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28話 「生き残る覚悟」







 少し遡って落陽の時刻。

 天幕も樹々も残らず薙ぎ払われた野営の跡地に、豪奢な装飾を施された馬車がぽつりとあった。


「遅い」


 一面にベッドが敷かれた荷車の中で、色鮮やかな果物をかじる水音に混じって少年の甲高い癇癪の声が上がる。


「遅い……遅い……遅い遅い、遅すぎる!! いい加減にしてくれないかなぁあいつら! いつまで主人に待ちぼうけを食わせれば気が済むんだ!?」


 暗くなる外の景色へと果物を投げつけ、イワンナッシュは地団駄を踏みなから不平不満を吐き出していた。


 鬼と冒険家どもの掃討を命じて、既に二度目の夜。

 予定では今頃は別荘で湯に浸かりながら、もっと甘い果汁が滴る果物を頬張ってるはずだったのに。


「僕がやれ、と言ったら速やかにこなせよ、時間かけてんじゃねえよ!」


 元をただせば彼自身の失策に端を発する状況だが、そんな発想は微塵も思い浮かばないのがイワンナッシュたる所以ゆえんだ。


 いつだって功績は自らのもので、失態は他人のもの。


 元来、我慢強さとは対極の性格でもある。

 柔らかなベッドも贅を尽くした食事もない現状で、その忍耐が日が沈むまで持ちこたえているのが奇跡的だ。


「あーあ! 能無しの部下を持つと苦労するなあ!!」


 苛立った声に、御者席のシールドが身を震わせた。

 彼女がそうして自分に怯える様を見せるのはイワンナッシュの無聊を僅かに慰めたが、それも飽きた。


 元々新入りの彼女にイワンナッシュの喜ばせ方など分からない。辛気臭い顔を見るのも面倒で、外の見張りをしろと追い出した後は、いよいよもって退屈を極めていた。


 イワンナッシュの通信機が起動したのは、そんな時だった。


「……あぁ?」


 一瞬、待ちに待った報告かと期待したイワンナッシュは額に青筋を浮かべた。発光色から相手は指揮官アクスではなく兵士ダガーのものだと分かったのだ。


「――あいつ。さっきから何のつもりだ」


 通信機に手を伸ばす。

 無視する選択肢はなかった。

 ちょうど狩りの進捗状況を知りたかったのだ。


 新人シールドと違って彼女ダガー甚振いたぶりがいがある。退屈凌ぎにこちらへ呼びつけてやろうと下卑た笑みを浮かべて応答する。


「おい、短剣ダガー。良い報告を持ってきたんだろうな?」


 機械音声特有の雑音ノイズに混ざって女の声が返り、時間を追うごとイワンナッシュの顔色が万華鏡のように変わっていった。


 浮かべていた酷薄な口の緩みが消えた。

 次に困惑に表情から一切の色が抜け落ちた。

 時間を追うごとにまなじりが吊り上がり、言葉を交わすごと頭から湯気を吹き出す姿はぐつぐつと煮え立つ活火山を連想させる。


「なん、の……」


 肩をわなわなと震わせたイワンナッシュの耳元に、女の声が囁く。

 黒泥を孕んだ灼熱が爆発したのは、その直後だった。


「なんの真似だ、あの馬鹿はァア!?」


 跳ね起き、肩を怒らせて馬車を飛び出す。

 あまりの剣幕に体を硬直させるシールド灰色アッシュの短髪を無造作に引っ掴み、上がる悲鳴にも拘泥せずに怒鳴りつけた。


「出る準備をしろ! すぐにだっ!!」


 突き飛ばされ、反動でシールドの片目を覆う眼帯がずれ、中身が外気に晒される。

 目にしたイワンナッシュは忌々しげに舌打ちして。


「気味悪いものを見せるな!!」


「……も、もうしわけ、ありません……」


「良いから手と足を動かせよ!! クズ、クズども! 僕をこれ以上煩わせるな!」


 目元を隠しながら慌てて立ち上がる少女の背をもう一度蹴り飛ばして発破をかけると、憎々しげに顔をあげた。

 呪うような眼光は山の中腹へと注がれていた。

 程なく御者席に戻ったシールドが、声をかけるのも恐ろしいと震えながらもどうにか言葉を紡ぐ。


「主様……どちら、に」


「全速力で山の方へ走れ!! 死ぬ気で鞭を入れるんだ!! もし間に合わなかったら機械馬ガラクタと一緒にお前も潰してスクラップにしてやるからなぁ!!」


 少女は強く目を瞑って身体を震わせると、鞭を取る手を強く握りしめるのだった。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「きひひ」


 夜。月明かりすら木陰に遮られる森の中。

 土気色の物体を内包した透明な袋を拾い上げ、フィストはニタリと笑った。

 嗜虐感の赴くまま獲物を追跡してきた彼女が初めて足を止めたのは、二又に分かれた森道の入り口だった。


 右か、左か。

 ギョロリと忙しなく目を映らせるフィストの目が拾ったのが、この乾パン入りの袋だった。


「こっちかなぁ?」


 落ちていた右道を見ながら、かくり、と首を傾けた。

 そして乾パンをもぐりと齧る。

 粉っぽい食感が口の中に広がり僅かにフィストの眉がしょんぼりと下がる。

 けれど土や雨水に侵食されたかのような不味さではない。

 落とし主がここを通ったのはごく最近のことだ。


銃身バレルぅ、ここ、右でいいよねぇ?」


 状況を軽く説明すると、臨時指揮官から声が返る。


『いや。高台うえから見る限り右手道は身を隠せる樹木が少なく、逃げる利はない。僕の監視をすり抜けたとも思えない』


「じゃあ、左ぃ? そっちは確認してないのぉ?」


『そっちは樹が多くて僕の目を逃れやすい。僕なら左の道へ逃げる。……血の跡は残っていないか? 足を撃ち抜いたんだ。痕跡を隠しながら逃げる余裕はないはずだが』


「ないよぉ、ぜーんぜん」


 アテが外れて銃身バレルは乾いた下唇を舐める。

 森を囲んだ猟犬からの合図もない。

 これまで何度も包囲網を突破された彼らに過度な期待をかけるつもりはないが、監視網程度はこなせると考えている。


 ならば彼らは未だ包囲網の中で息をひそめ、脱出の機会を窺っているはずだが。


『周辺を探れ、フィスト。右か左と思わせてその近辺に潜んでいるかもしれない。そもそも都合よく物を落とすというのも引っかかる』


「そうかなぁ。深読みしすぎじゃなぁい? ここに来るまでの間もたくさん拾ったよ、落とし物。あの人たちが慌てん坊なんだよ」


『……なんだって?』


 強烈な違和感が銃身バレルの背を奔る。

 フィストに捕捉されれば一網打尽になることは彼らにも分かるはず。

 余計な荷物を捨てて動きを軽くするより手がかりを残さず逃げ切ることを優先――そこまで考え、不意に銃身バレルは固まった。


『……フィスト。彼らは他に何を落とした?』


「最初は緑色の上着でしょー。次はおっきな剣の鞘。それから空っぽの背負い袋でー。その次は筒で中身はとろとろの苦そうな薬。で、この乾パンが入った透明な袋! あ。でも乾パンは美味しくなかったなァ」


『――』


 けらけらと童女の笑みで答える同僚に、深いため息での応酬を余儀なくされた。

 やられた。まんまと化かされた。

 思わず照準器スコープから目を離し、僅かに天を仰ぐ。


『引き返すぞ。元の広場に、今すぐに』


「はえ? なんで?」


『あの広場に集まった連中、誰も緑を着ていなかった』


 あれ? と間の抜けた音がぷっくり膨らんだ女の唇から漏れる。

 フィストを樹木でぶん殴るという豪快な挨拶をしてくれた少年の姿は何度だって思い返せるが、それ以外はどうにも記憶が薄い。目にも入らなかった、が正しい。


『背負い袋を先に捨てている時点でおかしいと気付くべきだ。中に入れるべき薬や食料だけ抱えて走るわけがない。そちらを先に捨てるのが道理だ』


 捨てる順番が逆だと言うのなら彼らは広場に辿り着く前に、これらの荷物を捨てていったのだ。

 恐らくはあの奇襲でフィストを倒しきれなかった場合の保険として。


『うまく誘導されたな』


「ずるい! ああもう、駆け引き上手なんだからぁ! アタシを振り回して楽しむなんて! でも好き!」


『少しはめげろよ。……急げ。僕も場所を移す』


 時間を幾ばくか稼がれたが、問題はない。

 包囲を突破されたという報告は受けていない。

 連中は足を撃ち抜かれ、移動も遅々として進まないはずだ。

 改めて広場から血を辿ればどこへ向かったのか分かる。


 一度でも捕捉し直せば、もはや勝利は揺るがない。

 隠れ切るか見つけ出すか。獲物と狩人の戦いはまだ始まったばかり。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「足を見せてみろ」


 跳ねる心臓をどうにか抑え、追跡者たちをやり過ごした後、ルシカは倒れたキーファに駆け寄った。


 撃たれた傷口に目をみはる彼女の視線の先では、足の内側から肉が捲りあがって華を咲かせていた。グロテスクな有様に、激痛以上の眩暈が襲い掛かった。


銃身バレル弾丸マナ……実際に弾痕を見るのは初めてだが、これほどの威力を出すのか。銃身かれが出す遺体の記録を思い返してしまうな」


「い、たい……?」


銃身かれに撃たれた遺体は、頭が吹っ飛んで原型を留めないものばかりだそうだよ」


 背筋が凍るようなことを何食わぬ顔で言いながら、ルシカはやや乱暴な手さばきで治療を施していく。


「撃たれたのが太ももで良かった。これなら聖絹シュラウド薬草樹アグネイトの合わせ技で何とか……痛むよ」


「づぁッ……!!」


 聖絹シュラウドを巻いて血を止める。

 傷口にはキーファ自身が作った薬草樹の飲み薬を軟膏として塗り、飲み薬としても服用。酷い苦みで嘔吐に耐えるキーファを見届け、ルシカは立ち上がる。


「追っ手の気配はどうだい、ハルの弟?」


「……。ありません。だいぶ奥まで……はぁ、誘導されてくれたみたいです……」


「そう。小休止の時間を稼げそうで何より」


 言葉とは裏腹に、休む間もなくコレットの容態を確認し、命に別条がないと分かるとすぐさま耳元の機械に指を添えながら一同の傍から離れる。


「見張りついでにひとつ仕込みをしてくる。戻るまで休んでてくれ」


「一人で大丈夫なのか?」


「ああ。君たちには体力を少しでも戻してもらわないとね」


 案じるハルに軽く手を振り、ルシカが茂みの奥へと消えていった。言われた通りに樹に背中を預け、深呼吸をすると肺を締め付ける痛みが走った。


(無意識の無理が祟ってるな……)


 ハルは何度も深呼吸を繰り返して心と体のリセットを試みる。回復は見込めないが、修復程度まで取り繕っておかないと危険なのだ。


 キーファの視線に気付いたのはその時だった。


「なんで、助けに来たんだ……?」


 用件を聞くより前にキーファの困惑混じりの問いかけが飛ぶ。

 彼自身を色濃く彩っていた激情が全て削ぎ落とされたような神妙な面持ちに息を呑んでいると、焦れた青年は更に言葉を続けた。


「アンタなんだろ。助けようって言ったのは」


「……二人だって賛成してくれた。それに俺一人じゃ間に合わなかったよ」


 思い返せばタイミングは本当に際どかった。

 ルシカとの言い争い、説得や仕込みに費やした時間を考えれば背筋が凍る思いだが、その遅れは山の地図を熟読した彼女の適切な誘導でほぼ取り返すことが出来た。


 彼女の制止を聞かず、あのまま感情に任せて土地勘のない森を我武者羅に探し回ったほうが危なかったに違いない――キーファは、そんな謙遜では納得しなかった。


「答えになってねえ。……なんで、来た?」


 応じる言葉は不愛想だが、今まで言い争ってきた時とは声音が違う。

 不信や怒りを切り離した、純粋な疑問にハルは頬をかいた。本人を前に口することの気恥ずかしさがあったのだ。


「仲間だろ、俺たち。一緒に厄ネタを受けた、さ」


「……仲間とか、まだそんな甘っちょろいこと言ってんのかよ、花畑頭」


 遠慮のない返答に少しだけ心が煤ける。

 思わず吐いてしまった言い回しに恥ずかしくなるハルなのだが、一度吐いた言葉を引っ込める気にはなれず、拗ねるように顔をそむけて。


「うるさい。助けられたお前に拒否権はない。諦めて仲間扱いされてろ」


「なんだそりゃ。……ばっかみてえ」


 馬鹿だろうとも。

 無遠慮なキーファの言動に心の中で安堵するぐらいには馬鹿なのだ。


 キーファは、ハルの怪力を目撃したはずだ。

 その異常性を見ても彼が怯える様子を見せず、同じ態度でいてくれることにハルは安堵していた。半獣病を抱えている彼には特別なものには映らなかったのかもしれない。


 だから。


「……悪かった」


 その彼が、謝意を口にしたことに驚いた。

 それだけでなくキーファは両膝を立て、両手を拳に変えて地面につけ、頭を手の位置と同じところまで下げていた。


「俺……いつもこうだ。考えなしに行動して、ばかみてえに裏目踏んで、何やってもうまくいかねえ。いつまで経っても学ばねえ」


 額を地面に擦りながら呻くように続ける。


「アンタみたいに真っ直ぐな奴を見ると、自分と比較して、惨めな気持ちでいっぱいになってまともに謝ることもできやしねえ」


「……何してんだよ」


「見りゃわかんだろ」


 彼は土下座の姿勢のまま動かない。

 ハルは当惑した。

 今までそんな風に頭を下げられてきたことはなかった。

 いや、あるにはあったが、オーガだと言われて命乞いをされた時だけだった。


 慌てて手を振りながらキーファの体を助け起こそうとする。


「気持ちは分かったから、やめてくれ。俺はそんな――」


「置いていってくれ」


 その絞り出すような懇願が、ハルの身体を縫い付けた。


「足をやられちまった。走るどころか歩くこともできねえ。塗った薬はすぐには効かねえし、このままじゃ逃げきれねえことぐらい、俺でもわかる。……アンタだって、分かってるはずだ」


「馬鹿言ってんじゃねえよ!」


 潜伏している事実も置き去りに激高を露わにするハルを見上げて、キーファがくしゃりと顔を笑みに歪ませた。

 涙と鼻水を懸命に堪えながら作った笑顔だった。


「あ、アンタには、感謝してる。けど俺はアンタに何も返せない。頭を下げるしかできねぇ恥知らずだ」


「……」


「こんな状況作ったうえに足を撃たれるような間抜け、置いていくべきなんだ……でも、どうか」


 再び地面に頭を擦りつけた。

 額に新たな傷を作るほど激しく、涙声さえもはや隠さずに。


「こいつだけは、コレットだけは連れて行ってくれ……大事なんだ。命より大事なんだ。俺を助けてくれるってんなら俺じゃなくコレットを助けてくれ……」


 ――怪物が来る。


 ザジを殺し、その血の海を愉しげに泳ぐ悪魔が来る。

 きっと自分も同じ目に遭わされるだろう。

 体中を串刺しにされ、血の一滴まで生きたまま搾り取られ、絶命するのだ。


 ――魔獣に生きたまま喰われる最期と、どちらがマシか。


 考えてはならない。

 考えればきっとまた間違える。

 命惜しさに彼らに縋り付き、皆を巻き込み、今度は家族や仲間の断末魔を聞きながら死ぬのだ。


 ――その前に、覚悟を決めなければ。


 誰かを殺す前に、死ななければ。


「お願いだ、お願いします、この通りです……」


 何度でも、何度でも地に額を打ち付ける。

 虫のいい話だって分かってる。

 ハルの善良性に胡坐をかく恥知らずな懇願だと分かってる。

 それでも受け入れてもらわなければ。

 そのためならどれほど額を割っても構わない。


「この通り……この通りですから……」


 キーファは知っているのだ。

 自分の弱さを、愚かしさを。

 いま殊勝なことを口にしていても、死ぬ土壇場で見苦しく喚くだろうことを。


 だからキーファには必要なのだ。

 後で自分がどんな心変わりをしようと、自分の代わりに「するべきこと」を遂行してくれる人が。

 初志貫徹できない弱い自分の代わりに、彼女を守ってくれる人が。


 それが目の前の男なら悪くないと、思うのだ。


「キーファ」


 肩を叩かれた。

 降ってくる声が、場違いなほど穏やかに聞こえた。

 その声音を聴いた時、キーファは己の願いが届いたものと確信した。全身を襲う脱力感に、何とか抗いながら言葉を紡ぐ。


「伝えてくれ……すまなかったって。自分の尻拭いすら満足に出来ねえ、そんな兄貴でごめんって……」


 謝罪を、声援を、願望をつらつらと口にしながら涙が後から後から込み上げる。それに耐えて、ただ残すべき言葉を考える。


「一人にさせて悪い、って……生きてくれって、それが俺たちの願いだって――」


「いやだ」


 後頭部を強打されたような感覚に、のろのろと顔を上げる。

 今まで見たこともないぐらい険しい顔をしたハルが、肩に置いた手に力を込めてみっともないキーファの相貌を睨みつけて。


「絶対にいやだ。冗談じゃない、ふざけんな」


「――ぁ」


 その時、ハルの脳裏には昔の苦い記憶が蘇っていた。

 故郷の村に、あるガキ大将がいた。

 口が悪く喧嘩っ早く、けれど多くの友達に慕われていた。騎士になると豪語して、けれど夢を叶えることなく死んだ。


 彼がどんな最期を遂げたかをハルは知らない。

 けれど死んだという事実を聞かされたとき、自分の小さな手足を見つめて唇を噛んだ。

 その時と同じ感情が喉奥からせり上がっていた。


(あの時は棒きれも振れない子供だった)


 今度はどうだ。もう子供ではない。

 次はどんな言い訳で自分を納得させればいい?

 また一人、命を背負ってむざむざと生きていけと言うのか?


 胸の裡に灼熱が宿った。

 これ以上誰一人だって、抱えて生きる自信はないのだ。


「お前が謝れ。誰かに託すな。伝えたいことがあるなら、生きたお前が、自分の口で伝えろ」


「――ぁ、ぐ」


 駄目だ。間違ってる。

 見捨てるべきだ。置いていけ。

 そう口にしなければいけないのに、キーファの舌はもつれて役に立たない。


 ぱくぱく、と口を開けては閉じて、それを繰り返しては言葉にならない呻きだけが漏れていた。


「いい加減に覚悟を決めろ、キーファ」


 気付けば、後ろにルシカが立っていた。

 言葉が理解できずに目を瞬かせる。

 覚悟ぐらいできてる、そう言葉にしようとして切れ長の黒曜石に射抜かれて息を呑む。


「死ぬ覚悟じゃない。そんなもの、誰でもできる」


 じゃあ、何を覚悟すればいいんだ、とどうにか呟いた。

 そんなことも分からないのか、とルシカは腕組みしながら続けた。


「生きる覚悟を、生き残る覚悟を決めろ。死んで楽になることは、そこのハルが許さない。それはこの死地に飛び込んでまで手を差し伸べた私たちに対する侮辱だ」


「生き残る、覚悟……」


「そう。生き残って、やらかした失態も恥も一生引きずって生きていけ」


 それは、キーファにとって死より何倍も辛い責め苦だ。

 今日までの間違いの全てを受け入れ、血反吐を吐きながら一生抱えて生きていけ、と言うのだ。

 自分のせいで家族が傷付き、あるいは死んだ。それを胸に刻みつけて生きていけ、と言うのだ。


「全員が助かるか死ぬか、二つに一つだ。私たちのリーダーがそう決めたんだ」


 顎でしゃくられ、キーファは周囲を見渡した。

 ルシカは不遜な表情のままキーファを見つめていた。

 シオンは青い顔を隠しながら、不満げに鼻を鳴らした。

 コレットはすぐ傍で僅かに身動ぎ、縋るようにキーファの裾を握っていた。そして。


「――戦おう」


 ハルは、力強く頷いてキーファに手を差し出した。

 呆然と差し出された手を見つめたキーファは、何度か目を泳がせた。


 この手を取っていいのか。

 生きることを諦めるべきではないか。

 様々な感情が目まぐるしく頭の中を駆け巡っていたが、のろのろと手を伸ばしてしまった。

 それを力強く握られた途端、生きるという活力が注ぎ込まれるような錯覚を受けて。


「勝つぞ。これ以上、誰一人だって殺させない。だから」


「――――」


「力を貸してくれ」



 臆病者の心に、勇気が宿った気がした。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「……よし」


 自分に気合を入れるようにして、ハルは歯を噛み締めた。

 一人だ。周囲には誰もいない――否。


 誰かが来る気配がある。

 どす黒い血の匂いをこびり付かせた何者かが凄まじい速度で地を踏みしめ、木枝を踏み割り、真っすぐにハルへと近付いてくる。


『聞いての通り、私たちはしばらく動けない』


 別れ際の、ルシカの激励を思い返す。

 撃たれたキーファが動けるようになるまで、そしてルシカの仕込み・・・にはなおのこと時間を要する。


 これより後ろに彼らを行かせてはならない。

 この場所が、ハルたちにとっての防衛線……そして、最前線となるのだ。


『頼んだぞ、ハル』


 その上で、ハルが託されたことは一つ。


『君一人で、どうにかして彼女を打倒してくれ』


「――ァァアハアア……!」


 歓喜の声をあげて女が現れる。

 成人女性型の姿をした彼女を落ち着いて見たのは初めてだ。短剣ダガーと比べれば背は高く、体の起伏にも富んでいる。


 爛々と輝く金色の瞳を忙しなく動かし、両手に仕込んだ手甲を強く打ち鳴らす女の名は――


フィスト……」


「うん! うんうん! 私がフィストです! ……ああぁ、やっぱり素敵ぃ、ゾクゾクしちゃう。待っててくれたんだね、嬉しい!」


「……?」


 何やら妙な反応だ。

 胸の前で手を合わせ、無邪気に飛び跳ねる姿は童女のよう。

 熱っぽい眼差しで頬を紅潮させるフィストには何か不気味な予感を覚えて首を傾げる。

 出会い頭に大木でぶん殴ったことといい、彼女との間にあるのは悪縁だけのはずだが。


 いや、と首を振る。

 今の自分に課せられた使命を思えば、余計なことに気を取られている余裕はない。

 いまこの瞬間、ハルが相手にしなければいけないのは――


「ッ……!!」


 咄嗟に横に飛ぶ。

 ハルが立っていた地面がぜた。

 とてもハルの目に映る速度ではなかったが間違えようがない。銃身バレルの銃口もまたハルに向けられ、必殺の位置を計られている。


『そこから狙撃の斜線が通るポイントは三箇所。けれど最初の一発に限っては配置と距離から見て、一箇所だけ。常にその方角を意識すれば避けられるはず』


 ルシカの助言を思い返す。

 ハルが微動だにせず立っていた地点から、最も狙撃をしやすい位置を事前に教えられ、射撃の瞬間に放つ青い光を合図に身を投げ出しただけだ。


 つまり、これは最初の一撃のみに限った必然の回避。

 これ以降はない。

 必殺の狙撃を回避された銃身バレルは狙撃位置を移すだろう。


 次は二択……失敗すれば頭が吹っ飛び、成功しても次の二択がすぐ目の前に迫る。

 何度か続ければ、その場に留まっての第二射を放つ選択肢も取り出すだろう。

 そうなれば三択、躱し続けるのは不可能だ。


銃身バァレルゥゥゥ!! せっかくの逢瀬を邪魔しないでよぉおお!!」


 何故かフィストが空に向かって吼えているが、ハルに構う暇はない。二人の目線が自分に釘付けとなったここがスタートラインだ。


「ああっ! 逃げた!」


 非難じみた声を置き去りに足に力を込める。

 同じ場所で戦い続ければ狙撃の的だ。

 敵をルシカたちのいる場所へと行かせないように足止めをしながら、戦場を次々と変えていく。


 狙撃手に撃たせないことを強いた上でフィストを打倒する。それがハルに課せられた使命だ。


「ま、待ってえぇえ!」


 作戦の第一段階は成功したようだ。

 フィストが悲痛な声をあげながらハルを追いかけてくる。それがハルの誘導だと気付く様子もない。


(移動を繰り返して狙撃を防ぐ。ルシカたちをフリーにさせる。それは何とかなる……けど)


 問題はその後。

 額に嫌な汗をかきながら、唇を噛み締める。


フィスト……最硬の機人族マキナを、どう倒す……?)


 今のハルは武器ひとつない徒手空拳。

 相手は大木に殴られようが魔獣じみた怪力で殴られようが、けろりとしている女。

 決定的な切り札も具体的な方策もない。

 走りながら考えを巡らせるハルの耳元で。


【血の衝動に――】


 誰かが笑い、囁いた。

 背筋に走る悪寒。『俺』を忘れてやいないか、とハルの中身がぐずぐずと黒い欲望を吐き出し。


「ッ――うるせえッ!!」


 耳障りな幻聴を払いのけて疾走。

 一度だけ視線を左に向ける。木陰に潜んで様子を窺っているルシカと目が合った。


 ハルは咄嗟に顔を背け、自分の役目に邁進するため速度を上げる。その背中から赤黒い瘴気が陽炎のように揺らめいていた。









 じっと身を潜め、静かになるのを待つ。

 樹木に背を預けたルシカは喧騒が遠くに消えていくのを確かめ、ようやく大きな息を吐くことを自分に許した。


 フィストは気付かなかった。

 彼女の目にはハルしか映っていない。


 銃身バレルは気付いただろうか。

 そうでないことを祈るしかない。


 後ろを振り向いて合図を送ると、茂みからシオンらが這い出すように出てくる。


「本当に、これで――」


「うまくいく保証はない。ろくに走れない君より、五体満足のハルのほうが適任というだけの話だから」


 飄々とした言いざまにシオンは露骨な舌打ちで返答する。

 黙り込むシオンの代わりに声をあげたのはキーファだ。


「俺たちは……どうすれば」


「今の君はコレットを守ることだけ考えていろ。薬が効いて走れるようになったらコレットと共に南東に走れ。身を隠すのに最適な林がある」


 顔を俯かせ、唇を噛みながら頷く。

 役立たずだの戦力外だの言われようが返す言葉もない。


「精霊信仰の石碑があるらしいが現存してるかは不明。これが地図だ。現在地はここで、方角はあっちだ。時が来るまで待機」


 乱雑に投げ渡された地図を受け取るが、顔を上げられない。やはり自分たちはお荷物なのだ。込み上げる悔しさがもごもごと口を動かした。


「そ、そんなとこがあるなら全員で隠れれば……」


「狩人が獲物を仕留めるための隠れ場だぞ。二人分で満席だ。それに邪険にしてるつもりもない。君たちには大事な役目がある」


 驚いて顔をあげると、ルシカは懐から小さな物体をキーファに向かって放り投げた。慌てて受け取り、掌に乗った物体を覗き込む。


「これは――赤銅貨?」


「意図は分かるね? 彼女が起きたらそれを渡して仕上げ・・・させてくれ。万が一の時に切り札になる。それがコレットの仕事。それから……」


 ルシカは、渡した地図の右端を指差した。


「キーファ。君の役割を書き残しておいた。薬が効いてくるまでの間に読んで、内容を頭に叩き込め」


 慌てて地図に目を落としたキーファは、その文量にまず顔を強張らせた。


 地図に残された彼女の筆跡は右端に限らず全体にまで広がっていた。内容を読み進めていくうちに、メモの内容がキーファの役割への指示だけに留まらないことに気が付いた。


「少し読めば分かると思うが、そこにあるのが私が武器ペテンだ。全て読むには時間が足りないだろう。右端でいい。それさえ理解すれば自分の役割が、」


「これを――俺が?」


 呆然と呟きながら地図の一点を指さすキーファに、ほう、とルシカが小さく唸った。まさしくルシカがキーファに期待する役割は、彼が指さした一点に凝縮されている。


「意外と地頭がいいじゃないか。話が早いのは嫌いじゃない」


「――」


「頼んだぞ。目に物を見せてやれ」


 息を呑むキーファをその場に残して、ルシカはシオンに目配せをすると移動を開始。

 耳に取り付けた通信機の調整をし、喉の調子を整えるその背中に、シオンの不満げな声が飛んだ。


「調子のいい言葉で騙そうとしていませんか。わざわざ僕の耳に入らないように指示を飛ばすなんて。いつ書いたんです、あんなメモ?」


「いま。速読速記は商人の必須スキルだからね。後、騙すつもりもないよ。本当に重要な案件を任せたんだ」


「とても信じられないですけど」


 彼女が一番キーファの評価を低く見積もっていたはずだ。

 疑いの目を向け続けていると、ルシカは嘲りを多分に含んだ悪戯な笑みを向けてきて、それがますますシオンの癪に障った。


「質問に答えてあげたいけど、いまは時間がないんだ。私が気に入らなくても、今は従ってもらう。いいよね、ハルの弟?」


「その呼び方、やめてください」


「ふふ。さて……やるとしようか」


 通信機を起動し、ルシカは山の方角へ挑むような目を向けた。

 深呼吸を一つ。思考を絶え間なく奔らせ、情熱の焔に薪をくべて、この戦いの勝敗を決定づける勝負に臨む。心中で燻り続ける不安を獰猛な笑みで抑えつけて。



「亡霊より、アクスへ」



 さあ、化かし合いの時間だ。

 細工は粒々。仕込みは七割がた完成。

 万全とは程遠い準備に少しの機転を利かせて、悪党は計略を走らせる。





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