08話 「前哨戦」
目的のホウロン村が見えてきた。
青々と続く緑の絨毯の上に、牧歌的な木造の家々が並ぶ。
村といいつつ、その規模は町と呼んでも差し支えないほど大きい。
畑の広大さを見れば、住人たちが裕福な暮らしを送っているだろうことが見て取れた。
速度を落とすため手綱を握るピーターの眉が吊り上がる。
無意識に手綱を握りしめ、もう片方の手が腰に挿したままの剣の柄を握ると、硬い声をあげた。
「ハルさん」
「双眼鏡を出してくる」
短い返事が頼もしかった。
慌ただしく動き出す二人の様子に気付き、荷馬車内のルシカも怪訝そうに眉をひそめて顔を出す。
「? どうしたんだ、二人とも」
「ルシカは中に入ってろ。後、何かに掴まってた方がいいぞ。すごく揺れるだろうから」
ハルはぶっきら棒な注意喚起もそこそこに手荷物の中から双眼鏡を取り出し、それで遠くを見やりながら中腰を維持。ルシカもただ事でない様子に目を細め、荷馬車にしがみ付いた。
二人の準備が整った頃を見計らい、ピーターは強く手綱を振り上げる。
機械馬が唸り声をあげながら蹄を鳴らし、それに伴って馬車全体が激しく揺れた。
振動に耐えながらハルが目を凝らす。
「――やっぱりそうだ。ゴブリンの群れが村に」
緑の肌に尖った耳の小人、見紛うことなくゴブリンだ。
彼らは思い思いの武器を掲げて目を血走らせながら、村の周辺に造られた柵を攻撃し、侵入を試みようとしていた。
幸いにもまだ第一陣が防護柵に張り付いたばかりで、侵入に至るほど致命的な状況ではなさそうだった。だが――
「なんだこの数……娘を攫うどころの話じゃないぞ!?」
四十は下らない数の小鬼たちが村に殺到する有様は、砦を攻め落とさんと群がる軍勢を連想させる。
もし侵入を許せば、悲惨な蹂躙が行われるだろう。
「まったく、機械馬で正解だった!」
戦闘用に調教された軍馬でもない移動用の馬なら、魔獣が近寄ると怯えて動けなくなる。しかし機械仕掛けの馬なら、その心配はいらない。
最後尾にいた何匹かのゴブリンを轢き潰しながら、ピーターは目を凝らした。
探したのは、今もピーターを恐怖で縛るあの巨体の姿だ。
――あの怪物は、いない。
視界が開けた平野で見落とすはずはない。
村に攻め寄せるのは最弱の魔獣と言われる雑兵のみ。
胸の裡に幾ばくかの安堵が過ぎるが、弛緩しそうになる意識に喝を入れる。
最下級の魔獣とはいえ、この数は尋常ではない。
「ピーター、俺は柵に取り付いてるほうを片づけてくる! 馬車とルシカを頼んでいいか!?」
「任された! 気をつけて!」
言うが早いか、大剣を抜いたハルが跳び降りる。
高速で動く馬車から飛び降りるだけで普通は無事で済まないものだが、上手に衝撃を殺しきったハルの体はあっという間に防護柵に張り付くゴブリンの元へと辿り着いた。
「だっ、らああッ!!」
緑色の首根っこをひん掴むと、豪快に一回転させて地面に叩き付け、痙攣するその身体に剣を突き立てていく。
短い断末魔をあげ、ゴブリンは死体も残さず塵となって消え失せた。興奮したゴブリンたちが一斉にハルに飛び掛かるが、大剣を一薙ぎするだけでまとめて消し飛ばされていく。
「ぉおお、これは凄まじい……」
正直、驚きのほうが勝った。
強いだろうとは思っていた。
が、小柄な身体つきで振るう大剣から景色が歪むほどの風圧が放たれ、触れた端から魔獣らの肉を削り取っていく光景は、目を疑うほどに荒々しい。
そして、やはり魔獣との戦いに慣れている。
見た目の派手さに反して剣を振り回す頻度は少なく、状況に応じて拳や脚を放つほうが圧倒的に多いようだった。
「ギ!」
「おっと!」
短い金切り声をあげて、馬車にもゴブリンが迫る。
そちらを一瞥すると同時にピーターの腕が風を切り、空気を引き裂く音と共にゴブリンの眉間の中央に短剣が突き刺さった。
勢いよく前のめりになっていたゴブリンから力が抜け、倒れたところを機械馬が跳ね飛ばす。
「お見事」
荷馬車から顔を出したルシカから、賞賛の声が飛ぶ。
更に迫るゴブリンの群れへと、手持ちの短剣を素早く投擲。
一息の間に四つの刃が閃き、ゴブリンの眉間や喉元、目玉を貫く。
三体のゴブリンが消滅するなか、一体が藻掻き苦しみながらもピーターに向かって跳躍する。
振り下ろされた鍬を袖に仕込んだ短剣で綺麗に受け流し、その流れでゴブリンの喉を掻っ捌いた。
「なんだ。普通に強いじゃないか、ピーター!」
「冒険家は誰でもこれぐらいは出来るものなの! それより中に居ろって言われなかった!? うっかり投げ出されたら大怪我だけど!?」
「私の目的を忘れたのかい? 引っ込むなんて有り得ない」
ルシカは興奮気味に叫んで黒フードを取り払い、素顔を晒して御者席に立つ。
長い黒髪が風圧で激しく乱れた中、彼女はある一点をじっと見つめた。
迫りくるゴブリンの群れには一瞥もせず、ただホウロンの村を見ていた。
「さて、連中の鼻はどの程度利くかな……」
「何の話だ!? あと危ないって! いい加減隠れてくれ! 連中が女に気が付いたら、興奮してこれまで以上に殺到してくるぞ!!」
「それはどうかな?」
妙に確信めいた呟きの直後、ピーターたちを囲むゴブリンたちが硬直した。獰猛だった彼らの熱気や殺意といったものが途端に霧散し、そして空を見上げた。
「なんだ、何が……」
釣られて上を見るが、朱に染まった空に異常は見受けられない。それを疑問に思うより早く、ゴブリンたちは振り上げていた拳をだらりと下げ、そして一目散に走り出した。
何十というゴブリンが、村とは反対側の山の方角に向けて引き潮のように逃げていく姿に呆気にとられてしまう。
「ゴブリンが退いて……ルシカちゃん、これはどういう?」
その事態を予測していた節のある彼女ならば、と振り返る。ルシカは気取った笑みで髪をかき上げた。
「きっと私の美しさに免じてのことさ」
「いやいやそんなわけないから……」
半目で説明を促すが、彼女はそれ以上を口にしなかった。
鋭く細められた黒曜の目は、退却していくゴブリンには一瞥もくれずにホウロン村へと向けられ、顎に白い指を添えて考えに耽っている。
意味もなく絵になる仕草なものだから、困る。
「ピーター!」
「ああ、ハルさん。そちらも怪我がないみたいで何より……うん? 後ろの方は村の代表の方かい?」
駆け寄るハルの後ろを身なりの良い男が歩いてくる。
優男、という第一印象だ。
無造作な灰色の短髪で浅黒いぶかぶかのローブに身を包んで、何やら印象が薄いというかブレて見えた。
年は若く見えるが、戦場跡を泰然と歩く姿には経験の積み重ねを感じさせる。意外に若作りなだけかもしれない。
「ちょうどよかった。紹介状も渡したいし、挨拶を――」
「違うんだピーター。ええと、向こうが妙なことを言いだしてきて……とにかくピーターと話をしたいって言うんで、連れてきた」
「んん?」
首を傾げてる間に丸眼鏡の男はやってきた。
彼の表情は読めない。
あの村の状況なら歓迎されてもおかしくない状況だが、どうにも丸眼鏡の男の視線には訝しみの色が宿っているのだ。
彼は張りのあるやや高い声音でピーターへと呼び掛けた。
「この村に駐屯してる冒険団の者です。貴方が代表で?」
「冒険団だって? そりゃまた……!」
冒険団。
止まり木に所属せず、各町を渡り歩いく冒険家たちの団体――主に商会や行商人の護衛を行い、次の町で再び依頼を得る、いわば渡り鳥のような冒険家たちである。
(確か、実力は金貨級にも匹敵するとか――)
冒険団の特徴は、止まり木を拠点とする冒険家と比べて外での活動が遥かに長い。
必然的に魔獣や山賊との遭遇率が高く、長く務める者ほど実戦経験が蓄積されていくのだ。
事前の備えを万全にして事に当たるのではなく、その場その場での臨機応変な判断が求められる団体であり、当然その質は高い。
失礼があってはならない、と慌てて頭を下げた。
「豊穣の牝牛亭所属、銅貨級のピーターです。ゴブリン退治の依頼を受けまして、いや、ここまで大事だとは思いませんでしたが、冒険団の方が居合わせているとは心強い――」
「紹介状を拝見します」
取り付くシマもなかった。
事務的に差し出された手に、少々舞い上がっていたピーターの気持ちが冷え込んでいく。
懐に入れておいた豊穣の牝牛亭の押印がなされた書類を渡すと、目を通した男の眉根が歪んだ。
「なるほど確かに――これはいささか、度し難い」
「何か……?」
「これを」
そう言って差し出されたのは、ピーターが渡した書類に酷似した羊皮紙だった。
受け取り、中を開いたピーターの目が大きく見開かれる。
「これは……!?」
豊穣の牝牛亭。
まず、この文字がピーターの目に飛び込んだ。
「これは、そんな、まさか」
手が震える。
恐る恐る目を横に滑らすたび、強い眩暈がピーターを襲った。
男の名前、ホウロンの村、そしてゴブリン退治、日付もほぼ同一、いや僅かに先方のほうが時期が早い。
何かの間違いであってほしい。
そんな願いを打ち砕くように丸眼鏡の男は口を開く。
声に、隠しようのない怒りが籠っていた。
「我々もまた、豊穣の牝牛亭の指名をいただいた者です」
隣のハルが事態を呑み込めずに首を傾げている。
対照的にピーターは渡された書類を握る手が震えていた。
手の震えがどのような感情から来るものか自分でも分からない。
怒り、悲嘆。
そう言った感情がない交ぜになるピーターにトドメを刺すように、丸眼鏡の男は言う。
「競合、ですな」
競合は、止まり木の運営における禁忌の一つだった。
「これがどれほど危険な行為か、貴方がたの止まり木は承知しているのか? 我々の命などどうなっても構わないと牝牛亭は仰るのか?」
「そ、れは……」
報酬の分散や名誉の棄損といった些細な話ではない。
依頼の競合を余儀なくされた冒険家らにとって、何より恐ろしいのは討伐対象の魔獣ではない。
止まり木や依頼人に捧げた龍と精霊への誓い――立場の違いに伴う事故こそが、最も恐ろしい。
「我々が依頼人とどのような誓いを立てたか、その把握は? 止まり木の三箇条以外に、どんな特約を付けているか。我々の何人が命を質に入れて、信頼を買っているか御存じか? ……何とか言ってみてはどうですか?」
互いにどんな誓いを立てたか分からない状況で、互いが好き勝手に動くようなことがあればどうなるか。
いつ、どんな地雷を踏んで他人を死に至らしめるか分からない。
龍の天罰は、そのあたりの事情を加味したりはしない。
こういうことが起きないように依頼人と冒険家を繋ぐのが止まり木なのだ。とんでもない大失態で、然るべき場所に訴えれば止まり木の資格停止もあり得る。
「……申し訳ない」
ピーターはただ頭を下げ続けるしかなかった。
「本当に、申し訳ない」
ただ止まり木の不手際というだけなら、ピーターも被害者の一人だった。
しかしこの依頼はピーターと止まり木の一人娘を繋ぐ、非常に個人的な事情が絡んだものだ。ただのミスで自分は関係ないなどと開き直ることが出来るはずもない。
この状況自体、止まり木の主の意図を含んだ、恣意的な失態ではないと誰が証明できるというのか。
どんな言葉を吐きかけられても、返すべき言葉が見つからない。そんななか、丸眼鏡の男はじろりとハルたちにも目を向け、続ける。
「豊穣の牝牛亭は評判の良い老舗の止まり木でしたが、昔の話だったようですな。我々は常に最悪を覚悟し、龍と精霊に身を捧げてきた。貴方の止まり木にはその責任を背負う自覚がないようだ」
「……」
「あなたもあなただ。ゴブリン退治にうら若い女性を連れてくるなど、常識がない。牝牛亭の品位を疑わざるを得ない」
隙の無い正論だ。下げた頭が上げられない。
見かねたハルが何かの反論をしようと前に出るのを、目線で静止する。
ここで拗れるのが一番まずい展開なのだ。
それが分かっているのか、ルシカは先ほどから表情を消したまま一言も喋らない。
やがて言いたいことを言い終えたのか、丸眼鏡は不快を隠せない慇懃無礼さで。
「失礼。これ以上は時間の無駄ですな。これより村の名士らと会合の予定です。貴方にも出席していただきますが……」
言葉を区切り、じろりと弱り顔のピーターを睨め付けて。
「仕切りは我々で。納得いただけますな」
「……ええ」
「結構です」
踵を返す丸眼鏡の後ろを、ピーターは肩を落としながら付いていくしかなかった。後ろの二人は顔を見合わせるが、憔悴する彼の背中にかける言葉も見つからないのか、その後ろに続く。
気まずい雰囲気の行進が続く中、しかしぽつりと。
「腹立つな、あいつ」
「私も嫌いかな」
そんな二人のやり取りが、少しだけピーターの気持ちを軽くした。