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45話 「巨人殺し」






「ああ、最高だ――これこそ、英雄だ」


 ドゥロン山林道、上空・・

 世界を俯瞰する巨人の視点を得たイワンナッシュは、橙色の壁越しに見える景色を感無量で睥睨する。

 小高い山の連なりは折り重なった積み木のよう。

 壊すも崩すも作り変えるも、今の自分なら思うがままだ。


「手を伸ばせば雲まで届く、足を踏み出せば山が崩れる。もう誰にも見下されない最強の僕。誰もが跪き、僕の慈悲を乞う……英雄の僕に相応しい、この姿――」


 涎を垂らし目を剥きながら、英雄の名に酔いしれる。

 脳の中核まで酔わす全能感は、決してイワンナッシュの錯覚などではない。


 いまこの山脈に居る誰よりもイワンナッシュは強い。

 その事実には一切、疑いの余地がない。


 龍魔大戦しんわの時代を生きた龍をも凌ぐ圧倒的な巨躯。

 虫けらのように足元を這う人々を嘲笑しながら胸を張る。


 そうだ、これこそ自然の摂理。

 我こそは地震や大嵐に類する天災の化身そのもの。

 矮小な人々はただ祈りながら過ぎ去るのを待つしかない。そんな彼らの小さな努力を好き勝手に踏み躙る快感、高揚感はたまらない。


「ヒヒッ」


 地平線の先で眩い赤光が仄かに揺らめいた。

 朝日の訪れだ。誰よりも高い視点を得た自身のみが観測できる、英雄イワンナッシュを祝福するような太陽の光に口角が吊り上がった。


 ああ、これが――


「これだ、これこそが英雄だけが目にする景色――! 僕に許された、僕だけに許された――!」


『――ふっ』


 空気が抜けたような異音が届いたのはその時だ。

 イワンナッシュの耳元。酩酊状態に冷や水を浴びせるような鈴の音に似た、艶やかな女の声。

 通信機越しに届くそれはイワンナッシュの記憶する部下たちの声のいずれにも該当せず、けれども確かに聞き覚えのある人を食ったような、怜悧な音が。


『ふふ、あはは、はは、いや失礼。ほんと我慢ならなくて』


 悪意に満ち満ちた笑みを形作った。

 笑みのまま硬直したイワンナッシュの脳裏に強烈な既視感デジャヴが蘇る。

 知っている。

 通信機越しに一度、肉声でも一度聞いた声。


「――あの時の、黒尽くめの女」


 余裕ぶった態度で腕組みをし、自分を見下ろし偉そうな口を叩いた不吉な色合いの少女。

 ああ、そうだ。

 そうだとも、そうだった。

 英雄の指を欠損させた不敬者に、とびきりの礼をしなければならなかったのだ、と思い出してしまった。


「ヒヒ、通信が届く範囲ってことはまだ山を下りてないんだろォ? どこにいるか居場所を言えよ」


『うん?』


「踏み潰しちゃ大変だろ? 強くなりすぎて足元のゴミなんて見えやしないんだよ。何処にいるか早く言えよ、間違いがあったら困るからさぁ」


 脅しを込めてその場で一度足踏みする。

 大地が鳴動し山脈が悲鳴を上げ木々が薙ぎ倒されていく。自らが起こす破壊を天上の音色の如く酔いしれながら、イワンナッシュは残忍に口端を吊り上げた。


 さあお前も震え上がれ、矮小な凡人。

 巨人に圧倒され、跪いて哀れみの声で鳴いてみろ。

 うっかり踏み潰して殺してしまうなんて興醒めだ。

 黒尽くめの女と生意気な剣士には、自ら慈悲を乞うまで後悔と屈辱を刻み付けてやらねば――


『ふふ、ふふふ、全く、なんて能無し』


 溜息交じりの罵倒がイワンナッシュから言葉を失わせた。

 期待とは裏腹な穏やかな声音。得体の知れない違和感。

 この山脈の何処にいようが巨人と化したイワンナッシュが見えないはずがないのに。

 誰もが恐怖に震えあがり、畏敬して然るべきなのに。


『世に悪党が蔓延るのは良い。色彩々いろとりどりの野望を声高に叫ぶ音色だって心地の良いものだ。……けれどお前の夢は問題外だな、人形師マリオネッテ


 女は愉しげに、歌うように告げる。

 甚振るように。瘡蓋かさぶたをじわじわと剥ぎ取るように。


『あまりにも幼稚で、浅はかで、食いでがない。良い歳した大人が高所ではしゃいで、言うに事欠いて英雄の景色? ああ全く――可哀想・・・にね』


「――――は?」


『心から同情・・するよイワンナッシュ・イングウェイ。ミトラ貴族の尊き血は、お前には重すぎる責務にもつだったんだね』


 ひく、と口端が痙攣した。

 眉間に老齢の樹木に似た深い皴が出来上がる。

 唇が痙攣し、口から吐き出すのは過呼吸を起こしたように意味のない音ばかり。

 瞳が徐々に赤みを増して血色に染まり、毒を含んだ直後のようにイワンナッシュは胸を掻き毟った。


 否、それは掛け値なく毒物だった。

 同情という名の毒をたっぷりと染み込ませた、イワンナッシュの恥を暴き立てる劇物だった。


『だってお前は伯爵家に生まれただけの出涸でがらしで?』


「――待てよ」


『騎士学校も落第した落ちこぼれなんだし?』


「待て。待てって待て、待て待て待てお前それ以上喋るな」


 強くなったのだ。

 誰にも馬鹿にされないために。

 誰にも哀れまれたりしないために。

 誰もが持ちえない貴族の血に縋って、自分という器の上からふんだんに塗りたくった虚栄心――イワンナッシュを形作る最大の強みが、女の声で『恥』という名の熱を帯びる。


アクスを迎え入れ魔剣を引っ提げて転がり込んだ裏社会でもそこそこ止まり。才能のない自らも省みず努力もしないその怠惰な自分を、少し振り返ってみろよ』


「おま、お前? お前お前それ以上は許さないからなほんと、ほんとお前待てって……!」


『お前さ、いま――』


「やめろっ!! やめろって言ってんだろォ!!!」


 しん、と一拍の間があった。

 体も頭も硬直したイワンナッシュを静寂が包む。

 ほんの数秒、滝水の如く降り注いだ同情どくの雨が止み、無意識な安堵感が胸の中に染み渡り――



『――自分が恥ずかしいとか、思わない?』



 安堵それが、全身へと広がる決定的な猛毒であった。

 同情すらも越えた失笑。

 何度も何度も叩き付けられてきた、失望交じりの冷笑。

 くすくす、と耳朶から直接脳内に送られる嘲笑、その全てがイワンナッシュの理性を沸騰させた。


「――コロス」


 血を吐くような呪詛が口を突いて出た。

 この女はこの世に生きててはならない、と理解した。

 綺麗な女の形をしてるから、と楽しみを見出そうとするのが間違いだった。


 恥を注がねば。

 見なかったことにしなければ。

 部屋の隅に唐突に沸いた虫のように一分一秒でも早く踏み潰さなければ、ああ、ああ、頭がどうにかなりそうだ。


「コロシテ、ヤル」


 喚き散らす余裕も地団太を踏む余分もない。

 絞り出し噛み締めた唇から血がにじみ、積み重ねた激情は反転し、誰も見たことの無い凶貌を完成させた。


 悪党の異名に相応しくさえ映る、怪物の貌。

 通信機越しの相手を威圧するには十分な殺意が向けられ、女は尚も獰猛に笑う。


『それは無理だよ人形師マリオネッテ。高値が付いた亡霊の首、お前には荷が勝ちすぎる――足元で火種が燻っていることにも気付かない、間抜けには、ね」


「――ぁ?」


 その時、ドンッ、と小規模の爆発音が鳴った。

 音源は大樹の如し大巨人の根元。

 六本に分かれた太脚のすぐ傍で、破滅への誘いを思わせる不吉な破裂音が連続する。

 足元の虫を見下ろすように巨人の首が傾いた。


「――お前ッ……!!」


 泡を食うその声に、女の笑い声が重なる。

 彼の目に映ったのは灼熱色の光を放つ花弁。

 寂れた天幕を中心に燃え盛る火炎は、紅蓮の火花を散らして森を食み勢力を拡大しようとしていた。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 仕掛け人はコレットだ。

 彼女はルシカの指示を受け、首領より提供された物資の内、可燃性の高いものを樹々との間の導線に使って火を放ち、それが大火になったことを確認してその場を離れた。


「お願い……」


 実のところ、準備したのがコレット一人の時点でルシカの当初の想定は崩れた。

 本来はキーファと二人で手分けして行うべき仕事量であり、なおかつ速度と繊細さも要求される無茶振りだ。


 だがキーファは体力が尽きたルシカをハルたちの元に送り届ける役目を負うことで、コレットだけが一人で二人分の仕掛けを行った。


「お願いします、どうか、父なる龍よ、母なる精霊よ……」


 額に脂汗を滲ませ、頭痛と手の痺れに耐えて全ての指示をただ一人で成し遂げた少女は、小高い丘まで登ると、巨人と大火を見つめながら何度も何度も祈りを捧ぐ。


「ご加護を……うまく、うまくいって……!」


 作戦の第一段階は見事に成功した。

 炎は導線を伝って効果的な速度で森を食らい、いずれはイワンナッシュの大巨人をも蝕むはずだ。

 如何なる巨体も樹木で編み上げられた体に変わりはない。炎は大巨人の天敵中の天敵であることは、疑いようも――


「……ああ!?」


 息を呑む。悲鳴が抑えられない。

 大巨人の足に炎が絡み付き、けれど巨人が一歩を踏みしめるたびに巻き起こる砂塵や烈風が、コレットが巻き起こした希望の火を掻き消した。


 だめだ。

 だめだやっぱりだめなんだ、だって。

 樹と炎の相克関係をあっさりと覆すほど絶望的な――質量差が今も横たわっているのだから。


 ――ギヒャヒャヒャヒャヒャッ!!!!


 聞こえる。甲高い少年の高笑いが。

 遥か上空から落ちてくる哄笑は、矮小な人間の無謀な試みを嘲笑う残酷さと、新しい玩具を見付けた子供のような無邪気さが混じった。


 巨人は、コレットが死に物狂いで広げようとした赤い面積を次々と踏み潰し、命の残らない荒野へと変えていく。


 強く、強くコレットは胸の前で指を絡めて祈る。

 祈り続けるしかもう、できることがない――







「ギヒャヒャヒャ!! なんて傑作!! 浅知恵!! 知恵遅れの単細胞が!! 樹には炎をぶつけりゃいいんだよっ、てかぁ!? 安直すぎんだよ発想が!!


 広がる炎の絨毯を土壌ごと巨人のつま先で掘り返す。

 炎は大量の土砂に呑み込まれて酸素エネルギーと失い、哀れになるほど瞬く間に鎮火されていく。


 笑いが止まらない。

 小細工を仕掛けていきり立つ女がいまどんなに顔を引き攣らせているか、想像するだけで全身を耐えがたい快感が突き抜ける。


「魔剣使いの英雄が!! 龍と世界に寵愛を受けた人間族ヒューマン契約者リアクターが!! そんな子供騙しな方法で!! 負けるわけがないだろうが!!」


 ましてここは聖龍国ミトラでも有数の樹木群が並ぶ山林道。

 多少の火の粉が燃え移ろうが即座に切り離し、新たな素材を補充し、再び英雄の形を取り戻すに打って付けだ。

 万に一つさえ凡人どもに勝利の見込みなどない。


「怯えて声も出ないか!? 女ァ!!」


『――』


「安心しろ一瞬で済ませてやる!! 好きな場所に隠れていろ!! この森、ぜぇんぶ平らげて最後に残ったお前を踏み潰してやる!!」


 思い知らさねばならない。

 思い知らさねばなるまい。

 英雄に逆らう者すべて。英雄を侮辱する者すべて。

 唯一の弱点である炎さえも克服してみせた大巨人の威容を仰ぎ見て、絶望のままに死ね。


 踏み潰されていく炎と同じ末路を辿れ。


「さあ、メインディッシュだ!」


 巨人の歩みが踏み躙られた火弁かべんの中央、今なお燃え盛る天幕へと辿り着く。

 火炎の中心点で今なお健気にも炎を吐き出すそれを見下ろし、嗜虐たっぷりの笑みを顔の皺に刻み、これ見よがしに高く高く足を上げた。


「これでお前の小賢しい作戦も終わり!! お終い!!」


 絶叫と共に隕石のような衝撃が炎の天幕めがけ降る。

 足で他人を、希望を踏み付けにする快感は何物にも耐えがたいものだとイワンナッシュは知っている。


 ある時は奴隷を。

 ある時は部下を。

 ある時は鬼でさえ踏み倒し、踏み躙り、踏み潰す。

 今回もその悦びに身を浸しつつ、この天幕も念入りにごしごしと磨り潰し、火種一つも残すまいと――












「――」












「――――」












「――――――、?」












 この時の空白を、イワンナッシュは生涯理解しえない。

 眩い閃光がイワンナッシュの網膜と思考を焼き、鼓膜はキーンと荒れ狂う音の波に呑まれ、心臓はその僅かの間活動を止め、全身の血が凍り付く。


「――へ?」


 時間にして僅か一分程度の静止。

 空を飛ぶような浮遊感と慌てて動き出す心臓の奥底がひゅ、と未知の恐怖に再び縮こまる。

 視力を取り戻したイワンナッシュの口から、ただただ疑問が漏れた。



 ――なんで、目の前に壁が?



 




「こんなに材料が豊富な戦場は初めてだろう、人形師マリオネッテ?」


 役割の全てを果たし終えたルシカの、囁くような声。


「いまやお前は、天から見下ろさんばかりの巨像の創造主」


 未だ無事な大樹の陰に身を隠し、疲労困憊の体を取り繕いながら、炎に包まれた天幕を踏み潰さんとする巨人を眺め、改めて魔剣使いという規格外の怪物を想う。


「腕の一振りで山を崩す怪力。数十もの樹木をまとめて薙ぎ払える攻撃範囲。無限にも等しい再生能力も備えた、幻獣級の災厄。もはや何者も恐れるに足りず、と」


 それを思い上がりだと思わない。

 真正面から戦闘力を競う争いならば魔剣使いの中でも上位に食い込める程の、怪力と再生を備えた攻防一体の大巨人。


 その巨脚が炎に包まれた天幕を踏み抜く光景に。


「だから見誤る。溜め込んだ贅が、毒になるということを」


 ――ルシカは、我が策が成ったことを確信した。


「その比重、その図体ではもはや一歩を刻むのも致命的だというのにな――ッ!」


 巨人の脚は、炎から遠ざけるよう天幕の地面に埋められていた、大量の爆薬ボム炸裂弾イクスを一斉に踏み抜いた。



「ッ―――ッ!」



 筆舌に尽くしがたい眩い光と轟音と衝撃があった。

 強風と砂塵の津波を予測し身を潜めていたルシカも、その凄まじさに舌を巻く。


 爆薬ボム一つが崩落した洞窟の壁を崩す威力、それが炸裂弾イクスと合わさって同時に破裂した衝撃は六本在った巨人の脚の内、踏み抜いた一本が足首部分から消し飛ばした。


 そして、巨人の躰がゆっくりと。

 老朽化して倒壊する建物のように。地滑りを起こす傾斜のようにゆっくりと、その躰が斜めに傾いていく。



「崩れ落ちろ! 醜く肥大した案山子オークの化け物!! 今こそ、その贅肉のツケを支払う時だ!!」



 ルシカが吼える。

 いかに魔剣の産物であろうと重力の摂理には逆らえない。

 人間の膝は衝撃を効率的に吸収できるよう、多くの骨や関節が精密に配置された一種の芸術品だ。


 何十何百もの樹木で造った巨人の重量を、ただ形を模しただけの脚で支えるなど無謀に過ぎる。いかに魔剣がその無謀を可能に変えようとも限度がある。


 土台を一度でも崩してしまえば巨人は躰を維持できず、その自重によって崩壊を迎える。


「そのままだ、そのまま――!!」


 その瞬間、山林道に集う人々の反応は様々だ。


 爆薬ボムを提供した頭領は期待していた巨人殺しの予感に傷口が開くのも構わず手を叩き、大笑した。


 全ての罠をただ一人で設置した少女は、自らの祈りが龍に届いたことに安堵し、脱力した。


 気絶から目を覚ましていた青年は妹分の仕事を称賛し、誇らしげに拳を突き上げた。




 閃光と衝撃で我を失ったイワンナッシュにはもはや手の打ちようがない。大巨人はもはや糸が切れた操り人形の如し。




 ――誰もが、巨人殺しの成就を確信した。





《ァ――》




 だが。

 ルシカの想定さえも超える意思がその未来を拒絶した。




《――ァァァァァアアアアアアアアアアアアア》





 魔剣【樹喰の巨神ヨトゥン・スケアクロウ】が哭く。



 男とも女とも人とも獣とも区別の付かない叫びであった。

 剣という本分を超えて独自の意思を持ち、迫りくる崩壊の予感から主人を守らんと力を振るう。


 体の支配権を主人から魔剣みずからへ。

 強引に指令系統を奪い取った魔剣は、前のめりになる巨人の平衡感覚を取り戻そうと試みる。


 鋼が砕ける音がした。

 自らの許容量スペックを越えた権能の限界行使に魔剣の体が罅割れる音だった。刀身も柄も装飾も見る見るうちに砕け、破片を撒き散らしていく。


 それでも魔剣は青白い炎に似た光沢を放ちながら、限界を越えて自らの姿似の維持に務めた。

 砕けていきながら、魔剣は主人への忠誠を想う。



 ――この巨人からだは、主人の夢そのもの――



 崩すわけには行かなかった。

 主人は己と自らをこそ『最強』だと言ったのだ。


 他の魔剣だれでもなく。

 己を使う自らが『最強』だと子供のように信じた。

 信じてくれたのだ。願ってくれたのだ。


 誰よりも強い英雄であれ、と。

 血を吐く想いでこのすがったのだ。ならば――



 ――ならば、ならば、ならば、倒れようものか――ッ!!



 膨れ上がった胴体の樹木にくを下半身への補強に充てる。

 多少胴体部分の装甲を損なおうと構わない。

 一度でも平衡感覚バランスを取り戻せばこちらの勝ちだ。


 余力を総て欠損した足首の再生に回す。

 砕けた材料を再利用。

 根も幹も芯も蘇生させ、修繕し修復し増強する。

 大巨人の全体重を支えるに足る、硬い脚部を僅か数秒という時間で復活させた。


 魔剣自身が最高の出来と自負するに足る、巨人の黒脚。

 膨れ上がった身体全てを一本で支えるに足る、巨人の崩落を狙う者たちにとっては、悪夢としか思えない理不尽な再生を果たし、大地を――













 大地を――














 踏みしめるべき――大地がなかった。







 


 流砂や蟻地獄に囚われたように巨人の重心が崩れた。

 魔剣の驚愕を観測できる者は誰もいない。拙い知識からようやく絞り出した答えは『地割れ』であった。


 ――ッ――ッ、――――!?


 全ての対処が間に合わない。

 陥没した足場は支柱となった六本の足全てを薙ぎ払った。

 イワンナッシュとその一派によって幾度も破壊の憂き目に遭い、翻弄され続けたドゥロン山林道、その全域が轟然たる雄たけびを上げる光景はまさに、大地の怒り。


《ァァァァァ……!?》


 王城もかくやという巨体の全てがほんの一秒、宙を舞う。

 落下した距離はほんの十数メートル。

 巨人の体躯から見ればその場で軽く飛び上がるような、僅かな空の旅は重力に引っ張られ即座に終わり、そして――


 着地、死滅。

 衝突、粉砕。

 接触、崩落。


 初めに着地した五本の脚が着地と同時に圧し折れた。

 鋳造した最硬の黒脚は僅か一本で全体重を数秒支えたが、落下による衝撃は事前想定の数十倍を優に超え、小さな抵抗を見せるも粉々に砕けた。


 手を突っ張れば手が砕けた。

 肘から倒れこめば肘が、肩が触れれば肩が砕けた。

 苦悶と絶望に満ちた魔剣の絶叫もまた、巨人が巻き起こす轟音の前に呑み込まれる。


 この事態は幾つもの要因が重なって引き起こされたものだ。


 爆薬ボムの衝撃が地層を掘り抜き地下の空洞化を創り上げた結果でもあるし、生み出した大巨人の歩みが地盤を著しく摩耗させたことも上げられる。

 しかし、そう――敢えて表現するならば。




 英雄は、淘汰してきた自然そのものに裁かれたのだ。




 樹木を根ごと蒐集し。

 大地を傷付け破壊の限りを尽くし。

 満ち足りてなお搾取を続け何も顧みなかった王は、ついにそのツケを支払った。


 山が声高に鳴き大地が凱歌を歌うように吼え、愚かにも増長し無体を極めたヒトを、破滅へと引きずり込む。


「――へ?」


 哀れにもこの時、イワンナッシュの意識は覚醒した。

 目の前に聳える壁を認識し、目を白黒させる姿はまるで道化師のそれ。『地面』という名の処刑人は、イワンナッシュという存在を粉々に打ち砕く喜びの瞬間を迎え入れ――


「なん、ぐぼべぁぎゃがガギゴボェアガガガァァッ!!?」


 鼻が潰れ、前歯が圧し折れる。

 両手両足が衝撃に揉まれて何度も捻り上げられ体中の骨が生々しい異音をあげる。


 涙と鼻血と吐瀉物と尿を撒き散らし、イワンナッシュの体は搭乗席コクピットの中で何度も何度も天井と壁と床を行き来した。


「アガァアアアアアアアアアアアアッ!!? ギャァァアアアアアアアアッ!!!! アアアッ、アアアアアアッ!? 痛ガァアアアアイギィィィィァアッ!!!!」


 甲高い悲鳴さえ、誰の耳にも届かない。

 重力と衝撃に弄ばれる様はまさに人形劇の主人公。

 垂らされた糸の先にある誰かの思惑に従い壊されていく哀れな哀れな人形は、ただただ悲鳴を上げ続ける。



 大地の粛清は、慈悲を乞う男の声さえ呑み込んだ。










 全てが終わった後、静寂が朝焼けの世界を包んだ。

 一陣の風が舞い上がった砂煙を切り裂き、噎せ返るような樹の匂いをも掻き消していく。


 誰もが巨人の残骸に目を奪われていた。

 もはや人の形など保ってはいなかった。半分ほど欠損した頭部と、肩回りの上半身を除いた全ての部位は破壊され切り離され、再生する様子もない。


 しかし。

 巨人の頭部から、青白い光の粒子が根を張るように広がった。


「バッ、ガヒュ……オォォオエ……ォォ」


 軟体動物に似た動きで男が這い出てくる。

 男――イワンナッシュ・イングウェイは血と涙と鼻水塗れの顔付きを壮絶に歪め、眉を鬼の形相で逆立て、ぜえぜえと飢えた獣のように息を荒げ、半壊した【樹喰の巨神ヨトゥン・スケアクロウ】を血が滲むほどに握りしめて――


「ま、だ、だ、まだぁ……!!」



 ――再起する。



 今までの彼であれば誰かに責任の所在を求め、癇癪を起こし、現実を否定するばかりだった。

 それがいま自らを奮い立たせ、折れた骨の数にも構わず顔面の血を拭い、目を血走らせて吼えるのだ。

 虚飾の城を追われた小さき王は、誰の力も借りず立ち上がって。


「僕だぢは、もっと、やれルんダ……! そうダろゾード、僕だぢは最強の英雄なんだがらァ……!!」


 ――ああ、そうだとも。


 中ほどから圧し折れた魔剣が、更にその刀身からだを損ないながら一層青白い光を輝かせる。

 残骸となった巨人がゆっくりと時間をかけ、丁寧に丁寧に人の形を取る。


「ここからだ……!! 僕は、ここがらな゛んだ……!!」


 人形師マリオネッテの巨人が蘇らんと身を起こす。

 腕も足もない、頭と胴体だけの巨人だ。

 その滑稽な姿が今の自分なのだ、とイワンナッシュは受け入れた。


 もはや取り繕うべき名誉はない。

 恥も外聞も気にする余裕がない。

 ただ、勝ちたいと願うだけ。

 二度目の挫折はイワンナッシュの器の覚醒を促した。



 けれど。



「はあ、はあ、は……うっ」


 その全てが、遅きに失した。

 悪党の顔付きになった男が巨人の再生と共に再び高度を上げるなか、強烈な怖気を感じて下を見る。



 赤黒い皮膚の少年おにがそこにいた。

 ボロボロの剣を突き付け、真っすぐに彼を睨み付けて。



「いま征くぞ――イワンナッシュ・イングウェイ」



 決意の声が、人形師マリオネッテの耳には処刑宣告に聞こえた。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「ぁ――ぁ――?」


 轟音に苛まれ砂嵐と土砂の津波に呑まれた短剣ダガーは、どうして自分が生きているのか分からなかった。

 死後の世界を思わせる静寂があり、けれど体の節々の痛みが現実への帰還を告げている。


 自分はどうして助かったのだろう。

 師匠と鬼の争いを止めるため間に入り、その後に突然の爆音と崩落で彼女の小柄な体躯は塵も同然とばかりに吹き飛ばされていったはずだ。


 地面に激突して肥やしになるか、樹々に突き刺さって見苦しい芸術品オブジェにでもなるか。

 どちらにせよ絶命を覚悟して目を瞑ったはずなのに。


 木枯らしのように飛ぶ瞬間、鬼が自分の手を引いて?

 降り注ぐ巨人の破片を師の斧が一閃の元に切り裂いて?


「ぁ、れ……?」


 記憶の混濁が酷い。

 有り得ない景色に首を振る。

 未だ舞う砂塵で周囲の様子が分からず首を傾げる少女はふと、誰かに覆い被さられていることに気が付いた。


 所々血で黒く彩られた薄緑の髪。

 師の有する武器の中で最も巨大な大戦斧おおまさかりが粉々に砕け散っていた。

 全ての破壊を大戦斧とその背で受け止めた長身痩躯の体が、ゆっくりと起き上がる。


「せ、んせ、……い?」


「……」


 返事はない。

 彼の目は破壊の中心たる巨人の残骸へと向けられていた。

 怖ろしい赤鬼の背が見える。

 為すべきことを為すため、アクスもまた歩き出す。


「せんっ……」


 無数の破片が突き刺さった無残な背中が短剣ダガーの目に映り、慌てて呼び止めようとするのに喉奥まで砂がこびり付いて声が出ず、激痛から手を伸ばす動作も鈍い。


 二人は示し合わせるように同時に残骸を踏みしめた。

 ハルがイワンナッシュの元に辿り着くが先か、アクスがハルの背に得物を突き立てるが先か――この場の全員が満身創痍の体を引き摺って、最後の戦いに身を投じる。



 短剣しょうじょが伸ばす手は届かない。

 血混じりの温もりだけが胸の裡に残っていた。







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