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23話 「山小屋にて」







「お疲れ様、ハル。ここまでくれば安全だ」



 背負ったルシカに軽く肩を叩かれ、ハルは疲労の色が濃く滲む息を吐いた。

 肉体的な疲労以上に安心感から来る精神的な疲れが、動き続けた身体に重くのしかかる。渇きに堪えられず、腰の水袋の水を一気に呷ったはずみで咳き込んだ。


「げほっ、げほっ……追ってこなかったな、機人族マキナ


「嫌がらせの効果は上々といったところだね。親しい誰かの命を握られた状態で、進展のない時間は毒そのものだ。指揮官を前後不覚に追いこめば、部隊の動きは鈍るもの」


「……そんなにうまくいくもんか?」


「その子のことが大事であればあるほどね」


 ハルの腕の中で機人族マキナの少女が小さく身じろぐ。

 必要最低限の拘束のみ施されて眠る彼女を、脅迫の材料として利用する今の状況は少し居心地が悪い。


「例の洞窟に寄ってその子を隠しておこう。そのまま連れ帰るわけにはいかないから」


「……? あ、ああ、そうか。そりゃそうだよな……」


 キーファたちにとって短剣かのじょは仲間の仇だ。

 連れ帰れば「殺してやる」と息巻くキーファの姿が目に浮かぶ。仲間内での争いの種になる彼女の存在は伏せておくべきだ、という意見は頷ける。


「けど、目を覚ましたら逃げられるんじゃないか? 身体から武器が出てくるんじゃ縄で縛っても無意味だろうし」


「拘束に聖絹シュラウドを使っておこう。絹は物理的な衝撃にも強い素材だから短剣かのじょの腕力では引き千切れないはず」


「誰かが洞窟の中に入ってきたらまずくないか?」


「うん。対策を一つ練っておこう。活用できるのは聖絹シュラウドだけじゃないしね。……どちらにせよ彼女を抱えて動くと奪還される危険性が増す。この広い山のどこかに隠す方が安定かな」


 ルシカには何か考えがあるようで、ハルも頷いておく。

 常にハルたちは狙われる側で監視マークも強い。今の混乱のどさくさに紛れて、短剣かのじょを隠しておく方が敵の手を広げて隙を生むことにも繋がるかもしれない。


「さあ、休憩は終わりだ。急がないと陽が落ちてしまうよ」


「……って、何でまだ背中に乗るんだよ! 一人で歩けよ!」


「ヤダね。裸足で山道を登るなんてぞっとしない。衝撃はともかく、うっかり足でも挫いてしまえば大ごとだよ?」


 絶対楽をしたいだけだが、無駄な口論に割く時間はなかった。背にルシカ、小脇に少女を抱え再び前進する。


 もちろん体力に問題はないのだが、背と脇腹に感じる柔らかな感触、頬が熱を帯びていくのだけはどうしようもない。意識するまい、と思えば思う程、存在感を増していくのも仕方がないのである。


「スケベ」


 意地の悪い声が耳元で囁く。

 口端を吊り上げたルシカの美しくも底意地の悪い顔と声は、官能的な嫌がらせにも思えてハルはますます俯いてしまうのだった。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「……遅かったじゃねえか。くたばったのかと思ったぜ」


 二人の遅い帰還を景気の悪い顔のキーファが出迎えた。

 山小屋の入り口前に座り込んだ彼は、すり鉢状の道具の中で黄土色の半液状の何かをかき混ぜているところだった。


 周辺にはどろりとした黄緑の液体の入った木椀がいくつも並べられ、樹液を溶かしたような独特の匂いが辺りに漂っている。


「ふふ。囮役を十全に全うしての堂々の帰還だ。そちらの首尾はもちろん上々だろう?」


 ついぞ走ることのなかったルシカが誇らしげに微笑む。後日、彼女に襲い掛かる筋肉痛は間違いなく腕に違いない。


 無論、詳細を知らぬキーファは預かり知らぬことであるし、ハルもわざわざ藪蛇をつつくような真似はしない。彼の目は日干しにされた小椀に向けられている。


「これが、薬草樹アグネイトの特効薬……?」


 ハル達が命懸けで森を駆けまわった成果。

 シオンの命を繋ぐ薬を縋るように見ているとキーファが早口に言う。


「言っとくけど飲んですぐ動けるわけじゃねえからな。原液を直接ってんなら別だろうが、苦くて人が飲めるもんじゃねえ。他の口当たりの良い野草もまぶして日干しにする手間が……」


 すり鉢の中身を掻き混ぜながら、キーファが不満げに吐き捨てる。


「右端のがそろそろマシになってきてる。それ飲ませてこいよ。俺たちで飲ませようとしても、言うこと聞きやがらねえだろうしな」


 言われた椀を手に取ると、ハルはそれを零さぬように大切に抱え、急ぎ山小屋へ。そして入り口の手前、扉に手をかけてから不意にキーファを振り返る。


「ありがとう、恩に着る!」


「……」


 裏表のないその笑顔に、小さく舌打ちをしたキーファが視線をすり鉢に落とす。不機嫌そうにすり鉢の中身を引っ掻き回していると、ルシカが自分の顔を覗き込んでいることに気が付いた。


「……なに見てんだよ?」


 睨み付けるその眼光を、しかしそれ以上に冷たく恐ろしい黒曜石が吸い込む。


「何か隠してる?」


 ゆっくりと、人形のように冷たい唇が動く。

 嘘も誤魔化しも許さぬその表情に、キーファの顔が引き攣り、それを遮るように美しいその顔を睨み上げ牙を剥く。


「……何が言いてぇんだ? 約束通り薬草樹アグネイトを取ってきて、指示通り薬に仕上げた。それに何の不満があるってんだ?」


「らしくない饒舌が引っかかってね。人は隠し事があるとき、聞かれてもないことをぺらぺらと喋りだすものだから。私の考えすぎかな?」


 精一杯張った虚勢が、黒い眼差しに竦む。

 威圧されていると本能的に感じて唇を引き結び、追及から逃れるよう視線を逸らし、彷徨う視線をすり鉢の中身に落ち着かせた。


「……いいがかりはやめろよ。お前が俺の何を知ってるってんだよ」


 絞り出すようなその言葉に、ルシカが詰め寄っていた体をゆっくりと起こす。細い指先を顎に当て、不気味なほどの沈黙とともに純黒の眼差しを向けてくる。


 肌に刺さる、心の奥底を見透かすその視線。

 背を嫌な汗が伝い落ちるのが分かった。


「ルシカ! ちょっと来てくれ!」


 息苦しいほど張り詰めた空気が、悲鳴のようなその声に破られる。


「いま行く」


 自分を呼ぶその声に、短く応じてルシカが歩き出す。

 すれ違うその刹那、流し見たキーファは肩を大きく落とし、安堵するように息を吐いていた。

 しかし、すぐにルシカの視線に気付くと取り繕うように表情を引き締め、また薬の調合を再開する。


「…………」


 不快感にも似た違和感に眉根を寄せるも、今はそれ以上の追及は諦め、ルシカは大きく手を振りながら、山小屋の入り口から自分を呼ぶハルの元へと歩み寄っていった。


「シオンの容体を見てほし……どうした?」


「……いや、何でもない。それで弟くんの様子は? 薬は飲んだのか?」


「あ、ああそうだ! シオンが薬を飲んだ途端に苦しそうな顔で口を抑えて……! もしかして薬に副作用とかあるのか!? 何か知らないか二人とも!?」


 落ち着いて、と慌てふためくハルを宥めつつキーファの方へと振り返る。キーファはそっぽを向いたまま薬草作りに取り組んでいた。


「キーファ、君も一緒に来てくれるかい。機人族マキナ攻略に向けて情報を共有したい。大事な話だ」


「……まだ作業の途中なんだよ。放置したらダメになる。一通り完成させたら行く」


「……分かった。コレットはもう中に?」


「いねぇよ。……野暮用だよ察しろ。戻ったら伝えとく」


「うん……よろしくね」


 違和感は残ったまま。しかしその正体を掴み切れず、そのままハルの急かす声に押された、ルシカは思考を打ち切り小屋の中へ。


 乾燥させた肉類が壁に吊るされた部屋を通り抜けた奥部屋に、件の怪我人は寝かされていた。


(――さて、この子のことはどうするかな)


 シオンが寝かされた木造ベッドも骨組みから頑丈に作られ、その用途を十二分に全うしている。部屋には清潔感があり、手入れが行き届いているのが分かる。


「ウゥ、ゥゥゥウ、グウッ」


 そのベッドの上でシオンは半身を起こし、口元を抑えていた。秀麗な顔を真っ青にして、痙攣を繰り返し、涙をぽろぽろと流しながら苦しんでいる。


 あたかも毒を呷ったかのようなその反応に、反射的にルシカは駆け寄り、手を伸ばす。しかしその手がシオンの身体に触れる直前で手を引き、それからこほんと咳払いをした。


「……ハル。こんなことを大げさにしないでくれないか」


「お、大げさ? こんな苦しんでるのにか?」


「まぁ、苦しむというか」


 気の抜けた顔で腕を組んだまま肩をすくめ、これ見よがしに溜息を吐く。


にがいというか」


「は……?」


 間の抜けた声に応えるように、シオンが口を開く。

 息も絶え絶えと言わんばかりに哀れみを誘う声。


「に、にが、にがひ……うぐ、にがぃ、う、ぉお、ぇぇぇ」


 悲惨な吐露であった。

 鼻孔と舌から全身へと走り抜けていく苦みという苦痛に耐える弟に、ハルは何と声を掛けていいか分からなかった。マシになった苦さとキーファは言っていたが、苦味のある癒薬くすりは弟には辛いのだろう。


「頑張れシオン……帰ったら何でも食べさせてやるからな」


「……ぜ、ぜ、絶対ですよ兄さん……肉串じゃ満足しませんから……王都でも一流のお肉料理ですからね、あのパンフレットを活用する日が、ぐおえ……」


「いま食べ物の話をするのって逆効果じゃない?」


 ルシカの冷えた意見を呼び水にシオンの体が跳ねる。

 自身の想像から生じた肉汁たっぷりのご馳走に生唾をゴクリ。

 勢いあまって口の中に残る苦み成分もまとめてゴクリ。

 暴力的な味わいがシオンの口内を存分に征服し、蹂躙し尽くした。


「ゴフッ……むぐぶ!?」


 紳士淑女にあるまじき暴挙リバースの、その直前。ルシカの白い手がシオンの口を塞ぐ。突然他人に触れられ硬直するシオンに、ルシカは微笑んだ。


「吐きだすような無駄は許さない。飲め?」


「鬼か」


 嗜虐的な顔で直前の暴挙を阻止され、両手両足をばたつかせながらシオンはゆっくりと薬を嚥下する。事が終わりぐったりと粗末なベッドに倒れ伏し、弟はびくんびくんと体を震わせていた。


 暗殺者が秘密を知った者を密かに始末する、そんな仕事風景の一幕にしか見えなかった。


「これで良し。後は安静にすれば助かるはず。それじゃあ君の話も聞かせてもらおうか。ハルと別れてからのことを余すことなく」


「……気絶してるんだが。目も虚ろだしヤバい雰囲気じゃ」


「半開きの口にもう一回薬を流し込めば起きるかな?」


「さては悪魔だなお前」


 シオンの口元を布で拭い、頬に触れているとシオンの目が薄っすらと開いてハルと視線が合う。

 激痛に耐えて汗がにじむ額にも布を当てると、緊張がほどけるような溜息がシオンの小さな口から洩れた。


「……兄さん。その女は……?」


「お前の命の恩人だぞ。怪我の処置をしてくれたんだ」


「そう……なんですか……」


 力なく動く両手が胸の前まで持ち上がり、自らの体を淡く抱きしめながらルシカを見上げた。何かを探るような視線、疑るような目をルシカは持ち前の傲慢な笑みで受け流す。


「ルシカだ。君がハルの……弟? ふうん」


「…………」


「……、」


 無言が続いた。

 突如として張り詰めた空気にハルは驚き、二人の顔を交互に窺った。

 二人の間で無言のまま交わされる何かは分からないが、決して良いものでないことは分かる。強いて言えば敵意か。

 シオンはともかく、ルシカまで同じ反応を見せるのがハルには理解できなかった。


「シオン? ルシカ……?」


「……いやなに。ちょっと通じ合ってただけさ。なぁハルの弟、今は生き残るための話をしようじゃないか。この山を無事に降りること、今の私たちはこの目的の元、協力できる。そうだよね?」


「……異論、ありません……何が、聞きたいんですか?」


 その後、二人が情報を交換し合うのをハルは居心地悪く見守った。

 お互いに対する敵意のようなものを感じ取ったのだ。

 不可思議な緊張感に支配されたこの場から逃げ出したくなるハルだったが、しかし妙な錯覚に襲われてその場から動けない。


 お互いがお互いを見る目が、味方に向けるものではなかったのだ。










 果たし合いのような情報交換が終わった。

 ルシカはシオンが眠るのを確認するより早く部屋を後にし、山小屋に備えられた硬い木の椅子に腰かけ、両の指先を口の前で合わせて何かに思いを巡らせていた。


 そんな彼女に声をかけるのは躊躇われたが、それ以上の沈黙にハルは堪えることができなかった。


「ひょっとして……シオンと知り合いなのか?」


「いいや、知らない。……それが問題だ」


「は……?」


「いや、いい。いま考えるべき問題じゃない。ハル、座りたまえ。材料じょうほうはある程度出揃ったし、一緒に精査していこう」


 深く息を吐くルシカに、やや怪訝そうな顔をしつつも言われた通り向かいの椅子に腰かける。

 確かにいま考えるべきは、無事に山を降りる手段だ。

 それ以外は全部終わってから改めて聞けばいい、と自分に言い聞かせ、ルシカの言葉が始まるのを待つ。


「敵の尖兵を確認したことで、彼らを操る首魁にも辿り着くことができた。短剣ダガーらを使役する男の名をイワンナッシュ・イングウェイ――彼は、ミトラ聖龍国の貴族だ」


「貴族……この国の……?」


「由緒正しき伯爵家、イングウェイ家の四男坊。騎士学校を中退後、表舞台から姿を消し、そしてここ一年で裏社会にのし上がってきた。新進気鋭の殺し屋、人形師マリオネッテとしてね」


「……意味が分からない。そんなでっかい家の貴族が、なんで」


 伯爵家という血筋と、裏社会の暗殺者。

 利用しあう関係こそあるかもしれないが、貴族そのものが刺客として生きるなど想像できない。


「後継者争いから脱落した貴族には珍しくない話なんだ。なまじ貴族だからこそ平民とは価値観が違いすぎてね。中には血に酔って破滅への道を突き進む者もいる」


 混乱するハルに、ルシカは妖しく微笑んだ。


「イワンナッシュはその類のクズだ。必要に迫られて殺しをしているのではなく、定期的に誰かを踏みにじらないと気が済まない」


 誰かを踏みにじることに快感を覚える者。

 支配欲を満たしたい者。

 特権階級を幼い頃から当たり前のように享受する貴族たちの中には、膨れ上がった傲慢さを制御できない者もいる。そんなルシカの説明を受けても、やはりハルには理解ができない。


「さて。肝心のイワンナッシュだが、彼自身に大した逸話や実績はない。彼の最大の武器は、武器の異名コードネームで呼ばれる戦闘用の機人族マキナ。“自分に代わって人殺しの仕事をこなす手足”だ」


「……なんでそんなふざけた奴に機人族マキナたちは従ってるんだ?」


「簡単な話だ。買われた・・・・のさ」


 虚を衝かれたハルが、まじまじとルシカの顔を見つめる。

 冗談だろ? と問う顔にルシカは、冗談だよ、と笑いはしなかった。


「……機人族マキナは人族で、ミトラでは奴隷は禁止されてるはずだ。人を買うなんて許される話じゃないだろ! だって貴族なんだろ!? 国がそれを許してるってのかよ!」


「許してはいないさ。抜け道がいくらでもあるだけで」


「だったら、……それだったら……」


 あどけない顔をした少女型の機人族マキナを思い出す。

 彼女たちは自由に生きる道も選べず、人殺しを強要され続けたのだろうか。


 だとすればそれは地獄だ。

 彼女たちはただの被害者だ。

 思いつめた顔を見せるハルに良くない兆候を感じ取り、ルシカは少しだけ早口に補足を入れた。


「無辜の犠牲者だなんて勘違いするなよ? 彼女たちには人を恨む土壌と歴史があり、誰かを傷つけて自分を保とうとする集団でもある。……君が同情を向けるに値するとは思わないね」


 それは冷たい言い様にも聞こえた。

 けれどハルの迷いを断ち切るための言葉にも聞こえた。

 それでもまだ唇を噛み締めるハルに、ルシカは更に言葉を重ねた。


「君が迷えば、君が死ぬ。君が死ねば私が、君の弟が、狸亭の冒険家が死ぬ。……彼らの質の高さを実感したはずだ。あの短剣ダガーでさえ彼らの中では格下だ。私たちに、彼女たちの事情をおもんばかる余裕なんてないんだよ、ハル」


「……あれで、格下」


 森という地形であることを差し引いても短剣ダガーは強かった。

 隠密性と機動性は言うに及ばず、先手を取ったはずのハルを相手に後の先を取ってみせる敏捷性は凄まじいの一言だ。


 ハルの体が規格外に頑丈でなければ、続く第二撃がハルの喉を裂いていた。そんな相手が、機人族マキナの中では弱者だと言う。


「だから……まぁ、驚いてはいるんだ。君の弟がランスを討ったと聞いてね」


 その事情を鑑みれば、ハルと別れた後のシオンの行動はすさまじい。

 囮役となり、多くの山賊を次々と切り殺し、ついには冒険家のベテランですら敵わないと言われた敵主力の一人を斬った。あの短剣ダガー以上の殺し屋を、たった一人で。


ランスは最初期からイワンナッシュに仕えた古株で、アクスに次いで厄介な相手だった。相打ちとはいえ逃亡の最中に倒してしまうなんて、にわかには信じがたい。この証言、私は鵜呑みにしていいのだろうか?」


「あいつは誇張や見栄なんて張らない。シオンは天才だ。俺は驚かない」


 信頼に寄り添った虚言ではなく、ただ事実としてハルは弟の証言を肯定した。

 むしろ深手を負って現れたことのほうが今でも信じられないぐらいだと。


「オーガの力を持った君よりも?」


「俺じゃ相手にもならない。シオンより強い剣士を、俺は知らない」


「ふうん……」


 ルシカの返事にやや不機嫌なものが混じりハルは小首をかしげるが、眉根を寄せて顔をしかめる彼女の様子に口を噤む。一拍置いてルシカは首を左右に振る。


ランスの脱落は喜ばしい。けれど、決戦を前にあの子の力を借りられないのは痛いな。キーファたちに期待するのも酷だろう。残りは、私たちでどうにかするしかない」


「残りは何人いるんだ?」


「増員していないなら三人。どれも一筋縄ではいかないが、やはり特筆すべきは斧使いの執事……イワンナッシュをここまで押し上げた立役者だ」


 名を挙げられ、山を崩した斧使いの執事を思い返す。

 笑みを張り付けた顔。浅緑色の髪に長身痩躯。得体の知れなさの裏で、短剣ダガーに対する交渉ではルシカに後れを取った人情深い機人族マキナ


「彼は他の機人族マキナの才能を見出して鍛え上げた師であり、イワンナッシュに代わって部隊をまとめあげる指揮官であり、裏社会でも指折りの戦士でもある。山を斧ひとつで崩したという話も、彼の仕業だと言われれば納得がいくよ。『ああ、そいつなら出来るかも』ってね」


「……あいつも、買われたのか?」


「いいや。彼は自ら志願してイワンナッシュの配下に収まった。……不思議だろう?」


 確かに不可思議としか言いようがなかった。

 彼には命を狙われたし、旅仲間を死に追いやった仇でもある。

 けれど部下の命を見捨てられず、ルシカの脅迫に狼狽してみせるような人間性があったのも事実なのだ。


アクスはイワンナッシュのような性格破綻者とは違う。むしろ私たち人間族ヒューマン以上に感受性は豊かで、どちらかといえば善人だ。もちろん彼は他と違って生き方を選べたし、表舞台でも成功できたはずだった」


 イワンナッシュの時はすらすらと答えて見せたルシカでさえ、思わず零れたハルの呟きに明朗な答えは返せないようだった。


「どうあれ、目下最大の脅威はアクスだ。私は今までずっと考えていた。彼をどう倒せばいいか。あるいはどう止めるか。そうでなくてもどう凌ぐか……」


 丸テーブルに頬杖を付き、黒曜の視線がハルを射貫く。

 その額には汗がにじみ、苦境を証明するかのように乾いた笑みが零れていた。


「ふふ、自分でも嫌になったね。『倒す』が『止める』になり、そして『凌ぐ』まで作戦目的を落としてもまだ答えが出ない。確実な手段を用意できない。事前準備もなしの浅知恵を、彼が平然と踏みつぶしていく光景が頭から離れない」


「そんなに、強いのか」


「強い。機人族マキナが敵と聞いて、私は真っ先に『彼』でなければいいと思った。私の知る限り、暗殺稼業に従事する数百の機人族マキナの、その頂点にかれがいる」


 背もたれに身を沈め、ルシカは嘆息した。

 草臥れた仕草が妙に板についている。

 ぼんやりとその動作に目を奪われていると、不意に黒曜の瞳と視線が絡み合い、バツが悪くなり目を逸らそうとした、その直前――ルシカはずい、と立ち上がって机に身を乗り出した。


「いいかい、ハル。今から君に彼らの知識を話しておく」


「ち、近い。じゃない、知識?」


「そうだ。今夜、彼らは仕掛けてくる。もちろん私も迎え撃つ策を講じるが、乱戦は避けられないだろう。だから、彼らが有する攻撃手段から切り札、その対処法を覚えておくんだ。きっと君の助けになる」


 なるほど、とハルも頷いた。

 短剣ダガーとの戦いもルシカの情報があってこそ不利を覆すことができた。手の内を最初から知っておけばそれだけで優位性アドバンテージを取ることができる。

 よし、と意気込んで戦意を高揚させるハルだったが、相反するようにルシカの声はやや冷たい。


「ハル。彼らは一流の殺し屋だ。君の頑強さには目を見張るが、それを過信しないように。一人一人が君より格上だと考えて行動するんだ。君の知る最強の剣士さえ、最後の詰めを誤って死にかけていることを忘れるな」


「……お、おう」


「頭を冷やしたなら、ついでに二つ、忠告を頭に叩き込んでもらいたい」


 ルシカの指が、唇の前でひとつ立てられる。

 彼女が言葉を紡ぐには数秒の間があった。

 その数秒が、彼女がこれから言う何かは、決して聞き漏らしてはいけない忠告なのだと、ハルに理解させた。


「ひとつ。幸運にも人形師マリオネッテと出くわしたなら、彼に時間を与えるな。君の膂力なら横っ面を殴りつけるだけで勝負は決まる」


「……? 時間を掛けるとどうなるんだ?」


「詳細は省くが、手が付けられなくなる・・・・・・・・・・とだけ。万が一が起きれば私たちの勝ちの目がなくなる。だからイワンナッシュは速攻で潰せ。分かったね?」


「……分かった。もうひとつは?」


 聞き返すと、ルシカは椅子から立ち上がり山小屋に備え付けられた小窓から外を見た。

 太陽が沈み始め、徐々に空が朱に染まっていく。

 振り向いた彼女の顔は逆光に遮られ、その表情を見て取ることは出来なかった。


「決してアクスと戦ってはならない」


 緊迫した声音に、どうして、などと問い返すのは愚だと理解させる。

 夕闇に顔色を攫われた彼女が、いまどんな顔をしているのか推し量るまでもない。



 きっとハル自身も同じような顔をしていて、ルシカからはそんな間抜け面が丸見えになっているに違いないのだから。






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