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05話 「ベテラン冒険家かく語りき」







 人生を振り返った時。

 必ずこの特別な日を思い返す。

 ベテラン冒険家ピーターが後にそう振り返る一日も、朝は平凡なものだった。


「よし。時間通り」


 早朝に起床し、剃刀で無精髭を整え、濡れた手ぬぐいで身体を清めてから革鎧を着こんで得物の長剣を腰に引っ提げる。

 住み慣れた安宿の階段を降りながら、短く切り揃えた短髪の寝ぐせを手鏡で整え、午前中までの仕事を思い返す。


「薬草の数と状態、確認良し。三か所にそれぞれ均等に届けて……あ、そういえば今朝はパレードだっけ。リグラン大通りが混むなら、裏通りからのほうが早いかな……」


 足早く朝市へと駆け出す。

 支度をする顔見知りの行商人たちと情報収集ついでの雑談。

 彼らから薬草や癒薬ポーションの需要がないか聞きまわるも、今日は空振りに終わった。

 比較的若い商人がピーターを冒険家と見込んで素材の採取を依頼してきたが、それは固辞する。


「無理無理。できないことはしない主義だから」


「んだよ、それでも冒険家かよ、この臆病者おくびょうもんが!」


 苦笑して手を振り歩く。

 後ろから口汚い罵倒が聞こえてきても気にしない。

 冒険家と一口に言っても、魔獣退治を積極的に受ける腕自慢ばかりではないのだ。

 ピーターの生計は主に薬草の採取や調合、肉体労働の人手の穴埋めで成り立っている。危険が絡む依頼といえば街を渡り歩く商隊の護衛がせいぜいだ。


「新米かな。俺に魔獣退治を依頼するなんて」


 冒険をしない冒険家。

 それがピーターという男の半生を表す言葉だった。


「分を弁えて生きるのが、冒険家の長生きの秘訣ですよ、っと」


 魔獣が絡む依頼は極力引き受けない。

 それが長生きの秘訣だと彼は知っている。

 自分の限界を読み違えた時、ある日あっさりと死ぬ。

 それが冒険家だと理解していた。


「さて、と……店に戻ろうかな」


 午前中の仕事はあっという間に片付いてしまった。

 幾つかの止まり木を巡っては真新しい依頼がないかを覗き、それが芳しくないと分かると自分のホームグラウンドへの早めの帰還を決める。


 今日の本命は午後だ。

 早めに良い席を確保しておくに越したことはない、と踵を返したところでピーターはその騒ぎに気付いた。


「うん?」


 見れば若い二人組の男女が柄の悪そうな男に絡まれていた。


「あちゃ……ご愁傷様――」


 薄情な呟きが途中で途切れた。

 絡まれていた妙な二人組の異質さに目を奪われたのだ。

 一人は黒いフードを目深に被った黒髪、黒いワンピースの少女。上から下まで黒で統一された衣装から僅かに覗く白い肌が美しい。


 そんな女性を背に庇うのは、鳶色の髪の少年だ。

 革鎧と背に佩びた大剣から同業者ぼうけんかだということが窺える。

 背丈に合わない武器の選択は駆け出し特有の危うさを思わせるが、複数の男たちに囲まれても怯えや怒りといった感情の揺れが見えない。怒りや不審というより、ひたすらに困り顔を作っていた。


「付き合いが悪りぃなぁ! ただ一緒に呑もうってだけじゃねえか! そこの酒場で酌でもしてくれよぉ、姉ちゃん」


「新入りよぅ、先輩の言うことは聞いておくもんだぜ? 馬鹿馬鹿しいぐらいでっけえ剣引っ提げてよぉ、ひっく……田舎もん丸出しのお前にゃその女はもったいねえ」


 彼らを囲む連中もまた、冒険家のようだ。

 少年より一回り以上もでかい巨体の集まり、赤らめた顔から酔っ払いだと推察できる。


 少年の格好を冷やかしたのがキッカケか、連れの女性にちょっかいを掛けたのが先か。

 いずれにしても彼らは運悪く絡まれた被害者らしい。

 周囲は酔いどれの冒険家たちを恐れ、遠巻きに推移を見守っている。


「おら、来い!」


 怒声を上げたのは、彼らの中で一番大柄な男だった。

 少女に毛むくじゃらの太い腕が伸び、その手首を引っ掴む形で少年が阻む。

 筋肉質だが細い腕に引っ掴まれ男の身体が硬直した。

 怒りが爆発する直前の静けさに、周囲の人々は思わず身を強張らせる。


 異変はその時だった。


「痛でででででであががががががッ!!?」


 腕を掴まれた男が、突如奇声を上げながら膝を突く。

 許しを乞うように頭を垂れ、体を痙攣させて目は血走らせた男の様子に周囲がざわついた。

 より一層の注目が少年少女らに集まり、その視線を受けて少年は慌てて手を離した。

 解放された男は蹲るように腕を抑え、ひぃ、ひぃ、と嗚咽している。


「ぁ、まずい、か?」


「少し注目を浴びすぎたね。さて、どうしたものか」


 視線を交わし合い、少女のほうは肩をすくめる。

 二人を囲んでいた男は仲間の姿に面食らっていたが、その原因が少年にあると理解が追いつくと、今度こそ額に青筋を立てて拳を握り締めた。


 ――少しぐらい、善い行いをしていくか。


 男が何かを喚きながら腕を振り上げる。

 周囲の野次馬たちがひっ、と息を呑むなか、ピーターは声を張りあげた。


「おい! 憲兵団がこっちに来るぞ!」


 男たちの動きが止まる。

 憲兵団は街の治安を守る兵隊たちの通称だ。

 騒ぎを起こす冒険家ならずものたちを容赦なく引っ立てる権限を持つが、実のところ未だ彼らが到着する様子はない。ただの出まかせだ。


「――ぁ、」


 少年が、大きく目を見開いたのが見えた。

 こちらを見知るような反応を少し訝しむものの、少年の顔に見覚えはない。

 ともあれ、さあ今の内に、と軽く目配せをする。


(連中が憲兵団の名前で頭を冷やしてくれればよし。そうでなくても彼らが逃げ出す隙にはなるだろう。……生憎と割って入ってあげるほどの甲斐性はないけれどね)


 揉め事には出来るだけ関わらない主義だ。

 小さな親切以上を求められても困る。

 後は自分たちで何とかしてもらおう、なんて気障きざな笑みを浮かべつつ踵を返そうとした、その時。


「デタラメだ。憲兵団なんて来ていないじゃないか」


「……はい?」


 種明かしを行ったのは、誰あろう黒フードの少女である。

 正気を疑って振り向いたピーターの見開いた目が、フードに隠れていた切れ長の黒眼に射抜かれた。

 白い指先が真っすぐにピーターを射抜き、ならず者たちや野次馬たちの注目が一斉に降り注ぐ中、少女は口角を吊り上げて言う。


「いま、あそこの彼が嘘を付いた。薄い赤毛の短髪、草臥れた皮鎧の冴えない面立ちの中年の男。貴方たちを驚かせて楽しんでいるようだ」


「うっそぉ!?」


 まさかの裏切りだった。

 目を剥いて黒フードの少女を見やると、唇が小さな弧を描いて半端な親切心を見せた間抜けを嘲笑していた。


 少女の口上は滑らかで淀みがない。

 発せられた声質が頭の奥にじぃんと染み渡るような魅力的な声に誘われ、ならず者たちの興味が自分へと移るのが分かった。

 ピーターの周囲にいた野次馬たちが巻き込まれまいと散っていき、そんな観衆たちの動きがならず者たちの嗜虐心に拍車をかける。


「おうおうオッサン舐めた真似してくれんじゃねぇの?」


「袋にしてやんよぉぉ? はぁぁぁん?」


「おおっと用事を思い出したんでこれで失礼しますぅ!!」


 お決まりの口上を遮ってピーターは脱兎のごとく逃げる。

 殺気立ったならず者たちに弁解が通じるとは思えず、彼らの怒りに拍車をかけると分かっていてなお、ピーターは逃亡を選択するしかなかった。


 後ろで怒号と慌ただしい足音が迫ってくる。

 今頃、少年少女は悠々と窮地を脱しているのだろう。

 とてもずるい。


(お、覚えてろ、とは言わないけど!)


 冒険家はならず者を指す言葉として広く浸透している。

 同業者が起こす喧嘩沙汰は日常茶飯事だ。

 ゆえに自分の身は自分で守るのが冒険家であり、特に冒険家同士の諍いを見たなら首を突っ込んだほうが悪い、は浸透しきった常識だ。

 中途半端な親切心を出した自分を責めながら、それでもピーターは恨み言を我慢できなかった。


「ちょっとは申し訳ないって顔してくれないもんかなぁ!」


 『おやちょうどいいところに生贄が』みたいな少女の笑みを思い返しながら、ひたすらピーターは地面を蹴った。追手の猛追を振り切る頃には、貴重な午前中を使い切る羽目になったのである。











 渡り鳥の止まり木。


 各地を飛び回る冒険家たちの拠点として、情報共有と依頼の仲介を目的に設立された酒場を指す言葉だ。いわゆる組合ギルドであり渡り鳥は冒険家の比喩である。大鳥が樹に留まり羽を休める様子が刻まれた紋章は国の支援を受けている証であり、ミトラ聖龍国に限らず世界各国で採用されている。


 冒険家の定義は簡潔だ。

 自らが冒険家だと名乗れば、それでいい。

 田舎を出奔した若者だろうが一国の姫だろうが関係ない。

 門戸を広く開けた判断は、頻発する魔獣の被害を未然に防ぐ防波堤となる、はずだった。


 しかし冒険家の増加は、山賊行為の横行にも繋がった。

 力を持たない人々から報酬を騙し取る者。

 女性を無理やり手籠めにする者。

 暴力を以て人々に無体を働く事件が爆発的に増えたのだ。

 結果、冒険家はならず者と呼ばれて敬遠され、仕事を失った。魔獣の駆逐も再び後手に回ることとなった。


 この状況に歯止めをかけたのは国だった。

 国家は冒険家の存在を強く肯定した。

 冒険家たちの憩いの場を専門とした酒場の設立を打ち立て、彼らを取り締まるのではなく統制することを選んだのだ。


 酒場は仕事を持ち込みたい依頼主と、仕事を求める冒険家の間を取り持つ仲介役となり、やがて冒険家の築いた信頼を保証する公的機関へと変貌を遂げた。


 通称、止まり木。

 国家が任命する、冒険家への仕事斡旋場の誕生である。





「ああ、懐かしのホーム……昨日も来たけど」


 豊穣の牝牛亭。

 首都エリュシードの一等地に構える老舗の酒場が、ピーターの所属する渡り鳥の止まり木だ。建物は決して大きくないし、所々の修繕後がみすぼらしい店だが出される料理が抜群に美味い。

 真昼間は他所の止まり木の客が訪れるほどである。


「昼も過ぎたし、余所の冒険家はもういないよなぁ……」


 散々追い回されてぐったりと肩を落としたピーターが酒場の前後扉スイングドアを通ると蝶番に括りつけられた来店を示す鈴の音が店内に鳴り響く。


 ピーターを出迎えたのは可愛らしい娘の歓迎の声――


「ざっけんなよ、おらぁあ!!!」


 ではなく聞きなれた喧噪と怒鳴り声だ。


「命懸けで取ってきた大蛇ヴァイパーの皮にケチつけんのかぁ!? 報酬差っ引こうとか良い度胸してんじゃねえかクソがぁ!!」


「ふざけんなはこっちの台詞だ! なんだこの滅茶苦茶な剥ぎ方は!? 品質が落ちてんなら金が減るのは当然だろうが、雑な仕事しやがって!!」


「こっちのテーブルにエール三杯! 最近薄くしてねえ?」


「失礼すぎる。文句があるなら飲まなくて結構」


「うーん凄い安心感。さすがならず者の巣窟だわー」


 当然、止まり木は冒険家とそれに接する者が集まる。

 お行儀のよさはないし、決まった作法もない。

 勝手に入って中央の掲示板に張り出された依頼書を流し読み、それからカウンターの一席に腰を下ろす。

 すると、止まり木の看板娘がピーターの姿を目ざとく見つけ、小走りに近寄ってくるのが見えた。その顔を見ると自然と頬が緩む。


「ピーター」


 豊穣の牝牛亭の大黒柱にして看板娘。

 今年成人の十五歳を迎えたばかりながら、強面の冒険家にもまるで物怖じしない肝っ玉少女である。


「や、アーネちゃん」


 軽く手を挙げると、彼女は一瞥してからいらっしゃい、とお決まりの言葉を寄越し、両手に抱えた空のジョッキをカウンターの向こう側に並べていく。

 その横顔が憂いを帯びていることに気付き、ピーターは申し訳なさそうに頬をかいた。


「遅くなってごめん」


「心配なんてしてなかったから」


 つん、と素知らぬ顔のままカウンターの奥に消えていく。

 不機嫌そうだと弱り顔を作っていると、彼女は野菜のスティックを入れたジョッキを片手に舞い戻り、それをピーターの机の前に置いて一息つく。


「……それにしても。ボロボロ。誰かに絡まれてたの?」


「大勝負の前に善行でも積んどこうと思ったら下手踏んじゃって。今日こそ出来ないことはしない主義、なんて嘯いてたのにね」


 少し大げさなぐらい肩を落とす仕草をすると、看板娘からようやく小さな笑みが零れた。滅多に笑顔を作らない彼女から笑みを引き出せたのはささやかな喜びになった。


 ピーターが初めて出会ったのは駆け出しだった十年前。

 彼女が五歳の頃からの付き合いになる。

 先代の止まり木の主人が遺した忘れ形見は、本当に魅力的な女の子に成長した。当時から彼女を妹のように可愛がっていたピーターにとっては感慨深いものだ。


「だいぶお客さん掃けちゃったけど……大丈夫?」


「出来れば余所の止まり木の冒険家も巻き込みたかったけど……居ないものはしょうがない。常連は集まっているようだし、良い縁を期待するよ」


 出来るだけ気楽に笑って、掲示板のほうへと歩く。

 目的は備え付けの金色の鈴だ。手をかけ、鳴らす。


 店全体に甲高い鈴の音が響き渡り、喧噪に包まれていた店内は一転静まり返り、その視線が鈴を鳴らしたピーターに向かって注がれる。顔見知りの何人かは、その鈴を鳴らしたのがピーターだと気付くと目を見開いた。


「ピーターが、パーティ募集の呼び鈴を……?」


「いつ以来だ? おっさんが魔獣退治を受けるなんてよ」


 常連の一人、恰幅の良い豚顔の獣人族ビーストが頭に生えた耳の裏を掻く。

 店内に備え付けられたこの鈴は、パーティを募集することを店内に知らしめるための小道具だ。

 ピーター自身がこの鈴を鳴らすのは実に二年ぶり。

 希少な出来事が店内の興味をごっそりと掻き集めた。


 良い反応だ。行けるかもしれない。

 久々に浴びる注目に居心地の悪さを感じながら声を張る。


「ホウロン村のゴブリンを討伐したい! 俺と組んでくれる奴はいないか!?」


 何人かの冒険家が興味を失ったように視線を切った。

 いま顔を逸らした冒険家たちは賢い。

 きっとこの先もその慎重さで長生きするに違いない。

 一方でまだ何人かの顔見知りはまだピーターから視線をそらさない。止まり木の隅で細々と生きてるでくの坊の一念発起に、好奇の目を寄越してくる。


報酬カネは?」


「銀貨十枚」


「割に合わねえじゃねえか!」


 多くが毒気を抜かれた顔で興味を失くし、あるいは舌打ちして顔をそむけた。未だピーターに視線を向けるのは、滑稽な芸を見せる中年への野次を浴びせる血の気の多い連中だ。


「何年この仕事で食ってやがる! そんな条件、今時食うに困った駆け出しでも引き受けねぇよ! 冷やかしなら余所の店でやりなァ!」


「金額が安すぎる。依頼人はなに考えてんだ?」


「まだゴブリン退治が新米の仕事と思ってる奴いんのかよ」


「今の相場なら三倍はいるぜ。そんなゴミみたいな依頼書、便所にでも流しちまえよ、オッサン。大体アンタ魔獣退治は受けない主義だったろ?」


 さすがはこの仕事で何年も食ってる同業者だ。

 変動が激しい仕事の相場だが、最近のゴブリンは随分と話題性がある。


 昔は銀貨十枚も出せば駆け出しの冒険家が喜んで飛びついてきたものだが、ここ半年で事情は変わった。それを承知の上で持ち込んだ仕事だったが、やはり手厳しい。


「事情があってね。どうしても断われないんだわ」


「ああ? まさか引き受けるときに龍と精霊に誓いを捧げちまったのか? 堅実がモットーのアンタが随分と下手打ったじゃねえか」


 豚顔の男が笑う。

 馬鹿にした笑みだが、周囲の空気がだいぶ和らいだ。

 意識して作ってくれたのだとしたら感謝だ。


 ――ここが勝負のきわだ。


 自尊心の強い冒険家諸君をやる気にさせる決め台詞を、と昨夜のうちに考えてきた殺し文句をぶつけるべく、ピーターはその場の全員に向かって、ふっと笑った。


「誰も受けない? いいのかお前ら?」


 鈴を鳴らした直後と同じぐらいの視線が飛んだ。

 滅多に注目されない人生を良しとした中年の、その人生の総決算として。



「俺一人で行っちゃうぞ? ゴブリンの巣窟に魔獣退治ブランク二年のおじさんを放り込むとか、お前ら心痛まない? ここにいる全員、新米の頃からおじさんの薫陶を受けてきた連中なのに?」



 盛大な自爆を試みた。












「はいこれ。残念賞のジュース」


「アリガト……」


 突っ伏したまま果物水を受け取り、盛大に溜息をつく。


(言葉選びを間違えた……)


 昨夜考えた誘い文句が、大勢の注目ですっ飛んだのだ。

 白紙になった頭が咄嗟に弾き出したのが、十年コツコツと積み上げてきた信用を盾にした泣き落とし。

 これを勇ましい決め顔で口にしたものだから、傾聴していた冒険家たちは大騒ぎ。


『脅し方が卑屈!』


『言うほど大層な薫陶も受けてねえわ!』


『魔獣も満足に仕留められねえならこの仕事辞めろ!!』


 返す言葉もない。

 店の隅で肩を落とし、ピーターは自嘲気味に笑った。


(まぁ、こんなもんだよなぁ)


 勇ましい口上も、魔物退治の仕事も自分には向いてない。

 他所の止まり木に話を通しても結果は変わらなかっただろう――なんて黄昏れながら果実水を呷っていると、豚顔の冒険家に肩を叩かれる。勢いよく顔をあげ、ごつごつしたその手を握る。


「もしかして気が変わって一緒に行ってくれたり!?」


「悪りぃなオッサン。俺、二日後に銀貨級シルバーの昇格試験を控えててよ。一緒には行ってやれねえんだわ」


「……そっかぁ。まじかぁ」


 冒険家には、止まり木が導入した階級制度がある。

 これは国が支援する止まり木にどれほど信頼されているかを示す身分証明制度であり、冒険家としての実力を示す目安にもなる。


 止まり木に登録したばかりの駆け出しの鉄貨級アイアン

 下積みを終えた一般冒険家を銅貨級ブロンズ

 止まり木の看板を背負う冒険家を銀貨級シルバー

 その上に、一握りしか到達できない金貨級ゴールド


 当然上に行くほど審査は厳しくなり、銀貨級シルバーともなれば国から昇格試験を課せられることになる。豚顔の彼は、止まり木と国のお眼鏡に叶ったのだ。


「……三年で銀貨級シルバーか。おめでとう」


「ありがとよ。オッサンも良い機会じゃねえか。いっちょゴブリンのソロ退治で名を挙げて来いよ。下積みは十分なんだ、一発やってやれば銀貨級シルバー推薦もいけるって」


「ははは……」


 ピーターの階級は銅貨級ブロンズだ。

 もう十年以上も銅貨級ブロンズのままなのだ。


 いつからだろうか。

 後輩に抜かれていく悔しさを感じなくなったのは。

 成功より、食い繋ぐことに必死になったのは。

 周りからの期待を過分に感じ、笑顔で誤魔化す癖を覚えてしまったのは。


「彼の言う通りだよ、ピーター」


 話を盗み聞いていた身なりの良い青年が、店で一番高い酒を優雅に呷りながら言う。


「上を目指さない冒険家に先なんてないのだよ。身体が動かなくなる前に、地位をあげておかないと、用心棒や指南役の余生なんて夢のまた夢さ」


「そうだねえ……」


 昔は、金貨級ゴールドになると豪語して憚らなかった。

 冒険家として成功する自分を、引退後の明るい未来を信じて疑わなかった。


 今の自分は大勢の注目を浴びるだけで身がすくむような、情けない中年。丸めた依頼書の紙をくしゃりと握り潰し、周りの発破にも堂々と答えられない臆病者だ。


 今でも思う。

 そんな自分が何かを願うなんて。

 とんでもない思い違いをしているんじゃないか、なんて。


「こら」


 自嘲のまま暗い思考に沈んでいく頭に、スパンッ、と小気味良い一撃が炸裂した。顔を上げれば看板娘のアーネがカウンターの向こう側で、眦を吊り上げていた。


「そういうとこだぞ」


「あ、ごめ……」


「そういうとこだぞ!」


 丸めた破棄予定の依頼書の束でぽかぽかと叩かれる。

 何故だかそれだけで心が軽くなってきた。

 年齢を重ねて複雑化していく感情を、問答無用と一つに纏めてかっ飛ばされたような気がして、やっといつもの笑みがこぼれてくる


「……ありがとうアーネちゃん。良い活をもらった。ようし、こうなったら別の止まり木の鈴も鳴らしてみよう。俺の取り柄の粘り腰見せてやんよ」


「そうこなきゃ」


「はっ。十五のガキにケツ蹴っ飛ばされるたぁ情けねえ」


 豚顔の獣人族ビーストは持ち前の口の悪さを存分に披露したあと、雑に手を振って店から出ていった。

 身なりの良い青年はアーネの登場に目を輝かせた。

 最近は店主との商談と称して牝牛亭に通い詰めているが、目当てが彼女であることは疑いの余地がない。


「そろそろ贈り物の一つぐらい受け取っておくれよ、アーネさーん。装飾品アクセサリーを死蔵させてもしょうがないのだよ」


「持て余すので。お礼もできないので」


 贈り物を受け取る、受け取らないの話に耳を傾けながら、グラスに残った果実水を一気に飲み干す。

 青年はしつこく食い下がる雰囲気を見せているが、アーネも子供の頃から冒険家と接してきた肝っ玉少女。

 今日のアプローチも進展なく空振りに終わるだろう。


 それを安心していいのか、不安に思えばいいのやら。

 ともあれ困り顔で青年に対応する看板娘にグラスを返し、それからああ、と間の抜けた声をあげた。


「お昼がまだだった。アーネちゃん、軽食はある?」


「まいどあり」


 カウンターから離れる口実を手に入れたアーネは、風のように早く厨房へと消えていく。

 身なりの良い青年は恨みがましい目を自分に向けているだろうが、気付かない振りで流す。後は捨て台詞のような皮肉を頂戴し、この場はいつも通りに収まるはずで。


「……なぁ、いいか?」


「うん?」


 聞き慣れない少年の声。

 初耳ではないな、と内心意外そうに顔をあげると、思い浮かんだ人物が横に立っていた。


 鳶色の髪の、身の丈に合わない大剣を背負った少年。

 少し離れた場所でピーターを陥れた黒尽くめの少女が、大仰に肩をすくめ額に手をやり目を伏せて、まるで何かを嘆くような演技を試みている。


「お前さんたち……」


「さっきのゴブリン退治の話、なんだけど。まだ公募は取り消してないよな? 止まり木に所属してなくてもいいなら、一枚噛ませてくれないか?」


「――本当に?」


 まさか、今朝の件が縁になるとは。

 この妙な二人組が牝牛亭に来ていたとは気付かなかった。

 思い返しても記憶にないが、そもそもピーターは自分に向けられる視線しか意識していなかったのだ。最初からこちらを見ていない客の中に彼らもいたのかもしれない。


 ――田舎から出てきた、駆け出しか?


 少年と、黒ローブの少女。二人を改めて一瞥する。

 彼らに対しての第一印象は正直良くない。

 今朝の件で不利益を被ったのも確かだ。

 少年はともかく黒尽くめの少女は自分が陥れた男だと気付いているはずで。


 いや、と内側で燻る不信感を振り払う。


 聞くべきことを聞き、それからの判断でも遅くない。


「……お前さん一人でか、少年?」


「俺と、あっちの女の子と二人で。報酬は一人分でいい」


 そうか、と唇を無意識に噛む。

 止まり木に所属しているかどうかの是非を問う気はない。

 人員を穴埋めしてくれるなら今朝の件も笑って流せる。

 ただ、どうしても強い懸念が一つある。


「ピーター。軽食、野菜の串揚げでも……取り込み中?」


 ひょこ、と厨房から看板娘が顔を出した。

 不安げに曇る顔色に笑いかけながらピーターは腰を上げた。


「アーネちゃん。応接室、借りるよ。軽食は一旦キャンセル……いや、串揚げでいいから三人前。出来上がったら運んでくれるかな?」


「……! 急いで作る。ガンバ」


 しゅばっ、と厨房へと消えていく看板娘。

 苦笑しながら鷹揚に手を振り、それから少年たちに向き直った。

 立ってみれば少年は自分よりも少し小柄だ。

 ピーター自身がそれほど体格が大きくないことを考えても、冒険家でやっていくには小さく思える。


 けれど、とピーターは値踏みする目のまま息を吐いた。


(駆け出しなんて、とんでもないな)


 自分を見据える目が、ピーターから侮りを取り払う。

 可愛げのない目つきは生来のものだろう。しかし数多くの修羅場を潜った凄みが瞳の奥で炎のように揺れている、そんな印象が拭いきれない。


 長い経験で多くの冒険家を見てきたピーターだからこその、経験則だ。

 この眼力が衰えた時が死ぬときだと心得ている。


「場所を変えよう少年少女。面接の時間ぐらいあるだろ?」


 少年の目が、年相応に輝いた。

 そんな何処にでもあるような反応を一層不気味に感じながら、笑みをこぼす少年と未だ仏頂面の黒い少女を引き連れ、応接室へのドアノブに手をかけるのだった。





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[良い点] うん、面白かった! この冴えない中年男がどんな鍵を握っているのか、興味が湧いてきますね。看板娘もいい娘っぽい。 [気になる点] この話は修正点が七か所とちょっと多かったです(誤字報告済み)…
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