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06話 「奇妙な二人組」








「へい。季節野菜の串揚げ三丁お待ち」


「え、早」


 応接室で互いに腰かけ、談笑することほんの一分。

 本題以前に自己紹介も終わらないうちに、扉を蹴破る勢いで看板娘が軽食と共に飛び込んできた。


 彼女のエネルギッシュさは幼い頃から変わらないが、微笑ましいと思うより困惑が勝つピーターであった。

 料理をテーブルに置いても退出する様子がないので、一応意図を聞いてみる。


「えーと……お店の方はいいのかい、アーネちゃん」


「小休止をゲット。契約を結ぶなら立会人はいるはず。お昼のピークも過ぎたし、贈り物のお客さんは苦手。そっちは叔母さんが対応。問題なし」


 そう言われてしまえば是非はない。

 今回の依頼は豊穣の牝牛亭を通す正式な依頼であり、店の人間による立会と承認は不可欠でもある。

 ピーターは二人組に同意を得て、アーネを隣に座らせた。


「じゃあ……まず、自己紹介から。俺はピーター、階級は銅貨級ブロンズ。豊穣の牝牛亭所属。お前さんたちの名前は? 所属はないとのことだが」


 平常の呑気な声音を、意図して低く抑える。

 相手を威嚇するつもりはない。が、やはり仕事の話となれば昼行燈の顔のままではいられないものだ。


「俺はハルで、こっちはルシカ。まだ王都エリュシードに来てひと月経ってない。とりあえず、門前払いされなくてホッとしてる。ありがとう」


 背筋を正し、やや緊張の面持ちの彼とは対照的に、隣に座る黒尽くめの少女は落ち着き払っている。

 室内でも黒いフードを取ろうとせず、それが警戒心から来る態度だと思ったピーターだが、口元に浮かぶ笑みを見て考えを改める。


(楽しんでやがるな、こんにゃろう)


 年若い見た目とは裏腹に、喰えない女だ。

 馬鹿にされている、という不快感は感じられなかった。どちらかというと純然な興味本位で場の流れを見守っている、といったところか。

 ともあれ口を挟むつもりがないなら、ピーターの交渉相手は目の前の少年だ。

 彼は礼を言ったあと、勢いよく頭を下げた。


「……まずは、今朝の件を謝らせてほしい。気付いてると思うけど、今朝絡まれてたのは俺たちだ。それを助けようとしてくれたのに、あんな仕打ちをして、悪かった」


「……」


 無言でいると、頭が中々上がらない。

 謝罪を受け取るまで下げ続けるつもりだろうか。

 主犯は隣でふんぞり返ってる少女のほうだが、彼女の分まで誠実さを示そうとしているのが分かる。隣でアーネが首を傾げるなか、ピーターは意識して声を柔らかくした。


「いいんだ。そいつは手打ちにしよう。災難だったな」


「……そう言ってくれると、助かる」


「そんな若いうちから気を回しなさんな、ハルさん。綺麗な子を連れてるってのは、それだけでやっかみの対象になるからねぇ。気苦労が知れるよ」


 ピーターの小さな皮肉もまるで意に介さず、少女は安堵と共に頭を上げる少年の横顔を見つめて、口元を少し綻ばせていた。

 思わず見惚れてしまうほど美しく、その所作に感嘆の溜息が無意識にこぼれる。


「ピーターおじさん? お仕事の話は?」


「はいすみません」


 釘を刺された。

 言葉ではなく物理的に、木串が脇腹に。


 違うのだ。

 情欲を駆り立てられたとか女性としての魅力を感じたとかでなく、芸術品に心を打たれたとかそういう方向性の溜息であって、と益体もない言い訳をこぼす。


 あと自分の串揚げが半分減っているのはどういうことか。

 木串の出どころに文句を言いたい。


「ごほん……でもね、ハルさん。今朝のことは別にして、お前さんたちとパーティを組むには強い躊躇いがある」


「ちょっと。何で。せっかくの志望者なのに。この人、ピーターと一緒でそんなに強そうには見えないけど、それでも居ないよりはマシというか」


「そこまで、アーネちゃん。立会人は口を挟んじゃだめだ。あとハルさん微妙に傷付いてるから、やめよう?」


 ついでに自分も泣きたい。

 少年へのアーネの評は半分正しく、半分間違っている。

 ハルという少年は、一見してどこにでもいる駆け出しの冒険家だ。謙虚な姿勢は自信の無さの表れとも受け取れるし、そういう意味では今の自分とよく似ている。


 冒険家歴十数年の自分と似ている、というのは異常だ。


 若い頃のピーターはもっと向こう見ずだった。

 それが変わるキッカケは命の危機を知った時だ。

 彼はこの年齢で死を学び、なお魔獣退治に挑む勇気を持っている。死地を乗り越えた冒険家はその時点で駆け出しの枠を超える人材であるはずだ。


「きっとお前さんは良い冒険家だ、ハルさん。足手まといなんて心配はしていない。世話になるのは俺のほうかもしれない」


「ど、どうも……」


「けど、それはハルさん一人だけなら、という話だ」


 ぴしゃり、と強い口調を心がけて言い放った。顔を強張らせたハルとは対照的に、黒尽くめ――ルシカと紹介された少女がようやく口を開く。


「君の懸念は私か」


 全員の視線が自らに向く中、彼女はようやく黒フードを取り払う。アーネがその顔を凝視したまま固まり、ある程度は心を揺らすまいと覚悟していたピーターも、やはりその美しさには目を見張ることとなった。


 背中まで伸びる艶やかな黒髪。

 宝石と見紛うほどの輝きを放つ黒曜の瞳。

 陶器や細雪を連想させる白い肌。細い腰回りに不釣り合いな、知らず生唾を呑む抜群のプロポーション。


 野暮な黒服に身を包んでいるのも納得だ。

 彼女が着飾れば、誰もがその存在を振り返らざるを得ない。

 あと数年成長すれば絶世の美女になるだろう彼女は、この年齢の時点で既に一つの完成形に辿り着いている。


(ハルさんには失礼な話だが――)


 並みの男性では釣り合いが取れないだろう。

 彼女は例えるなら、王侯貴族が居並ぶ舞踏会の住人だ。

 こんな老舗の止まり木で野菜の揚げ物に舌鼓を打つ姿は、ひどく場違いに思えて仕方がない。


(いや、気圧されてる場合じゃないな)


 二度目の木串が脇腹に突き刺さる前に平静を取り戻し、自身に喝を入れ直す。

 声を掛けられた時から見抜いていた懸念。

 彼女は――素人だ。


「ルシカちゃん、でいいかな? お前さんも同行するって言うなら話が違う。一目見ただけで分かったよ。自衛が出来ない、ただの女の子だってね」


「……」


「お前さんは冒険家じゃあない」


 細く繊細な指には日常的に武器を振るう痕跡がない。

 重心の安定や瞬発力を維持する者特有の特徴もない。

 森精族エルフ機人族マキナのような特異な種族とも見受けられない。


 身体能力で言えば恐らく、成人したばかりのアーネのほうが上。それが観察眼で食い繋いできたピーターの目が出した結論だった。


「魔獣退治は、令嬢の遊びじゃない。従者を連れてお忍びで冒険がしたい、って言うなら他をあたってくれ。俺一人で臨んだほうがマシだ」


「おや……私が貴族だと?」


「あるいは王族と言われても驚いたりしないよ?」


 この街は、大陸の中心にある大国の首都だ。

 ミトラ聖龍国に訪れる者たちはそれこそ多種多様で、他国のやんごとなきお方が街を歩く光景も決して有り得ない話ではない。

 もし目の前の二人がそうだとすれば、この話は破談だ。


 ピーターは、この依頼に人生を賭けている。

 貴族の物見遊山に掻き回してほしくはない。


「ふふ。さすがに買い被りというものさ、ピーター。それに今回の話に乗りたいと言ったのは、ハルの希望で私のじゃないんだ」


「ならお前さんは居残りでハルさんだけ、ってわけには」


「行かない」


 言い終わるより早く、提案が両断された。


「彼の希望とはいえ、ハルを貸した借りたのやり取りをする気はない。彼を連れていきたいなら私も付いていく。それが私が彼に出した条件でもある」


「……」


 険しい顔のままピーターは黙り込んだ。

 意志は固いようだ。ハルも申し訳なさそうな顔をしつつも口を挟む様子はなく、二人の総意なのは疑いようもない。


 冒険家の原則は自己責任だ。

 少女のほうが冒険家でないとしても、止まり木を立会人にして依頼を受ける以上、リスクは自分で背負わなければならない。


 それを承知の上、というなら受け入れるべきだ。

 しかし、どうしても踏ん切りがつかない。


「当てようか? 君の本当の懸念は、ゴブリンだろう?」


 助け船を出したのは、意外にも渦中の少女だった。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 ゴブリン。

 人間の子供ほどの背丈、緑色の皮膚と尖がった耳の小鬼。

 深い山間や洞窟に棲み、棍棒や農具で武装していることが多い。群れで独自のコミュニティを形成し、時折人里に降りて悪さをする。


 ゴブリンは最弱の魔獣と言われている。

 手足が短く動きも鈍い。

 知能も低く隙だらけだ。

 適切な装備さえ整っていれば冒険家でなくとも危なげなく殺せる。


 同年代の駆け出したちとパーティを組んでいた若かりし頃のピーターは、何度目かのゴブリン退治が退屈な流れ作業で終わることを疑わなかった。


 ――ゴブッ。


 その怪物に出遭うまでは。


 坑道の至るところに飛び散る大量の血痕。

 飛び出た目玉、潰れた下顎、剣を握ったまま乖離した腕。

 脚に力が入らず寄りかかった壁に張り付く、人間の皮膚。

 人ひとり分の体積の挽肉と臓物が弾けた光景を見て、平静を失わない者などいなかった。


 ゴォォブ、ゴォォォォ……。


 怪物が唸る。

 巨体を揺らし、一歩踏みしめるごとに坑道が揺れる。

 冒険団のリーダーが何かを喚きながら剣を抜いた。

 次に瞬きをした時、彼の頭上に岩の塊のような拳が降り注いで、血の華が咲いた。

 真っ赤な壁画をどう作ったのか、それが一目で分かる再現であった。


 ゴブ、ゴブ、ゴブ、ギヒィ。


 巨体が何かを口にする。

 言葉の意味を解そうという余裕はとっくの昔になかった。

 恐慌を起こし、同じ状態に陥った仲間と共に一目散に逃げる。


 ゴブ、ゴブ、ゴブ、ゴブ、ゴブッ、ゴッ、ゴォォォォアアアアアッ!!! ギヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!


 地響きが迫る。

 歓喜に満ちた咆哮が迫る。

 邪悪な嗤い声が迫り、そして――





「ピーター。ピーター?」


 気が付くと、看板娘アーネに顔を覗き込まれていた。

 随分と昔のことを思い出していたらしい。脂汗が滲む手の平を再び握り込み、動揺を隠して苦笑を作る。


「……ぁ、ごめん。なんだっけ」


「ゴブリンの話、聞こうと思って。急に固まったまま動かないから」


 そう、ゴブリンだ。

 反論できずに黙り込むピーターの姿がアーネの好奇心を刺激したらしい。

 正直言葉に窮する内容なのだが、彼女が引き下がる様子はない。弱ったように頭を掻き、そして観念した仕草を出して心を落ち着ける。


(そうだ、落ち着け)


 あの白昼夢は、彼らへの懸念とは関係ない。

 あれは自分が乗り越えるべき怖気、ただそれだけだ。

 血みどろの景色を脳内から追いやり、努めて冷静な声を心掛けた。


「……ゴブリンは、女性を攫って繁殖をする魔獣なんだ。今回の村の被害も同様で、既に何人もの女性が行方不明になってる」


「うぇっ」


 想像したアーネが青い顔で口を抑えた。

 ピーターは二人に視線を向ける。

 気まずそうな少年と、表情を変えない少女。

 この話を聞いてアーネのように怯えてくれれば話が早かったのだが。


「昔は違ったんだ。ゴブリンは駆け出し冒険家の通過儀礼、初めての魔獣退治って感じでね。拍子抜けするほど弱いし、凶暴でもない。女性を攫ったりもしなかった」


 血を噴き出すものの絶命したら霧のように死体が消える、魔獣退治の自信を付けるための格好の練習相手。ただそれだけだった。


「いつからか、奴らを統率する魔獣が現れた。姿かたちはゴブリンそのものだが、人間を遥かに超える巨躯と怪力を誇った魔獣……まるで伝説のオーガのような」


 一方的に殺され続けた魔獣の、適応進化か突然変異か。

 昔からゴブリン退治でも帰ってこない冒険家はいた。長らく別の魔獣に運悪く襲われたのだ、と考えられていたが、今は認識を改めている。

 彼らは運悪く、この怪物の巣を引き当てたのだ。


「ピーター、いかに曰くつきの種族とはいえ、鬼人族オーガを例に挙げるのは適切ではない」


「……すまない、例えが悪かった。とにかくそいつは凶暴かつ残忍だ。仕留めるには銀貨級シルバーの四人組のパーティが必要と言われてる。付いた異名あだなが新米殺しだ」


 ゴブリン退治にきた駆け出しを殺す、悪夢のゴブリン。

 魔獣特有の膂力でもって人間を挽き潰すその姿を思い出し、手を組んだピーターの指が皮膚に強くめり込んだ。


「つまり親玉だ。女性を攫わせているのも、こいつだろう」


 聖龍国ミトラで被害が拡大したのは、半年ほど前からだ。

 各地の村や街から女性が行方不明になり、比例するようにゴブリンによる被害が増えた。

 銀貨級シルバー以上の冒険家たちも薄気味悪いものを感じ取り、ゴブリンを避けるのが現状だ。


 近いうちには騎士団主導の調査隊が入るはず。

 それまでは関わり合いにならないようにしよう、と慎重な冒険家はそう考えている。

 もちろんピーターもその中の一人ではあったのだが――


「でも、ピーター」


 アーネが裾を掴んでくる。

 自分を見上げる瞳が不安げに揺れているのが分かった。


「それなら尚更。一人は危ない」


「……分かっているよ」


「この人たちも。その覚悟があって応募してくれたんだし」


 覚悟、自己責任。言いたいことは理解できる。

 今の話を持ち出しても少年少女に動揺の色は見られない。

 既に話を知っていたか、底なしの胆力の賜物かは分からないが大したものだと思う。思うが、やはり素直に首を縦に振っていい話ではないのだ。


「……確かに冒険家は自己責任だ。今日の寝床が明日の墓場になると、そう覚悟して生きている」


 臆病と揶揄され、滅多に危険に近寄らないピーターでさえ、どこかで孤独と絶望に苛まれながら死ぬ覚悟があるつもりだ。きっと目の前の少年もそうだろう。


「けれど彼女はどうだ。自分の身も守れない子を、自己責任だからと連れて行っていいのか? 死なせてもらえないかもしれないんだぞ」


 魔獣に囚われれば取り返しがつかない。

 気の向くままに弄ばれ、傷付けられ、魔獣の仔を産まされ、挙句の果てには喰らわれるかもしれない。例えそうなる前に救えたとして、心の傷は一生残り続けるだろう。


 それが分かっていながら連れていくことは正しいのか。

 否だろう。


「ルシカちゃん。お前さんが冒険家だというのなら、俺の言い分は侮辱にあたる。だが、自衛もできない女の子をゴブリンの巣に連れて行こうってのは、冒険家として恥ずべき無知だと俺は思ってる」


 人手は喉から手が出るほど欲しい。

 久しぶりの魔獣退治を一人でこなすのは不安で仕方ない。


 けれど不義理はしたくないのだ。

 彼らへの義理ではなく、冒険家の先達たる自分の信念に義理を通したい。それを大事にできない冒険家だと、アーネに思われたくない。


「この仕事を十年積んできた身として、『自己責任だから』なんて無責任はできない。したくないんだ」


 言い終わると、小さな応接室を静寂が包んだ。

 年寄り臭い説教だと呆れられてしまったかもしれない。


「……」


 彼らは席を立とうとはしなかった。

 互いに顔を見合わせ、けれど言葉を交わすことなくピーターに向き直った。少女は肩を竦めると目を閉じたまま黙し、少年は困ったように頬を掻くだけ。

 そんな彼らの仕草を迷いと受け取って、ピーターは畳みかけるつもりで言葉を重ねる。


「……なぁ、ハルさん。俺はできないことはしない主義だ」


 荒事が得意だとは思ったことがない。

 胸を張って何が出来る、と言えるものもない。

 そんな彼を支える屋台骨こそ、臆病とも揶揄される慎重さなのだ。


「十年以上も銅貨級ブロンズで燻ってる俺には、誰かを守りながら戦う自信がない。どうにか彼女を説得しちゃくれないか?」


「……、」


 ハルが主義主張を強引に押し通す性格には見えなかった。

 強い反対の立場を示せば、きっと納得してくれるという公算があった。

 少年は顔を曇らせ逡巡していたが、やがて困ったような笑みを作って、ピーターに頭を下げる。


「……そこを曲げて、なんとか同行させてほしい」


 自然と溜息が口をついて出た。

 理解を得られなかった。

 彼と自分には似ているところがあると思った。

 だからこそ、先ほどの提案を受け入れてくれるという読みがあったのだが。


「どうしてだ。彼女を絶対に守れるとでも言うか?」


「……」


「いくらお前さんが背中の大剣を自在に操れようが、狭い洞窟内では邪魔なだけだ。魔獣に退路を断たれたら? 何十匹もの魔獣に囲まれたら? その時も、絶対なんて請け負えるか?」


 諦めが悪いな、と内心ピーターは呟く。

 折り合いがつかないなら交渉は決裂ということだ。

 自分で席を立って交渉を終わらせてしまえば、それでいい。

 それでもまだピーターの口が動く。


 それが親切心から来るものではないことは分かっていた。


 一人は不安だ。責任は負いたくない。

 付いてきてくれ。助けられなかったらどうしよう。

 女々しいことこの上ない。

 公募の時と同じだ。上手い説得の言葉を見つけられず、せめて情に訴えようとして悪手を打つのである。


「ハルさんの気持ちも……分かるつもりだ。彼女と離れるのが寂しい、そりゃそうだ。でも彼女の身の安全を考えるなら、止めてあげるのも彼氏の甲斐性で……」


「あ、いや。ルシカはそういうのじゃない」


 ひどく、あっさりと。

 場の重々しい雰囲気を一撃で霧散させるような否定に、止め時を失っていたピーターの舌が痙攣し、間の抜けた声が出た。


「……え、そうなの?」


 口にしてから、そりゃそうだと気が付く。

 いくら親しげとはいえ、男女の関係は恋仲だけじゃない。

 姉弟や幼馴染、遠い親類の可能性だってある。二人が釣り合ってない、なんて第一印象を忘れて大前提を間違えるなんて、恥ずかしい勘違いだ。


 きっと、願望が出たのだ。

 この二人が釣り合いが取れないカップルであってほしい、なんて。


「ははあ」


 饒舌だったピーターが黙り込む様子を見て、ルシカが笑った。底意地悪い笑みで動揺するピーターを眺め、そしてハルの肩を叩く。


「ハル、彼の意志は固い。彼に付いていくのは無理だろう」


「え、いやでも……」


「でも何事も抜け道はある。なぁ、ピーター」


 黒曜の瞳がピーターを射抜いた。

 嫌な目付きだ。今にも舌なめずりでもしそうな加虐の灯った黒曜の瞳。

 警戒心を強めたまま、何を言われようが持論は曲げまいと唇を引き結ぶピーターに対し、少女は小さく囁いた。


「発想を変えよう。君が同行を断っても、私たちはホウロン村へ向かう。決裂した話だからといって、君の監視下にない私たちの行動を制限はできないだろう?」


 初め、その真意を理解できなかった。

 固まったまま、咄嗟に稚拙な反論が口を突いて出た。


「い、いやいや! 契約にならないんじゃ報酬も払えないし実績も積めない! お前さんたちにメリットがないぞ!」


「依頼を通す価値は、銀貨十枚程度のはした金じゃないか。固執する金額ではないし、止まり木で実績を積みたいわけでもない。ゴブリンに個人的な興味があるだけでね」


 指摘され、思わず下唇を噛んだ。

 彼らが金目当てでないだろうとは思っていた。

 恐らくは止まり木を通した依頼で実績を積み、鉄貨級アイアンの称号を得るのが目的と考えていたのだが、まさかゴブリンに興味があると言い出すとは。


(やはり、怖いもの見たさの貴族の道楽なのでは――?)


 あるいはルシカ個人の興味であって、ハルの希望とは別の話か。

 もしくはこの場限りのハッタリでしかないのか。

 堂々巡りになる思考を余所に、声を上げたのは看板娘アーネだった。


「待って。依頼の乗っ取りや強奪は止まり木の違反行為。横やりを入れようっていうなら、立会人として無視できない」


 筋の通った反論ではある。

 しかし効果がないだろうことをピーターは分かっていた。

 違反行為と呼ばれるそれらは暗黙の了解によるものであり、明確な罰は存在しない。止まり木の不興を買い出禁となろうが、別の止まり木には与り知らぬこと。


 何より目の前にいるのは止まり木に所属していない少年と、そもそも冒険家ではない少女だ。止まり木のルールを強要することはできない。


「違う違う。これは善良なピーターの責任感に問いかけているだけの話なんだ」


 彼女は、そんな理屈を持ち出しては来なかった。

 代わりに獲物を前にした蛇のように切れ長の瞳を細め、囁いた。


「君は、自分の見ていないところでなら、私が魔獣の慰み者になっても気にしないのかな。君が駆け付けた時、取り返しがつかない状態でも後悔しないのかなぁ」


 うわ、と隣で静観していた少年が眉をひそめた。

 看板娘アーネは彼女の語り口に嫌なものを感じ、ぶるぶると身を震わせた。

 ピーターは彼女の言葉の意味を噛み締め、言葉を失った。


「お前さんは……」


「発想の転換という奴だね。私を連れて行ってほしいとお願いするんじゃなく、私に付いてきてほしい・・・・・・・・と頼んでいるのさ。あぁ、ちょうど仕入れたばかりの殺し文句があるんだ。ご清聴願おうか」


 後はもう独壇場だった。

 黒尽くめの少女は腰を上げると応接室の壁際に歩み寄り、そこで白磁のような手を左右に振った。鈴の音を歌いながら、黒い瞳を爛々と輝かせながら。


「『ホウロン村のゴブリンを見てみたい。一緒に来てくれないかな?』」


 それは昼間に行った公募の再現だ。

 ピーターの言葉を引用し、自分なりのアレンジを加えて洗練された役者を思わせる動きで台詞を紡いでいく。


「『いいのか、ピーター? 私たちだけを行かせてしまっても。ゴブリンの巣窟に自衛のできない女を行かせるなんて』」


 あの時の言葉は店にいた全ての客に向けたものだった。

 今回は違う。

 彼女の語り口は全てたった一人に向けられている。

 彼らと違って視線を逸らすことは許されない。

 自分の内側に抱えた道徳心と臆病の天秤を見透かされ、それを破壊するために演じられる挑発的な講演は、トドメの一言でもって終幕を迎えた。


「『君、心痛まない?』」


「――――」


 吐いた言葉と全く同じ殺し文句だが、そこに込められた意味合いはまるで違う。

 皮肉にも思える再現はその実、ピーターからあらゆる反論を奪い、そして一つの逃げ道を提示していた。

 危険な場所に連れていくのが不義理なら、危険に向かう彼らに付いていけば良いのだと。


 詭弁だが、それを突っぱねる術がない。

 断れば、見てないところでの犠牲は許容したことになる。

 交渉は決裂。魔獣退治には一人で挑むことになるし、彼らは彼らで自由に振舞い危険へと近付くことだろう。

 そんな結果は誰も望まないところだ。


 逆に快諾すれば、妙な言い方だが自分の顔が立つ。

 危うい若者たちの目付け役という大義名分を得てパーティを組めるし、アーネも少しは安心して送り出せるだろう。


(こいつは……)


 詰まされた。

 理論の刃がピーターの建前を鮮やかに両断してみせた。

 


「――参った。お前さんたちに付いていくしかなさそうだ」



 両手を上げ、そう口にした。

 勝ち誇るように微笑む黒尽くめが、やや憎たらしかった。











 出発を明朝に定め、奇妙な二人組に別れを告げる。

 当初、二人には止まり木の宿への宿泊を勧めたのだが、あまり持ち合わせがないことを理由に固辞されてしまった。

 二人分の宿代ぐらい立て替えてやりたかったが、牝牛亭の値段設定は一泊食事つきのお二人様で銀貨一枚程度と安くはない。結局迷っている間に彼らは行ってしまった。


「彼らと誓約フィデスを立てなくてよかったの?」


「ルシカちゃんを相手にすると、いつもの三箇条以外にも色々付け足されそうだからねえ。決め事はなしのほうがお互いに動きやすいさ」


 止まり木を通した依頼では、幾つかの手続きと儀式を行う必要がある。

 手続きとは止まり木が関係各所に通し、冒険家による競合バッティングを避けるためのもの。こちらは牝牛亭の主が行う仕事で、ピーターができることはない。

 なのでピーターが行うべきは、儀式のほうだ。


「じゃあ、ピーター。儀式を始めます」


「うん、お願いします」


 儀式と言っても祭壇や何かの道具は必要ない。

 条件はただ一つ。

 誓いを立てる二人が、詠唱を唱えるだけだ。


「誓いを奉ず。天駆ける父なる龍よ、大地に眠る母なる精霊よ。我らが声に耳を傾けたまえ」


 狭い応接室全体が青い光に照らされた。

 詠唱を続けるアーネが中空に差し出した手の中に、光沢を放った巻物が突如として出現する。

 それは魔術書スクロールと呼ばれる巻物で、誰の手を借りることなく宙を舞って中身を展開し、二人を包み込む。


(いつ見ても幻想的な光景だ)


 これは古き神話の時代から連綿と続く世界の理の一つ。

 原住たる龍族と小さき人々が、外から来訪した魔神と争った龍魔大戦――龍と魔は共に相打ち、残された世界を人々は生きている。

 そんな御伽噺を裏付け、超常の存在を意識させる数少ない瞬間だとピーターは思う。


 曰く。

 龍を統べる神龍マルドゥークは契約を司る龍だった。

 彼が他の龍族と同じく力を失い眠りに就く時、残される人々の悪意を憂いたという。


 絶対的な存在である龍の不在、その影響は計り知れない。

 後を託す人族は龍族との契約を軽んじ、大地を荒廃させるのではないか。

 人の側面である傲慢さ、狡猾さはいずれ龍族をも凌ぎ、世界のために身を投じた我らをないがしろにするのではないか。


 故に神龍は最後の力で、世に絶対不変の契約ルールを敷いた。


 それは約定で定めた条項の絶対順守を誓わせる理だ。

 人は、天を駆ける神龍と大地に根差す精霊に誓いを奉ずる。神との契約に等しいそれを破ろうとする者には例外なく神罰を下す、その誓いを人と結ばせ、ようやく神龍は眠りについたのだという。


「ピーター。誓いを」


「受けた依頼に対し、豊穣の牝牛亭へ止まり木の三箇条を厳守することを父なる龍と母なる精霊に誓い、奉じる」


「はい。豊穣の牝牛亭はピーターに、止まり木の三箇条の厳守を誓います」


 一つ。

 依頼主と冒険家。双方共に互いへの殺傷行為を禁ず。

 一つ。

 冒険家は明記された依頼に対し、不誠実な企みを禁ず。

 一つ。

 依頼主は明記された報酬に対し、不誠実な対応を禁ず。


 最低限の良識があれば守って当然の約束事だ。

 裏を返せば、冒険家黎明期の頃は、これすら守れないならず者が溢れかえっていたということだ。

 とにかく互いに誠実であれという大まかな誓いだが、これが中々馬鹿にならない。


 何せこの誓いは命懸けだ。

 命が懸かっているからこそ、依頼主は冒険家に全幅の信頼を預けられるし、冒険家は報酬の心配をしなくて済む。

 不安な依頼主は更なる誓いの要求ができるし、冒険家側は誓いの上乗せをオプションとして追加報酬の交渉もしやすい。


「御照覧あれ」


「龍と精霊の加護を授けたまえ」


 結びの言葉と共に、応接室から青い光が消える。

 幻想的な雰囲気も霧散し、嘘のような静寂さが押し寄せるが決して幻を見たわけではない。ピーターとアーネ、両者の手の中には先ほどの魔術書スクロールがある。

 開いてみると、誓った通りの内容が明記されていた。

 これが契約書が正しく結ばれた証となるのだ。


「……うん。上手くいった」


 中身を確認したアーネが魔術書スクロールを宙に放ると、空気に溶けるように消えていく。

 消滅したわけではなく、契約者の意思に従って現れ、そして消える物なのだ。一見して紙製だが、火や水で在り方を損なう材質でもない。

 互いが契約書に明記した内容を履行するまで、消えない証。龍や精霊といった規格外の存在の力が垣間見える。


「お疲れ様。中々堂に入ってきたねえ」


「当然。父さんたちが遺した止まり木の後継者ゆえに」


 どやっ、と無表情のまま胸を張る姿が可愛らしい。

 他の年頃の娘に比べ感情の起伏が薄い我らが看板娘の高揚した姿をいつまでも見ていたいものだったのだが。


「アーネ! アーネ!!」


 廊下から声を張り上げる年かさの女の声が響く。

 名前を呼ばれたアーネが怒られた猫のように身をよじり、それから消え入るような声で呟いた。


「いけない。小休止どころじゃなかった」


 言い終わるか終わらないかのタイミングで応接室の扉が乱暴に開かれ、中から険しい顔をした中年の女性がぬっと顔を出した。


 彼女は探し人を見つけて眦を吊り上げ、ピーターも視界に収めて更に顔をしかめる。その形相が日頃見ている時より何割増しか厳めしく、迫力にピーターもまた冷や汗を流す。


 彼女はアーネの叔母にして、豊穣の牝牛亭の店主。

 今は亡きアーネの両親に代わり止まり木を切り盛りする存在だ。


「アーネ! お前いつまで……!」


「戻りまーす!」


 ぴゅー、と風の加護を得た妖精もかくやという速度でアーネは応接室から飛び出していく。残されたピーターも「ぴゅー」とか嘯きながら逃げ出したいのが正直な心情だったが、鋭い一瞥を食らわされて止む無く足を止める。


「ええと、止まり木の誓いをお願いしてまして。無事、この通り」


「ふん……」


 牝牛亭の店主は鼻を鳴らしたが、それ以上の追及はしなかった。

 おや今日は思った以上に機嫌がよいのか、などと考えるピーターは良い機会だと捉えて背筋を正し、胸の前に握った手を添えたまま一礼する。

 これは目上に対する礼儀の作法である。


「おかげさまで無事、パーティも都合できました。機会をいただいたこと、感謝にえません。期待には必ず応え――」

 

 言い終わる前に、乱暴に扉が閉じられた。

 薄目を開けてみれば応接室には自分ひとりが残されている。恰好を崩し、頭を掻いて深い息を吐いてピーターは肩を落とした。


「……そりゃそうか」


 呟きを最後に特別だった一日が終わる。

 後に、自分らしいと振り返ることになるような平凡なこの一日こそが、ピーターの人生における岐路となったことを、当時の自分も考えもしなかったのだ。


 





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― 新着の感想 ―
[良い点] 交渉回として楽しめました。なるほど、ルシカはそういう手で来ましたか……やりますねw [気になる点] 三か所誤字報告しました。 それとは別に、何度か「ごちる」という表現が出てきます(多分今…
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