39話 「樹喰ノ巨神」
パソコンが壊れてしまい更新遅くなりました!
本日より再開です!
聳え立つ山の如き巨躯のヒト。
恍惚の表情で両腕を広げて巨大化する己を言祝ぐイワンナッシュを見上げ、シオンは天災を前に立ち竦み――否。息を呑みつつ、変貌を凝視し続ける。
「――は、ぁ」
目を逸らしてはならない。
あらゆる事象を見逃してはならない。
眼前で起きた全ての超常現象をこの目に焼き付け、正しい攻略法を即座に導き出さなければならない。それが、己の役目に違いないのだと目を見開く。
脳裏によぎるのは王都で人々の喝采を一身に受けていたミトラの騎士。
誇らしげに行進する彼らが佩いていた剣こそは、鍛冶族が己の生涯を捧げて世に送り出すという魔導品の究極の形だ。
(魔剣使い――)
一声に魔剣と言えど、様々な権能を有するものだ。
龍のごとく火炎を吐き出す魔剣。
周囲一帯を絶冬のごとく凍り付かせる魔剣。
一度振るうだけで百の斬撃を生じさせる魔剣や、あるいは真実と嘘を見抜く魔剣。ならばイワンナッシュが有する魔剣は、如何なる奇跡を有するのか。
(決まっている。きっと植物……樹に特化した魔剣)
疑いの余地はない。
周囲の樹木は次々と誰の手に触れることなく、まるで強風に薙ぎ倒されていくように巨人の体へと吸い上げられていく一方で、シオンたちの身柄や周辺の石、土、草は手付かずのまま。
(最悪だ。こんな森だと、材料はいくらでも――)
創り上げられた巨人は、いまなお成長中だ。
今はまだ見上げる程度の大きさ。体格差はせいぜい二十倍程度、しかし魔剣の許容量はこんなものではない。
まだ強くなっていくはずだ。
誰の手にも負えないほどの巨大化を果たし、その圧倒的な図体で盤面を制圧する質量兵器。
なるほど。つまりは――
(逆に言えば、いまこの瞬間が一番弱い――ッ!)
地面を強く蹴りあげた。
目指すは乾坤一擲、振るう一太刀に総力を注ぎ込む。
後ろで自らを呼び止める女の叱責を置き去りにして、シオンは跳んだ。
「お前から死ぬか、ガキィ!!」
甲高い声と共に巨人の掌が降ってくる。
緩慢で、無造作で、工夫もない振り下ろし。しかしそこに膨大な質量を伴えば、どれほど技術を極めようと到達できない一撃へと変貌する。
地面を叩く巨人の腕は、轟音と地割れを引き起こした。
ヒト一人を殺すために放った一撃で地形が変わり、大量の砂ぼこりが巻き上がり――
「はぁぁああッ!!」
砂埃のカーテンを引き裂いて、剣士が空へと飛翔した。
歪な樹指の間をすり抜け、そこに足を引っかけて力強く跳躍――下から押し上げる膨大な風圧に身体を乗せて距離を稼ぐと、巨人の二の腕に張り付いて一息に王冠めがけて駆けあがった。
角度が坂道から急斜面、そして絶壁へと変わっていく。
その中でも速度を落とすことなく生えた太枝や小さな取っ掛かりを伝って登頂を果たす。
即ち――この刃が、イワンナッシュに届く距離だ。
「ばっ、待てよお前ぇ……!?」
蜂蜜色の膜に守られるだけの頭部に張り付いたイワンナッシュの顔が歪んだ。
お誂え向きの拘束状態。その首を刎ねるに支障なし。
シオンは逃げ場のない少年の喉元に刃を向けると、全体重をかけて剣閃を――しかし。
「ぐッ……!?」
長剣が蜂蜜色の膜に阻まれ、停止。
刀身は根元から圧し折れ、剣を握っていた指の骨に亀裂が入るような激痛が走った。
鞘だけになった得物を悔しげに見つめ、膜を蹴り飛ばして巨人から距離を取る。そのままくるくると猫のように身体を回転させ、地面に着地した。
「う、ぐぅぅぁぁぅ……ッ!!!」
衝撃で全身が軋んだ。
槍に抉られた脇腹は今も聖絹が包みこみ、その効能では発揮されている。
だが薬草樹の効果を上回る痛みが、シオンを責め苛んだ。
しゃがみ込んで体を震わせるその背にルシカが駆け寄る。
「この馬鹿が……! 傷は!?」
「これしきで……! けれど、あの膜は何なんですか……!」
今の一瞬にシオンは全てを賭けていた。
身体に残された気力や体力を注ぎ込み、敵の慢心を突くはずの一撃、文字通りの乾坤一擲を阻んだ蜂蜜色の膜を見据え、ルシカは眉間に皺を寄せた。
「あれは……琥珀だ」
琥珀――天然樹脂の化石化による鉱物。
高温や高圧の環境下で発生する鉱物の一種だが、本来は長い時間をかけて組成される物質だ。
「琥珀……そんなに硬い鉱物って印象ないです、けど」
「人間の爪と硬度自体は変わらない。だが物量が段違いだ。この森にある数百の樹の樹脂を集めたとなれば、鈍らな剣のほうが負けても不思議じゃない」
盾としての実用性にこぎつける奇跡も、質量の暴力によるものだ。
薄紙も何百枚と重ねれば刃物を突き立ててもテーブルまで通らなくなるように、イワンナッシュを守護する琥珀の硬度も物量と密度によって補強され、シオンの膂力では打ち勝てないことを証明した。
即ち今のイワンナッシュは、二人では歯が立たないという証明でもあった。
「……でたらめな! これだから人間族は!」
不可能を叶えてこその、魔剣。
その権能を十全に引き出す契約への高い適性こそが、人間族という種の最大の特徴だ。
これにより生まれるのが、一方向の概念に特化した究極の一として、数多くの道理や常識を踏み越える魔剣使い。
即ち、人の領分を逸脱せし奇跡の担い手である。
「ハハハ、ギヒャハハハハハハハハッ!!!! なんだよ驚かせやがって! 虫みたいに身体を這ってくるなんて気持ち悪いなァ!! どこだ、どこに行ったぁ!?」
二人にとって幸運だったのは、イワンナッシュ自身が巻き上げた砂埃が彼の目を覆い隠したことだった。
標的を見失い、見当違いの場所を踏みつけるイワンナッシュを後目に、ルシカは崩折れるシオンに肩を貸しながら。
「残念だが、手が付けられない。砂埃で身を隠せている今のうちに退こう。一から検討し直しだ」
「悠長な! あれはどんどん強くなってしまうのに! 今この場で倒さないと、兄さんもいつまで持ちこたえられるか分からないのに……ッ!」
言い争う間にもイワンナッシュは虫を払うように巨碗を動かし、巻き上がった砂埃を払おうとしている。
質量が生み出す突風は薄茶のヴェールを剥ぎ取り、決断のための時間を奪っていく。
「君の言い分は分かっている……それでも退くんだ。退くべき時に退かなければ、損害は測り知れないものになる」
「兄さんは……ッ!」
「見殺しにはしない! 救うために退けと言っている!」
強い剣幕に押され、シオンは顔を歪ませた。
理屈は分かっている。自分には兄のような怪力はなく、無手のまま戦い続けることはできない。
剣を失くした剣士は役に立たない。
シオンにもう、打てる手は何一つないのだ。
「退けば、勝てますか……?」
「勝たせて見せる。最初から方針は変えていない。全員が死ぬか、生きるかだ」
屈辱を噛み殺した問いかけに断言で返す。
小柄なシオンの体を支えることさえ容易ではないルシカだが、どうにか息を整えて災害のような巨人から逃れつつ。
「私を信じろなんて言わないよ」
「――」
「私の悪辣さだけを信じていれば、それでいい」
「……ッ、言ったな、魔女」
それでシオンの心は決まった。
痛む身体に鞭を打ち、ルシカの細い手を引いて走る。
彼女の体力は本当に人並みかそれ以下で、満身創痍のシオンよりも遥かに足取りが遅い。
彼女の発破が、ただ留まれば死ぬだけの戦場から遠ざかるためだけの虚言でないことを祈り、釘をさすように囁いた。
「もし言葉を違えたその時は、お前も斬る」
「いいだろう。その時は必ずこの首を落とせ。躊躇も呵責も許さない」
予想以上に真剣な声で返され、今度こそシオンは全ての不満を飲み込んだ。
一方でイワンナッシュは二人がこの場から立ち去ったことに遅れて気が付くと、自分ではどうしようもないほどの強い憎悪が喉奥から競り上がった。
「どこだ、どこに、どこいったぁぁ!」
許しがたい。許せない。許すものか。
呪詛を口にしながら周囲を見渡し、崩れた大地を忌々しく睥睨する。
じくじくと痛む左腕を壁から引き抜き、親指の欠損に涙が込み上げた。
「ぁぁ、ぁぁあ、痛い、指が、指がない……」
もはや斬り飛ばされた指を探すのは不可能だろう。
なんて不敬、なんという罪深さか。
自分に生意気な口を叩いた女、自分の指を切り飛ばした子供、どちらも万死に値する。
一息に叩き潰すだけでは飽き足らない。
自分のやった所業を後悔させ、泣き叫ばせねば気が済まない。
「逃がすもんかよ、ギャヒャ、森に隠れたならさぁ……」
巨人が大股で森を踏みしめる。
樹木が圧迫に耐えきれず圧し折れ、巨躯を補完する材料となって歪に形を変えていく。樹を拠り所にする小動物らの命が、黒く染まる木に気休め程度の赤を添えた。
「隠れる場所全部、ぜぇんぶ食べてやるさぁああッ!!」
『樹喰』と謳われし魔剣の本領発揮だ。
巨人は主人の望むままに森を貪り続けた。
その操縦者は膨れ上がった憎悪に身を焦がしながら笑い続けていた。
ゆえに、巨人が踏みしめる足の下に何がいるのか気付くことはない。
決して小さくはない、絶望を孕んだ絶叫があがっていることなど。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「頭領っ……!!」
逼迫した声が、断続的に続く破壊音に混じるようにして男の耳に届く。
達磨を思わせる体躯の、頭領と呼ばれた彼は特徴的などんぐり眼をぎょろりと見開きながら、目の前の惨劇を目に焼き付けていた。
「あの方角……東の天幕が……!」
「皆まで言うんじゃねえ。ここに居ても悲鳴が聞こえやがる。口惜しいが、ありゃもう助けられねえ。あの規模じゃ、東の連中は誰も生き残らねえだろうよ」
以前の拠点をイワンナッシュが生み出した巨人に腹いせで潰されたオーガ山賊団は、新たな拠点を東と西に設けていた。怪我人をそれぞれに分け、森を封鎖しながら怪我人の介抱を行っていたのだ。
その片方が再び樹木の巨人に呑み込まれた。
手あたり次第に破壊をもたらす光景に頭領は額に太い青筋を立てながら唇を噛み、表面上の冷静さだけをどうにか取り繕っていた。
「ふざけやがって……」
言葉通り、恐らくは誰も助からない。
長年一緒にやってきた副官もまた、東の天幕で多くの怪我人と運命を共にしただろう。
仲間を蟻のように踏み潰して高笑いをあげる怪物に対して沸き起こるのは、憤怒に加えて小さな憐憫だ。
あの行為自体が、イワンナッシュ自身の首を絞めるのだと気付いていない。
「秘匿も何もあったもんじゃねえ。自分がどういう類の仕事を引き受けたのか、もう頭からすっ飛んでやがる。貴族様気分の抜けねえド素人め、この状況、もうどうも収めようがねえぞ」
元々は秘密裏に事を運ぶ暗殺計画だったはずだ。
今は違う。山の地形を変え、全てを破壊し尽くして結果だけを取り繕うための殲滅戦になり果てた。
間違いなくこの騒動は明るみに出ることになる。
それは依頼主の不利益を生むだろう。自らを取り巻く状況は詰みになったのだ、と頭領は受け入れるほかなかった。
「自分がトカゲのしっぽ程度の価値だと、本気で気付かねえたぁな。ひでえ協力者を回してくれやがったもんだ。オイラたちの幸運もここまでだな」
「頭領……」
「今は一人でも多く逃がせ。怪我人の搬送を急がせろ。向こう岸の火事だと思うんじゃねえ、ありゃすぐにでもこっちまでやってくるぞ」
言いながら男は自分が愛用した両刃の戦斧を持ち上げた。
剣呑な様子に部下の男が目を白黒させる。
「ど、どうするつもりで?」
「オイラが生きておめおめと戻りゃあ、団全体に咎が及ぶ」
後ろ暗い任務に失敗し、その秘匿さえ叶わないとなれば自分たちの運命は決まったも同然だ。
依頼人がどんな存在であれ、国の調査が入れば実行犯である自分たちを差し出すに違いない。となれば、この後のことは想像できる。
一人残らず国に突き出されて断頭台か。
別の暗殺団を仕向けられるか。
あるいは毒でも賜るか。
それを未然に防ぐためには、裏社会に顔が知れた頭領の存在は邪魔にしかならない。
「すまねえな。オーガ山賊団は今日この時を以って解散だ」
「そんな……」
「今日で俺らは全員死人だ。もし死人のまま命を繋げられる幸運があったら、その時は生まれ変わったつもりでやり直そうじゃねえの」
それが別れの言葉だった。
顔を歪ませる部下の背中を張り、後事を託して森を駆ける。
達磨のような身体に似合わぬ敏捷さと力強さには、裏社会に名の知れた強者の立ち振る舞いが見て取れた。太い腕に似合う両刃の戦斧を試し切りとばかりに大木を切り裂き、感覚を確かめて。
「へっ、どうせならあの餓鬼の足一本、斬り落としてやらなきゃ気が済まねえ」
それでどうなる話ではないが、それでいい。
どうせ腹いせだ。理屈なんてない。
高笑いしながら破滅への道を突き進む愚か者に、どんな嫌がらせをしてやろうか、と口端を吊り上げる。
怪物の巨体は一度、この目で見ている。
殺すのは骨だな、というのが正直な感想だった。十度戦えば四は勝ちを拾えるだろうが、頭領自身も六は圧死するだろうという公算があり、その四割を引きに行ってやろうとどんぐり眼を逆立てて。
「――――――は、」
だが、それは思い違いだった。
幾つも思い浮かんでいたはずの罵詈雑言が、巨人を間近で見上げた瞬間に消し飛んだ。
膨れ上がっていく異様さに、気圧されたのだ。
「なんだこりゃァ……最初に見た時と、規模が全然――ッ」
血に酔い、破壊に酔うイワンナッシュの耳には何も届かない。
男が命懸けで吐き出そうとした叫びは、大地や樹々が引き裂かれる音に掻き消された。
「ぎひっ」
イワンナッシュの目には、小さな豆粒が震えているようにしか映らなかった。
にっこりと邪悪な笑みを浮かべ、石ころを蹴飛ばすように豆粒を払った。たったそれだけの動きで山が崩れ、地が引き裂け、森が哭いた。
「お、ぉおおぉぉおおおおおぉああ!!?」
長年かけて鍛え上げた肉体が、何の努力も苦労も知らない少年によって冗談のような規模で薙ぎ払われて破壊されていくという悪夢。
長年の積み重ねを、努力を、年月を理不尽の塊が嗤いながら踏み潰していく。
それこそが魔剣。
それこそが契約者。
それこそが選ばれし者とそうでない者の差だと突き付けるように。




