37話 「人形はもう微笑まない」
「斧……!?」
それが彼だと気付くのに、ハルは若干の時間を要した。
機人族の中で唯一、燕尾服に身を包んだ長身痩躯の斧使い――噎せ返る鉄錆の匂いを漂わせる血染めの姿を目の当たりにし、ハルの呼吸が止まる。
一切の感情が抜け落ちた顔。
緊張や怒りで顔を強張らせている様子とも違う、ただ人形のような無表情でハルを見つめていた。
「なんだ、この雰囲気……」
喜怒哀楽を取り繕う様子もなく、覚束ない足取りでゆったりと歩いてくる姿は、幽鬼のような不気味さがあった。
「……ッ!!? く、ぁっ!?」
声を掛けるのとほぼ同時、燕尾服の影がぶれた。
同時に首を斬り飛ばされる錯覚に襲われ、思わず身を縮ませるように後ろに身体を投げ出す。
鼻先を烈風が薙ぎ、ひりつく痛みが顔を覆う。
「ひ、ぃっ……!」
斧の軌跡はハルのいた空間と、その隣の大木を素通りする。
芸術を思わせるほど美しい切れ味に頭を下げるように、真っ二つにされた大木がゆっくりと崩れ落ちた。
その光景がハルの心胆を凍り付かせる。
どれほど身体が頑丈だろうと、彼の斧撃は意に介さない。
先の大木と同様、容易く両断されるのだと理解させられた。
『決して斧と戦ってはならない』
ルシカの声が脳内をよぎる。
彼女へ何かしらの警戒と指示をもらおうと耳に指を伸ばし、しかし手応えが無くて瞠目する。
目当ての通信機は斧の足元だ。
回避行動のさなかに取り落としただろう命綱は、彼によって無慈悲に踏み砕かれた。
今のハルに残されているのは、事前の情報のみ。
『斧の一振りで山を崩すほどの尋常ではない怪力を軸とした戦士。怪力で力負けしなければ拮抗しうる。――そんな風に見誤れば、君は死ぬ』
斧が戦斧を大上段に振りかぶる。
距離を取ろうとする次の瞬間、斧の足元の土が爆ぜて瞬きの間に肉薄された。
「速い……!?」
振り下ろされた斧の軌跡から必死の思いで体をそらす。
躱せたのは何か奇跡だった。
斧の刃が地面にめり込み、反撃というには短い猶予を手にしたハルは選択を迫られた。
(距離を取るか……!? 攻勢に出るか!?)
理屈で考えるより先に拳が握られ、唸りをあげて斧の顔面へと放たれた。
「ガッ……!?」
ハルの拳よりも早く、ハルの右頬に衝撃が走った。
自分の得物から手を放した斧の払うような裏拳での迎撃だ。
さらに鞭の如くしならせた長い足がハルの腹部に突き刺さると、その体がくの字に折れ曲がって砲弾のように射出される。
『斧の本質は、戦術と経験に裏打ちされた変幻自在の技巧派戦士』
「ごえぇ……! く、っそぉ……ぉおおぁああ!?」
激痛と嘔吐に堪えながら顔をあげると、自分めがけてくるくると回転しながら飛来してくる物体が目に入った。
左手で地面を突っぱると、先ほどまで寝転がっていた地面に小型の斧が何本も突き刺さった。
『武具を取り扱う精密さは槍を上回り、手数の多さは短剣を凌ぎ、そこに拳とは比較にならない怪力を備えた万能型』
(まずい……やばい、やばい、やばい……!)
他に言葉が思いつかない。
彼は今日ハルが戦った機人族全員の師。
決して戦ってはならないと戒められ、策による絡め手を余儀なくされた達人の中の達人。
彼がルシカが用意した策を食い破って戦場に舞い戻ってきたとなれば、全ての前提条件が崩れ落ちる。
彼一人で、今まで倒してきた機人族たちの穴を補って余りあるのだから。
(だからと言って、ここまで来て……負けられないッ!)
あと一歩のところまで来たのだ。
何が何でも、彼をここで倒さなければならない。
絶望感が疲労困憊の体に染み込む中、活路を見出そうとハルの視線が目まぐるしく動く。
(ダメージはあるんだ……!)
燕尾服に染み込んだ大量の血痕は、誰かの返り血による飛沫痕ではなかった。胸周りにかけて滝のように流れた跡は吐血を受け止めた証拠だ。
詳細こそ分からないが、今の彼がこうして立ち塞がること自体が常識の枠外のはずなのだ。
彼の表情から笑みが喪われたのも、恐らくは取り繕う余裕がないからのはずで――
「――」
いや、本当にそうなのだろうか。
二度の攻防でハルの肌が感じ取ったのは、強い違和感だった。
彼の身体にも刻まれた傷の数々は瀕死状態の拳とそう変わらない。しかし動作の一つ一つに見える緩慢さが、体を庇うというより機械じみた駆動を思わせるのだ。
(まるで、人形じみた……糸に、吊られたみたいな)
何よりも表情だ。
機人族という種族は感情の出力が薄い傾向にあるが拳のように多感的な存在もいる。
それは個性として機人族がヒトである証左とハルは受け止めているが、目の前の燕尾服はそれに比べれば異常だ。
(……誰だ?)
瞳に宿す感情は凪を思わせるような無風であった。
喜びもなければ憎しみもない。
ただ殺すべきものを事務的に殺す。
ただそのための装置としてそこにあるのが当然と言わんばかりの、虚無。
(ここにいる斧は、誰なんだ……!?)
斧という機人族の本質は違うはずだ。
彼には部下を慮る優しさと非情になれない人間性があった。
例えハルとの間に敵同士、あるいは仇としての悪縁があったとして、復讐心に突き動かされた憎しみの感情があるはずだ。
「…………」
今の彼には何もない。
優しさも、躊躇も、憎悪すらもない。
ならば今の斧に、一体何が―――思考が空白を生み、その隙を突いて再び斧の体がぶれる。
地に埋もれた長柄斧を諦め、瞬きの間に手に納めるは、鉄塊の如き大戦斧だ。
「鉄塊型・大戦斧」
「…………ッ!!」
距離を取ったまま斧が身の丈を超える戦斧を振り上げる。足が地面にミシリとめり込む姿は、初めて斧と出遭った崖上での邂逅を否応なしに思い出させた。
「ま、ずッ……!!」
三度の轟音が響き、ハルの体が宙を舞う。
離れた距離から地面に向けて振り下ろされた大戦斧の一撃が地層を崩し大地を揺らし、周辺の木々が根から引っこ抜かれて空を舞った。
山崩しの再現だ。
あの時と違うのは平地での出来事であり、けれど大地が跳ねる衝撃は何も変わらずハルを木っ端のように弾き飛ばす。体勢を崩したハルを両断すべく斧が駆ける。
「お、ぉおおおおおオオオアッ!!?」
蹴るべき地面がなく回避を封じられたハルが活路を見出したのは、自分に向けて投擲された幾つかの小型の斧だった。
手の届く範囲にあった一つを無我夢中で引っ掴むと、肉薄する斧の放つ軌道に合わせて防御を試みる。
「痛、ああああああ!?」
鉄製の小斧が甲高い断末魔と共に砕け散り、血を撒き散らしながらハルの身体は再び地面へと叩き付けられた。
負傷箇所は脇腹だが、壮絶な一撃の代償としては軽い。
間に挟んだ小斧が衝撃の大部分を引き受けたこともあるが、中空で受けたこともハルの命を救う要因となった。
「げぶッ、ごぉぉぁ、はぁぁ、はぁッ……!!」
だが、今の攻防で格付けは終わった。
ハルでは敵わない。
三度打ちあって軽傷止まりで済んでいるのは何か冗談のような奇跡が働いているからだとしか思えない。
次に打ち合えば手足のどれかを失くす。
もう一度打ち合う前に首が落ちる。
抵抗に先がないことを知ったハルは逃亡を選んだ。その背中にぴったりと凄まじい気配がついてくる。
ハルの背中をしっかりと捉える追跡者の残酷な性能差が、逃亡もまた無意味に終わるだろうことを告げていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
標的を追いながら斧という装置は、自問していた。
三度の仕掛けで仕留めきれなかった不始末の理由だ。
何らかの異常があるならば速やかに原因を追究し、可能な限り取り除かなければならない。
以前までのキレが喪われているとは感じていた。
空気中の大気を内臓器官に取り入れるたびに機体の中身から湿った水音が鳴り、気を抜けば機体の中から氾濫しようとする。
これは治しようのない損傷なので放置。
せめて靄が掛かった頭の中身を整理するべきだと考えた。
何か大切なことを忘却している。
何か罪深いことを消去している。
長年積み重ねてきたはずの記録がぽっかりと欠落し、体の不調以上に斧の駆動を妨げている。
燃えカスのような記録を掘り返し、機能の補填を試みた。
『――分かったよ、斧。お前の気持ちはよく分かった』
主人の声が脳内に響く。
偉大なる我が君。
最も新しい英雄。
尊き血筋に連なる貴人。
絶対たる主君の声。
『お前は替えが利かない存在だ。廃棄寸前だったクズどもを再生させた教育手腕を、人形師一座の象徴的存在を僕が手放すわけがない』
歯向かった愚かな機械の頭を踏みつけながら、主人は努めて穏やかな声音で。
『だから多少の独断専行だって目を瞑るし、口答えだって許す。だってお前は、替えが利かない存在だから……』
みしり、と主人が機械の頭部へと体重をかけていく。
『そんな風に、勘違いしちゃったんだよなァ?』
すぐ近くで誰かが泣いている。
やめて、やめて、と声を震わせている。
何故だか申し訳なさが募った。
いまここで閲覧しているのは過去の記録だ。
機械が痛痒を感じるはずがないので、これも恐らくは不具合の一つだ。
『認めるよ、僕が悪かった。ヒト以下の人形を、ヒトだと勘違いさせちゃった。そうだよな、斧? 人形の分際で主人に歯向かうんだもんな』
いま思い返すべきは偉大なる主人から賜った言葉。
機械とはこうあるべしという薫陶のほうだ。
『自分がヒトだと思い込んじゃったんだよな。僕の失態だと素直に認めようじゃないか。楽だからって、お前らクズどもを自由にさせすぎた』
頭部を苛んでいた圧迫感が消える。
呼吸を許された機械の口から、けひゅ、と風船から空気が抜けるような音が漏れた。
『ごめんね? 希望持っちゃったよね。人形でもヒトになれるかもとか、そういう淡い期待をさせちゃったんだよね?』
ぐしゃ、と潰れた音が頭の中から聞こえた。
頭がボールのように蹴り飛ばされた音だった。
『そんなわけねえだろゴミクズがッ!!!』
衝撃で仰け反った身体に黒い腕が伸び、引きずるようにして元の位置まで戻される。
定位置に固定された頭めがけて、主人の足が振りぬかれた。
殴打音と水音、そして少女の悲鳴が何度も繰り返される。
『お前はッ! 僕の手足ッ! 武器ッ! 兵器ッ! 主人の意向に背いて動くとか動作不良ですかポンコツゥ!? ほんっとッ! みっともないったらないなァ!!』
十から先を数える余力はなかった。
やがて両腕を戒めていた樹の根が持ち上げられ、拘束されていた体が無防備のまま宙吊りになる。
主人が取り出した茶色い柄の短刀が、機械の頬をぺちぺちと叩き、そのまま喉奥へと添えられる。
『お前が他のクズどもに向けてる感情はなぁに? 憐憫? 後悔? まさか愛情だなんて言わないよねえ!? ああやだやだ、器物同士で恋でもしちゃうってぇの!? ヒトみたぁい! あっ、ヒトじゃないか! ごめんごめえん』
――愛情だったら、どんなに救われたことだろう。
胸の裡を埋め尽くしたのは例えようのない悲しみだ。
けれどその源流がどうしても思い出せない。
斧という装置を形作るはずだった要素、それさえ思い出せば十全の機能を振るえるはずなのに、どれほど記録に目を通しても自分の存在意義を思い出せない。
答えを示したのは、やはり主人だった。
『理解できた? 再認識した? お前らは鉄屑を塗り固めて作った人形。もっと言えば僕の奴隷。壊すも殺すも思うがまま。ちゃんと思い知った?』
……ああ、その通りだ。
己は機械。人の形をしただけの器物。
ならば過去の記録を読みふけり、見つからない答えを探すほど無駄なことはない。
そう断じて思考を打ち切ろうとした直後、その声が脳内を震わせた。
『あるじさまぁ……っ』
地べたに這いつくばった少女の泣き顔があった。
不出来な鉄屑に向けて流された涙は、汚れた地面に染み込んでいくのがもったいないほど美しく、その懇願はどんな者であっても胸を打つに足るほどのもので。
『どうかおゆるしを、おゆるしをっ、ご命令に従います、死ねと仰せならちゃんと死にます、ちゃんと死んで見せますのでどうかこれ以上はッ……!』
憐れみを誘う声に基幹が軋む。
人間の振りをしていた機械の心が乱れていくのが分かった。
己はそんな風に言ってもらうべき存在じゃないと理解していながら、空虚な胸中が罪深い喜びで満ちていく。
対して主人は少女の献身の一部始終を眺めると、我が意を得たりと笑った。
『見ろよ。短剣は媚び方ってやつがよく分かってる』
『――ッ!』
その嗜虐の目が少女へと向き直るのが分かり、記録の中の自分が咄嗟に声をあげた。
張り上げようとした時、血を吐き出しすぎた喉が火傷を負ったように痛み、声量は呻き声と変わらなかった。
『なん、なりと……』
『……うん?』
『龍と、精霊に、誓いを立てます……ですから……今日の、罪は、わたくし一人のものに……』
『そうだよ――それが聞きたかったんだ、僕は』
主人は返事に満足し、握り締めたままだった斧という装置の従令契約書に指を這わせた。
『なら今後、僕の命令に絶対服従することを誓え』
仄かな紫焔の光が契約書と傷だらけの身体を包む。
『その薄気味悪い笑みを消せ。余計なことは何も考えるな。お前は僕の武器、人形師の人形だ。その人生以外の記憶を契約書の中に残していくことを、龍と精霊に誓え』
それは服従や隷属の枠すらも超えた要求であり、暴挙だ。
記憶や人格を奪われる行為はヒトの器では耐えられない。
良くて廃人、悪ければただ内側を苛まれる苦痛に負け、衝動のまま暴れる魔物へと堕ちていく。
そんな要求が本来、通らないことを若く未熟な主人は知らないのだ。
もし天秤が悪い方に傾けば。
まず斧は目の前の主人の首を跳ねるだろう。
次に一部始終を唇を噛み締めながら見つめていた新入りと、倒れ伏した同僚を殺そうと動く。
それを理解した上で斧はゆっくりと頭を垂れた。
『イエスマスター。仰せの通りに』
そこで終わるなら、何も問題はないと気付いたのだ。
『誓いと共に、人格を捧げます』
口にすると仄かな紫の光が不吉な赤に色を変えて斧の身体を包んでいく。
次いで黒い文字が入れ墨のように体に浮かび上がり、ぎちぎちと音を立てて蝕んでいく。
主人の哄笑が響く中、小さな小さな呟きが斧の耳に届いた。
『だめです……先生、だめ……』
『短剣』
侵食が脳部分まで辿り着くまでの僅かな時間。
気の利いた別れの言葉も思いつかないまま、これが最後の機会と笑みを作った。
『龍と、精霊が……きっと……』
貴方たちを守ります。
だから心配しなくて大丈夫。
そう伝えたつもりだったが、果たして最期まで言葉になっていただろうか。記録はそこで完全に途絶えていた。
そしていま。
『じゃあ、斧――最初の命令だ』
図らずも賭けに勝った主人は、こう命じた。
『僕の目の前にオーガを引きずってこい。他の雑魚は残らず始末しろ。それが上手にできたなら、お前が執心してた短剣を壊れるまで可愛がらせてやるよ。僕の目の前で丹念に愛してやるんだよ?』
「――イエスマスター」
危ないところだった、と機械は思う。
契約直後のこととはいえ、主人の命令を正しく認識していなかったとは。仕留める直前で身体の力が抜けるのは当然のこと。
主人の要望はオーガの首ではなく身柄なのだ。
生きたまま捕らえないと命令に背くことになる。
方策は決まり、自己の再定義も完了した。
速やかにこなすべし、と足に込める力をさらに強めた。
ぎしり、ぎしり。
ブリキの心が小さな悲鳴をあげていた。




