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40話 「暴君」







「へっ……焼きが回ったもんだ……」


 浅い息をどうにか吐きだし、薄く笑う。

 大地を削る勢いで雑に蹴り飛ばされ、炸裂する石礫に身体を晒した頭領がまだ生きていられるのも、偶然の産物としか言いようがない。


 敢えて理由をあげるなら、達磨のような丸い体が幸いしたのだろう。

 コロコロと効率よく地面を転がり、厚い脂肪が耐久力となって男の命を繋ぎとめた――とはいえ、何の意味もない、ほんの一分に満たない程度の延命だったが。


「ここまで……差がありやがるかよ……」


 大の字で横たわりながら夜空を仰ぐ。

 巨人の頭部がゆったりと左右に振れる姿が、頭領の目には何ともひょうきんに映った。


「……見失い、やがった。いや」


 眼中にないだけだ、と思い直す。

 あまりに一方的な、戦いとも呼べない結末に笑いが込み上げる。

 これが終わりだと思うとおかしくて仕方がない。

 オーガ山賊団などと銘打ち、手を汚してきた人生を振り返れば相応の報いだ。道端でゴミのように死ぬ末路に文句はない。


 だが口惜しい気持ちはあった。

 この破滅を引き起こした張本人イワンナッシュの、あの綺麗な頬に拳を叩きこんでやりたかった。それだけ叶えば後はもうそれほど望むことはない。


(虫の良い話か)


 影が頭上を覆う。

 巨人の歪な足裏が夜空を掻き消し、視界いっぱいに広がった。


「終わりかぁ……ま、仕方ねえか……」


 イワンナッシュが頭領の姿を見付けたのではない。ただ気紛れに進軍する先にちょうど横たわる彼の姿があっただけ。生き残ったという幸運も雑に消費され、男は虫のように踏み潰される。




 身体が浮遊感を得たのは、その時だった。




「お――?」


 襟首と腰回りの服を引っ掴まれる感覚。

 有無を言わさぬ青年の、逼迫ひっぱくと隣り合わせの呼吸音。


――」


 疑問は最後まで形にならなかった。

 常人よりも蓄えた腹の脂肪が上下する体躯に従って揺れる。

 巨人の足裏が視界から消え、その一秒後に大地が絶叫をあげて砕かれると砂交じりの風圧に乗って男たちの体が吹き飛んでいく。


「げっ、……ほぉぉお!?」


 叩き付けられた拍子に達磨の両膝が砕けた。

 だが命と比べれば安すぎる代償だ。あのままなら潰れた果物のように身体がひしゃげていたに違いない。

 助かったことが信じられず呆然と空を見上げる達磨を、青年が見下ろしていた。


「あ、アンタ……」


 標的だった冒険家の一人だった。

 虎人族ティグレ混血種ハーフは憎々しげに男を見下ろし、歯を剥き出しに睨み付けていた。


「なんで、こんな?」


 もはや男に彼を狙う理由はない。

 だが彼の方は違うはずだ。見殺しはおろか、その手に掛けられてもおかしくはない。

 ましてや命を救われる覚えなど――混乱する中、それでも礼を言うべきだと口を開く直前、青年が痛烈な舌打ちをした。


「……ちげぇ」


「は……?」


「親父じゃねえ……クソ野郎どもの一味か! 紛らわしい体型しやがって! 助けるんじゃなかったぜ!! ああ、くそッ!」


 地団太を踏むその姿に、ようやく納得した。

 標的の一人に狸人族ラクーンの男がいた。遠目には自分と彼が瓜二つに見えたのだろう。

 事情を呑み込んだ頭領は、平時の余裕ぶった態度を取り繕う。


「へっへ……どうも、期待に沿えなくて悪いねえ。でも、あっしはご覧の通りさぁ。この場で八つ裂きって言われても抵抗できねえ。まぁ、文句もねえよ」


「ほんとに八つ裂きにしてやろうか、アァア!?」


 向けられる殺意は本物だった。

 心底から殺してやりたいという感情を叩き付けられ、身が竦む思いだ。

 けれど青年は腰に取り付けていた小物入れから木筒と包帯を取り出し、乱暴に投げつけると。


「テメェみてえな逃げ遅れた小物を殺しても何の意味もねえ! その辺でおっ死んでろ!」


「……小物かぁ」


 元締めなんだけどなぁ、と内心ぼやきつつ手探りで包帯を摘まみ、そして厳めしい顔をぐにゃりと歪めて笑みを作った。

 治療の道具はやるが、絶対に処置はしてやらねえ――そんな複雑な答えが返ってきた気がしたのだ。

 なんだそりゃ、と達磨は虎目をまんまるに見開きながら腹を抱えた。

 笑おうとはしたのだが、全身の裂傷が身体を揺らすたびに悲鳴を上げ、すぐに悶絶に切り替わった。


「キーファ!」


 そうこうしている内に、彼らの仲間が現れた。

 標的のリストに入っていた子供の剣士と、入っていなかった黒尽くめの女だ。

 声をあげたのは後者のほうで、彼女はこの不可思議な現場に一瞬眉根を寄せたが、達磨のことは捨て置いてよしと判断したのかキーファのほうへと向きなおる。


「すまない、もう一山、越えないといけなくなった。コレットは? 彼女に頼んでおいたものは?」


「コレットは無事だ、ブツも俺が預かってる! けど、どうすんだ!? あんなデカブツ、こんなの一つでどうにかなる相手じゃねえぞ!?」


 言ってキーファは慎重な仕草で赤く輝く物体を取り出すと、ルシカに手渡した。

 彼女は掌の上でそれを何度か転がし、良し、と一言を添えて頷いた。


「『衝撃』のタイプではないよね?」


「トリガーは『弾く』に設定してるとよ」


 別れ際、コレットにあるものを託して作らせた『それ』の出来に文句ない。

 狙い通りの実用には耐えられるだろう。

 衣服の裏に大事に仕舞いこみ、ルシカは唇を引き結んだ。


「十分だ。もちろんこれ以外にも物資が欲しいが、ないものねだりをしても仕方ない。今はこれひとつで間に合わせる。あの巨人を墜とすぞ、キーファ」


「……ぶははっ!」


 横で聞いてて、頭領は今度こそ笑いを抑えられなかった。

 全身を駆け巡る痛みにどうにか耐えて上半身を起こす。三人分の警戒の目に晒されながら、頭領は腹を揺らしてげらげらと肩を揺らした。


「何がおかしいんだ、ぁあ!?」


「がはは……! そりゃおかしいさぁ。そんなちっぽけなものひとつで? あの化け物に挑むなんて馬鹿げた相談を大真面目な顔でするもんだからよぉ!」


 斧一つ担いで正面から挑もうとした自分よりもひどい。

 笑うのが体に毒なのに笑いが込み上げ、たかぶるのも毒なのにたかぶってしまう。

 老いた自分が一目で心を折られた相手にも怯まず挑もうとする若い熱にてられたのだ。胸を占めていた諦観と悲観が燃え尽き、跡に残った例えようのない感情が口を走らせた。


「物資がいるんだな?」


「はァ?」


「地図をよこしな」


 喧嘩腰のキーファをルシカが腕で制し、ついでに指先を揺らして催促する。

 口を尖らせるキーファから地図を受け取ると、それを頭領に放り投げた。彼はそれに素早く目を通すと、ある一点を指で叩く。


「ここでさぁ。今回の仕事用に備えて物資を保管した山小屋の位置。新品の武器や薬に包帯、干し肉等の保存食……何より使い損ねた炸裂弾イクス爆薬ボムが眠ったままだぜ」


「……何のつもりだァ?」


「深いこたぁ考えちゃいねえよ。どうせ放棄するもんを誰が有効に使っても文句を言う奴はいねえってだけの話でさぁ」


 助けてもらった借りを返すだの、薬や包帯の礼だなどと殊勝なことを口にするつもりはない。


「あのクソガキに一杯食わせてくれるって話でやしょう?」


 自分は我が物顔で高笑いする少年が気に入らないだけ。

 ゆえに頭領は、彼らの巨人殺しジャイアントキリングを期待するのだ。


 ――どうせなら、あの小僧の足を全力で引っ張ってやる。


「一泡吹かせてやっとくれ。ここで見とるから」


 達磨男は大の字に寝転び、手足を投げ出す。

 避難するつもりはない。砕かれた膝の痛みが引くまでは立ち上がることもできないし、今の彼らに安全な場所まで手を借してもらう義理もない。


 何より、ここが一番の特等席なのだ。


 何かの拍子で巨人が割った大地の破片が飛んでくればひとたまりもないだろうが、その危険を冒しても見応えのある何かを見ることができるかもしれない。


(もし、そうなりゃ痛快じゃねえか)


 今日という最悪の一日を慰める酒の肴となるに違いない。

 満足げに自己完結する頭領に、ルシカは小さく笑みを作った。


「ああ。引き受けた。お大事にね、恐熊猫グリズリー


 頭領の顔が、薄笑いのまま凍り付いた。


「ぐり……?」


「さあ行こう、時間がない」


 足音が遠ざかっていく。

 頭領はよたよたと再び身体を起こして額を拭うと脂汗がべったりと裾に染み込んでいた。

 引き攣るような笑みのまま達磨のような身体が震える。

 恐熊猫グリズリーという裏社会での男の異名を事も無げに言い当てた女の、これ見よがしの笑みを恐ろしく感じたのだ。


「へ、へへ……初対面のはずだが。恐ええ、恐ええ……」


 彼女は男が山賊団の頭領であることを知っていたはずだ。

 小物どころか仇も同然の主犯格、あの場で暴露されれば青年に本当に八つ裂きにされていたかもしれなかった。


「貸しどころか負債が積み上がるなんて、笑い話にもなりゃしねえ」


 言いながら飄々とした笑みは絶やさず、木筒に入った薬を一気に呷る。

 どろりとした舌ざわりが喉奥まで到達した瞬間、男の虎目がくわっと見開かれた。


「おえ……」


 樹の根を磨り潰したような匂いと苦みの奔流に呑みこまれて悶絶し、余裕ぶった笑みが今度こそ消え失せた。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 ルシカがキーファと合流した同時刻。

 決着がついていた。


「ごばっ……!?」


 ハルの顔面が流星を思わせる速度で地面に埋もれた。

 髪を無造作に引っ掴まれ、首に鈍色の刃物がそっと押し当てられる。

 アクスの長斧の先端が薄皮一枚を裂く状態で停止し、背中を足で踏みつけて身動きを牽制、左腕は後ろに回されて関節を決められていた。

 唯一右腕は自由だったが、指先を動かすたびに左腕の関節に力を込められ、抵抗の無意味さを理解させられる。


「ぐ、ぐぅぅああ……ッ!」


 完敗だった。

 あらゆる抵抗を無感動に完封された。

 激痛に耐えながら首を捻るように曲げてアクスの顔を睨みつける。


 彼は端正な細顔に人形のような無表情を張り付け、何の感慨も達成感もなくハルを見下ろしている。元々が糸目で感情が分かりづらい存在だったが、今はそれを通り越して空恐ろしい。


「なんで……ッ!」


 自分たちめがけて近付いてくる大地の揺れを感じながら、ハルの胸に沸いたのは疑問だ。

 山小屋で彼女ルシカも口にしていたアクスへの違和感。


「なんで人形師マリオネッテなんかの下に就いたんだ、アンタ……ッ! それだけの力があるのに、なんであんな奴の……!」


 ハルは直接、人形師マリオネッテを見てはいない。

 だが、彼の下で戦う機人族かのじょたちの言葉にできない嘆きや憤りを耳にし、ハルなりにその感情に向き合ってきた。だからイワンナッシュが良い主人ではなかったことは分かる。


アクス……ッ! いや、武器の名じゃない、アンタ本来の名前だってあるはずだろ!? こんな名前、呼ばれるだけで侮辱だ!」


「……」


 届かない。

 言葉が絶望的に届かない。

 感情に揺らぎはなにひとつなく、死ぬ直前の獲物が最後の抵抗を試みている程度の認識でハルの叫びを聞き流している。


 こんな人物ではなかったはずだ。

 ルシカに脅された時の彼には、好ましいほどの人間味があった。

 それを失った理由は、ハルには想像もつかなくて必死で言葉を重ねるしかなかった。


「何とか……何とか言えよ……ッ!」


「――へえ。訛りは強いけどちゃあんと人の言葉を話せるんだね、オーガって」


 なめくじが首筋を這うような、不快な声音。

 断続的に、そして次第に大きくなっていた地響きがいつの間にか止まり、夜空を覆い隠すような巨人はハルをも下ろしていた。


「お、まえ……」


「ぎひっ」


 絶句するハルの前で巨人は膝を折り、両腕を地面で張ってアリを観察する幼子のような姿勢になると、巨人の額部分から幾重にも絡まった枝が生えて地面に降り、そこから滑り台の要領で少年が現れた。


「生きてる状態のオーガを一目見たくてさぁ……けど、なんか。普通だな。全然鬼って感じじゃない。おい短剣ダガー


 声と共に巨人の脇腹から新たに腕が生える。

 最初に生えていた二本の腕に比べれば二回り以上は小さいその枝腕に短剣ダガーは囚われていた。


「ぁ、ぅ」


 彼女はぐったりと全身の力が抜けた様子のまま拘束されていたが、短剣ダガーの目が、ハルの視線と絡み合った瞬間、身体を激しく痙攣させながら瞳から涙をこぼし始めた。


「ぅ……ぅぁぁ、ぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!!」


「よおし、この反応は間違いないねえ! ギヒャヒャ、いいじゃない、やっぱりそうだ。間違いなくお前がオーガってことで良さそうだ!!」


「――お前……」


 初顔合わせだが、ハルには少年の正体が分かった。

 ルシカから事前に聞いた情報とも一致を見せたし、たとえ何の情報がなくても何となく理解していただろう。


 想像よりは子供のような姿で。

 想像通りの人格破綻者で。

 想像以上に耳障りな声で笑う――少年の皮をかぶった悪魔。


「お前が……イワン、ナッシュ……」


「言葉には気をつけろよ鬼畜生おにちくしょう。そりゃどんな態度を取っても殺すけど、どうせ死ぬなら苦しまず逝きたいだろ? なら貴族様に対する態度を取るべきなんじゃない? オーガみたいな獣にその辺の気遣いは期待しないけどさぁ……」


 虫を見下ろして嘲笑する顔だった。

 役目を終えた短剣ダガーは無造作に解放されてイワンナッシュの足元に転がされるが、未だショックが抜けきれず嗚咽を漏らしながら怯え震えるばかりだった。


 巨人の脇腹には第四の腕らしきものも見え、そこにはハルの見覚えのない盾使いマキナが囚われている。その全てを無感動のまま斧使いは受け入れ――


(……気持ち、悪りぃ)


 理解した。

 この巨人は、少年が支配する王国そのものだ。


 民を従属させ消費させ飽きたら破棄して新しいものに取り換える様は、まるで少年のおもちゃ箱。

 イワンナッシュという男が今日まで築いてきた支配の縮図がそこにある。

 良い主人じゃない、など過大評価にもほどがあった。


 彼は最悪の暴君だ。

 その暴君に命を握られる状況は、最悪以外の何物でもない。


「安心しなよぉ、すぐに死ねとは言わないから。……だってほら、僕の偉業は吟遊詩人に謡われるじゃない? 新しい英雄の物語が、そんな味気ないものじゃいけない。少しぐらいはお前の言い分を聞いてやるよ」


「そうかよ……」


 真意はどうあれ、その慢心は大きな隙だ。

 彼らがハルという鬼に執心するなら、ルシカやシオンらに残してやれる時間が増える。

 その時間で彼女たちが逆転の一手を打つにせよ逃げる時間に使うにせよ、時間を稼ぐことには大きな意味があるはずだ。


「その前にこれだけは聞いとこう」


 ハル自身もどこかで隙を見つけて拘束から脱すれば、生存できるチャンスはある。

 だから今は、相手の調子に合わせて時間を稼ぐべきで――


子供ガキの剣士と黒い女、居場所を知ってるなら吐け。あいつらを捕まえたら両手両足の指を全部削ぎ落として、殺してくださいって泣き喚くまで弄んで――」


「誰が言うかボケナス」


 そういう器用さが自分には備わっていなかったことを思い出した。

 直後、顔を真っ赤にした少年が唾を飛ばす。

 号令に応じて忠実な配下がその意に沿うため拳を握り、途端に暴力の雨がハルめがけて降り注ぐこととなった。






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