20話 「家族のためなら」
「キーファ。君は止まり木の所属で、主に斥候を担当していたと聞いている」
「……」
「薬草術を学ぶ機会があったはずだ。君なら一通り、薬の煎じ方が分かるはずだね?」
キーファは押し黙るが、否定の声は上がらない。
肯定と受け取ってルシカは言葉を続けた。
「とはいえ森は敵の制圧下。連中に見つからずに薬草樹を見つけるのは不可能だ。採取役だけでは足りない。敵の目を惹く囮役が必要で、いずれにせよ狸亭の協力がなければ成立しない」
森を駆けずり回り、敵を攪乱する囮役。
薬草樹を捜索し、葉と根を回収する採取役。
囮役はもちろん、採取役も非常に危険を伴う作戦だ。
――たった一人を救うために全滅する気か?
そう突っぱねられてもおかしくない提案に、縋るようなハルの視線が重なる。
「…………、……」
キーファはしばらく無言を貫いた。
一分にも満たない沈黙が、ハルの心を焦らす。
コレットも含めた三人の視線がただ一人に集中するなか、やがてキーファは盛大に舌打ちを打った。
「……付き合えばいいんだろ」
「ほ、本当に……!? うわっ」
ハルめがけて乱暴に放られる荷物。瓶同士がぶつかる音がして面食らう。
顎をしゃくる形で促され中を見ると、緑色の液体が入った容器が幾つも入っていた。
「飲ませろ。質の悪りぃ癒薬だから急場凌ぎにしかならねえけどな」
「キーファ……!」
驚きを隠せないハルの声が弾む。
色良い返事が返ってくると思えず、一人でやり遂げるしかないと思い詰めていたほどだ。そんなハルを忌々しげに睨み付け、キーファは吐き捨てる。
「勘違いすんな。俺はテメエらを信じちゃいねえからな」
キーファは無造作な足取りでハルとの距離を詰める。
唸り声に似た声音で、忌々しげに睨み付けて。
「だけどよ……家族のためなら何だってするよな。分かるよ、その気持ちだけは」
言葉の端々に含む悪感情だけは揺らがずに。
「囮役はテメエだ。一番危険な役はテメエがやれよ」
青年の目の奥に炎が宿って見えた。
それがどんな意味を持っているかハルには知る由もない。
キーファは自分がどんな感情で動いているかを理解していた。
この身を焦がすのはきっと、ハルに対する劣等感と嫉妬だ。
「どうすんだ。家族のために捨て駒になれるかよ?」
覚悟を問うておきながら内心で盛大に唾を吐く。
次にハルの口から飛び出る言葉に予想が付いていた。
理解すればするほど惨めになっていく自分が在って、比較すればするほど情けない自分が居た。
「ありがとう! 恩に着る!!」
予想通りの肯定と、予想外の感謝に顔が歪む。
自分の憎まれ口にこうして感謝を向けてくる大馬鹿者のことが、思えば初めて出会った時から無性に気に入らなかった。
騎士になるのが夢だとうそぶく夢想家。
罪人に身を落としても真っすぐで在り続ける偽善者。
様々な罵倒がキーファの頭をよぎり、無性に腹が立ち、しかし形にはならずに盛大な舌打ちだけが残る。
「キーファさんは素直じゃないんですから、もう」
「……そんなんじゃねえんだよ」
肘で突いてキーファの判断を支持するコレットに、ぶっきらぼうに返す。
(そんなんじゃ、ねぇんだ)
キーファには、ハルの生き方ができない。
荒んだ心を誰にも打ち明けられず、劣等感だけが澱のように積もる。救いようがない自分の気持ちを顧みて、自嘲すら浮かんでこなかった。
「……では決まりかな。採取班はキーファとコレット。葉と根を必要数確保したら、ただちに回復薬の作成に取り掛かってくれ。私たちの帰還を待つ必要はないから」
「……は? 私たち?」
全員の視線が集まるなか、黒尽くめの少女は不敵な笑みを作って。
「囮班はハルと私。この人選に異論は挟ませない」
危険な役への参戦を宣言した。
幾つかの細部を詰める。
シオンの身柄は採取班の手で山小屋へ移送される。
黒棺は洞窟にそのまま放置せざるを得なかった。ハルと鬼人族の関連性を狸亭に連想される危険性がある、というルシカの判断だ。
「『死守』の契約を破ることにはならないか?」
「有り得ないよ? 私も荷の一部だから。棺桶だけで天罰が降る契約なら、依頼主に棺桶を渡すだけで契約完了にならないとおかしい。私自身が君から離れても何のお咎めもないわけだし」
加えて敵側が黒棺を狙う理由はない。
移動させるのも一苦労であるため、向こうも場が落ち着くまでは放置という形をとるだろう。
そう太鼓判を押したルシカは、慎重にシオンを背負うキーファのほうへ向かう。
「戻ったら機人族攻略について策を講じるからね。朗報を期待しててくれ」
「……勝てるわけねえだろうが、あんな化け物」
「勝たなければ生き残れないよ?」
返事代わりの舌打ち。
代わりにコレットが場を取り持つように笑みを作ると、ハルたちの無事を祈るため龍への祝詞を口ずさんでくれた。
ルシカは少し複雑そうに微笑み、ハルはキーファに深く頭を下げる。
「シオンを頼む」
「……とっとと行けよ」
二人と別れ、ハルたちは山道を下る。
襲撃を警戒し視界の開けた道を避け、狭い獣道を歩く。途中で何度か足を滑らせそうなルシカの手を取りながら。
「……ルシカ、助けてくれてありがとう」
「うん?」
改めて黒棺から回収した聖絹を巻いた素足で枝を踏み締めながら振り向くルシカに、ハルは言い損ねた礼を言う。
「治療の時、俺は全然動けなかった。お前がいなければどうなってたか分からない。勘違いとはいえ、怪我もさせられた相手なのに」
「耳のこれならかすり傷だよ。礼も謝罪も必要ないかな」
白い耳たぶの裂傷をなぞってルシカが微笑む。
ハルには彼女の顔を見る余裕はないが、場にそぐわないほど屈託な笑みを浮かべているのが分かって頬を掻く。
「……どうして付いてくるんだ? 囮役は危険だって言ってたじゃねえか」
「馬鹿だな。君が心配だからに決まってるじゃないか」
直接的な物言いに思わず足が止まる。
じわ、と滲むように視界が歪んだ。
今は本当に駄目だ。
ちょっとした言葉でも胸が熱くなってしまう。
潤む目を袖で拭い、何か礼を言わなければと振り返ると、小悪魔じみた笑みをしたルシカが居た。
「あれ……?」
「駄目だよ、ダメ。女商人の言葉をそのまま受け取るなんて、骨の髄までしゃぶられてしまっても文句は言えないよ?」
からかわれた、と気付いて耳を紅潮させるハル。ニヤニヤ笑うルシカの視線から逃れ、口をへの字にして移動を再開。
「こっちは本音。この目で確かめたい情報があるんだ」
ハルの背に笑みを堪えた謝罪を届けていたルシカだが、意地でも反応してやるものか、というハルの態度に降参の意を示す形でそう言いだした。
「あの子の剣は血と脂まみれで刃こぼれも酷かった。囮をするうえで多くの敵を斬ったはず。敵側にすれば多くの怪我人と死者を出したうえで逃亡を許したわけだろ?」
士気の低下は避けられない。
敵は物陰から現れるシオンという怪物を警戒し、必然山狩りの足も鈍る。
量に頼んだ人海戦術は事実上、破綻したに等しい。
「となれば敵に残された手はひとつだけ。徹底的な包囲網を敷いたうえでの、精鋭の投入。こうなれば、後は質の勝負だ」
ハルたちの窮地は変わらない。
しかし相手側も打つ手が限定される程度には苦しんでいるんだ、とルシカは言う。
「……じゃあ俺たちが機人族を全て倒せば?」
「こちらの勝ち。分かりやすいだろう? だから機人族の姿をこの目で見たい。敵の正体さえ掴めれば勝ち筋が見える。誰か一人でも把握できれば……」
「機人族は複数人いるんだろ? 一人だけで足りるのか?」
「商人だからね。当然、足りる」
彼女の理屈がいまいち呑み込めずに黙り込むハルに、ルシカは歩く速度を変えないまま向き直ると得意げに顎を引く。
「ミトラで殺し屋稼業に属する機人族はおよそ三百人。二十二人の単独犯を除けば、いずれも主に仕えるか組織に所属している。なら三百人全員の特徴を頭に入れておけば、一人の把握で芋づる式さ」
殺し屋三百人の特徴を全て把握している?
舌を巻きすぎて口にする気にもならない。
自信ありげに微笑むルシカは、突然の静寂に少しだけ格好を崩して。
「……商人なら当たり前の知識だよ?」
「商人って俺の知らない所で妙な方向に進化したんだな?」
大きな荷物を背負った太っちょの行商人は死んだ。
自然淘汰ならぬ、人工淘汰の中で絶滅したのだ。
話し込んでいる内に、だいぶ下層の樹木群が近くなってきた。
この調子なら数分もかからない。気持ちを切り替え、唇を舌で濡らして緊張感を保とうとする。
「ハル。いよいよ囮作戦だが、致命的な問題が一つ」
非常に引っかかる物言いに嫌な予感が止まらない。
聞かないわけには行かないんだろうな、と胡乱な目でルシカを見やると彼女は腰に手を当て、ふっ、と誇らしげに息を吐いた。
胸を張る仕草なのに、口元の笑みがやや引き攣っていて滑稽に見えた。
――あ、これろくでもないこと言いだすな?
短い付き合いだというのに、それをはっきりと理解して。
予想に能わず、そして予想以上の問題点をルシカは少しだけ自棄気味に口にした。
「君はこれから囮役として走り回るだろうが、間違いなく私は付いていけない。勾配のある道だ。十秒で体力が底をつき、君の度肝を抜く速さで捕虜になる。どう? すごいと思わない?」
「今からでも採取班に合流しろ!!」
作戦を根底を覆す虚弱っぷりの暴露。
隠密中だよ? と口元に人差し指を当てる仕草すら今は憎らしい。そをなハルの肩にルシカの白い手が伸びて。
「まぁ聞くんだ。私に良い考えがある」
囁かれる提案にハルの目が見開く。
反発しようとはした。
無茶だと、無謀だと吐き捨てるべき提案だった。
けれどハルが何かしらの反論を口にするより僅かに早く、ルシカはコレット謹製の音響弾を放り投げた。
「ばっ……!!」
木の実が弾けて森中に音が響き渡る。
もはや後戻りできない。採取班は一拍の間を置いたうえですぐにでも行動を開始するだろう。ルシカを山の上に戻す時間はもうない。
「お前って頭の良い振りをした馬鹿だろ、ちくしょう!!」
「はははっ!」
ルシカの細い身体を両腕で抱き上げ、そのままの態勢で森への疾走を始めるしかなかった。
落ちた枝を踏み割り、砂煙を巻き上げ、一直線に敵が待ち構える樹海の中へとハルは敵陣への特攻を強いられた。両腕が封じられた形で、だ。
「君の話を聞いて総合的に考えた結論だ! 黒棺を抱えて山狩りから逃げ切る体力があるのなら、私のように軽い女一人を抱えて走るなんて、わけもないってね!」
暴論を振りかざし、ルシカは催しに目を輝かせる子供のように声を弾ませる。
自分の命を全て惜しげもなく他人に託す暴挙。誰かの命を背負って走るなどと、なんて恐ろしいことをさせるんだ、と鳥肌が立つ思いで。
はて、そういえば。
ずっと昔にこんなことをしたような。
脳裏によぎった既視感が、ルシカの弾んだ声に掻き消された。
「さあ走れ走れ! 私の代わりにね!」
崖下に広がる森が、蜂の巣をつついたように騒ぎ出す。
作戦は予定通りに開始された。死に物狂いで走り回っているだろう囮役の仕事ぶりを観察して。
「……行くぞ」
「はい!」
採取班の二人も行動を開始する。
人目につかないよう細心の注意を払いながら山を降り、下層の樹木群を目指す。
斥候の本領発揮とばかりにキーファが先陣を切り、ルシカと名乗った黒衣の女から伝えられた特徴の木を探す。その仕事にはなけなしの誠意を以て当たろうと心に決めて。
けれど。
キーファの中にある考えが渦巻き、気持ちは晴れなかった。
――あの女を、信用していいのか?
突然現れ、訳知り顔で主導権を握る謎の女。
どうして無条件で信じられる?
冒険家を竦ませるほどの眼光を持った女の言うことを信じていいのか、と自問する。
極限状態の中、不信が人を殺す。
それが芽吹く寸前まで来ていることを、誰も知りえない。
――家族はもう、コレットだけ。
兄貴分だったザジは死んだ。
親父だったマゴーも、きっともう生きていない。
残った家族は一人だけ。
過酷な冒険家稼業でも笑顔を絶やさない、キーファの妹分。
――守れるのは俺だけだ……何があっても家族を守るんだ。
気に入らない男の顔を思い出す。
弟のために囮役を押し付けられた馬鹿な男を。
家族のためなら何だってする、と神妙な顔をして頷いた男に敬意を払う。
きっといま、この時。
キーファとあの男は同じ結論に至ったのだから。
「そのためなら……」
家族のためなら何だってする。
その気持ちが痛いほど分かる。
同じ立場なら同じようにしただろうから。
だから恨まないでほしい。
たとえ彼らの気持ちを踏みにじる裏切りを働いたとしても。
「そのためなら、許されるはずだ……」
家族の、ためなのだから。




