34話 「銃身 -バレル-」
残り一発、必ず仕留める。
姿勢制御、良し。
弾道予測、良し。
照準固定、良し。
誤差修正、良し。
以上四工程を残る力を振り絞って最速で完了させた。
「――――グッ」
身体が軋んでいる。
視界がかすみ、頭痛も鳴りやまない。
吐く息も絶え絶えで、引き金に引っかけた指が小刻みに震えて限界が近いことを物語る。
(問題ない。震えは、止まる)
限界を越えた先にこそ活路はある。
それは己が優秀な兵器であるという証左だ。
息を一つ吐くと指の痙攣がぴたりと止まった。
何度も何十度も繰り返してきた動作、命を奪い続けてきた積み重ねが我が誇り、我が支えだ。
これまでも。
そして恐らくはこれからも。
「こちら、銃身」
通信機で呼びかける。
それがこの狙撃における最後の行程だ。
銃口の向こう側で女が耳に指をかける。ゆったりとした仕草には勝利を確信した無防備さがあった。数秒後に死ぬとは思いもしない余裕に満ちた応答が届く。
「最後の最後で背後を取られたお前の負けだ」
照準の先で女が振り返り、白布を巻いた額が露わになる。
胸に歓喜が沸き上がる。
普段は表情ひとつ動かさない銃身の口先が達成感と愉悦で吊り上がった。
ああ、よくぞ振り返ってくれた。
万感の思いで引き金を引く。
女は動けなかった。
驚愕に目を見開いたまま立ち尽くし、そして。
「――僕の勝ちだ、亡霊」
銃身の口から安堵が漏れる。
弾丸は遥か遠くで立ち尽くす標的の額へと正確に命中。
それが決着の合図となった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時は戻り、開戦前。
森を切り開いて作られた広場にルシカたちはいた。
「ハルの戦いは派手でいいね。おかげで銃身の行動も限定されてて予測しやすかった」
登山家や木こりが森林浴を楽しむため作られた比較的新しい憩いの場。立て札や座席が設置されているものの、身を隠す場所はほとんどない。
「本気でここで迎え撃つつもりですか? 敵の位置が分かるなら、拠点に張りこんで倒してしまうほうがいいと思いますけど」
「私も拠点破壊でばったりかち合えば、と思っていたけど虫が良すぎる話だった。それに彼が選ぶ拠点を見極めるまでは、さすがにね」
こちらの破壊活動に気付いた狙撃手は、まず四方を見渡せる高台に移動するはずだ。ルシカは広場から周囲を厳しい視線で見つめて。
「二択か三択までは絞ることもできる。が、外せば致命的だ。彼に本気で隠れられたら見つけられない」
常に移動を余儀なくされるハルの戦場と、ルシカたちの仕掛けに銃身が気付くタイミング。この二つの予測は困難だ。
なるほど、とシオンの口から吐息が漏れる。
体力のないルシカと重傷のシオンでは、刻一刻と変化していく状況に対応できない。ならば。
「……まだ倒されてない機人族の中で、銃身は唯一の所在不明者。走れない僕たちじゃ、見付けるより先に見付けられる。だったら……」
「隠密勝負に持ち込まれるより、いっそ見付けやすい場所で迎え撃つ方が良い。もっとも銃身の不意打ちに対処できる人材がいなければ成立しないが……」
ルシカは額に白布を巻いて端で結んで固定すると、張り詰めた空気で渇いた唇を舐める。
「まぁ、なんだ。君がその刃こぼれした剣で魔力で編んだ弾丸をどうやって斬っているかは疑問が尽きないのだけど。普通なら着弾した時点で爆発するはずだよ?」
「こういうのって感覚でやってるので何とも。でもマナの銃弾転用? 衝撃で爆発するって原理は炸裂弾と変わらないんでしょう? なら対処も一緒です。銃弾が『あ、斬られた』なんて思わないぐらい早く斬っちゃえばいいんですよ」
「ちょっと何を言ってるか分からないんだけど……」
早々に理解することは諦め、気負わないシオンの横顔から事実だけを抜き取ることにする。
疲弊は色濃いがあくまで自然体、自らの技術と眼力に些かの不安もなさそうだ。ひとまずはそれで納得しておく。
「北の高台か、東の丘陵……仕掛けてくるならどちらかだ。私は反対側を向いて隙だらけを演出しておくから私に飛んできたものは防いでくれ」
「僕がわざと守らないとは考えないんです?」
愚問すぎてルシカは肩をすくめた。
「君がその気なら他人の銃弾を素通りさせるまでもない。二人きりの時に斬り殺さないってことは、この苦境を超えるために私が必要だと認めているからだ。どうかな?」
「ほんと、イヤな女――」
シオンが跳び、長剣が閃いた。
火花が散り、二つに割かれた銃弾が起爆することなく地に落ちる。
シオンは刃に目を落として傷がないことを確認すると、それを遠くに向けて突き付けた。
「北から来たな。戦闘開始だ」
「初撃は防ぎましたけど、ここからは――」
何気なく視線を向け、瞠目する。
ルシカは切れ長の瞳を伏せ、無防備に佇んでいたのだ。
曲線が美しい胸の上で腕を組み思考を巡らせる姿は目を奪われるほど絵になるが、状況を鑑みれば正気を疑う暴挙だ。
「……目、瞑るんですか? この状況で?」
「話しかけないでくれ。君の声と視界情報は銃身の掌握に必要ない。――第一射から数えておよそ十二秒。秒読み開始……」
「何言ってるか分からないんですけど」
自分の世界に没頭するルシカに舌打ちを禁じ得ない。
そもそも自分などに命を預けと平然とするルシカの態度は気に食わないし、それを守らざるを得ない現状も腹が立つ。
「第一射撃行程、二十秒経過。A案C案破棄――三十秒経過でB案本命。ハルの弟、私の右斜めにある森林地帯を見ろ。狙撃開始まで五秒から二十秒」
「だから何言ってるかわからないって、――っ!」
文句を中断し、白刃を手首の捻りにより高速度で翻す。
僅かな手応えと共に火花が散って飛来してきた弾丸を真っ二つにし、その出どころに目を向けた。
ルシカの言葉通りの北東。
鬱蒼と樹木が生い茂る森林地帯の一角からだ。
こうなるとシオンには彼女の見ている世界が理解できない。
「……来ましたね、ほんとに。一体どうやって」
返事はない。
彼女は再び思考の海へと没頭している。
「第二射撃行程、追走。草案AからFを並行展開」
草案A、その場に留まっての第二射。二十秒経過で破棄。
草案B、東の拠点・草の丘陵へ。予測時間四十秒。
草案C、東の拠点・砂坂へ。予測時間七十秒。破壊済。
草案D、西の拠点・大樹の丘へ。予測時間七十秒。
草案E、西の拠点・湿地帯へ。予測時間百十秒。
草案F、南西の拠点・樹木群へ。予測時間二百四十秒。
B案の丘陵は本命としてキープ、D案を次点とする。
C案の砂坂の基盤は破壊済み。
新たな狙撃箇所への移動に最低でも六十秒。合わせ百三十秒経過の段階でC案確定。
E案の湿地は足場が悪く狙撃には不向き。
序盤での採択は避けるだろうが百秒を超えた時点で考慮。
F案は到達までに時間がかかるため想定だけ。
「つまり、何言いたいんですか!?」
「二十秒経過、A案破棄。次は東側に張ってくれ。三十秒程度で狙撃が来る可能性が高い。四十秒経っても反応がなければ逆に西側だ。百秒を超えたらまた指示を――」
言い終わるより前にシオンが再び白刃を閃かせる。
「――三十秒経たずに来ましたけど!!」
「東か。B案採択、誤差四秒……さすがに優秀だ。私の想定より早い……が、その即断即決な性格は、良い情報だ」
ぺろ、と乾いた唇を舌で舐めて。
「第三射撃行程、追走。草案AからGを並行展開」
草案A、その場に留まっての第二射。二十秒経過で破棄。
草案B、東の狙撃箇所・砂坂に移動。予測二十一秒。破壊工作済。
草案C、第一射の狙撃箇所・見晴台に移動。予測三十六秒。
草案D、南東の狙撃箇所・三本樹の根本に移動――
思考を巡らせながらルシカの口元が笑みを結ぶ。
「銃身は、どのタイミングで気付くかな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第三射。
生命力を編み込んで作った弾丸が無残にも斬り払われ、役割を全うすることなく霧散していく。
「……やはり、そうなのか」
最初の時を含めて既に四度。
触れれば起爆する弾を防ぐはいかなる魔剣の力か、測りかねるままの第四射――不発。
狙撃位置からの移動準備を終えながら銃身はようやくひとつの事実を認めた。
「化け物め」
あれはただの技術、その極みなのだ。
闇夜を奔る高速の弾丸を肉眼で捉えつつ斬り払うだけ。刃は弾丸の中心地点を的確に捉え、起爆に繋がる衝撃を与えないまま両断する。
まさに絶技だ。
事実として受け入れるのに時間がかかった。
オーガという化け物がいると聞いて臨んだ暗殺であったが、この森には他にも物の怪の類がいたようだ。
一人は音速を超える弾丸を斬り払う剣の怪物。
一人は心の中を見通し狙撃点の位置を暴く智の怪物。
「ちっ……!」
第四射から次の拠点まで移動しての、第五射――効果なし。引き金を引くより早く構える剣士の目が銃身を捉える。
指示を下しているのは後ろの女だ。女が何かを口にするたび、剣士が銃身の移動位置へと目を光らせる。
片方が狙撃の方角を予測し、片方がそれを防ぐ。
観測者である女がどうやって予測しているのか、そのカラクリが分からない。しかしそれも完璧ではない。
第六射。
初めて剣士の反応が遅れた。
これまでと違い、指示役の女を直接狙った結果だ。
照準器の向こう側で苦い顔をした剣士が見える。
「守りながらの戦いは不得手か、剣豪」
方針が決まった。
先に殺すのは指示役の女だ。
しかる後にゆっくりと時間をかけて剣士を始末する。
(ただ、気になるのは……)
何故彼らは憩い場に陣取るという籠城戦を選択したのか。
銃弾を斬り払うような精密作業をいつまでも続けられるはずもない。長期戦に持ち込むには別動隊か援軍の存在が必要不可欠だが、彼らにはそんな存在はいない。
標的の生死を思い返す。
数は全部で八人。そこに一人黒衣の女を加えて九人。
内、四人は死亡の確認が済んでいる。
(残る生存者は五人……)
獣人の青年は足を撃ち抜いた。
鳥人の少女は翼を圧し折られた。どちらも行動不能だ。
憩い場で銃身を迎え撃つのは剣士と黒衣の女の二人、残りの一人は拳が抑え込んでいる。
やはり何度考えても向こうに余剰戦力はない。
(オーガが拳を倒して駆けつけると踏んでいるのか? それともまだ見落としがあるのか?)
いずれにせよ逆転の目は潰すべきだ。
敵が狙撃点の一部を把握している以上、別動隊による強襲を警戒するに越したことはない。
(迷彩装束を起動させて移動中の遭遇戦は徹底的に回避。もしこちらから一方的に発見できればそちらも始末)
動作を合図に銃身の肩から身を覆い隠す大きさの外套が現れた。身にまとうとその体が薄くなって闇夜に溶け込んでいく。
完全に透明化するほどではないが、月明かりだけで姿を認めるのは難しいだろう。
拠点から拠点への移動の間、常にこの外套を羽織る。
これで偶然の遭遇戦の対処も完璧だ。
狙撃銃と機能を連動しており、狙撃準備の間は解除せざるを得ないが、それを差し引いても半透明化は狙撃という仕事に置いて絶大な効力を発揮する。
「――、?」
ふと、頭が鈍く痛むことに気付く。
気に留める必要のない小さな異変だと銃身は捨て置いた。
(準備は整った。狙撃点を迅速に移動し、敵を脅かす)
過去に例がないほど無駄弾を撃ち続け、銃身の中にも苛立ちが込み上げている。それらも最後に結果で洗い流せば溜飲が下がるというものだ。
移動して、撃つ。
反撃を一切封じたままこれを繰り返して、一方的に命を刈り取る。それこそが狙撃手の冥利だ、と口から零れそうになる笑みをどうにか噛み殺す。
しかし、その余裕が銃撃を重ねるごとに消えていく。
「なぜだ……?」
十射目、効果なし。
違和感が形を成していく。
銃撃の回数を重ねるごと彼らの対応が早くなっていく。
最初は銃を構える直前までこちらを向くのが遅かったりした隙が消え、照準器越しに見た時には剣士と目が合う錯覚まで覚えるようになった。
「っ……!? なん、だ……?」
十三射目、効果なし。
異常事態は標的の動きだけではない。
銃身を苛む頭痛はいよいよ無視できないほどの激痛へと変わっていた。
前頭部を鈍器で殴られたような痛みに視界がぼやけ、精密な作業を求められる指先の感覚が鈍くなる。
思考に霞がかかり、それ以上考えることを拒否してくる。
「毒……? そんな、はずは」
十五射目、効果なし。
有り得ない可能性に頭を振る。
機能不全に陥る思考に狼狽しつつも、胸の裡に宿る使命感が足を動かした。
一刻も早く標的を撃ち殺し、自らの価値を証明しなければ。
頭の中で鳴り響く危険信号の数々に蓋をして、狙撃手は次なる拠点へと向かう。
まるで杖をつく老人のような歩みであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「結局、どうやって居場所を特定しているんですか?」
「難しいことはないよ。彼はただ誘導されてるだけ。私はその答え合わせの正確さを秒読み作業で検証しているだけさ」
「意味不明です」
ぼやくシオンの視線は湿地帯方面へと固定したままだ。
既に銃身の銃撃は十五射を終えた。
軽く息を整えながら次を待つシオンの背中に、瞑っていた目を開けて微笑むルシカが肩をすくめる。
「銃身は射撃の技術に傾倒した機人族だ。プライドは高いが慎重かつ合理的。接近戦は絶対に選ばず、常に安全な場所からの狙撃にこだわる」
ルシカは歌うように、銃身の本質を語る。
「狙撃には完璧を求めるから、他人に荒らされた拠点は使わない。襲撃を警戒するため、同じ拠点から二度目の狙撃も行わない。……あと短気で、意外に挑発に乗りやすい」
「そんな前情報があるならもっと上手く戦えたのでは?」
「前情報じゃないよ。十五発の狙撃が示した回答さ」
気軽に指を立ててルシカは得意げに微笑む。
「使用した拠点の履歴からは臆病と鏡合わせな慎重さを。予測した秒数を越えての射撃からは果断な行動力を。撃てば撃つほど情報が蓄積されるものだ」
それは銃身という狙撃手の理合を暴き立てる行為。思考を絡めとり対応を最適化させるのだ。
ルシカにしてみれば情報の少ない最初の数発こそが最も危険な時間帯だった。常に六つから七つの対抗策を見出し、一秒刻みの綱渡りな攻防を耐えるしかなかった。
(現在は違う)
もはや二択もあれば充分だ。
数多くの銃痕は銃身の困惑と焦燥を浮き彫りにした。
彼は最速を求めるあまり工夫に重きを置かなかった。
そういう性格だと分かれば後は簡単だ。
第十六射が放たれ、しかし難なくシオンは斬り払う。
会話に興じ始めたのは、そうした余裕の表れでもあった。
「よっと……十二ぐらいまでは冷や汗をかきましたけど、それ以降は全然ですね。次は?」
「そのままで構わない。方角を変える余裕もないはずだ」
「今回は想定より四十秒以上も遅かったですが、疲れですか? 向こうは随分な距離を走ったでしょうけど」
「それもあるけど一番の要因は経験だと思うよ」
経験? と鸚鵡返しに問うてからシオンは舌打ちした。
どうにもルシカという女はこういう相槌を引き出す喋り方をして、気分よく語りたがる節があるのだ。
「彼の信条は即断即決の一撃必殺、大抵は数度の狙撃で仕事をこなしてしまう。弾丸を斬り捨てる相手と巡り合う相手と遭遇するのは、さすがに初めてだろう」
我が意を得たりと得意げな声音が返る。
「狙撃手の業だね。常に有利な状況からしか戦わないから、長期戦の経験を積む機会に恵まれなかった」
「狙撃ってそんなに疲れるものですか?」
――君の作業に比べれば全然だろうけど。
喉元まで出そうな呆れを呑み込む、ルシカは咳払い。
「彼が撃っている魔弾が問題なんだ。魔力と生命力は同義。撃てば撃つほど疲弊……いや、命を削る」
本来、銃器を扱うには空気中のマナを器物に移す技術が必須で、それは森精族の専売特許だ。
機人族が使用するには機構兵装に、自らを駆動させるマナを吸い上げて転用するしかない。
そのマナが枯渇すれば頭痛に始まり、眩暈や吐き気も催す。度が過ぎれば手足の痙攣まで発展し、最後には失神――そのまま死に至るケースもあり得る。
今の銃身は、後半にまで差し掛かっているはずだ。
「正直、感心しているよ。今の銃身は目が霞み、指の震えも止まらない状態のはず。それなのに射撃の精密さは、一切衰えてないんだから」
銃身とて魔弾の副作用は知っているはず。
だが彼はその優秀さゆえに最小の射撃数で結果を残してきた暗殺者、自分の限界を実感したことがないのだ。
既にこの森で放った弾丸の数は三十に届く。
彼のマナは枯渇寸前で、底を尽きれば意識を保つこともできず、拠点で姿勢制御を維持したまま昏倒することだろう。
しかし、それも勝利の決め手ではない。
昏倒するのは生命としての本能が回復を最優先するため。空気中のマナを微量だが取り込む機能も有しているはずだ。
(一度意識が回復すれば、再び銃身は立ち上がる)
後顧の憂いを断つには気絶した場所の把握が必要。
万が一野放しのまま放置すれば、いつ致命的な場面で割り込んでこられるか分からない。
よって、もう一手攻めなければならない。
ルシカは耳の通信機に指を当て、ダイヤルを回した。
その時、指先にチクリと痛みが走った気がした。
それが自身の中にある小さな不安、警鐘であることに彼女は気付いていたが……
「……さあ、仕上げだ」
その不安を無理やり振り切り、ルシカは策を走らせた。




