26話 「ヒトガタは笑う」
「――今日のは一段と酷い味だ」
噛み潰した紙煙草の渋みに銃身は嘆息する。
中肉中背の体躯に珍しくもない茶髪を適当に切り揃えたその姿は、没個性の一言に尽きる。彼を異常たらしめる要素といえば、自身の身長ほどある黒塗りの狙撃銃だ。
銃口からは薄く煙がくゆり、狙撃手としての一仕事が終わったことを物語る。
餌食になったのは闇夜に紛れて包囲網を抜けようとした少女だ。
銃を構え、狙いを定め、息を吸い、引き金を引き、音なき残響に合わせ息を吐く。
命を奪うために必要な五つの行程。
これら全てを終えた後、最後に紙煙草に火を付けるのが彼の習慣だった。
「銃身」
席を外していた指揮官が戻ってきた。
良くない顔だ、と銃身は思う。
仲間の一人を人質に取られてから、彼の指揮が後手に回る。実力は認めているが、この甘さは理解しがたい。
「『九人目』は何を言ってきた?」
「……降伏して短剣を解放する、と」
「朗報じゃないか。なのにお前の命令で主義を曲げさせられた僕より景気の悪い顔だ。どういう了見なんだか」
狙撃手が撃つならば、必殺を期さなければならない。
それが殺すと定めた標的ならば、なおのことだ。
皆殺しの主命を受け、殺すべき命に引き金を引くというその時になって、この指揮官は『殺すな』と命じてきた。
狙撃手にとって耐え難い屈辱だ。
その甲斐あって敵が白旗を上げたというなら、せめて彼だけは嬉しそうにすればいいものを。
「……そうですね、申し訳ありません。取引場所は彼らが狼煙をあげていた鍾乳洞の前です。私一人で来るように、と指定してきました。話を聞いてきます」
「指揮官が現場を離れることは推奨しない。お前の代わりができた槍はもういないんだ。お前が抜けると指揮系統に乱れが出る」
死んだ同僚の名を挙げると斧の顔がさっと曇った。
失言だったと銃身も眉を顰める。
彼女の死が、斧の心に大きな影を落としているのだ。仲間をこれ以上喪うわけにはいかない、そんな焦りが透けて見える。
「……すみません」
いつもの笑みすら消して謝罪する姿に、舌打ちを見舞う。
自分たちは替えの利く消耗品だ。
有用性を証明し続けることでしか生きていられない欠陥品を後生大事に守ろうとするなど不毛に過ぎる。
それが、銃身の持論であり美学だった。
「もういい。この現場ではお前の指示は受けない」
非難の代わりに、突き放すように言い放つ。
「今夜のお前は指揮官失格だ。お前の感傷に付き合うほど僕はお人好しじゃない」
「…………」
「狙撃の失敗を演じるなんて二度とごめんだ。僕が銃身であるための主義をお前は曲げさせた。これ以上は知らない。残りの四人は僕らで殺す」
紙煙草を吐き捨てた。
もはや斧には目を向けず、黒塗りの狙撃銃の照準器から狩り場を俯瞰する作業に戻りながら。
「今夜のお前は指揮官じゃない。一兵卒だ」
だから、と一度言葉を区切って。
「短剣はお前が勝手に助けろ」
背中越しに息を呑む声が上がったが、銃身はそれ以上の関心を持たなかった。いま撃ち落とした女、そしてオーガを含む三人の生存者。これをどう殺すかにだけ意識を向ける。
「……ありがとう、銃身」
だから背中から掛かった感謝の言葉など歯牙にもかけなかったし、凄まじい速度で遠ざかっていく足音など気にもしなかった。
通信機に耳を当てる。
間延びした応答の声に対し、慣れない指揮官の任を引き受けた銃身は無機質な声を返す。
「銃身より拳へ。女はポイントD地点に墜落。もう捕り物は始まっている。速やかに殺せ。僕も配置に就く」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……はぁ……はぁ、痛い……っ」
大木に身を預け、泣き言をこぼすのも何度目だろうか。
出口の見えない迷路のような暗い夜の森を、コレットは覚束ない足に喝を入れながら走っていた。
枝が白い肌を裂き、窪んだ地面が何度も足に絡み付く。
走って転んで、起き上がってはまた走る。
息が切れても座り込まず、木の影に身を隠し、息を整える。
この道が正しいのか、そうでないのかも分からない。
空を飛べれば進むべき方角は分かるのに、そんな詮ない文句さえ口にする気力もない。
「はぁ、は……」
意識が揺らぐ。傷口からは絶えず血が流れ、貫かれた骨は歩く震動にすら悲鳴をあげる。
痛い、熱い、痛い、寒い。
痛みによる熱と出血による寒気が、細い糸で繋ぎ止めた意識を襲う。
視界が暗転しては霞み、徐々に途切れていく。
必死に動かそうとすればするほど足は縺れ、止まった瞬間に身体が傾き――樹木に、垂れた翼が接触した。
「び、ぎぃッ……」
撃ち抜かれた傷口にざらついた樹皮が擦れる。
脳天を貫く痛みに涙がこぼれる。皮肉なことに、その痛みが何度も手放しかけたコレットの意識を繋ぎ止める。
悲鳴をあげてはならない。
喉元までせり上がったそれを必死に噛み殺す。
噛み締め続けた唇から赤い糸を滴らせ、コレットは呻いた。
「いたい、……いたぃ、ぃ……」
酷い有り様だと自分でも思う。
翼の付け根部分に空洞が空き、茶色い右翼は千切れかけていた。走る衝撃で揺れるたび神経から脳髄へ、突き刺すような激痛が走る。
墜落の時は、助からないと思った。
鬱蒼と茂る木々が緩和剤となったが、受け身も取れずに枝葉に突っ込み、左肩から地面に落ちた身体が絶え間なく痛みを訴える。
脱臼したのか右腕はあがらず、折れそうな翼を支えることもできない。
それでも生きている。
幸運にも生きていることを痛みが教えてくれて、どうにか顔をあげて。
『おい、見ろよ』
不幸にも敵のど真ん中に落ちたことを知った。
『女が落ちてきやがった』
夜の寒さを凌ぐための焚き火を複数の男たちが囲んでいた。
空から落ちてきたコレットの顔を恐る恐る覗く彼らは、それが少女だと知って下卑た笑みを浮かべた。歯を剥き出しにして笑う男たちの顔は、今まで見てきた中で最もおぞましかった。
『へへ、ツイてんな。可愛がってやるよ』
『ッ――!』
その笑みを理解した時、心臓が裏返りそうな恐怖が全身を支配した。
先頭にいた男の太い手が無遠慮に伸びる。
全身を苛む痛みよりも、これから起きるだろうことへの恐怖が勝り、声にならない悲鳴と共に咄嗟に腰のポーチから丸い物体を放りなげた。
『炸裂弾――!?』
キャンプ地を襲撃した時に投げ返されたことを思い出したのだろう。力なく放られた手製の爆弾から這う這うの体で男たちが散っていく。
コレットは軋む身体に鞭を打ちながら駆けだし、背後からけたたましい音と共に男たちの困惑が聞こえてきた。
『な、なんだぁ? 音響弾じゃねえか、驚かせやがって』
『囲い込め! 逃がすんじゃねえぞ!』
『へへ、捕まえた奴が一番先に具合を確かめるってことで』
身勝手な歓声が走るコレットの背中を炙る。
たった一人の少女を十人近い鬼が喝采を上げながら追ってくる。そこから逃げて、逃げて、逃げて、恐怖で麻痺していた激痛が時間を追うごとに体を苛んだ。
もう走れない。
歩くことすら痛くて辛い。
なんで私がこんな目に、助けて、助けて――口からそんな弱音がこぼれることを、誰が責められるだろうか。
「もう……もう、無理……」
諦めが口を突く。
背中が痛い、肩が痛い、心だって痛くて仕方ない。
死より恐ろしい未来がほんの数分先でげらげら嗤う。
捕まった後を想像し必死に身体を鼓舞しても、狙撃と墜落に打ちのめされた体が付いていかない。
「うっ……ぅっ、うっ……」
コレットは樹木に寄り掛かると小刀を懐から取り出した。
それは守り刀だ。
命を守るのではなく尊厳を守るためのもの。
最期を辱められないよう、その一線を守るための刃物。
女の冒険家が嗜みとして持つ最後の武器、その鞘から白く輝く刃物を顕し、そっと喉にあてがった。
冒険家なのだ。
小刀で喉を突く覚悟くらいしていた。
死ぬより恐ろしい目に遭うくらいなら、いっそ――
『助けを呼んでくるんだ』
喉から血が滴り落ちる。薄皮を裂いた証が零れる。
あと少し。
あと少しだけ天秤を傾ければ全てが終わる。
だというのに、大切な家族に託された言葉が脳裏をよぎってそれ以上手が進まない。
きっとこれが最後の機会だ。
今を逃せば、自害なんて安易な逃げ道すら失ってしまうのに。
「ぇぐ……うっ、ぅぅうっ……」
――死ねない。
家族が待っているじゃないか。
自分が呼びにいった助けを待っているじゃないか。
お前を待っていると、お前に託すと、お前が希望だと言ったじゃないか。
――裏切れない。
我が身可愛さに安易な死なんて選べない。
どんな目に遭わされても。どんな酷いことをされようとも生きなければ。
家族のために、なんでもできるのなら。
身に降りかかる全てを承知の上で、そう決めてしまった。
男たちに見つかったのはそれからすぐのこと。
獣じみた匂いに囲まれ、まず逃げ道を喪った。
音響弾を投げつけるも、もう男たちへの足止めにもならない。
「あぁっ……!!」
接近され、乱雑に腹部を蹴り上げられる。
震える手で守り刀を向けるが、小柄な少女が振る柄の短い刃物など誰も恐れない。
太い腕で手首を捻られ、小刀が力なく地面に刺さる。
後はもうろくな抵抗もできなかった。
顔をしたたかに殴られる。
地面に手荒く押し倒され圧し掛かられた。
荒い息を吐いた男の顔が近付いてきて。
(怖い)
いや怖くない。
唇を噛み締め、精いっぱいの眼光で男たちを睨み付ける。
(助けて)
違う、助けなくちゃ。
自分こそがみんなを助けるのだ。
だから平気。何があっても平気。そう自分の心を必死で騙そうとして――瞳からあふれる涙を自覚して、抵抗の無意味さを知った。
(嫌だ……ッ!)
視界に映る全てのモノが恐ろしくなって、コレットは強く目を瞑る。
そして。
悲鳴が暗い森の中に木霊した。
「ぇ……?」
悲鳴は、自分の口から洩れた物ではなかった。
圧し掛かられる苦しさが唐突に消えて、どろりと熱い液体がコレットの頬を伝う。
恐る恐る、目を見開いた。
覆いかぶさり顔を近づけてきた男が宙に浮いていた。
自分を抑えつけていた手足はだらりと投げ出され、ぴくりとも動かない。
男の死を確信するまでに時間はかからなかった。
『グゥルル、フゥーッ……グルルルルッ……!!』
コレットは呆然としたまま男の脇腹に喰い付いたまま宙吊りにして見せた怪物の姿を見た。
黄と黒の毛並みの獣だった。
男の体に牙を突き立て恐ろしい唸り声をあげている。
首を一度振り、その勢いで男を投げ捨てると、落ちた男の体がぐちゃりと濡れた音を立てた。
他の男たちは身動きできず、その光景を見つめていた。
皆、最初に動いた者から襲われると気付いていた。
「ぁ……」
怪物を見上げながら身を起こすと、目があった。
無防備な動作を咎める瞳はどんよりとした狂気を孕み、膨れ上がった筋肉や太く鋭く伸びた牙は血に染まっている。
怯えた少女が恐慌を起こし、怪物がそれに喰らい付く光景を誰もが疑わなかった。
けれどコレットは怪物を恐れなかった。
変わり果てたその姿が誰なのか、彼女は一目で気付いた。
「キー、……ぁっ」
名前を呼びかけ、そして自分がいまどんな姿なのか気になり、慌てて下を向く。
乱れた衣服に顔が熱くなり、その姿を見られたことを恥じて目を伏せた。
「キーファ……さん……」
怪物はじっとコレットを見つめていた。
正しくは、その左頬。押し倒された時に強く殴られた箇所だ。
熱を帯びて痛む頬を咄嗟に隠す。
醜く腫れ上がった顔を見られたくなくて顔をそむけ――その仕草が、決め手になった。
「……ァァアア」
キーファの理性の箍が外れるには、十分だった。
「ァアアアアァアアアアアアアアアアッ!!!!」
目を覆うような殺戮が始まった。
巨体に似合わぬ敏捷性で男たちに躍りかかり、暴虐の限りを尽くしていく。
逃げようとした男が頭を齧られて脳髄を撒き散らした。
誰かを突き飛ばして囮にしようとした男の胴体が爪で四つに寸断された。
突き飛ばされた男の頭は、乱暴に踏みつけられて弾け飛んだ。
腰を抜かした男は比較的長く息をしていたが、誰一人逃げられなかったことをその目に焼き付け、やがて命乞いをする間もなく真っ二つに引き裂かれた。
「ォォォ、ォオオオオ、グォオオオオオオオッ!!!」
毛並みを真っ赤に染め上げて獣は吼えた。
そして巨体を揺らし、周囲に撒かれた肉片を喰らうため大きな口を開けた。
惨劇をただ見ていることしかできなかったコレットは、そこでようやく我に返りキーファの身に何が起きているのか理解した。
「だ……だめ、それは……!」
人肉の咀嚼。
それは魔獣へと変貌を遂げる工程だ。
怒りと憎しみのままに暴れ、人肉を欲しがり、血を飲み干す。
獣化した状態で喰らう血肉の味の甘美たるや理性や知能を削り取ってしまうほど。
その味を忘れられず、元の姿に戻る方法も忘却し、最期には人を喰らうためだけに生きる魔獣へと墜ちてしまう――そのことを、コレットは知っていた。
「戻って……! 戻ってください、だめ……! 血の味を覚えたりなんかしたら……!」
「グゥアアアアアアアアア!!!」
「きゃっ……あぐっ、ぅぅぅああ゛!?」
巨体が激しく戦慄き、取り付いたコレットの体が弾かれた。
強かに背中を打ったコレットは、千切れかけた翼根が地面にやすりがけされて悲鳴をあがる。
のたうち回って全身を泥と血で汚すなか、キーファの動きが止まる。
『ぉぉぉぁ……ぁ……?』
悲鳴が、理性を引き戻す呼び水となった。
服と肌を他人の血で赤く染めた妹分を目に入れ、真っ赤に染まった両腕を茫然と見やり、声を震わせた。
『こ……れっと……お、おれ、は』
「は、うぁ……ッ」
何か言わなきゃ、と口を開く。
けれど激痛が際限なく全身に押し寄せ、苦痛と悲鳴しかあげられない。
大丈夫だって、助けてくれてありがとうって言わないと。
せめて平気だと笑いかけないと。
笑みを作り、顔を上げ、そして。
頭から爪先までどす黒い朱に染まった死神がそこにいた。
「――――ッ!!」
声を失い、硬直する。
満面の笑みを浮かべて虎人の横に並ぶ死神は、鉄甲を取り付けた怪腕を大きく振りかぶって―――
「————て、ぇ……!!」
逃げて、と口は動いたが声にはならなかった。
怖気のする衝撃音と共に、キーファの巨躯が血煙をあげて宙を舞う。
コレットの口から声にならない悲鳴が続く。
ただ横っ面を殴られただけ――それだけで、魔獣と化しつつあるキーファの体が血を撒き散らし、ボールのように弾んで遠くの茂みの向こう側へと消えていく。
そんな、何かの冗談のような光景の中で。
「あはっ」
死神が笑う。女が笑う。
元は橙色だろう短髪を黒ずんだ血で染め上げ、両腕には膨らんだ鉄の手甲を備えた機人族。唐突に表れた乱入者は自らの異常性を誇るかのように両腕を広げて。
「腰抜けの虎と綺麗な声で鳴く小鳥、見ぃつけた」
三日月に口角を吊り上げ、嗜虐に満ちた妖艶さで微笑んだ。
二人にとって家族同然だった男の血の海で無邪気にはしゃいでいた時と同じように。
「こんばんはぁ。拳が気持ちよくしてあげるね?」




