった。
「……ぁ、やば」
老人がみるみると眦を釣り上げていく。
怒りの矛先が自分に向けられることを察し、唇を引き結んで罵倒を覚悟する。
「大体、王都から来たのがこんな――」
「失礼するよ」
唐突に公会堂の扉が開き、流麗な少女の声が響いた。
険悪な雰囲気など我関せず、とばかりに笑みを讃えた堂々たる姿に、その場にいた全員の視線が注がれる。
彼女――ルシカは何かを探すように周囲に目を滑らせた。
一瞬、それが自分を探す様子だと思ったピーターが救いを求めるように手を挙げ、何とか公会堂からの脱出を図ろうと画策したのだが。
「ああ、あった」
彼女はスタスタと中に入るとピーターの隣を通り過ぎ、備え付けられた本棚へと向かい一冊の本を手に取った。
その表紙に目を落とし、ぱらぱらと頁をめくる。
紛糾する会議に水を差す暴挙だったが、あまりにもその所作が美しく洗練されているものだから、皆押し黙ってその様子を見つめていた。
「『災禍の小鬼』」
歌うような声音で黒い少女が本のタイトルを呟いた。
「……ねぇ、白い髭が素敵なご老体。この本、どこで手に入れました? 昔からある本ではないんでしょう?」
「……そいつはひと月前に行商人が売りにきた」
「ありがとう。ゴブリンの本がここにあると聞いてね。それからあなたの娘さんより伝言も頼まれた。『夕食時ぐらい帰ってこないとアンジーがぐずりますよ』」
言われ、最長老といった風貌の村の名士が表情を崩した。
アンジーは彼の孫の名だろうか。
柔らかくなった空気は周囲にも伝搬し、皆が時計や窓の外に目をやり、そわそわとした様子になった。
(これは……解散の流れに、なるかな?)
ピーターは期待したが最長老は「いや」と首を振った。
「これは村の行く末を決める大事な会議。中途半端で終わらせるわけにはいかん」
「同感です。無為に一日を浪費できませんから」
冒険団の青年も同調するので、ルシカはお気の毒、という視線をピーターに向けてから、本を小脇に抱えて退出していく。
その扉が閉まる直前、彼女は振り返った。
「ピーター。東小道沿いの宿屋を抑えてるから」
「あ、うん。ありがと」
「程々に頼むよ」
扉が閉まる音がした。
まるで気まぐれなつむじ風が過ぎ去ったかのようだ。
ごほん、と誰かが咳払いをしてから話し合いが再開されるが、議論は打って変わって落ち着いた進行と相成った。頭から否定するばかりの村側に僅かながら譲歩の兆しが生まれ始めたのだ。
(……頭が冷えたのか、怒りに水を差されたのか)
狙ってか謀らずかは定かではない。
しかし一度熱が冷えた議論はまるで上から下に流れる水のように滑らかに進んでいった。
冒険団側が出す条件の幾つかで村側の譲歩を引き出し、丸眼鏡の青年は満足げに頷いて会議の終了を宣言した。
「では、明日からそのように」
丸眼鏡の青年が席を立つので伴って腰をあげる。
長時間の姿勢の影響か、腰が妙に固まって鈍い痛みを発し、その事実に老いを実感してやや涙目になる。
そんな無様な中年を見やって、青年は口を歪めた。
「あの少女には感謝しなければいけませんね」
青年はそう言って笑う。
そんな風に笑うのか、と驚くほど素直な笑顔だった。
すまし顔や不満顔しか見たことがなかっただけに、人間味に溢れた表情はひどく新鮮に映った。
「ところでピーターさん。その彼女のことで話が」
「?」
公会堂の外で冷たい夜風を心地よく受け入れていたピーターが首を傾げると、青年は出会った時と同じ淡々とした口調で『それ』を口にした。
先ほど会議で決まった内容に関しての、冒険団側としての意見――いや、勧告や命令に類するほど強い要望だった。
「それは――」
「これは今後の共闘に於いての絶対条件です。あなたも理解はしていただけるはず。納得していただけますね?」
言い捨て、青年は足早にその場を去った。
しばらく無言で腕組みし、先ほどの申し出について熟考する。
涼しかった夜風が冷たく感じ始めるその場に立ち尽くしたピーターは、ややあって大きく息を吐いた。
「どうした、もんかな」
教えられた宿の一階ロビーで、黒い少女が寛いでいた。
絵本の頁をめくり、微笑む。
ただそれだけで絵になる少女だと改めて思う。
彼女は本をぱたりと閉じてピーターを見上げると、歳不相応に妖艶な笑みで出迎えた。
「遅いよ。もう読み終えてしまったじゃないか」
「いやぁ、これでもあの後はスムーズだったんだよ? 冒険団の人が感謝してるってさ」
「私は本を取りに行っただけさ」
木のテーブルに置かれた本の、恐ろしい形相の小鬼が今にも襲い掛かってきそうな表紙と、その題目に目を引かれる。
「『災禍の小鬼』……さっき取りに来た本かい?」
「読んでみる? ハルは少しめくって音を上げたけど」
促され、活字は苦手だけど、と呟きながら頁をめくる。
思ったより文字が少なく、大多数は絵で構成された内容に読みやすさを感じたピーターだったが、やがて視界に飛び込んできたのは――思わず眉根が寄り、そして頁から目を離して半目で少女を見やる。
「……ルシカちゃん?」
「ちょっと可哀想な娘が出てくるだけだよ。ゴブリンがどう娘を攫い、巣に連れ帰り、弄び、仔を産ませて、肉にするかを伝える知識本だ。なかなか刺激的だったと言い添えておくよ」
それを挿絵で生々しく表現するのが問題なのだが。
いかにも純情そうなハルがこの本を開いたからには、顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりと百面相を繰り広げたことだろう。
(可哀想に……いや、この内容を平然と嗜む、この子のほうがおかしい気がするけどもなー!)
いままさにゴブリンの災禍は目前に迫り、誰しも他人事ではいられないはずなのに。
「聞けばこの本、この周辺の村全部にタダで配られているのだそうだよ。紙だって安くないのに感心なことだと思わない?」
「まあ、確かに……?」
「で、何か決まった?」
急に水を向けられて言葉に窮する。
脳裏によぎるのは先ほどの丸眼鏡の青年とのやり取りだ。
話すなら早いほうがいいはずだ。
けれど彼女は易々と受け入れたりはしないだろうし、どう切り出したらいいか迷った。
「……女子供を隣村に逃がそうって話が持ち上がってる」
少女の切れ長の目が、すっ、と細められた。
享楽的な雰囲気が一瞬で霧散した。
無言のまま言葉の意味を頭の中で転がし、精査しているようだった。
沈黙は長く続かず、小さな確認だけがあった。
「あの丸眼鏡の冒険団が護衛を?」
「うん、そうだ。けど先祖が開拓した村を捨てるわけにはいかない、って意見は根強くてね。ひとまず戦力に数えない女子供を夜のうちに村から出す。その間、村をゴブリンから守るのが俺たちの役目ということになって……で、だな」
歯切れの悪い逡巡に、皆まで言うなと言わんばかりの苦笑いで黒尽くめの少女が手を振った。
「私も入ってるんだろう? 逃がす女子供の中に」
「……実はそうなんだ」
どうして、この少女はここまで聡いのだろうか。
冒険団の青年は、女をこの村に残すべきではないと言った。敵は冒険団の警戒をかいくぐって女を誘拐してきた実績がある。後顧の憂いは断ちたいのだと。
次は必ずルシカが狙われる。
その危険性を考えれば、彼女も村から脱出させるべきだ、というのはごく自然な申し出で、断りきれなかった。
「ルシカちゃんは何でも知ってるみたいだね」
「単純な足し算と引き算だ。事件の全貌にある程度の当たりが付いていれば、ただの答え合わせでしかない。こんなのは自慢にもならないよ」
「? それはどういう?」
その時だった。
大荷物を抱えたハルが階段を降りてくるのに気付いた。
革鎧を着こみ、大剣を担いだ完全武装の姿で大きな荷物を抱えている。どう見ても冒険の支度は万全という状態だが、外は真っ暗闇だ。
意図が分からず固まるピーターをよそにルシカは頷く。
「ハル。聞いての通りだ。一刻の猶予もない。今夜だ」
「分かった。……どうしてもやらないとだめか?」
「だめだね」
可愛らしくウインクされ、ハルの肩ががくりと落ちる。通じ合う二人の様子にピーターは苦笑。
「仲が、……」
良いよね、と続くはずの喉がひくり、と痙攣を起こした。
申し訳なさそうに顔を歪めるハルを、信じられないと訴える表情で見つめ返す。
「ごめんな、ピーター」
ハルは小ぶりのナイフを握っていた。
鉄刃の切っ先は誤解の余地なくピーターに向けられ、胸部付近すぐの位置で停止していた。
「これはどういう、つもりかな?」
「お願いだ、ピーター。俺たちと一緒に来てほしい」
お願い、と言うには乱暴だ。
けれどハルの声が震えていることに気付いた。
脅す側が緊張していて、脅される自分の方が平静を保てているなんて妙な話だ、なんて感想が頭をよぎる。
「どこに行こうと言うんだ」
「ゴブリンの巣窟さ。冒険団から大体の場所は聞いてきたんだろう? 案内してもらえないかな、ピーター」
引き継いだ黒尽くめの少女の声には迷いがない。
(最悪の返答だ……)
有り得ない、と半ば無意識に首が横に振られた。
無数のゴブリンとその親玉が巣食う場所に、たった三人で挑もうなど、ゴブリンに固執して周りが見えてないとしか思えない。
「無謀すぎる。承諾できない」
「この押し問答の時間も惜しいから、脅しているんだ。悪いけど君の意見は聞いてない。機械馬の騎手として君に付いてきてもらうのが、一番時間の遅延がない」
「……大声で呼べば、誰かが来るよ?」
「村人は冒険家同士の諍いと見るだろう。関わり合いになろうとする奇特な人が君以外にいるか、試してみるかい?」
ピーターは頭を掻き、刃物を向けるハルを見やる。
正直言って隙だらけだ。
刃物の切っ先がピーターの体にきちんと向いていない。
刃物を奪おうとする動きを極端に恐れているのが見て取れた。
(本意で脅してるってわけじゃないんだろう)
ひと思いに飛び掛かってしまえば、ハルはむしろナイフを投げ捨ててしまうのではないだろうか。唇を引き結び、苦渋に満ちた顔を浮かべる少年は脅威たり得ない。
武器を向けられる側なのに、何だかこちらが悪いことをしている気持ちになってしまう。
「言う通りにしたら、立場を失うのは俺なんだけど」
「命よりは遥かにマシさ」
ハッタリだ。
機械馬を操る役割を求めるなら殺す道理がないし、ハルという少年に人殺しが実行できるとも思えない。脅しを含んだ交渉を撥ねつける理屈は幾つもあって、けれど。
「頼む、ピーター」
懇願する少年の、縋るような表情がピーターを惑わせる。
「お願いだから、一緒に来てくれ。事情は必ず、話すから」
切羽詰まった顔付きのまま、ハルが小さく頭を下げる。
無防備で、逆襲してくれと言ってるような態度だ。
少年から刃物を奪い取るのは山の山菜を摘むより容易いだろう。咄嗟にピーターの指先がナイフをかすめ取るため、ぴくりと動いて。
「……、分かったよ、ハルさん」
けれど。
意識して、その指先を握り込んだ。
「言う通りにしよう。俺もナイフは怖い」
肩の力を抜いて抵抗しないことを示す。
ハルは困り顔を崩さないまま安堵の息を吐いた。
事を主導した黒尽くめの少女が仕方なさげに鼻を鳴らしながら、ハルの脇腹を肘で小突いた。
「善良なる君の協力に感謝するよ、ピーター」
「……はいはい」
ちっとも感謝を感じない物言いを流して荷物を担ぐ。
「けど、冒険団の連中を出し抜いてこっそりって言うのは難しいよ? 村の四方に見張りを立てているし、機械馬じゃどう扱っても静かには出られない。見咎められたら面倒じゃないか?」
「正面から薙ぎ倒して出ていくつもりだけど?」
「嘘だろお前? 勘弁してくださいよ?」
事もなげに言うものだから堪らない。
表面上は脅された立場とは言え、手綱を握るのはピーターなのだ。冒険団の見張りを機械馬で跳ね飛ばしていくなんてされたら、社会的にピーターが死ぬ。
「今は足を動かしてくれ。問答の時間はないんだ。……道すがら事情を話すと約束したことだし、差し当たってこれだけ伝えておこう」
黒い少女は手荷物ひとつ持たない無防備な恰好のまま外へと向かい、その場でくるりと長い黒スカートを翻して振り返り、その唇がゆっくりと。
「この村はもう詰んでいる。生きて朝日を拝む者はいない」
村の滅びを予言した。