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38話 「人形師-マリオネッテ-」






「ははっ、ははははは! 見ろよ、短剣ダガー! まるで猫に弄ばれる泥ねずみだ! オーガってあんな情けない顔するんだなァ! ははははっ!」


 人形師マリオネッテが陣取るのは森の景色を一望できる高台だ。

 銃身バレルが拠点として拵えたうちの一つで、アクスに追い回されるハルの様子を見物できる立地でもあった。

 腹を抱えて転げまわるイワンナッシュの甲高い喜悦の声が森中に響くなか、傍に控える短剣ダガーは小さく首肯した。


「はい、主様……とても、滑稽です」


「はははっ、あぁ、本当に! ほんと退屈だったからさぁ、こんな三文芝居でも可笑しくて仕方ない! まずいなぁ、笑いの沸点低くなって……ははっ、また吹っ飛ばされたぁ! ぎゃはははっ、なんて無様! ボールですかあいつぅ!」


「本当に……」


 戦場を見下ろす少女の瞳は虚無に濁っていた。

 彼女の心中にはぽっかりと穴が開いたような喪失感が広がり、全身から力を奪っている。主人の傍に控え、立っているだけでも辛い。

 拭い損ねた涙の痕を頬に残し、主人の高笑いに惰性で調子を合わせるだけの人形。それが今の短剣ダガーだ。


「本当に……おかしくて……」


 心にもないことを口にするのが辛い。

 今すぐに死んでしまいたい。

 この命が師の犠牲で成り立っていると言い聞かせて、それでも耐えがたい悲痛が胸に宿る。

 もう、涙も出てこない。


 師は、もう笑わないのだ。

 自分たちのことを憶えてもいないのだ。

 笑顔も記憶も奪い尽くした元凶が楽しそうに笑うたび、やるせない気持ちが短剣ダガーの心に暗い影を落とす。


「だよねえだよねえ! あれ、そういえばしんいりは?」


「主様のご命令で、馬車を回してきています……」


「そうだっけ? あいつ辛気臭いからいいけど。帰ってきたらフィスト銃身バレルと連絡を取るよう言っとけよ。今頃は他の奴らの首でも持って帰ってきてるだろうからさぁ」


「仰せのままに……」


 去り際のシールドを思い返す。

 彼女も短剣ダガーに負けず酷い顔をしていた。

 新米の彼女にとってはこの森が初陣だ。

 まだ仕事ひとつこなさないうちに頼りになったアクスランスを失ってしまうなど、自分なら耐えられない。


 辛いときに、二人の励ましがどれほど支えになったことか。


 ――本来なら生き残った自分がその役割を継ぐべきだ。


 けれど今の自分はただの餌。

 師によって命を絶たれることが決まっている、廃棄品。

 彼らにもらった優しさの一端を返すこともできなければ、自暴自棄になって主人に歯向かう度胸もない。命の終わりを刻一刻と待つだけの、屑鉄クズ


 だから。

 突風が自分の髪を掻き上げた時も、指一つ動かさなかった。



「――はえ?」



 主人の、間の抜けた声が契機だった。

 風が確かな質量を伴って短剣ダガーへと肉薄、目にも止まらぬ速さで彼女の横っ面を殴打した。

 呆気なく倒れるのと時を同じくして、蛙が潰されるような呻き声でイワンナッシュの顔面が地面に埋まった。


「グエェ!?」


 倒れ込む背中に乱暴に足を乗せられる。

 泡を吹くイワンナッシュの細い首に突き付けられたのは、刃こぼれの酷い長剣だ。

 上機嫌で顔を上気させていた主人が、口を忙しなく開閉しながら呻いた。


「こ、こ、このアマァ……」


ヤロウです」


 突風が、素知らぬ顔でそう嘯く。

 地べたに這い蹲らされた屈辱で顔を赤くしていく主人を目に焼き付け、同じように倒れた短剣ダガーは薄く微笑んだ。


 ああ、ようやく。

 耳障りな笑い声が聞こえなくなってくれた、と。


「こ、この廃棄品が! なんだその様はぁ!! アクスが戻ったら、お前はただちにスクラップだ!! 覚悟していろよ短剣ダガーァ!!」


「自分の置かれている立場が理解できないらしい」


 気付けばもう一人、黒づくめの女が立っていた。

 短剣ダガーには見覚えがあった。自分が殺そうとした二人組、その片割れだった。

 彼女は口元を笑みで彩りながら酷薄な顔付きで、道端に転がるゴミを見るような目でイワンナッシュを見下ろしていた。その見下した目にイワンナッシュは青筋を立てて。


「お前らァ、僕を誰だと思って……!」


「部下に唾を飛ばしている場合か、イワンナッシュ。私たちはミトラ伯爵家の尊き血を森に還すことも厭わない。そのつもりでここに来たが?」


 言い終わる前にシオンの刃がくるりと翻り、イワンナッシュの眼前でゆらゆらと揺れた。

 こびり付いた血液が色鮮やかにボロボロの刃を彩っていた。

 何人もの命を吸い上げてものであることを間近で確認させられたイワンナッシュは、歯の根が噛み合わないまま金切り声をあげる。


「や、やめろ、それは、不敬罪だぞお前!」


「生憎と敬う気持ちが更々ありませんので」


「ばっ、銃身バレル!! フィストォ!! ど、どこかにいるんだろ!? 誰でもいいからさっさと来い!! 主人の危機だって分かってんのかぁ!? は、はあ……ゥアアッ!?」


 懐に手を入れようとする動きをシオンが目ざとく見つけ、強かに足蹴にして行動を封じた。

 歯噛みする少年の行為をルシカはあざ笑う。


「もう誰も残っていないんだ、イワンナッシュ」


「はぁ、ぁ?」


フィスト銃身バレルは倒れた。アクスも君の声が届かない限りは戻ってこれないだろう。契約書を介した命令の更新も封じられた今の君は、裸の王様だ」


 イワンナッシュの顔から一切の表情が抜け落ちた。

 彼は王手をかけられた事実を飲みこめずに呆然と口を開けたまま、眼球を剥き出しにし、わなわなと小刻みに体を震わせて。


「や、役立たずどもが……」


 ようやく自らが敗北の淵にいることに気が付いた。

 理解が追いつくと同時に、自分の自尊心を守るための、責任転嫁に思考を走らせた。


「拾って存在意義をくれてやった僕に、少しは貢献しろよぉ! 僕は、新しい英雄になる男なんだぞ!! お前たちは英雄ぼくの刃だってのに、どいつもこいつも無様に負けやがって!! ぁぁあああ恥をかかせやがってぇえええ!!」


 僕は悪くない。

 能無しの機械に足を引っ張られた。


 僕は悪くない。

 運がなかっただけ。本気を出してないだけ。


 僕は悪くない。

 やり直せ、最初から仕切り直させろ。


 そうだ、お前らが悪い、汚い、ズルい。

 絶対こんなのおかしい。有り得るはずがない。おかしいだろ。おかしいんだよ。なぁ、おかしいに決まって――そんな、誰に向けるでもない言い訳の数々を。


「聞くに堪えない」


 ばっさりと一言で斬り捨てて、爪先でその額を軽く蹴った。


「ばはっ、あ、あああ!」


 自己正当化に夢中で内側に籠っていたイワンナッシュの意識がようやくルシカに向き直ったところで、ルシカは有無を言わさない鋭い声を飛ばす。


「要求はただ一つ。今すぐにアクスとの契約を破棄し、あの暴走を止めさせろ。今すぐに、だ」


「あぁあ!? ふざけるなっ、誰がそんなこと――」


 言葉が途切れ、血が飛んだ。

 次いで肉片の一つが宙を舞う。

 経験したことのない衝撃と激痛の元を探してイワンナッシュの瞳が左右に揺れ、やがて自分の左手の親指が根元から消失し、噴水のように赤い水が噴き出していることに気付いた。


「ぁ――ぁぁがぁあああヒャアアアァアアアア!!?」


 激痛に耐え兼ねのたうち回るイワンナッシュの体が、抵抗を予測していたシオンの足に抑えられる。表情一つ動かすことなく指を斬り落としてみせた剣士に、やや眉を顰めるのはルシカだ。


「やってよし、とはまだ言ってないけど」


「やっても?」


「まあよし」


 あっさりと頷いて見せると、少年の悲鳴が上がった。

 イワンナッシュは目から涙を溢れさせ、恐怖に身体を激しく震えせ、女たちの正気を疑うように見上げる。目にしたのは彼女たちの光を失くしたような黒洞の瞳だ。


 指の一つや二つは必要経費。

 一分一秒を惜しむ非常事態を前に、ルシカたちの心は一つだった。


「アアアア……指ぃ、僕の指がぁ、はぁあ……!!?」


「立場が少しは身に染みたようだから、もう一度繰り返してあげよう。アクスとの契約を、今すぐ、破棄しろ」


「ひぎぃ、ふうううっ、ぉおおお……ッ!」


 屈辱と苦痛、恥辱と苦渋。

 それらが混ざり合った表情でイワンナッシュは歯噛みした。

 脅迫に屈することはプライドが許さず、苦痛に耐えることは軟弱な精神が許さない。

 彼にできることは呻き声を張り上げながら時間を稼ぐことだけで、それが有効な手段であるわけでもない。親指を失くした左手に大量の脂汗が滴るなかで。


「次」


 イワンナッシュの左手の指に、長剣が再び添えられた。


「二本まとめてっときますか」


「まあよし」


「待ぁああっ! 言うぅう、言うからあああ!!」


 天秤はあっさりと屈服に傾いた。

 無事なほうの腕で何枚もの羊皮紙を地面に並べ、そのうちの一つに手を置く。

 契約書が赤の光を発す中、声を震わせながらイワンナッシュは自らの敗北を口にする――その直前の出来事であった。




 ざり、と地面をこする音が、ルシカたちの背後で起きた。




「え――?」


 疑問が、大小問わず誰の口からも漏れた。

 その場にいた全員の視線が、予想外の闖入者へと向けられる。

 視線を一身に集めた彼女もまた、事態を把握できずに呆然とそれを見つめていた。



 それは馬車の準備が整ったと報告しに来た、シールドと呼ばれる少女だった。



「馬鹿な――六人目の機人族マキナ?」


 誰よりもその人物を脅威と捉えたのはルシカだった。

 彼女こそは、ルシカが棺桶の中に囚われた数日間の空白の間に補充された、正真正銘の人員外イレギュラー

 能力不明、詳細不明。

 一切の情報がないまま事を構えていいのかどうか、その判断に迷った。

 緊張はシオンにも伝搬し、その一挙手一投足を見逃すまいと無防備に立つ少女を見据えた。




 それがその夜、最大の失敗となった。




「――!?」


 森がいた。

 樹木が風の力を借りずに騒めきたて、次いで小さな地響きが二人を襲った。

 体勢が崩れたその隙をイワンナッシュは見逃さなかった。

 懐から取り出した小刀が妖しく光り、それに呼応して緑が混じった茶色の縄状の物体が、二人の体を拘束せんと素早い速度で伸びてきた。


「……!? なんですか、これは!?」


 咄嗟の迎撃が叶ったのは、並外れたシオンの反射神経の為せる業だ。

 伸びてきた物体を四つほど一振りで両断し、その手応えでそれが縄ではなく樹木の枝だと気付いた。


「樹の、枝……!?」


「いけない! 人形師マリオネッテを抑えろ!!」


 ルシカの忠告は僅かに遅かった。

 シオンの意識は生き物のように蠢きながら伸びてくる触手に向き、その隙に別の枝がイワンナッシュの身体を絡めとった。

 彼は地面に並べていた従令誓約ギアスを掻き集めるように胸に抱き、不気味な笑みを浮かべた。


「――ヒヒッ」


「しまった!」


 その体が森の奥へと消えていく。

 シオンは逃がすまいと長剣を振るいながら追いすがるが、伸びてくる枝が行く手を阻む槍となってその追撃を阻止。

 歯噛みするシオンを煽り立てるように、狂笑が激しく木霊した。


「ヒヒハハハハッ、ギヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!! ギヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャハァァァァァァハァアアアッ!!!!」


「ぁ……ぁぁ、ぁぁぁ……」


 その笑い声だけで、地べたに倒されるままだった短剣ダガーの体は震えた。

 これまで彼の笑い声は何度も耳にしてきた。

 死に値する癇癪すらも経験してきた。


 これは違う。

 これほど邪悪な笑い声を聞いたことがない。

 どれほどの憎悪が、恥辱が、憤怒が込められているのか想像もつかない。


「ぁぁぁぁ、ぁぁぁ」


 過去に受けた折檻の数々が蘇り、身体が恐怖で凍り付く。

 ただその場に戻ってきてしまっただけのしょうじょが、今日一日で刻まれた恐怖と嫌悪にへたり込む。


「ギヒャ、ハァ、ハァァア……ふざけやがって、ふざけやがってふざけやがって!! どいつもこいつも使えない奴ばっかりだ! どうして僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!? クソがぁ!!」


 地獄の底から響くような怨念に呼応するように、彼女たちにも枝が伸びる。


「ああっ……!?」


 逃れる術はなかった。

 体は自由に動かず、助けを求める相手は誰もいない。

 首を、腕を、腰を、足を雁字搦めに絡めとって、機人族マキナの少女たちは森の奥へと引き摺られた。噛み殺すような小さな悲鳴もまた、禍々しい哄笑に飲み込まれていった。


「思い知らせてやる……結局のところ最強はこの僕なんだって、いい気になってるクズ共を教育してやろうじゃないか……なぁ、ソード


 シオンは、これまで全幅の信頼を寄せてきた自分の目を初めて疑った。

 その目に映るのは、世界が壊れていく光景だ。

 樹木が草でも抜くような気軽さで根からひとりでに引っこ抜かれ、空を泳ぐようにしてイワンナッシュが消えた方角へと吸い寄せられていく。


「一体、これは……?」


 その数は十や二十では利かない。

 あっという間に自分たちのいた森林地帯は穴ぼこだらけの平野へと姿を変えた。

 シオンは息を呑んだ。視線はある一点に釘付けだった。


「冗談、でしょう――?」


「残念だけど……悪夢のような現実だ」


 吸い上げられた樹木は幾つにも折り重なって結合していた。

 ある樹木は脚に組み込まれた。

 ある樹木は何重にも重ねられて胴体となった。

 ある樹木は掌となって特別頑丈な幹部分を何重にも挟んで頑強に固めた。


「何なんですか……あれはっ……!」


「あれは――」


 それは百を超える樹木で仕立てあげた大巨人。

 呆然と見上げる不敬者たちの滑稽な顔を見下ろし、征服感と全能感に満たされるままにイワンナッシュは唾を飛ばして吼えたてた。


「ひゃは……! 小さいなぁ。小さい、ああなんて哀れで矮小な命なんだろう! さあさあ絶望し頭を垂れろ有象無象ども! このイワンナッシュ・イングウェイが手ずから葬る栄誉をくれてやろうじゃないかぁあ!」


 人間の二十倍を超える身の丈の巨人が進軍を開始する。

 腕に取り付けられた指は山小屋を摘み上げるほどの規模で、一歩足を踏みしめるだけで地面が割れた。

 頭部は蜂蜜色の被膜で覆われた王冠を備え、額部分にはイワンナッシュの小さな影があった。

 その部分は小部屋になっているようで、両手を広げるように樹木壁に腕を埋め込んだ姿勢で嗜虐的に口端を吊り上げて。



れなるは魔剣――樹喰ノ巨神ヨトゥン・スケアクロウ



 世界最高峰の魔導品アーティファクトが織りなす奇跡あくむ

 ソードと名付けられし、人形師マリオネッテ唯一の機人族マキナではない人形。

 一騎当千の力を得るとされる力の権化。


 即ち、魔剣使い。

 契約者リアクターイワンナッシュ・イングウェイは今宵、ドゥロン山林という環境を喰らって牙を向く。



「さあ、森を喰らい膨れ上がれ、ソード! 挽き潰して! 磨り潰して! 押し潰して! 目障りなガキも生意気な女も挽き肉に変えちゃいなぁあああ!!」






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