24話 「最後の希望」
「……よし。こんなところかな。休憩しよう」
数十分に及ぶルシカの講義がひと段落する頃には、窓の外からこぼれる黄昏の光にも陰りが見えていた。
ハルが入口付近の壁に立てかけられていた火打箱とランタンを手に取り、火を灯すと暖かな光が室内を照らす。
「ハル。立ったついでに、その壁に張り付いてる地図を取ってくれないか。山の地形を把握しておきたい。あと水も。喋りすぎて喉が渇いてしまったよ」
「ん、これか」
ルシカが指す先の壁に、両手を広げるぐらいの大きさの地図があった。四隅に釘が打ちこまれたそれをハルは綺麗に剥がそうとしたが、景気よく不吉な音が上がる。
「……うーん」
唸りながら四隅が綺麗に欠けた地図をルシカに差し出すと、彼女は羽根ペンをくるくると回しながら、くすくすと忍び笑いしていた。
「ひどく不器用だな、君は」
「うるせえやい。後は水な」
「置いといてくれればいいから。……あぁ、キーファたちが戻ったらさっきの話の共有を。向こうが仕掛けるのは深夜だ。少し休んでおくことも勧めるよ」
ルシカが地図に目を落とし、小さく何かを呟きながら地図に文字を書き込んでいく。角度だとか射線だとか地図を見てるとは思えない単語が幾つか聞こえてきたので、邪魔しないように部屋の隅へと移動。
「ええと、拳の特徴がこれで、大事なのは距離感で……」
教授された各暗殺者の特徴を、ぶつぶつと口にして忘れないよう留めておく。自分で理解していないものを他人に説明するのは困難だ。何度も何度も繰り返し、口にして自身の中に落とし込む。
(――本当に厄介な相手に目を付けられたんだな)
人形師一座のことを知れば知るほどそう思う。
まさに初見殺しの見世物市だ。事前情報なしに相対した場合、ハルの超人的な肉体を以てしても十の内、八は死んでいたに違いない。
槍と短剣が欠けてなお、その脅威度はいささかも衰えないのだという実感がハルの胸に刻まれていた。
「っと、水、水」
水袋を探し回り、ふとランタンの灯に浮かび上がるように見覚えのある荷物類に気付く。
「シオン、俺たちの荷物袋を持ってきてたのか……」
キャンプ地に放棄してきたとばかり思っていたが、襲撃の夜は護衛品と共に馬車の中で過ごしていたのだ。崖に落ちて四散した荷物袋を、シオンが回収しておいたのだろう。
「中は……うわ、乾パンが引っ繰り返って、パンフレットが粉まみれに……」
「ハル? もし食べ物があるのなら少しくれないか。山小屋にあった干し肉は塩辛くて苦手でね。別のアテが欲しいと思ってたんだ」
注文が飛んできたので、比較的無事な乾パンをどっさりと木皿に盛っていく。
ルシカは筆記の速度を全く落とすことなく山積みになった乾パンに手を伸ばし、そして違和感に気が付き視線を上げて。
「なんだ、その冒涜的な乾パンの量は?」
「冒涜とまで言われる!? これでも俺たちの旅を支えてきた旅の供なんだけど……」
「旅のお供が大量の乾パンだけか。……私なら食料調達係の首を切るね」
痛烈な嫌味を言われた気がして心が寒い。
すごすごと手荷物のほうに引き返し「他に何かなかったっけなぁ……」と中を漁る。
しばらくは目ぼしいものを見つけられなかったが、やがて底のほうで指が心当たりのない感触を探り当てた。
「あー……これは」
じゃら、と小銭がぶつかる音。
摘まみ上げた赤い輝きはシオンが衛兵からだまし取り、もとい施してもらった赤銅貨だった。魔力を含んだ銅貨は時折炎のように赤い輝きが揺らめき、その価値を自ら顕示している。
「そういや換金の話もすっかり忘れ……おわ!?」
手の中の赤銅貨をルシカが掠め取った。
盗賊のような鮮やかな手口とは程遠い強奪行為に目を剥くハルだったが、彼女の視線は赤い輝きに釘付けだ。
「赤銅貨……これは、ハルが?」
「……ええと、俺の物であってそうでもないというか」
弟が騙し取ったものです、とは言い出せないハル。
気まずそうに視線を逸らすとルシカの顔色に呆れが含まれているのだと察して、何か言わなければと口をもごもごと動かすが、それより早くルシカの弾む声が上がった。
「もっと早く言ってくれよ、人が悪いなぁ!」
「いやちが、……え、なに?」
「赤銅貨は切り札になると言ってるんだ。金は力だよ、ハル! 先ほどの私の懸念、これ一枚でだいぶ違う! こんな便利な武器があると知って黙っていたなんて!」
満足げに肩を叩いてくる彼女に、ハルは目を白黒させた。
金は力? まさか投げつけて使うわけではないだろうし、銅貨一枚で一体何の役に立つのか。一方のルシカは頭の上をいくつもの疑問が躍るハルを置いてきぼりにして。
「説明は全員揃ってからだ! 彼らの力がまた必要になるからね。でも私の知識だとそれほど難しくはないアプローチだ。十分に時間もある。ハル、すぐに彼らを――ぁ」
その時だった。
砂漠で水源を見付けた旅人のように喜色に満ちたルシカの顔が、石のように固まった。
「……まさか」
少女の視線が窓の外へ向く。
絞り出す声は戦慄しているように掠れていた。致命的な間違いに後から気付いて、それを思い返す――鉛を飲み込んだような歯切れの悪い声で。
「ハル……私は薬草作りが終わったら、中に入るよう彼らに言ったよな」
キーファたちのことだ。釣られてハルも窓の外に視線を移す。太陽が沈んで薄暗くなる景色を眺めたハルもやがて思い至って首を傾げた。
「そういえば、二人とも遅いな……?」
「ああ――そういうことか! なぜ思い至らなかった! 馬鹿か私は!!」
椅子が横倒しに倒れる勢いでルシカは立ち上がった。
木製の扉を乱暴に押し開け、外へ飛び出していく。知的な彼女からはかけ離れた行動に唖然としたハルも、慌ててその黒い後ろ姿を追う。
外は夕焼けの残滓が世界を微かに赤く照らしていた。
そんな中、ルシカの乱暴な足取りは一切の迷いなく進む。薄暗くなる景色の中、ハルもすぐに目当ての人物の片割れが目に止まる。
「キーファ!!」
怒号を通り越し、激昂とも呼べる声量だった。
青年は切り株を枕に頭を乗せ目を閉じていた。
呼びかけられた声の強烈さに眉に力が入り、しかし無視でも決め込むつもりなのか身じろぎひとつしない。ハルにはその姿が、叱られるのを恐れて寝たふりをする子供のように映った。
「お、おい、ルシカ!?」
ハルの呼び止めも無視して、ルシカはキーファの胸倉を掴みあげた。
「どこだ!」
「っ……何の話……」
「とぼけるな!!」
苛烈な追及に、キーファだけでなくハルの肩も震えた。
彼女はいつも冷静で、窮地でも余裕で、感情を喜び以外に昂ぶらせないものだとハルは思っていた。
大きな間違いであり、誤解だった。
窮地でも不気味なほど泰然とする態度、鋭い刃のような怜悧さ、その全てがルシカから剥ぎ取られ、今の姿こそが覆い隠されていたルシカの本質ではないかと思うほどの、怒気。
「コレットはどこだと聞いているんだ!!」
ハルもようやくその違和感に気が付いた。
冒険団の紅一点、あの天真爛漫な少女の姿を山小屋に来て一度も見かけていない。
薬草樹の採取をまだ続けているはずもない。囮役たちが帰還し、いま再び森は危険な状態になっているのだから。
――ならばいま、彼女はどこに?
「はっ……決まってんじゃねえか……」
内心で生じた疑問にはキーファが答えた。
力なく笑う姿が印象的だった。
胸倉を掴むルシカの手を振り払いもせず、自棄と諦観が混ざり合った表情のまま、取り乱すルシカの様子に精一杯の虚勢を浮かべ、吐き捨てるように。
「……逃がしたんだ。文句あるかよ」
してやった、と野卑に笑う横っ面にルシカの平手打ちが飛んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『コレット、話がある』
薬草樹の採取を終え、山小屋へと走るコレットの背中にそう呼びかけた。振り返った彼女は只事ではない兄貴分の顔色に息を呑んだ。
コレットの手から採取してきた葉や根がこぼれ、切り株の周囲に散らばった。慌てて拾い上げようとする彼女の手を、キーファは素早く引き、強く握りしめた。
『キーファ、さん?』
『拾わなくていい。そのまま聞いてくれ』
出来るだけ冷静な声を出すことを心がけたが、至近距離にあるコレットの瞳は落ち着かずに揺れていた。
怖がらせていることは分かっていた。
自分の顔が今までにないほど強張っているのが分かるのだ。
(初めて会ったときも、怖がらせて泣かせたっけか)
あの時からもう何年経っただろうか。
泣き虫だった子供は、本当に芯の強い少女に成長した。
キーファは、そうはなれなかった。身体ばかり大きくなって、いつまでも我が身が可愛いばかりのチンピラのままだった。
けれど――今だけはそんな自分と決別しなければ。
『……コレット』
ごくり、と彼女の喉が動いた。
揺れていた瞳が力強く頷き返すように光った。
何を言われても応じようという心意気があった。囮役に向かった二人を助けに行こう、そんな無謀な提案すら頷こうという気概が見えた。
本当に勇敢で、善良な妹分だった。
だからこそキーファは、口にしなければならなかった。
『山を降りろ。付き合うのはここまででいい』
『ぇ……?』
突き放すような声に、コレットの心はついてこなかった。
何を言われたのか分からず目を瞬かせ、冗談か聞き違いかと思って口元を引きつった笑みに変える。キーファは表情を変えず、真っ直ぐにコレットの瞳を見返した。
『お前がその気になれば逃げられたはずだ。そうだろ?』
『それ、は……だって……』
『分かってる。俺たちを見捨てられなかったってな』
家族を見捨て、一人だけ生き残ることが怖かった。
逃げるか逃げないかを選ぶとき、コレットはそれを考えることができたのだ。
何も考えられず無様に逃げだした自分とは大違いの、本当にできた妹分。そんな彼女だからこそ、次になんて言うか分かっていた。
『でも、でも私一人だけなんて! 戦います! 私も、一緒に! 最後まで!』
『降りろ。俺たちを救うために、降りろ!』
『え……? えっ……?』
自分だけ助かることをコレットが望んでいないことは分かっていた。
だからこれはキーファの勝手なのだ。
それを押し通すために必要なのは自分だけが助かることへの許しではない。もっと大きな使命感だ。
『山を降りて、助けを呼んでくるんだ。もう俺たちが助かるには、外と連絡を取るしかねえ。騎士団や止まり木に助けを求めるんだ。このままじゃ俺たちは誰も助からねえ! 打開するには、どうしても誰かが外に出なきゃなんねえんだ!』
黒尽くめの女は殺し屋の機人族を、山を囲う山賊の群れを自分たちだけで倒すしかない、などと口にするのだ。キーファは可笑しくて仕方がなかった。
(ザジを、呆気なく殺すような相手に、俺たちなんかが?)
無理だ。不可能に決まってる。
キーファにはとてもそんな未来は思い描けない。
一目見て『戦う』なんて選択肢が頭から飛んだ。たとえキーファの体が虎人族本来の獰猛さを発揮しようと、心が折れているのだからどうしようもない。
だから、逃げの一手なのだ。
誰かに助けを求める、その手段をこそ考えるべきなのだ。
『逃げろと言ってるんじゃない! 助けを呼びに行ってくれ! それはお前しかできねえ! 空を飛べるお前しかいねえんだ!』
空路を使ってコレットを逃がし、外に援軍を求める。
何度考えても生き残る方法はこれ以外にない。何より、この手段なら援軍が間に合わなくても、コレットだけは助かるじゃないか。この手段を何故取らないのか、理解に苦しむ。
『もちろん……危険がないわけじゃねえ。ある意味一番危険な役目だ』
コレットには単独行動を強いることになる。
万が一、何かの間違いで敵の手に落ちれば誰も助けられない。血に酔った暴漢どもが年若い女をどう扱うかは火を見るより明らかだ。
だが、座して手をこまねいていても同じだ。
悪意にまみれた手はもうすぐコレットにも伸び、絡みつく。
それだけは避けなければならない。
『けど、けどさ! 親父だってまだ死んだと決まったわけじゃねえ! どっかで助けを待ってるかもしれねえ! なら、急げばまだ間に合うかもしれないだろ!?』
欺瞞が滑らかに口をついて出る。
この状況でマゴーが生きてるはずがないのに。
不眠不休でコレットが飛んだとしても間に合うはずがないのに。
『俺が死ぬ気で時間を稼ぐ! お前が助けを呼んできてくれるのをずっと待ってる! お前に、俺たちの希望を託すんだ!』
コレットだけは救いたい。
一刻も早くここから逃げだしてほしい。
そのためだけに耳障りの良い言葉を並べ続けた。
言葉を重ねれば重ねるほど、コレットの目元が潤んでいく。
『だけど、皆が……シオンちゃんが危なくて……』
『山のことは俺が全部受け持つ! ばっちり薬作って飲ませてやる!』
『せめて、皆に相談してから……』
『ダメだ! あの女が許すはずねえだろ!』
森を飛ぶな、とルシカは言った。
コレット一人はいつでも空から逃げられるのに、絶対に許さなかった。事前に相談すればまた反対するに違いない。そうなればキーファがどんなに反発しようとも、コレットが折れてしまう。
皆を置いていけない。
協力して頑張ろうと言ってしまう――それでは駄目だ。
コレットに後ろを振り向かせてはならない。
『でも、でもあの人は、ルシカさんは飛ばないように、って……』
『違う! 一人で逃げられるのが悔しいだけだ! いや……森が危険だってのは分かる。だから暗くなるまでは身を隠していろ。陽が落ちれば向こうだって気付きやしねえ』
暴れだしそうな心臓を抑え、ひとつひとつコレットの懸念を取り除いていく。
彼女の反論を時に理屈で、時に暴論で封殺し、自分だけが助かるかもしれない罪悪感を使命感で埋め尽くした。
コレットの瞳から透明な雫がこぼれた。
もう一押しだと長い付き合いで得た手応えに従って、その両肩を掴んで畳みかけた。
『コレット。お前が最後の希望だ』
嘘ではない。キーファにとって最後の希望だ。
浅ましく生き汚くどうしようもない、こんな自分より遥かに生きる価値がある。
コレットだけでも生かすことができれば、たとえこの森で命を落としても――マゴーやザジに胸を張って会いに行けるかもしれない。
(……そんなわけがあるかよ)
せり上がってくる自嘲を噛み殺す。
自分の失態で死なせた家族に合わせる顔なんて、どんな善行を重ねてもあるはずがない。
(けれど、こいつは死ぬべきじゃない)
自慢の妹だ。善良な少女なのだ。
こんなところでキーファに付き合って死ぬべきではない。
『俺にとっての、最後の希望だ。飛んでくれ、コレット』
この地獄から逃げてくれ。
どこまでも遠くへ飛んでくれ。
幸せになってくれ。
明るくて器量よしのお前に相応しい人を見つけてくれ。
今日の傷を過去のものにしてくれるような、優しい相手と巡り会ってくれ。
もう自分には、そんな願いを口にする資格もないけれど。
『キーファ、さん……キーファさ、っ……』
後から後から涙があふれ、肩に乗せたキーファの手の甲をも濡らす。
それが弱々しく首を振るコレットの最後の抵抗だった。
彼女は自分とは比べ物にならないほど利口だ。キーファの浅はかな真意に気付いていてもおかしくはない。
でも、押し切らなければならない。
背中を強く押して飛び立たせなければならない。
『わかったな、コレット』
有無を言わせないよう、語気を強めた。
それが彼女に向けられる最後の優しさだと言い聞かせて。
『助けを、呼んでくるんだ』
重ねた言葉に、コレットの体がよろよろと後ろに下がる。
キーファの手を離れ、服のすそでごしごしと顔を拭う姿を見届ける。
植え付けられた使命感を胸に宿し、希望を背負って飛ぼうとする妹分の姿を目に焼き付ける。
『……絶対に……戻ってきます……』
『ああ……』
『だから……だから、だから、絶対に……』
飛んでいく。
最後の希望が手を離れ、飛んでいく。
もう二度と逢えないのだと、心のどこかで気付きながら飛んでいく。
『絶対、死なないで……」
出会ってから今日までの、彼女との思い出がキーファの脳裏を走り抜けていく。
初めて出会ったときも泣き顔だった。
笑顔を向けてくれるようになるまで時間がかかった。
初めて笑顔を見たとき、しかめ面しか作れなかった幼きキーファにも笑みがこぼれていた。
ちゃんと笑って送り出せただろうか。
少しは成長したところを装えただろうか。
羽根を撒きながら飛び立っていく背中を最後まで見つめ、その姿が消えた途端に無理やり作った笑顔がくしゃりと瓦解した。
『はっ……泣き虫は相変わらずだ、ばか……』
独りになったキーファは、よろよろと樹木に背を預けて泣きじゃくった。
怖い。
死にたくない。
もう誰も信用できない。自分はこの地獄の中で独りぼっちになったのだ。
(けれど、あともう少し頑張らねえと――)
コレットが山を降りるのは暗くなってから。
その間、コレットの不在をハルたちに悟らせてはならない。自分一人が残っていれば、向こうも強くは疑えないはずだ。延々と薬を作って、平気な振りで時間を潰すのだ。
大丈夫。できるはずだ。
家族の、ためなのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「呼び戻せ、今すぐに!」
感情的に振り上げたルシカの右手がだらりと下がる。
非力なルシカでは見舞った相手よりも自身に返る衝撃の方が強かったのか、顔を顰める彼女とは対照的にキーファにはまるで応えた様子がなかった。
「はっ……無理に決まってんだろ? なんだ、アンタでも怒るんだな……いつもニヤついてて気味が悪かったぜ」
切れ味の鈍い皮肉を吐き、嘲笑うキーファ。
ルシカを出し抜いた爽快感など微塵も感じない苦しそうな顔――怒りと罪悪感と恐怖でごちゃ混ぜになり、それを誤魔化すために何とか笑おうとする、そんな笑みだった。
「き、キーファ……なんで?」
「はは、言わなきゃ分からねえってか? ほんっと、花畑みてえな頭してんな、ぁあ!?」
不用意なハルの疑問が呼び水だった。
キーファは肩を怒らせ、手負いの獣じみた形相で睨み付けて。
「機人族を倒す……? ザジもあっさり殺してみせたあいつらを……俺たちだけで? できるわけねえだろうが!!」
「――」
「だ、だいたい、お前らのことなんか信用できねえんだよ!! 飛び入りの雑用係に、突然現れた胡散臭せえ女!! どう信じろってんだ、ああ!?」
喚き散らす。
「どうせ俺たちなんて使い捨ての駒ぐらいにしか思ってねえんだろ? 都合の良さそうな計画を俺たちに信じ込ませて、俺たちが殺されてる間に緩んだ包囲から逃げる……そんな算段だったんだろ!? 見え見えなんだよ、くそっ、くそっ、くそ!!」
ただ喚き散らす。
「俺たちだって選ぶ権利があるはずだ! 誰に命を預けるか、どう生き残るか、自分で選んでもいいはずだ!! 強要される筋合いはねえ!! お前たちの計画を蹴る権利があるはずだ!! そうだろ!?」
叫び倒し、錯乱しながら自らの正当性を訴える。
目を血走らせ、涙と唾を飛ばし、声を荒げる姿を見てハルはその本質を悟った。
キーファは恐ろしくて仕方がないのだ。山を囲う敵にも、同じ境遇に立たされた味方相手でさえも。
「あいつはいつだって飛んで逃げられた! 俺が、俺たちがいなければとっくに飛んで逃げていたはずだったんだ! 無力な俺が、お前たちが、あいつをこの地獄に縛り付けてたんだ! でも、もういいだろ!? お前らの都合に、分の悪りぃ賭けに、あいつを付き合わせなくてもいいだろ!?」
キーファが信じられるのは唯一残った彼女だけ。
敵も味方も恐ろしい世界から、どうにかコレットだけでも飛び立たせてやりたかった。そう思い詰めてキーファは決断し、断行したのだと分かった。
勇気を振り絞る行為だったに違いない。
コレットが飛び立てば、恐ろしい世界にキーファ一人だけが残される。
だから彼はこんなに自暴自棄になっているのだ、とハルにも分かって――そんな彼に、落ち着いてほしくて。
「キーファ、俺たちは……」
「うるせえッ!! お前にだって文句は言わせねえぞ!!」
血を吐き出すような怒号が飛ぶ。
自己弁護で作り上げた頑丈な理論武装が、迂闊に触れようとしたハルへと牙をむく。
「お前は弟を生かす道を選んだんだ! だったら俺だって妹分を助ける道を選んでもいいじゃねえか!! 俺とお前で何が違う!? おんなじはずだ!」
「……それは」
「へ、へへ……誰かを巻き込まないだけ俺のほうが上等さ! いいか、お前に! 俺を糾弾する資格なんて、あるはずがねえんだよ!! だから……ッ」
奇妙な音が山にまで響いたのは、その時だった。
「――――」
風船が破裂した時と同じ、圧縮された空気がパンッと弾けるような音。拍子抜けするほど呆気ない音が空気を切り裂いてその場にいた全員の耳朶を討つ。
喚き散らす声が消えた。
空気の破裂音が耳に入ったからではない。
その音に遅れることほんの数秒、喚く声より空気音より熱を帯びた強烈な『音』を浴びせられたからだった。誰もその音から逃れられなかった。
それは、少女の悲鳴だった。
全ての音を置き去りにするような悲痛な金切り声。
託された願いをあざ笑われ、大切に抱えていた希望を目の前で踏み潰され、打ちのめされた心だけが絶叫をあげている。そんな断末魔に似た声が、どこか遠くの世界へと呑み込まれていくかのような。
「ぁ……」
何が起きたのか、ハルの頭は理解を拒む。
強烈な感情に中てられて視界がぐにゃりと歪む。
何度も何度も繰り返し、ハルの耳を少女の悲鳴が打ち続けている。
それに混ざって頭の中に住まう誰かがけらけらと笑い、何が起きたのかをそっと囁いた。
不信が、ついに誰かを手にかけたのだ。




