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21話 「短剣 -ダガー-」







 威勢の良い掛け声や恫喝を含んだ笑い声。逃亡者の逃げ腰を笑う猟犬たちの喝采――それに覇気が無くなってどれぐらい経つだろうか。


「無尽蔵の体力とは、ああいうのを言うのでしょうね」


 森を一望できる丘に陣取り、アクスは感嘆する。

 呟きは何十人もの追っ手を振り切って走る敵への賛辞であり、溜息は山を賑やかすばかりの友軍への失望だ。


 西へ東へと駆け回る標的は疲れ知らずの一方で、それを追う猟犬たちは情けなく根を上げ次々と山中に転がっていく。


「他人事のように言うんだな、アクス。何故お前が追わない?」


 その背に無機質な声が飛んだ。

 周囲に人影はないが、声の主はアクスのすぐ傍から上がった。応じるように首肯してアクスは視線をやや足元に向けた。


「狙いを図りかねています。アレを仕留めるには時間を要しそうだ。向こうの思惑に軽々と乗りたくない」


 逃亡者は追跡を振り切っては速度を落とすことを繰り返している。逃げ筋もでたらめで目的も感じられず、断じて森の包囲を突破するための動きではない。


 明らかに彼らは囮として動いている。

 早い段階でそれを読み切った機人族マキナの司令官はしかし、何故ここで陽動作戦を取ってきたのかという相手の狙いを図りかねていた。


「標的の人数が合わない、とも聞いたが」


「九人目のことですね。黒衣の女性が彼らと行動を共にしているようで。偶然居合わせたのか、最初からどこかに隠れていたのか――何かの入れ知恵をしたのは、その女性やも」


 彼らが何かの目的を以て人数を分けた。それは間違いないだろう。問題は別動隊にどんな役目が与えられたのか、だ。


 現状、姿を消しているのは止まり木所属の銅貨級ブロンズが二人。そしてランスと壮絶な死闘を演じた例の剣士。


 最も警戒すべきは機人族マキナの主人に直接狙う奇襲だ。だが森に潜む主人の居場所をどうやって索敵するつもりなのか。やはりこれも腑に落ちない。


「彼らの狙いを見極めている間に、猟犬の方々が陽動組を捕まえてくれないか、と。せめて体力だけでも削ってくれないかと思いましたが」


 居場所が判明している陽動組は脅威ではない。

 だが多くの山賊たちを斬り殺し、更には機人族マキナの副司令官に当たるランスまでも討ち取った剣士を見失う現状はあまり歓迎できない。山賊たちを斬り殺して居場所を晒してくれれば助かったのだが――


「虫の良い話だったか」


「ええ。盤面を動かす時ですね。陽動組の監視に一人、念のため若様の護衛にも二人置きました。残る我々で別動隊を潰します。……どうでしょう、見つけられますか?」


「僕の機能を望遠鏡代わりに使われるのは心外だが」


 燕尾服の足元に突如、伏せた姿勢の青年が現れる。

 黒タイツに鉄製帽ヘッドギア――晴天の真昼間では悪目立ちする姿を陽炎のように揺らめかせながら青年は森を睥睨する。


 かしゃり、かしゃり。

 瞳孔の奥が切り替わり肉眼がはるか遠くで夜の訪れを待つ虫の動きまで余さず捉え、そして。


「――発見した」


 達成感も感じさせない無気力な報告に、燕尾服は苦笑を禁じ得ない。


「さすがは我らの隠し玉。仕事が早い」


「こんな仕事で褒められても嬉しくない。ポイントK地点。動いてはいない。しゃがみ込んで……なんだ? なぜ木の根を掘り返している?」


「木の根を……?」


 予想外の報告に眉を顰めるアクスだが、やがてひとつの可能性に思い至る。


「人数は?」


「二名。特徴から銅貨級ブロンズの二人と判断」


「……なるほど。そういうことですか」


 答えに辿り着き一人納得した様子の燕尾服に青年は肩をすくめ、右手の指で符丁を出す。

 説明を求める、という合図に燕尾服も応じる。


「彼らが採取しているのは恐らく薬草樹アグネイトの根、回復薬の原料ですよ。重傷人を抱え、どうにか根を採取するために森に降りた。これが別動隊を分けた狙いでしょう」


「なぜ見捨てない? 陽動を走らせてまで助ける意味は感じない」


「その怪我人が人形師一座われらの一人を討ったからだ」


 改めて口にした言葉が強い熱を纏っていたことに我が事ながら驚いた。常に笑みを心がける自分にとっては未熟を示す高ぶりを恥じて頭を振り、口元に笑みを貼り付けているか再確認。


「負傷しているのは彼女ランスを斬った例の剣士。痛み分けとは聞きましたが、薬草樹アグネイトに頼るとなると致命傷に近い傷を負っているのでは」


「そうか。敵は随分とお粗末な勝ち筋を追ったな」


 ぶっきら棒な寸評に燕尾服も内心で同意する。

 確かにランスを討つほどの腕利きが命を繋ぎ、再び剣を握れるようになれば脅威だ。陽動を敢行することに価値を見出すかもしれない。

 ただしそれは、別動隊を発見された瞬間に瓦解するか細い糸だ。


「いつでもいい。れる」


 青年が許可を求める。

 己が得物を構える仕草を見せ、背中に翼を生やした少女の額へと照準を合わせて無機質な殺意を向けている。しかし燕尾服の青年は、その肩を引いて静止した。


「いえ。私が行きます」


「……まさか僕には望遠鏡以上の能力がないとでも?」


「あなたの腕を疑うはずがありません。ですがこの場で殺すより、泳がせたほうが得策だ。彼らを尾行し、拠点を暴いたうえで諸共に討つ」


 肩に乗せられた手に力が籠もる。

 一切の反論を許さないとという意思が伝わり、青年は不服げに了解の意を告げて顔を上げる。ついでに肩に乗る手を乱暴に打ち払って、ひと睨みを返し。


「入れ込みすぎだ」


「そうでしょうか……ね」


 そうかもしれない、と誰にも聞こえないほど小さく呟き、別動隊の方へと歩き出す。

 懸念していた強敵が虫の息なら後は流れ作業だ。

 拠点を暴き、別動隊の二人を斬り、仲間の仇である剣士を討つ。囮役の二人を最後に片付け、この仕事もつつがなく終わりを迎えるだろう。


 背後から怪訝そうな声が届いたのは、その時だ。


「……報告ならアクスにしろ、短剣ダガー


 短く呟き、青年は一方的に通信を打ち切った。

 与えられた役目の性からか、彼は通信越しの会話を好まない。不機嫌そうに口元を引き結ぶ様子に燕尾服の眉根が寄る。


「あなたに通信を? 新入りのシールドならともかく短剣ダガーが、ですか? 彼女がそのようなミスをするのは珍しい」


「……」


「……おっと」


 時をそれほどおかずアクスの耳に取り付けておいた通信機に反応があった。まず間違いなく陽動組の二人を追う彼女・・からの報告だろう。


「痺れを切らしてきたか、陽動組に何かあったか」


 敵の狙いが読めた以上、主の守りを厚くする必要はない。

 余剰戦力として残しておいたフィストあたりを援軍に向かわせる案を思い描きながら応答する。


「報告を」











 時間は少し遡る。

 山賊団のある男は肺に貯めていた空気を全て吐き出し地面に転がった。忌々しげに顔をどうにかあげると、小さくなっていく背中越しに愉快そうな声が走る。


「はっはっはっは!! ようやく限界か! 楽しかったよ、また挑戦したまえ!」


「うぉえっ……げほ、ゲホッ……くそがぁ……!」


 手を振る女を恨めしく見送って男は呻く。

 いつまでも男に抱えられてるくせに態度がでかい。

 女を抱えて何十人もの追っ手から逃げ回り、一向に底を割る気配のない少年の体力に男は舌を巻いた。


 だが、と男の口元が歪む。

 彼らの進む道の先に透明な糸が仕掛けられている。男が追い回している間に、仲間が仕掛けた罠だ。足を引っかければ網が飛び出し、二人を絡めとるはずだ。

 散々馬鹿にしてくれた女の間抜け面を見てやろうと顔を上げて――


「――ふうん」


 笑みを消した女の瞳と目が合った。

 身体の芯から凍えさせるほど冷たい黒曜石の眼を細めると、おもむろに少年の肩を叩く。


「ハル、罠だ。来た道を引き返そう」


 怜悧な声に応え、少年の足が止まる。

 あまつさえ倒れ伏した男のほうへと引き返してきて男は泡を吹いた。

 足に力を入れて追いすがろうとするが、膝が笑って間抜けな転倒を重ね、ついにはすぐ横を走り抜かれた。

 すれ違いざま、女は皮肉という毒を込めて微笑んだ。


「残念、ご苦労様」


 肩を叩かれる錯覚に囚われ、男は敗北感に打ちひしがれて地に拳を叩きつけた。その様子までを余すことなく堪能したルシカはますます機嫌を良くしながら声を張る。


「いやぁ愉しいな! 風を切って走る爽快感、どんどん追い抜いていく景色! 滅多に味わえない経験だ! こんな速度で走れる君たちが羨ましいなぁ!」


 意識して吐き出す彼女の声は、森を巡回する追っ手たちへの目印だ。釣られて男たちがルシカを見つけ、追い回し、それをハルが振り切っていく。


「しかし君は体力は本当に底なしだな! 黒繭コフィンを担いで逃げまわったというのも頷ける! もっとも、その時に比べれば色々と役得だろうけどね! 私も運賃を払うと思って少しぐらいの粗相は目を瞑ろうじゃないか!」


「うるせえよ! ほんと楽しそうだなお前!!」


 定期的に吐き出す息遣いを変えないまま、文句を吐く。

 ハルにとっては命賭けの逃避行だ。

 足を縺れさせれば取り返しがつかず、自分以外の誰かの命も一緒に取りこぼす。そんな緊張感をもって臨んでいるというのに、命を預けた当の本人ときたら童女のように無邪気なものだ。


「楽しいとも! こんなに楽しいのはいつ以来だろう!」


「お前は人生まいにちすげえ楽しんでますって面だろうが!!」


「そんな心ないことを言うひとには意地悪したくなるなぁ、こう、ごそごそっと」


「やめろじっとしてろ! 持ちづらい!」


 ルシカと密着している箇所はかなり際どい。

 しなやかで柔らかい肌にハルの指先が沈み込んでいる。黒服の下は薄着か地肌なのか感触が妙に生々しい。


 特に度し難いのが右手だ。

 ルシカの背中から回って脇を抱えているのだが、飛び回る衝撃のたびに勢い余り、時おり右の膨らみをなぞってしまって眩暈がする。ルシカ本人はまるで頓着しないものだから、ハルのほうで気を使うしかない。


「せめて背中に乗り直せ! 同じ姿勢で腕がだるい!」


「無理だね! この速度だぞ! 私の腕力でしがみつけるわけがないじゃないか!」


「そのどうだ参ったかって顔なんなの!? 誰に勝ち誇ってんの!?」


 説得を諦め、森を縦横無尽に駆けまわる任務に集中する。

 今のところ問題はない。

 体力はまだまだ余裕があるし、罠はルシカが看破する。

 山賊団の連中を大いに攪乱しているという手応えもある。このまま連中を振り回して――


「――?」


 小さな違和感が背中を走り、ハルは地面を蹴る力を更に強めた。

 一歩一歩を大股で散乱した枝葉を跨ぐ。

 腕の中のルシカが急な速度の変化についていけずにバランスを崩しかけ、ハルは彼女の肩と腰に回す手に力を籠める。


「ハル?」


「……悪い、ちょっと無理するぞ」


「え? うわっ……!」


 進路を独断で変える。

 小高い丘を駆け上がるが、その先には足場がなかった。

 ぽっかりと口を開く小さな奈落に向けて、躊躇わずにハルは勢いよく体を投げ出した。


 三秒ほどの滑空。


 浮遊感にルシカが体を強張らせ、ハルの首に縋りつく。

 体の柔らかさに意識が一瞬飛び、慌てて足をばたつかせて地面に着地。上下に激しい衝撃が走り、ハルの耳のすぐ傍でひゅ、と息を呑む女の声が艶めかしい。


「はぁ……はぁ……! お、おい、もっとしっかり抱いてくれよ、ハル!? この速度で落ちたら私は死ぬぞ! 本当に死ぬぞ!」


「…………っ」


 涙目な文句に拘泥こうでいせずに走り出す。

 悪路を敢えて選ぶ選択は、追っ手の影を感じたためか。しかし肩越しに後ろを見てもハルたちを追う何者かの姿は見えず、ルシカは服の裾を引いた。


「……どうしたんだ? 後ろには誰もいない。この速度の君に追いつける者なんてそうそういないさ。むしろペースを落とすべきだ。少し休んで息を整えて……」


「いや……」


 重苦しい言葉が返る。

 ルシカは怪訝そうな顔を一瞬浮かべたが、やがて自分の言葉のほうが的外れだと気付いた。

 自分を支えるハルの腕から、乱れずにいた呼吸の荒さから、額を伝う汗が、苦しそうに唇を噛む仕草から、危難が迫る気配を感じ取ったのだ。


「ダメだ。一人めちゃくちゃ早い奴がいる。逃げきれない」


 呟きを証明するように『それ』は現れた。

 猛速で駆けるハルの背後より迫るは、鉄製帽ヘッドギアで目元を覆った未成熟な体躯の追跡者おんな

 小柄な体躯を最大限に活かし、樹から樹へと飛び移りながら追ってくるその速度は、信じられないことに、地上をただ走るハルよりも速い。

 常識では考えられない機動力で迫る告死の人形が口を開く。


「こんにちは……」


 与えられた名は短剣ダガー

 少女の薄い唇が小さく標的の死を予告する。



「……さようなら」



 樹木の影からキラリと光が奔った。

 風を切る光弾がハルの背中めがけて飛来し、ルシカが何か声を上げるよりも早くハルが左足を強く横に蹴る。

 土が派手にめくれて跳ね上がり、光弾が正確に跳ねた土くれを縫い留めた。


「ぐっ……!!」


 横へ跳んで崩れた態勢めがけ、番えられた矢が飛来するような風切り音が迫る。

 息つく暇もなく大地を蹴る。

 胸の中にルシカを抱えたまま地面を何度も転がり、それを追うように一秒前までいた場所に凶器が刺さる。


「杭? いや……」


 飛来する光弾の正体をルシカは見た。

 杭に似た形状の剣だ。特徴的な文様が刻まれた細長い刃は銀製の輝きを示し、地面に刺さったとは思えないほど重い着弾音が死を予感させる。

 巻き起こる土煙で顔を汚しながら、ハルは背負っていた大剣に手を伸ばした。


「ルシカ! 俺の首にしっかりしがみつけ、手を離すぞ!!」


「冗談だろう? ……うわぁあっ!?」


 ハルは横薙ぎに大剣を一閃。

 体をコマのように一回転しながら、飛来してきた短剣を五本まとめて弾き飛ばす。


「重っ……!?」


 鋭い刃の射出に手が痺れてハルは瞠目する。

 一方、首にしがみ付いたルシカの体も回転の動きに忠実に従ってぐるりと一周。重力に従ってハルの革鎧に勢いよく体をぶつけて呻くと、喘ぐように酸素を求めた。


「はぁ、はぁぁ、め、めちゃくちゃだぞ、ハル! 今よく手を離さなかったと自分を褒めてやりたい!」


「文句は後だ! くそっ、どこにいる!?」


 首にルシカを縋り付かせながら両腕で大剣を構え、樹木を背にして周囲を見回す。

 しん、と無音の世界が二人を包んでいた。鳥の鳴き声も虫の音も聞こえない不自然な静寂が、息を殺す襲撃者の存在を暗に示している。


(こちらの出方を――?)


 ――窺っているのなら先手を取るべきだ。


 その判断をするのに一秒。

 その判断が既に手遅れだと気が付くのに、さらに一秒。


「ッ!! ぐっ、ぁぁぁあぉ!?」


 ゾワリと背筋を走り抜ける死の気配に怯え、ハルは咄嗟に背後の樹を蹴って前に飛んだ。

 受け身を一切考えない緊急避難。片手で大剣、片手でルシカの頭を庇いながら無様に地を転がったハルは即座に顔を上げ、そして自分の選択が正しかったことを知る。


「――惜しかった……」


 短剣ダガーはそこにいた。

 ハルが背を預けた樹の上から、枝をつたって獲物を狙う蛇のように忍び寄ってきたのだ。

 奇襲が失敗に終わり、口元を不満そうに尖らせた彼女の小さな体があっという間に樹の上へと消えていき、再びその気配が消える。


(ここはだめだ、場所が悪い……!)


 彼女の隠密能力は、森の中では抗いきれない脅威だ。

 それに加えてルシカの存在も危険に拍車をかける。彼女は咄嗟の判断で動くハルに付いてこれていない。二度の攻防に振り回されただけで息も絶え絶えだ。


「走るぞ! そのまま掴まってろ!」


 返事も待たずにルシカの体を抱えて駆けだした。

 森の中にいる限り短剣ダガーの優位性は動かない。足を止めては狩られるだけだと足を踏み出し、それに反応して杭に似た投げナイフが再び投擲される。


 ジグザグに走って躱し、大剣を振るって弾く。

 一度、二度、三度、四度。少しの間隔が空き、もう一度最初から。


 躱す。弾く。躱す。弾く。


 猛攻が止まらない。

 防いだ短剣の数は優に百を超えてなお尽きる気配がない。


「何本持ってるんだ、あいつは!?」


「は、はっ……機人族マキナ機構兵装きこうへいそうか……」


 何度も体を左右上下に振り回されたルシカが、どうにか息を整え言葉を紡ぐ。


機人族かれらは体内に無数の武具を格納している、いわば歩く武器庫、はぁ……弾切れを期待しているなら諦めた方がいい……打ち止めになるより私たちがハリネズミになるほうが早い……」


「こっちは大剣これ一本しかねえのに……!」


 馬車の前に立ち塞がった燕尾服の機人族マキナを思い返していた。山を崩す直前、どこからともなく岩の塊に似た大斧を取り出したあの男――釈然としない思いが口を突いて出る。


「質量とか重量とか、明らかに無視してねえか!?」


「そういう、ものだよ、はぁ、機人族かれらは人の姿を取った、魔導品アーティファクトなんだから……はぁ、魔剣や魔道具に、常識が通じるものか、はぁ」


 とにかく今は森を抜けるしかない。

 しかし地面を蹴るハルの耳元で、首に両腕を回してしがみつくルシカが苦しそうに囁いた。


「ハル……はぁ、まずい……」


 この上でまだ悪いことがあるのか。

 歯噛みするハルの耳元で艶やかな息をこぼすルシカが、額に玉のような汗を光らせて息も絶え絶えに続けた。


「腕が痺れてきた……もう掴まっていられない……」


「甘えんなボケエ!?」


 超反射的に叱咤するが、ルシカの反応は芳しくない。

 顔を青くしながら腕を、肘を、肩をがくがくと震わせる様子は決して空気の読めない冗談や酔狂からの言葉ではなかった。やせ我慢の後半まで差し掛かっているのが声で分かる。


「自分で付いてきたんだろうが!? 死ぬ気で掴まってろ本当に死ぬぞ!」


「だから、か弱いって、言って……」


「言ってる場合じゃ、あ、こら! ずり落ちてる! おい!? マジかお前!? 待てってぅうおううお!?」


 限界はまもなく訪れた。

 ルシカの手から力が抜けていき、やむを得ずハルもまた足を止め、抱きしめて体を支える。

 その度し難い隙を見逃してくれるはずもなく、無防備に立ち止まった二人めがけて雨の如き激しさで杭剣が降り注いだ。


「くっそ、だらぁあああ!!!」


 ハルは雨をいちいち目で追ったりはしなかった。

 手早くルシカを降ろして仁王立ちし、振り向きざまに大剣の腹を向けて団扇で仰ぐように振り回す。

 広範囲に及ぶ剣の軌道が飛来する杭剣を打ち落とす。


 三度、四度。

 柄を握るハルの手に不吉な手応えが伝わった。

 剣は腹の部分で殴るように作られていない。絶望的な破砕音が鳴り、大剣が真ん中から圧し折れて破片が宙を舞った。


「ちいっ!」


 両腕を広げルシカの前に立ち塞がる。

 肉を突き破る杭のいたみを想像し身を固くするハルだったが、予想に反して待っていたのは宙を舞う大剣の刃先が地面に刺さる音が耳に入るほどの静寂だった。


「……追撃が、こない?」


 絶好の機会を見過ごす不可解な動きに、手持ちのナイフが底を尽いたか、と淡い期待が脳裏をよぎる。その呟きに応えるためではないだろうが、樹々の影からゆらりと小柄な影が姿を見せた。


「お前が……?」


 ハルと比べても頭二つは小さな彼女の姿に面食らう。

 腰にく特徴的な杭剣。

 ぴっちりと肌に吸い付く扇情的な黒タイツの衣服。

 目元を隠す鉄製帽ヘッドギア越しにも感じる視線、肌に突き刺さんばかりの激しい敵意を燃やし、両の拳を握り締めていた。


「ずるい」


「え?」


「何が違うのですか。私と同じ、足手まといなのに」


 射殺さんばかりの鋭い眼光がハルへ――否。その背に庇われたままの黒尽くめの少女へと向けられる。


「守ってもらえるなんてずるい。助けてもらえるなんてずるい。見捨てられないなんてずるい。その人生の上で、胡坐を掻くなんて、憎い」


「な、何を言って……」


機人族わたしたちには、そんな当たり前なんて、もらえなかったのに。憎い、憎い。守ってもらえるあなたも、体を張って守ろうとするあなたも、キライ」


 押し殺すような声がただ一つだけの事実を突きつける。

 少女の全身を焦がす炎の如き憤慨だ。

 瞳の奥に殺意を漲らせ、姿をさらした暗殺者――その無駄とも思える行動が、機械仕掛けの少女に残された僅かな人間性の残滓に見えた。


「本当は、監視と牽制だけだって言われた、けれど、やっぱりだめ、だめです、先生……耐えられない」


 空へと向く呟きは、誰かへの懇願。

 彼女の呟きの中で理解できることはただ一つ。ハルたちの行動の何かが、彼女ダガーの逆鱗に触れたのだ。


否定ずるい否定ずるい否定ずるい。こんな光景、私、認めない。貴方たちの首を掻き切らせて――」


 呟きが唐突に打ち切られた。

 黒タイツの少女は右の太ももに指を掛けると、勢いよく衣服を引きちぎる。

 細い生足が露になってハルを更なる混乱の境地に陥れる中、少女の太ももを中心に亀裂が走り、そこから歪な形をした黒い鎖が出現した。


 登攀に使うワイヤーと杭剣を合わせた形状――先端部分は鋭い刃で、その先の鎖は未だ剥き出しになった短剣ダガーの太ももに出来た亀裂の先へと繋がっている。少女はその先端をハルたちにではなく、近場の樹木に勢いよく突き刺して、その姿が繁みの奥へと消える。


「……退いた?」


「いいや……ここを狩場に定めるための、仕掛けだ」


 痙攣する両腕をなぞりながらルシカが息を整えつつ森を見渡す。変化はその直後だった。


 これまで草葉を揺らす騒音ざわめきさえ感じ取らせなかった暗殺者は、その信条をかなぐり捨て鉄鎖の音を撒き散らしながら二人の周囲をぐるぐると旋回し始めた。


「なんだ……!?」


「――網を、張ってるんだ。万が一にも獲物を逃がさないための狩り場、身軽な自分が空中を縦横無尽に跳ぶための足場を」


 白い指先がある一点を指し示す。

 樹と樹の合間に黒い鎖の線路が敷かれているのが見えた。

 鉄鎖が巻き付いた大木はしらが包囲網の楔となってハルたちを囲み、唖然とする間に二重三重と積み重ねられて堅牢さを極めていく。


(封鎖が完璧になる前に……)


 圧し折れて頼りない大剣の柄を強く握る。

 高速で旋回する暗殺者を捉えんと一歩前に踏み出し、しかし思い直して立ち止まる。


(いや、だめだ、ルシカの傍を離れるわけには)


 無理な攻勢に出て暗殺者しょうじょを仕留められたとしても、背に庇う少女を守り切れなければ何の意味もない。彼女の命を絶つには、たった一本の杭剣ナイフで事足りてしまう。


 軽々な判断はできない。

 逡巡のうちに暗殺者の狩り場は完成を迎えつつある。

 全方位から不規則に鉄が擦れ合い、神経を尖らせるハルの心を乱した。自然界では有り得ない鉄の異音が刃の音を連想させ、その都度、ハルの緊張の糸をついばんだ。


 口の中が渇き、緊張で喉が干上がる。

 時間を追うごと心臓の鼓動は激しくなる一方で、それは背中に庇う少女への憂慮によるものだ。


(このままじゃ、また、守り切れない――!)


 臆病な心が果敢な選択肢を縛り、良い方策を思い描けないまま悪戯に時間が過ぎる。


 思考が泥沼に沈んで悪い想像ばかりを無様に吐き出し、ついには剣を握る指にまで震えが――


「落ち着いて」


 冷や汗で濡れた背に、ひんやりと冷えた掌が添えられた。

 混乱と気負いで沸騰したハルを我に返らせる、どこまでも合理を突き詰めた低い声が耳朶を打つ。


「君に救われた命だ。足手まといだと感じたならば見捨てて走り去ってもいいし、囮に使ってくれても構わない。君だけが責任を背負う必要はない。だが――」


 区切った言葉の先には、ささやかな憤りが込められた。


「敵は一人で、我々は二人。ならば勝てない道理はずはない。そうじゃないか、ハル?」


「――ぁ」


 ハルは一人で戦おうとしていた己を恥じた。

 二人で戦おうなんて考えもせず、ルシカを是が非でも守らなければと気負って――そう。あの暗殺者しょうじょの言葉通り、足手まといとして扱っていたのだ。


「私は、暗殺者かのじょを̪っている。どんな来歴を辿り、どういう主人に仕え、どういった戦法を多用し、どれほど憎悪を抱えて生きているのかを」


 ルシカの声に熱が籠もる。

 背中合わせの姿勢を作り、両手をハルの腰へと回して衣服を力強く引っ掴むルシカの所作から、自分ハルへと捧ぐ怒りさえたたえた情熱が流れ込んだ。


「舐めるなよ、ハル。君に守られるばかりの私じゃない」


 剣を握るばかりが戦いか?

 知識や知恵は、戦闘力を前提にしてようやく意味を成すものか? 常人であればそうに違いない。


 片や無知、片や虚弱。

 それぞれが歪な一点特化に比重を置いた生き物なれば、応用が利かないのも無理なき事。だから――


「想像しろ。私たちは二人で一人。頭脳と胴体で意識を分かつだけの生き物……そうだね、合成獣キメラとか」


「……魔獣じゃなく、もうちょっとマシな……」


「では、比翼ひよくと。互いに目と翼を一つずつ持って空を飛ぶ二対一身の幻獣だ。背の熱を分け合う私たちにはぴったりだと思わない?」




 ――思い返してみれば、この時が始まりだ。



 頑丈だが無知な半人半鬼の少年と、叡智の化身にして虚弱な黒衣の少女。二人の比翼恋理ひよくれんりとしての在り方は、紛れもなくこの瞬間に確かな形を得た。


「我らは比翼なり。我らは四方を見渡す、二人にして一つの生き物。私が君の、背中の眼だ。短剣ナイフが私たちに到達するまで二秒。合図で振り向き、入れ替わって剣で弾く」


 できるね? と不敵に微笑む気配にハルは呆れる思いだ。

 無茶を言う。ふざけてる。釣られて無理やり笑みを作る。

 文句なしの窮地にあるというのに、彼女の声を聴いていると何とも頼もしい心地になるのは、何故だろうか。


「来るぞ、集中して」


 ――右。


 脇腹が引かれ、即座に体を入れ替える。

 見てからでは遅い――折れた大剣を半ば直感に任せて横薙ぎに払うと、飛来した杭剣ナイフを弾く手応えがあった。


 ――右。続いて左。また左。


 暗殺者の狙いは常に黒尽くめの少女だ。

 歪な協力関係を潰すうえで明らかに弱い部分を執拗に攻められながらも守りは崩れない。

 不格好ながら舞踊のようだ。入れ替わり立ちまわりくるくるとデタラメなステップを踏む動きが、時間を追うごと最適化されていくのがハル自身にも分かる。


「これは、ちょっと――」


 楽しい――と不謹慎ながらハルの心が躍った。

 背中越しに伝わる相棒の感情がハルへと流れ込んでくるようだった。この窮地にそぐわない笑みがこぼれ、息を合わせて迫る脅威を何度も何度も弾き返す。


「とはいえ状況はあんま変わってねえなこれ!」


「見事なものだ。正確な投擲技術、隼の如き敏捷性。なにより身動ぎも息遣いも見抜かせない隠密能力。これが人形師マリオネッテ麾下、最速の暗殺者か。ハルとは相性が悪い相手だが――」


 ――同時引き。真正面。正反対に体を入れ替え杭剣ナイフを弾く。ルシカの心からの称賛にしかし、嘲りが混じる。



「心の成熟にはいささか時間が足りなかったと見た」



 静まる森林の向こう側を見通すように目を光らせ、ルシカは唇を舌で湿らせて不敵に笑うのだった。







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